窓から陽の光が入って、とても気持ちのいい午前中だ。本来は今日、井の頭公園に唄いに行く予定にしていたのだが止(や)めにした。膝(ひざ)が調子悪いのだ。昨年1年間できるだけ公園で唄うようにしたのだが、予想以上に自分の体に負担がかかっているみたいで、唄を外でうたうということは肉体労働であり、ものすごい重労働なのだなと実感している最近なのである。
膝だけでなく、喉(のど)も、かれ気味で、どうも気持ち良く唄えない。昨日土曜日に公民館のピアノ室でピアノに合わせて唄っていたのだが、盛り上がるところで声が多少かれていたりする。家族にそれは発声が悪いのよ、もっと腹から声をださないと!と檄(げき)を飛ばされたりもするのだが、確かに発声法を誰かに教わったこともないし、すべてが自己流なので、何が正しくて正しくないかはわからないのだが、たとえ正規の発声法を教わっていたにしても、唄をうたい過ぎれば誰だって喉はかれるわ!と思ってしまうのである。膝も喉も有限であって(限りがあって)、そんな根性論でそれを超越(ちょうえつ)して行け!と言われても、困るのであった。
土曜日に公民館のピアノ室でうたい、日曜日に井の頭公園で半日立って、続けてうたうことは、今の自分にとっては重労働過ぎるのかもしれない。土曜日にピアノ室に予約の入っている日の次の日曜日(今日のような日)は井の頭公園に唄いにいかなければいいだけの話なのだが、そうするとなんだかまた寂しい気がするのであった。笑
どうせ井の頭公園で唄ったにしても、たいしたお金が落ちるわけでもないのに、なぜここまで自分は外で唄をうたうことにこだわるのか?自分でもよくわからないのである。この齢(とし)になると、周りはたぶん社会的に地位のある、いわゆる分別のある大人としてみなさん振る舞っているのだと思うのだが、幸いにしてというか、不幸にしてというか、(笑)そうした友達も誰もいないので、影響を受けないと言おうか、そういう悟った大人になりたくないと言おうか、とにかく自分の唄をわからせるまでどれだけ馬鹿にされても唄ってやるのである。
なぜだかって?それは自分の創った曲がとてもいい唄だと思っているから。
今日は休んでしまったが、来週どうしようか?来週も土曜日ピアノ室の予約が入っていて、日曜日井の頭公園で唄う予定になっているのだが、膝の調子があと1週間で治るようなものでもないと思うし、体を壊してまで唄い続けるのか?どうなのか?どこかで判断しないといけない。唄い続けるしか無いのだが。
結局は最後、根性しか無いのかもしれないな。
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