YUKIO音楽理論

久しぶりにこのブログに向かっている。前に書いたのは3月の中旬なので1ヶ月半空いてしまった。この間、ブログも書かずに何をやっていたかと言うと、ジャズの音楽理論書をずっと読んでいたのだった。

最近月に2,3回行く公民館のピアノ室の予約を4時間とるようにしている。前は2時間だったのがだんだん増えて来てしまって、4時間何をやるかと言うと、最初の1時間を自分のオリジナル曲をああでもない、こうでもないと創るようにしていて、次の1時間を次にまとめようと思っているカバー曲ばかりを練習、3時間目を今まで創って来た自分の過去のオリジナル曲を思い出すために弾いて(いわゆる復習と言うやつ)、最後の1時間を若い頃買って、さっと目を通しただけで、ほったらかしにしてあった音楽理論書をじっくりと自分で理解できるまで、読みながら鍵盤を弾くと言う時間にあてている。

この4時間目の音楽理論の時間は、別にピアノ室に行った時だけに限らず、ピアノ室の予約から外れてしまった週末の土曜日午前中とかに、家の電子ピアノに向かって理論書を見ながら弾けるではないかと気づいてしまって、最初はそうした土曜日だけ時間を割いていたのだが、だんだんこれでは時間が足りないと感じてしまい、平日の空いている時間、いわゆるこのブログを書くような時間もすべてその音楽理論書を理解する時間にとって代わってしまったのであった。

なぜこうした時間が出来たかと言うと、理由は簡単で自分のオリジナル曲をほとんどすべて制作してしまって、自分の人生の残りの時間を、いままでほったらかしにしていた音楽理論書を読む時間にあててみたいと思ったのである。

本棚の隅っこでホコリのかぶっていた、何十年ぶりかに読むジャズの音楽理論書は相変わらず難しいのだが、若い頃は理解できなくて、すっ飛ばして読んでいた部分も今は自分が理解できない内は次のページに行かないようにして読んでいる。いずれはこうしたジャズ理論書だけでなく、死ぬまでどれくらいこうした時間が取れるかわからないのだが、現代音楽の理論書も読んでみたいと願っている。

こうした音楽理論書を読んでいると、自分の曲が如何(いか)に理論から外れたことをやっているかということをまざまざと教えられるのである。自分の曲は確かに変(へん)だ。そう思うのだが、しかし、理論書通りのことはやらないのであった。笑 やはり、こうした音楽理論書は興味はもの凄くあるのだが、西洋音楽の理屈で、西洋音楽は科学の理屈でもあるのだが、自分は東洋人で、どこか感じ方が違うのである。ギターやピアノという西洋の楽器を使ってはいるのだが、自分の曲はどこか日本の民謡に近い。こう思うのであった。笑

やはり唄は感じたままが一番いい。理論は理論で知っておいて損は無いのだが、学校に通ってオリジナル曲に点数をつけられるものでも無いだろうし、基本、発想が自由でなくちゃ面白くない。自分が音楽に夢中になるのはこうした点で、理論を戦わせるのは科学者や数学者でいいだけの話だ。いくら学校で満点をとるような曲でも、その曲がすべての人に魅力的に映るとは思えないし、唄にはそういう一番人間の変てこな部分があると思っている。

そうした音楽の不思議を感じる、ゴールデンウイーク後半初日の休日、今日午前中なのであった。笑

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