いとしの花子ちゃん-幸福なラーメンの味-

前回ラーメンの話を書きましたが、今回もラーメンが出てくる私の別の唄を紹介したいと思います。

”いとしの花子”ちゃんという曲です。

全体的にかわいい曲になっていて、歌詞の中にラーメンが出てきます。主人公の風呂なしアパートに住む貧乏な「ボク」が彼女と一緒に銭湯に行き、その帰り彼女のスッピン笑顔があまりに綺麗でドギマギしてしまい自分の彼女でいいのかしら~ん?と不思議に思うのでした。

星空の下、二人でずっと歩きたいと願うのですが、アパートに戻ってラーメンをすするというストーリー展開になっています。ロマンチックなものよりも食欲だ!とユーモアとしてラーメンを登場させました。

ここでのラーメンは当然彼女がつくってくれたインスタントラーメンです。

外での数あるラーメン屋さんの中でひいきのラーメン屋があるように、家の中で食べるインスタントラーメンにも一人一人好みがあります。特に女性は外でラーメンを食べるのも好きなのでしょうけれど、自分でつくったインスタントラーメンの方がいろいろとこだわりがあるような気がします。

明星がいいとか、エースコックのワンタンメンがいいとか(古いな・・・)、今だと丸ちゃん製麺とかなのかな?男はラーメンは好きだけど、そんなインスタントラーメンの銘柄までこだわらないというか、知らないような気がする。インスタントラーメンよりカップラーメンにはこだわりがあるような気がしますがどんなものでしょうか?

私が自分でつくるインスタントラーメンは、具はなんにも入れないんですよね。そのまま麺をすするだけ。女の人は旦那や彼氏につくってあげるラーメンには卵やチャーシューやほうれん草とかいろいろ盛って上げるのでしょうけど、一人で食べる時って具をのせたりするのでしょうかね?訊いてみないとわかりませんが、まあ一人一人違うのでしょうけれど。

話はさておき、この”いとしの花子ちゃん”に出てくる主人公の「ボク」はその夜、どんなインスタントラーメンを食べたのでしょうか?

幸福な味がしたことだけは間違いない。(笑)

音楽配信

音楽マーケティング YUKIOの場合

期末の春休みになり来月アタマには新元号が発表されるとのことだが、お正月休みに自分の音楽サイトを右も左もわからず、恰好だけとりつくろう形でとりあえずリニューアルしてから最近はマーケティング研究をするようになった。

自分の音楽をいかに売り込むか?その具体的な方法論を探したいのである。

私の心の中で、昔から自分の夢という形でなにかぼんやりしたものが、だんだんいいトシになり現実としてとらえられはじめようとしている。最近は阿佐ヶ谷の本屋でウエブマーケティングの本をしょっちゅう立ち読みしている。

ただ、そうしたマーケティング本が示すサンプル事例のほとんどが美容関係だったり通販の大量生産、大量消費のような、いままでもあった商品を他社と格付けをし違いを見つけていかに売っていくかのマーケティング方法を述べていて、私のような世界でたったひとつしかないと自負しているオリジナルの音楽を売ろうという考え方ではなかなか当てはめにくくてどのようにしようかと日々悩んでしまうのだ。

そう!ここがいけないところなのかも知れない。自分は特別な存在じゃないんだ。

マーケティング本の中には多少、音楽関係のことについて触れていたりする記事もあったりもする。売れているミュージシャンというのはシングルで周りの欲求を満たしてあげてアルバムで自分たちのやりたいことをやっている、売れないミュージシャンは自分のやりたいことばかりを主張するから駄目で、そんなこと関係なく周りの要求に応えることが大事だと書いてあった。もっともな話である。ただ昔から言われていることでもある。

自分に当てはめてみると、確かに”世界でたったひとつしかないオリジナル音楽”というのは自分の主張なだけであって、他人からみればそんなことどうでもいいことだ。客観性に欠けている。

もっと客観的な事実に基づいて行動しないと!

