東北の旅 唄うたい

数年前に八戸(はちのへ)でタクシーに乗った時、運ちゃんと世間話をしていると地震の大津波の話から高校野球の甲子園の話になった。ダルビッシュが東北高校にいる時は大優勝旗が白河の関(しらかわのせき)を渡って初めて東北に来るものだと期待していたのに田中のマー君のがんばりで、白河の関どころか津軽海峡まで超えて行ってしまったと嘆いていた。

※高校野球に興味ない方に説明しておくと東北地方の高校はかつて一度も甲子園で優勝したことがなく、ダルビッシュという有望な投手が東北高校にいた時期はじめて優勝できるのではないかと騒がれたのだが、田中マー君という投手がいたこれも優勝したことのなかった北海道の高校が結局初優勝してしまったということ。ダルビッシュも田中のマー君も今ではアメリカのメジャーリーガーになっている。※昔は白河の関以北が東北地方。※津軽海峡以北が北海道。

この話を聞いて私は思わず吹き出してしまった。東北人の素直な心情をその東北訛(なま)りで語られると何か妙にユーモアがあって未だに楽しい思い出の会話として覚えている。今回それ以来の東北旅だったかどうかは定かでないが、久しぶりに東北地方訪問となった。

新幹線の座席に座ると前の背もたれシートの裏の網棚みたいなところに挟まれたJRが発行している小冊子が置いてある。飽きないようにたぶん月ごとに内容も編集されていて最近はスマホを眺めて手に取る人は余り見かけないが、自分はこの小冊子を読むのが好きだ。

今回は秋田のマタギ、遠野物語、宮沢賢治の特集だった。マタギとは秋田の山奥でクマを鉄砲で撃って捕獲して生活していた狩猟の山人のことで、遠野物語は民俗学者の柳田国男が遠野地方に言い伝わる話をまとめた逸話集であり先般の大地震より100年前にあった大津波もその中に伝承された話として残されている。岩手出身の宮沢賢治は誰もが知っている「銀河鉄道の夜」を書いた人で、もう内容も忘れてしまったが若い頃なぜか目を潤ませながらこの「銀河鉄道」を読んだ思い出がある。

この特集を読んでいて、自分も東北の人たちと付き合い始めて気づいたと言おうか気づかされたといおうか、自分にあってないものあるいは自分は富山出身なのだが富山になくて東北にあるもの、あるいは東京になくて東北にあるものがなんとなくわかったような気がした。

それはこちらの言葉=標準語でいうたぶん団欒(だんらん)なのだと思う。団欒(だんらん)が温かいのだ。昔はたぶん囲炉裏かなにかの周りを囲むようにして仕事終わりのマタギは語り合ったはずだ。今日のクマ捕りは上手くいかなかったとか、あの沢にいくとどうも体に寒気をかんじるとか、あそこの森に入ると変な声が聞こえるとか、遠野物語の語り部(かたりべ)の佐々木さんが柳田国男に語ったのは囲炉裏のそばなのだと思う。大津波で流された旦那が幽霊で出てきてそのおかみさんに「好きな男ができたならその男と一緒になりなさい」と。(スイマセン、遠野物語の大津波の伝承話はもう忘れちゃって、確かこんな話だったかと?興味ある人は読んでみてください。)

何の因果かしらないが東北地方に親戚(しんせき)ができてもう何十年。本来知り合うことがなかった人たちと現在は囲炉裏ではなく大きくて暖かいストーブの周りで語り合う。兄弟のこと、親戚のこと、ご近所さんのこと、海のこと、山のこと、風のこと、魚のこと。そして噂話。

そんな時、富山や東京で感じたことのない神が降りてくる。この地方特有の食卓を囲む団欒。しあわせな時間。誰もが話し、誰もが笑う、話がつまらなければ多少盛っても構わない、盛り上げねばね。話が話を呼ぶ。家族や仲間を実感する時間。

団欒が盛り上がる条件といったら何か?それは東北訛(なまり)のような気がする。馬鹿にしているわけではなくて、東北の訛(なまり)はなんだか聞いていると温かくてほっとするのだ。甲子園の大優勝旗が白河の関より津軽海峡を渡ってしまったという八戸のタクシー運ちゃんの話も東北訛(なまり)で話すからこそ笑ってしまったものだった。

昔、家に囲炉裏を入れたいと思ったことがあった。しかし囲炉裏だけ入れても仕方がない囲炉裏を囲む人がいないのだから。いくらいい囲炉裏を入れて部屋中を暖めても心は温かくならない。温かくするのは人と人なのだから。

最近は海外旅行も当たり前になった時代。高級ホテルやリゾートに寝泊まりして世界遺産を観光するのもいいのかもしれない。けど、一見(いちげん)さんの旅とか仕事の出張じゃ絶対にわからないお金に換えられない、その地方、地方、あるいはその家族ごとの人情といおうか愛情といおうか何といっていいのかわからないが、そういうものが自分にとって一番大切なものである。そうしたものを唄いたい。

久しぶりの東北の旅を終えて。音楽配信