カラオケ嫌い

来週の水曜日は阿佐ヶ谷チェッカーボードでライブだ。そろそろ準備しないといけない。何を準備するのかといえば単に曲順を考えるくらいなんだけれど。(笑)そんなこともないか?練習もしたりするからな。

他人のカバー曲をやるのは実は3曲ほどある。しかし全部ピアノの弾き語りなのでチェッカーボードではやらない。ここではすべてギター弾き語りなのだ。いや、そんなこともない?鍵盤を借りてやっている女の子もいた。

ともあれ、チェッカーボードでやる時は私はギター弾き語りなのである。「cocolo」という何から何まで全部ひとりでやった作品をつくった時、ライブでは当然その曲を一人で再現できないので録音したカラオケをバックにして唄っていいかと訊いたのだが、ウチは生演奏一本ですと言われてしまい、そうであればと腹をくくってギター1本片手に、片手じゃないな、両手か?唄をうたっている。

いまどきカラオケ演奏は禁止という店は少ないと思うが、ブルースのお店ということもあってか生演奏しか駄目なようで、なかなか筋(スジ)が通っていて宜しい。

実はライブバーで自分のオリジナル曲を唄っているくせに、カラオケが苦手なのである。自分の曲のカラオケは仕方なく唄っているのだが、一人で自分で駅前のカラオケボックスとかに行って他人の歌をうたったりしたことがない。いや、カラオケボックスには行ったりするのだが、それは自分の曲を練習する時に音楽リハーサルスタジオ代わりに料金が安いので仕方なく使っていたりするものだ。

ところが意外に私みたいな使い方をする同業のオジサンみたいな人達がアコギを背中に背負ってカラオケボックスにいたりなんかする。このオジサン、カラオケ歌いに来てる割にはなんとなくミュージシャンぽい、同業なのかな?冴えない顔つき、オレと同じだな?と内心思いつつエレベーター前ですれ違ったりする。(笑)

このように私はカラオケが好きではない。誘われて渋々歌ったことは何度もあるが、他人(ひと)を自分からカラオケに誘ったことは一度もない。昔、なんで自分で曲を創って唄っているのにカラオケが好きじゃないの?と私のライブに来てくれたお客さんに訊かれたことがある。どう答えたか忘れてしまったが、今考えると自分が考える唄の在り方とカラオケの世界は根本的に違っているように思う。

まず自分の唄は手作りである。カラオケは自動演奏だ。そう、楽なのだ。楽して歌ってはいけない。唄の重みがわからない。気持ちよく唄うにはどれだけ綿密な計算が裏で働いていなければいけないのに、それを体感できないのは私にとっては唄でない。

次にカラオケだと点数がついてしまう。唄に点数などないと思っている。そんなにこだわらなくても・・・と確かそのお客さんにも言われたような気がするが、私から言わせるとなんで歌に点数をつけるのだろうと思ってしまう。

唄に上手い、下手はない、聞いてくれる人が上手いと思えば上手いし、下手だと思えば下手なのだ。点数をつける意味がわからない。唄はコミュニケーションの手段であり、学校の成績ではないはずなのに。カラオケの点数が高くでる人は自分が歌が上手いと思ってしまい、低い点数の人は歌が下手だと思い込まされる・・・。

そんなわけないじゃないか~!

唄は自由である。偏差値なんて本来ありはしない。音楽を勉強し競わせれば商売になるために点数は必要なのかもしれないが、世の中みんなそこで踊っているだけで自分が求めている唄はそこにはない。だから私は駄目なのかもしれないが・・・。

お酒を飲みながらカラオケで有名な曲をみんなと楽しく歌うよりも、なんだこの唄は?と白い目で見られ無視され続けられた方がいい。現実そうなのだが・・・。

だって自分は自分なんだもの。音楽配信

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