そこで自分自身をモデルにしてマーケティングの手法で分析してみようと最近はこころみているのである。(続く) 音楽配信

風景のある音楽

「音楽のある風景」という通販CDのテレビショッピング番組があるらしい・・・。yahooで検索窓に”音楽”と入れたら5、6番目に「音楽のある風景」と出てきた。有名曲をBGMにして風景動画を作成してるということなのだろうか?2002年にスタートしているというからかれこれもう20年近く、需要があって続いているということなのだろうな。。。

この言葉とは逆で、昔ライブに来てくれた人からYUKIOさんの

音楽を聴くと風景が見えるようだ

と何度か言われたことがある「風景のある音楽」ということなのだろうか?

「音楽のある風景」、「風景のある音楽」。どちらも何か抽象的だなぁ。言い方を変えれば芸術的とも云えるかもしれない。エヘン。

自分の曲を聴いて風景が見えると云われるのは悪い気がしないが、なにか良い気もしない。音楽はあくまで音楽であって、絵画じゃないんだからなぁ。

ドビュッシーの音楽も何か絵画的だと聞いたことがある。それが印象派ということなのだろうか?クラシック音楽の世界は聴くだけで理論、見識等なにも知らないので語っても仕方がない。

自分の中では曲をつくった時、特に歌詞をつくる時に自分の見た景色を描写をしようとすることはよくある。だけど自分だけの景色なのでそれが他人に伝わるとは余り思ってなくて、少しでも伝わったとすれば歌手として本望でありうれしいのだけど、なにかどこか誤解しているんじゃなかろうか?という気もしてくるのである。

「風景のある音楽」は微妙だ。

音楽配信

ジャズ的なもの③

前回の続き。最後の文章、自分の音楽を”たくさんの人に聴いてもらうためには西洋ハーモニーが基盤になっていなければいけない”という理由が述べられてなかったので続きを書こうと思う。

音楽をやるのは好きであれば別に日本の民謡を三味線でやったり、アフリカ音楽を打楽器のジャンベを使ってやるのもいいと思う。だけどそれは日本民謡やアフリカ音楽の村の中だけの話であって、世界の共通語は音楽の世界では西洋ハーモニーなのだ。

今の世の中であれば、なんでプログラミングがアルファベットの英語で入力しなければいけないのか?中国語や日本語で打ち込むことはできないのだ。(変換するソフトがあるのかもしれないが、調べたことがないのであしからず。)それと同じことである。

そんな西洋ハーモニーの最大の特徴が長調と短調という曲によって大別される構造である。前にNHKのクラッシック音楽番組の中で有名な演奏家の人が音楽は長調か短調かどちらかしか存在しないと言っていたのを聞いたことがある。その人はクラッシック音楽にどっぷりとはまっているからそう思うのかもしれないが、世界中には長調、短調関係の無い音楽はいっぱいある。日本の民謡に長調、短調は無い。アフリカ音楽に長調、短調は関係無い。たぶん世界中の古い民謡には長調、短調はないのだ、あるのは西洋の民謡だけの話なのだ。

長調、短調を決定づけているのはド、ミ、ソで言えばミの音である。ミのままであれば長調、ミが半音下がれば短調となり多少暗めなハーモニーとなる。

ここからが今回の話で、今の世の中、世界中で再生産されているポピュラー音楽の大半がたぶんこのド、ミ、ソの長調か短調でできているのだが、ジャズやブルースには一概にはそれは当てはまらない部分もあるということだ。

ブルースの最大の特徴はド、ミ、ソ(長調)のハーモニーの上にミの半音下げた音(短調の音)を入れているところにある。これでは長調なのか短調なのかわからない。

私の曲においてはド、ミの半音下げた音、ソ(短調)のハーモニーの上にミの音を(長調)の音を加えた曲すらある。これも長調、短調関係ない。

こんな曲があるので自分の音楽の中にはジャズ的なものが内包していると言っているのである。そしてド、ミ、ソ音楽に飽きてしまった人も世界にたくさんいると思うので、そういう人たちに私の音楽を聴いてもらいたい、そういう人たちに私の音楽を買ってもらいたいと思い、なるべく具体的に文章にしたつもりです。よろしくお願い致します。音楽配信