唄は自由だ。唄は”cocolo”の中にある

私の唄の中で「cocolo」という曲があります。3作目の作品のタイトル名にもなっていまして自分の中では今まで創って来た中で一番大切にしている唄です。ただ曲名を考えた時どうしようかと思いまして、自分の内面の一番核になっているものを表現したつもりなのですが言葉でどう表そうかと悩みました。

素直に日本語のひらがなで”こころ”、あるいは漢字で”心”でも良かったのですが楽曲そのものがこの曲で今までの自分のリズム感になかった洋風な感じになったので敢えてアルファベットで”cocolo”と使ってみました。”kokoro”や”kokolo”でもいいのでしょうけど、雰囲気が何となく”cocolo”という感じでフィットしたのです。

「cocolo」を英語で訳すのも上手く表現できなくて、ただ単に”heart”だと寂しいし”my heart”でもいいのでしょうけど、元々黒人音楽に影響を受けているので”heart”ではなくて”soul”だろうと考えて”my soul”と訳そうかなと一瞬思ったりもしたのですが、曲調が”soul”というよりもクールな感じなので結局自分のホームページでは”my heart,my soul and my blue”という英訳名で載せています。

それほどこの曲はつかみどころのない感じになっていまして、唄があってそのあとは延々楽器だけの演奏になっています。起承転結(きしょうてんけつ)をまったく無視!(笑)けどいいのです。私の頭にはこう聞こえて来たんですから。

音楽的な詳しいことを言っても仕方がありません。ぜひ聴いてみませんか!?こんな唄が世界にもあるのですよ。こんな変な唄に人生を賭けた人間もいるのですよ。

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お酒と音楽のルール YUKIOの場合

お酒をやめたいと思っているのだが、なかなかやめられない。前はずっとビールを飲んでいた。最近は焼酎(しょうちゅう)だ。ビールだとプリン体で関節が壊れるみたいで齢とともになんとなくそんな気がしてきて、プリン体ゼロのビールに替えてみたがお腹の調子が悪くなるので、焼酎にしている。

一時期、週末しか飲まないようにしていた。しかしいつの間にかまた毎晩、晩酌するようになってしまった。アル中だとは思ってなくて、健康診断の前とかは2週間くらいプッツリとお酒をやめられるからだ。

やめようと思えばいつでもやめられると思っているのが間違いなのかもしれない。現実にやめられてないので言い訳にしかならない。なんとかしたい・・・。しかし心の底からそう思ってないような気がする。(笑)

そんな意志薄弱(いしはくじゃく)の私だが、お酒のルールでひとつだけこだわっていることがあって、それはお酒を飲んで音楽は絶対にやらないと心に決めている。

お酒を飲みながらライブをやる人達って結構いる。しかし自分はやらない。演奏が上手くないので酔っぱらうと指が動かなくなるということもあるが、酔いで自分を誤魔化した状態で唄をうたうのがなんだか嫌(いや)だ。

自分で苦労して創った唄は、自分で責任を持って唄いたい。仕事場でお酒を飲むようなものである。だから私はお酒を飲んでは唄わない。いくら儲からなくてもネ。(笑)音楽配信

ジャズ的なもの②

日本の民謡が好きだ。聴いていて気持ちがいい。ただ音数が少なくてすぐ飽きてしまう。他人の音楽で気分がノッテ来ることはほとんど無いのだが、

日本の古い民謡がかかる盆踊りだと気持ちよく踊れる。

演歌は民謡を西洋ハーモニーのドミソに移し替えようとしたものだと思うが、余りに粗雑過ぎてどうもなじめない。民謡のメロディーを四七抜き音階だとか簡単に解釈したりするが、本来

日本古来の民謡をドミソだけの西洋ハーモニーで表現しようなんてことは無理だと思う。

人気のある若い三味線奏者が流行りのヒット曲を演奏したりするのをたまに見かけたりするが、別に三味線じゃなくても・・・ギターを弾けばいいんじゃない?と思ったりしてどうも気持ちが悪い。日本人はまだ工夫が足りない。

ジャズやブルースもそうだ。アフリカから奴隷として連れて来られた黒人がアメリカで与えられた仕事の息抜きの、西洋ハーモニーの楽器ピアノやギターを使って、どうも自分たちになじめないものを、知恵と工夫をしぼって自分たち流に解釈したものなのではなかろうか?

ドミソが絶対じゃない。

ただ音楽表現はあくまでも西洋ハーモニーが基盤になっていなければいけない。だってたくさんの人に聴いてもらいたいために唄をうたうのだから。音楽配信

オリジナル唄へのこだわり

”うた”は英語でsongだが、漢字にすると一般的に”歌”にするのが普通なんだと思う。ただ私の場合、”歌”よりも”唄”の方に実は愛着があって、意識的に自分の曲を紹介する時に”唄”を使ってたりもする。

理由は大きな声でシャウトするような曲ではなく、かと言って小声でつぶやくような曲、たとえばボサノバ調(そうした曲もあるのだが、、、)ほど極端に小さい声でうたう曲でもなく、、、うまく説明できないが、要は鼻唄まじりの延長が自分の”唄”なのである。

風呂場に入って湯気の中、くつろいでつい鼻唄を口ずさんでしまう。そのメロデディーが私の音楽の原点”唄”なのだ。

ギターやピアノの楽器演奏も同じ感覚なのだが、唄もそうで、”上手い”という基準がよくわからない。世の中であの歌手が歌が上手いとか、あのギタリストの演奏が上手いとかよく言われるが、ただ声が出るとか、速く弾けるとか、そうしたものに実は私は全然価値を憶えてなくて、”上手い”の基準はいかに自分らしく演じられるかが自分の中の本当の心の中の基準なのである。

だから”唄”は自分に誠実でなければいけない。自分にウソをついちゃいけない。そこが始まりである。だからこそ自分にしか唄えないオリジナルなのだ。

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