巨人×中日観戦記 2019.9.5

東京ドームに行ってきました。巨人×中日戦。新聞屋さんからチケットもらったのでふらりまた一人旅。前回春に行った時は何年かぶりだったのでもらったチケットでは座席に座れないことに気づかず行ったのですが、今回は初めから立ち見で見ようと決めてました。立ち見の方が全然臨場感があって面白いんだもの!

立ち見は座席がないのでみなさん座席の後ろの手すりに寄りかかり2重3重に重なって踵(かかと)を上げて前の人の頭越しに球場内を見るのでした。柱とか邪魔になってよく見えなかったり、見える場所を探してあっちに行ったりこっちに行ったりして、これが楽しいんだ。(笑)売店で何が売っているのか野球そっちのけで品定めをするのもなんだか楽しい。今回は東京のどこから湧いて来たのかわからないそんなウジャウジャいる立ち見客のみなさんをいろいろ楽しく観察してきました。(笑)

まずはじめに気づいたのは昔に比べて外国人がいっぱいいるということです。それも巨人のユニフォームと帽子をかぶった外人があっちにもこっちにもいて日本人に交じって楽しそうに観戦しているではないか!巨人、大鵬、卵焼きで、日本人が巨人を応援するのは当たり前なんだけれど、外人が巨人を応援している姿を見ているとなんだか時代を感じるのです。

日本人がニューヨークのヤンキースタジアムにいってジーターのユニフォームを着てヤンキースを応援するのと同じ感覚なのだと思います。もはや日本人も外国人もこれだけ人の行き来があると関係ないのかもしれません。

つぎに気になったのは、手すりの前でゴザをひいて試合そっちのけで眠そうにごねてる4~5歳の女の子をあやしているお母さんです。悲しげな姿でした・・・。試合が0対0で終盤に突入する緊張感のあるものだったのですが、助っ人がホームランを打ち待望の先取点が巨人に入ると、一転その女の子は手すりによじのぼりオレンジのタオルを振って狂喜乱舞、お母さんもノリノリに踊り出しちゃって隣の男性と手をつないじゃたりして・・・、どうやらこの男、この奥さんの旦那で女の子の父親らしい。ワイシャツ姿の会社帰りのようだが、せっかく家族で東京ドーム観戦にくるのだったらチケットくらい買って奥さんと子供を席に座らせてやれよ!と思ったりもしたのですが、この旦那どうも風采があがらないいで立ちで、お金に苦労している家族なのかもしれない、旦那が熱狂的な巨人ファンで奥さんと子供がパパを思いやって東京ドームに連れて来たのだがお金がないので立ち見で我慢しているのかもしれない・・・、奥さんの顔には日々の生活の疲れの影が見え隠れする・・・、そこで待望のホームランが出て、家族3人大盛り上がり!よかった。よかった。明日からも貧乏だけど3人手を合わせて懸命に生きてくんだぞ!と勝手に自分の頭の中で想像して、ビールを飲みながら目をウルウルさせちゃいました。(笑)

この家族、巨人がリードしたままのところで帰ってしまい前が空いたので、予想通り試合の最終盤は手すりに寄りかかり、のんびりと試合観戦に集中できました。案の上、試合はこのまま終わるはずもなく巨人は中日に逆転され巨人の5連敗ということになってしまいました。優勝争いの中の5連敗。巨人は大丈夫なのか!?と声高に書いてみましたが、実は余りそういったことに私は関心がなくドームに集まった人たちの人間観察の方が楽しいのです。(笑)

試合が終わった後、ドームから水道橋駅にぞろぞろと”丸や坂本がどうのこうのとか、連敗がどうの”とか語りながら帰ってくる人たちの顔を見るとみんなしあわせそうな顔をしてました。日本人はホント野球が好きだ。

近所のラーメン屋に寄って帰りました。音楽配信

”たまご”が割れて…

”たまご”という自分でつくったアコースティックギター弾き語りアルバムの最初に入っている曲があります。今回はこの唄の紹介をしたいと思います。

”たまご”・・・と言われても・・・みなさんは何を想像するでしょうか?卵焼き、目玉焼き、それとも生卵?何でもいいのですが、私がこの曲で唄いたかったことは”始まり”という意味合いのものでした。

このアルバムの始まり、そして私の唄の人生の始まりを高らかに宣言したかったのです。アルバムジャケットは鳥の巣の卵が光に照らされて今にも割れかかった状態の画像で”たまご”が割れ中身=音楽が流れ出て来る意味合いになっているのですが、私が説明しない限り誰も分かりませんよね!?(笑)

自分が作った紙ジャケットのオリジナルCDではCD盤は卵の殻(から)のデザインになっています。そう卵の中身は音楽なのです。

その1曲目が今回の”たまご”という曲で、実は私が若いまだ学生の10代の頃創った唄でして、その後歌詞を替えて完成したものです。当時ギターを弾き始めて間もないにもかかわらず結構いろいろ自分で試行錯誤(しこうさくご)しながら曲を創り始めていたのですが、ろくなものがありませんで(笑)唯一使えるなと思ったのがこの曲でした。

音楽的には間奏部分が私らしく、なぜか突然♭13が出てきます。なんでこんな音入れているのと言われても、なぜでしょうか?こう聞こえてくるのです。私の頭にはこう聞こえてくるので♭13は外せない音なのです。(笑)

♭13が何かわからない人は、別に♭13を知らなくても死ぬことはないだろうし今後生きることに不都合なことが起こることもないと思いますので無視しちゃって下さい。

そして歌詞は”たまご”をどう食べるかで悩んでいた子供の頃の気持ちを書いてみました。ラーメンや月見うどんに入っていた生卵や半熟卵を黄身(きみ)を崩さずどう食べればいいのか?固まっていない黄身(きみ)がスープに流れ出してしまう!スープに混ざってしまう!スープが台無しになるかと思えば意外にも黄身汁が混ざった方が濃厚になって美味しかったりして!そうかと思えば、麺を食べる前に卵を先に飲み干してみるとこれまた濃厚!美味しいとなったりする。あるいはおでんを食べる時に卵がツルりとすべって箸(はし)ではなかなかつかめず焦ってしまった記憶ないでしょうか?

そんなこんなで子供の頃はどうでもいいことで悩んだりするのです。しかしこうした疑問がすべての私の人生のはじまりのような気がして、音楽人生のはじまりにこの唄を1曲目に持って来ました。

さあ、はじめよう力抜いて 思うまま気軽に はじめよう頑張らず なすがまま気楽に

こうリラックスしないとやはりおでんの卵はつかめないのですよ。何をするにしても肩の力を抜いて。

世の中どうなろうっと知ったことじゃないよ 流行りを追うのも疲れる青空みていたい 誰にも邪魔されず眺(なが)めていたい

世の中、色メガネで見たってしかたがない、自分が屈折(くっせつ)するだけ。

人生というのは自分で決めていくものだと思っています。決められないのはこの世に生まれ出て来ることと死ぬこと。この最初と最後だけは自分で決められない。

”たまご”が割れて自分の音楽人生始まってます。悔いだけはないように。音楽配信