音楽は無料なのか?

今朝の新聞を見ると、日本で定額制のストリーミング音楽サービスの売り上げがダウンロードの売り上げを2018年ではもう抜いているということです。アメリカにいたっては75%がすでに定額性サービスを利用しているとのことでさらにびっくり。

ダウンロードサービスがはじまったのはついこないだの事だと思っていたのに、もはやそういう時代でも無くなったみたいで、今後どうなって行くのでしょうか?

以前にも書いた覚えがあるのですけれど、定額制のストリーミングは聴く側にとっては便利なサービスだと思うのですが、音楽を提供する側は儲かるのでしょうか?ものすごく疑問?

1回聴いてもらって1円にもならないんじゃ、私みたいな誰も知らないミュージシャンではなかなか儲からない。だって1万回聴いてもらってもその半分5000円くらいなものだもの。10万回聴いてもらって5万か。それじゃ生活できない。

若いミュージシャンはどう考えているのでしょうか?意見を聞いてみたい。こんな環境であれば、やはり音楽事務所なりに所属してサポートを受けて安全に活動した方が安心だものな。

前は有名な音楽ミュージシャンの発言なんかは結構社会的影響力なんかがあったような気がしますが、今の時代はIT企業の社長さんの方がよほど世の中に影響を及ぼしているような気がする。

いつ頃だろうか?音楽は時代の先頭じゃなくなった。IT産業の中で好きなように利用されているだけのような気がする。大変な思いをして音楽を創るのに。それでも無料がいいと言っている若者たちがいっぱいいる。不思議な世の中。音楽配信

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グールドの鼻唄

ピアニストのグールドについて私がどうのこうの言う資格はまったくないと思っているのだけど、単に1ファンとしてもう少し語りたい。

ほとんどどういう人なのか知らない。トシをとってからのあの背虫のような体形しかイメージになくて、ウエブで画像を検索してみると若い頃はずいぶん二枚目っぽい色男風な感じだ。

グールド演奏で最高に好きなところは、ピアノ演奏の後ろで必ずこの人鼻唄をうたっている。ウニャ、ウニャ。ウニャ、ウニャ。うねっている。ピアノを弾く前に唄っているのだよね。

上手い演奏家は世界中にいっぱいいる。私なんか足元にもおよばない。けどみんな演奏家なんだよな。音楽、特にピアノ演奏と数学は似ていると言う人が結構いるけれど、違うと思っている。音楽は理屈からは生まれない。

グールドはピアノ弾き語りシンガーなんだ。

ただ、そんじょそこらにいるピアノ弾き語りシンガーとは違う。バッハやベートーベンを弾きながらさりげなく唄っているけれど、これはそんな簡単にはできない。というか普通の常人には真似ることなどできっこない。その背景には半端じゃないピアノ運指のものすごい鍛錬が垣間見えて、そこにあるとてつもない厳しさが力のないウニャ、ウニャの鼻唄となって現れてくるところがなんだかとてもロマンチックなんだよな。

たぶん、私みたいななんの努力もしてこなかった人間がグールド音楽を語る資格なんかないのだろうけれど、1ファンとしてつい語ってしまった。グールドの鼻唄にはロマンを語るだけの価値はある。音楽配信

阿佐ヶ谷 喫茶店のグールド

毎週土曜夕方にコーヒーを飲みに行く名曲喫茶ヴィオロン。いつも行くと私と同じような常連客のような人が何人かいた。

入り口のすぐ右側のテーブルしか座らず、いつも調べものをしている感じの”先生”と呼ばれていた初老のおじいさんは最近はもう来ない。右スピーカーの前の席で前かがみに座ってスマホをみているおにいさんも最近見なくなった。大概のお客さんはスマホをいじくっているか本を読んでいるかである。以外に横文字の書物を読んでいる人も結構いたりする。

そんな中、最近めっきり来なくなったおじさんがいる。その人がお店にいるといつもグールド(クラシック音楽の有名なピアニスト)がかかるのだ。なんでそうなのかわからないのだが、たぶん最初にお店の人にグールドが好きだとかなんとか言ったんだと思うが、その人がリクエストした姿というのはあまり覚えがなくて、お店に入っていくとグールドがかかっていて、そうすると必ずスピーカーの前でその人が本を読んでいるのである。

