夢の設計図

自分の音楽を説明するには楽譜が必要なのだろうか?前回自分の曲を説明するのに苦労したのでフトこう思ってしまった。

もう最近は他人(ひと)と一緒に演奏するということがない。すべては自分の頭の中にあるのだが、今まで他人(ひと)と一緒にやって自分が思ったような演奏ができた試しがない。原因は私が楽譜を書いて渡さないというものでは無いと思う。

一番の理由は、たぶんお金が発生していろいろな利害関係がからまった仕事として他人(ひと)が私の音楽に取り組んでくれなかったということだ。要は儲からないので、わがままに自分の好きなようにやりたいだけで気の合うところはそれでいいのだろうが、理解し合えない部分は適当にごまかして演奏されてしまうということだった。趣味の世界であればそれは当然なのだが、まったく儲からないにしても私は趣味で音楽をやって来たつもりは毛頭ないので、多少スケール音の譜面を渡したりなんかもして具体的にこうしてくれと言うのだがお金がからんでないとやはり適当なのだ。そのうちなんでお前の言うことを聞かなきゃいけないんだという態度になってきてお互い気まずくなるというパターンだった。

お金と譜面を渡してクラシック音楽のように譜面通り演奏するというのも手だが、そこまでやってくれる人間関係も無かった。みんなが知っている世間にもう認知された有名な曲であれば、譜面を見ながら楽しくできるのかもしれない。しかしどこの馬の骨ともわからない人間にああでもないこうでもないと指図されればどのような人間でも好い気はしない。結局はすべてを一人でやることになった。

一人でやっていると譜面は要らない。自分の頭の中を整理するだけだ。ところが前回ブログのように聴いてくれる人に対して自分の音楽を説明しようとすると多少コード進行がどうのこうのとかスケール音がどうとか入れてしまわなければいけない。聴いている他人(ひと)にとってはそんなことどうでもいいことなのだろうが、曲がどのような骨格でできていてどういう風に肉づけされているのかをお知らせしないといけない。他人(ひと)は音をただ聴いていると思っているだけだが、実はその背後にある曲をつくった人の考え方を聴いているのだから。

他人(ひと)に自分の気持ちを伝えたいために自分は唄をうたっている。この世に生まれてきた幸せや、不条理を。譜面を伝えたいわけではない。ただ伝えるためには手段が必要なのだ。たぶん私の場合はそれは音楽の設計図のようなもののような気がする。このブログを含め小さな夢の設計図だ。音楽配信

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