最近、ヴィオロンに行くといつもバッハ、モーツァルト、ベートーベンの交響曲ばかりかかっていてどうも物足りない。なぜだろうと思ってふと考えたら、そうだ、グールドを聴いてない、グールドのピアノを聴きたいのに、なぜかからないんだろう?そうかあのグールドのおじさんが来なくなったから、かからないんだと思った次第である。

固いクールなピアノに必ず鼻唄が混じるグールドの演奏は、生っ粋のクラシック音楽ファンでもなんでもない私でも聴いたら一発でわかるほど個性的である。前にあるピアニストの人から聞いた話では、グールドの神髄はバッハの解釈にあるという。バッハの時代が余りに古すぎて、バッハ自身が当時どのように弾いていたか今となっては誰もわからず、しかも当時はピアノではなくハープシコードだったとのことで、そこにグールドが現代的なピアノ解釈をしたらしい。又聞きです。

グールドといえばバッハなのだが、意外にヴィオロンではベートーベンを弾いているグールドとかもかかったりして結構おもしろいなと思ったこともあったので、またグールドかけて欲しいのだが、、、あのグールドおじさんが来ないと駄目か?もう全然見かけないからな。阿佐ヶ谷駅のトイレでばったり会った時に挨拶でもしておけばよかった。

お店で、自分がグールドをリクエストすればいいだけの話なのだが

食事をしようセレナーデ

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ボクとハーモニカとハモニカ横丁

自分でオリジナルの唄をうたって30年くらい。趣味でうたっているわけではない。世間に相手にもされず黙々とよくやっているものだ。誰にも負けていないという信念が心の奥底にあるのだと思う。昔から自分の音楽で食べて行けず、

最後は路地裏でバッタリ倒れて死んでいく最後の光景が頭の中でよぎっていて、

その確率は今のところ99.9%だろうか。暗い話題になってしまった。(笑)

そんなバッタリ倒れて死んでいく路地裏というのは、きっとこんな所だと自分で想像しているのが東京吉祥寺のハモニカ横丁だ。ハモニカ横丁で栄養失調のままバッタリあおむけに倒れ夜空を見ながら死んでいくのである。私の周りに人がよって来て”なんだこのじいさん?死んでるのか?”とかヒソヒソ話が耳元から聞こえてきて、遠くでは高田渡(たかだわたる)がなにかうたっている、、、そうして気を失っていくのだ。

高田渡(たかだわたる)がなんでまだ生きてるんだ?

と言われそうだが、私の空想世界なのでこれでいいのだ。何と言われようが私の勝手だ。(笑)

それほどハモニカ横丁にはよく通った。最近はもう行かないが。赤提灯の「貴子」はまだやっているのだろうか?帰り際に手製のサンドイッチを持たせてくれた秋田出身の「貴子」のおかみさんは元気なのだろうか?日本酒が健康のもとと飲みながらのビートたけしばり毒舌トークはまだ健在なのだろうか?

ウエブで調べるとまだ「ささの葉」は営業しているようだ。高田渡と仲良かったおかみさんも癌で亡くなって、新しく引き継いだおじさんが営業しているお店に行ったのが最後だったような気がする。

古い店が無くなり新しいお店がどんどん出来てくる。しかし、ハモニカ横丁という名のとおりこの街にはどこか哀愁がある。

自分はギターの弾き語りをするのだが、実は間奏部分をハーモニカで吹いたりする。ギターが余り上手くないのでソロがとれず、その代わりにハーモニカを吹くという理由もあるのだが、ハーモニカの音色が好きだ。ギターやピアノと違って肉声に近いような気がする。くちびるの動きひとつで音が繊細にズレるのだ。

ハーモニカにも色々な種類があって使うのはブルースハープかあるいはステービーワンダーが使っているクロマチックハーモニカというのもある。ステービーの音色は郷愁というよりはどこか明るい。

私も1曲だけ”隣の人”というクロマチックハーモニカを使いたいと思った曲があり、ブルースハープとクロマチックハーモニカとでは吹き方が全然違うので、がんばって練習したらくちびるが血だらけになってしまった思い出がある。

こんな風に私の中ではハーモニカは身近なものだ。唄のキーによってハーモニカは違ってくるので、なんだかんだ言ってハーモニカは10本ちかく持っている。知らないうちにたまってしまった。

いつかまたハモニカ横丁で飲んでみたい。

その時は「貴子」や「ささの葉」のおかみさん達は当然いないのかもしれないが、どこか空の上で笑っているような気がする。今日もハモニカ横丁はいろいろな人たちでごったがえしているのだろうな。

隣の人ライブ in 大久保水族館

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