雨の音

今朝も雨だ。梅雨(つゆ)の時期、気づけば雨が降っている。今年は結構雨の日が多いような気がする。

雨の音にじっと耳を澄ませたことがあるだろうか?私は結構夜中に目が覚めた時トイレの中で雨が降っていると寝ぼけた頭にその音が聞こえて来たりする。ポツリ、、、ポツリ、パタン、ドンドン、、タン、、、

と、よく聞けばそれは小粒の水が様々な場所に落ちて散っていく打楽器の音なのだ。そして場所によってもその音は微妙に違っていて、トタン屋根に落ちるとパタン、パタンと高くはっきりした音、アスファルトの道路に落ちるとピシャ、ピシャ小さな音のように、聞き分けようとすると際限がない。

ただ解るのは、そうした雨の音というのは不規則で一定のリズムでは落ちてこない。ポツリ、、、そのあとワン、ツー、スリー、フォーのカウントをとろうとしても無駄で、どこか違うところでパタン、、、とか、ピタンとか、ピチャとか、予想だにできないところで音が鳴っていて、頭で計算のしようがない。

不規則な音なのに、雨の音を聞いているととても気持ちが落ち着く。なぜだろう?やはり雨粒が落ちる間(ま)を聞いているのかもしれない。ポツリ、、、とポツリ、、、の間(ま)の静けさを。

車や電車、飛行機まで何でもいいのだが、今の時代において人が使う道具が出す音というのは故障してない限りすべて規則正しい音を出している気がする。規則があるからこそ人間は安心してその道具を使うのだろうが、私自身はそうした音が余り好きではない。公園で鳥の鳴き声や海のさざ波の音を聞いていた方がいい。

唄もそうで、齢と共にだんだん規則が決まっている音楽に興味が無くなってきてしまった。かと言って不規則な唄なんて誰も聴いてくれないだろうしな。

雨が少し止んできた。雨の静けさの中で黙考する時間。不規則な雨音はよく聞くとやはりドラムだ。ピッチも決まっていない不規則なリズム。なぜか心が落ち着く。2019.梅雨。音楽配信

さざ波の音

自分の唄の中に何曲か海をテーマにした唄がある。海が好きだ。海をずっと見ていても飽きない。いや、海のさざ波を聞いていても飽きないと言った方がいいかもしれない。

別に海の近くで育ったわけでもないのだが、ひょんな縁(えん)から海辺の家を訪れることになる度(たび)にずっとその海辺を散歩して来る。やはり快晴の空の下の青い海辺が風に吹かれて一番気持ちいいのだが、空はいつも快晴なわけでもなく、どんよりとした曇り空の下の海や、激しい雨が打ち付けた濁(にご)った海、別の日には強風に吹かれて波が荒れ狂っていたりとか、その時の季候によって海は色々な表情を持っていて、人生と同じで予想がつかない姿が自分の心を惹き付けるのかもしれない。

また海風に向かって浮遊しているカモメやウミネコの鳴き声を聞いているとどこか気持ちが落ち着くのだ。こんな贅沢な時間はない。

いつかさざ波の聞こえる家に住みたい。もはやかなわぬ夢だと思っているが。

気づいたのはその地方によって海のさざ波の聞こえ方が違うということだ。実際はさざ波はさざ波でどこに行こうが同じだと思うのだが、やはりその土地土地(とちどち)で知り合った人との情の触れ合いのようなものが自分の心にさざ波の違いとして感じられるのだろう。さざ波はその時の自分の心を映し出す鏡のような気がする。

「夜の海辺」はそうした私が感じて来たさざ波の唄で、自分の中ではお気に入りの1曲だ。久しぶりに旧友と夜の海辺で落ち合い過去を温め合うが、現状の話になるとくい違いが知らぬ間に出てきて結局すれ違ったまま分かれていく、さざ波の音だけがその浜辺に残されて聞こえてくるという設定になっている。

この海がどこの海だとは言わないが、私にとっては自分の青春の終わりの海だと思っていて、海とは先ほども述べたように人生と同じで予想もつかないものなのだ。いくら若い頃、仲が良かった友達であろうと、周りの違った環境の中に放り込まれると価値観も違ってくるだろうし、さっさとおいしい話の方に向かっていってしまって昔の情なんて忘れてしまったりするのが人間だとその時私は悟ったのだ。信頼していた友との別れ。心が崩れるような瞬間。しかし海はそんな人間のちっぽけな感傷など構ってくれない。さざ波の音だけが安らかに聞こえて来る。何事も無かったかのように。しかし、さりとて意外なところから助け舟を出してくれたりするのもまた人間なのだ。

快晴の下の海はおだやかでいつまでも眺めていられる。しかし、一旦牙(きば)を向くと先日の地震の大津波のように信じられないほどに人間世界を破壊してしまって、これが本当に同じ海なのか?と思うほどである。そして嵐が過ぎ去るとまた、まるでそんなことが夢であったかのように平穏になり白波の上に陽(ひ)の光がキラキラ輝いていたりなんかする。

不思議なものだ・・・。自分の人生はさざ波の中を散歩しているのかもしれない。音楽配信

多少面白いユーチューブ音楽動画つくりました

今までユーチューブの動画は自分で作成したというほどのものではありませんでした。最初はライブでスマホを唄うマイク前に立てて、ただ撮影しただけのものをアップするか、曲のイメージに合う画像をネットで検索し勝手にダウンロードして、曲の一部分と合わせてアップするかのどちらかでした。

スマホも随分昔のものを使っていまして画像が粗いのと、何せ音楽を聴かせたいためにユーチューブをやっているので音が悪いと駄目だと何かの参考本に書いてあったので、次の段階として音楽動画に特化する形で販売されている安いビデオカメラを買ってきて、それで撮影したものを最近はアップしていました。

結構音は良くなったと思うのですが、曲名のタイトルをアタマに入れて最後にホームページのアドレスを載せるだけで、相変わらずワンカットだけの動画で、これじゃいけないなんとかしなきゃとずっと思っていて、なかなか手がつけられずに来たのですが、今回何カットも挿し込んだライブ動画を1本なんとか作ってみました。

他の人のユーチューブ動画を実はほとんど見たことが無くて、そこが一番駄目なところなのでしょうけど、たぶん凝った動画とかもあるのでしょうか?全然アクセスが増えないので、今までと同じことをやっていてもいけないと思ったのです。

カット数が増えたので、内容的には結構1本通して飽きない動画にはなったのではなかろうかと思っているのですが、実は挿し込んだ画像は最後部分を抜かして全部ネット上からダウンロードした静止画で、ここらが次に向けての課題かなと思っています。

あと検索で調べると照明も必要のようで、あるのと無いのとでは違うらしくいずれは買おうと考えてます。その前にもう少し自分の身だしなみを気をつけなさいよ!と言われそうですが、おっしゃる通り。自分のパジャマ姿をそのままネット上にアップしてるのは私だけでしょうか?しかしパジャマ姿が私の仕事着なのです。(笑)

チャーリーブラウンじゃあるまいし、いい加減になさいよ!と言われそうですが、そこら辺も気をつけて行こうと思ってます。やはり見た目というのは大切な要素らしく、音楽ストリーミングサイトのspotify上で私の白髪だらけの顔のアップ画像を載せたところアクセスが全くなくなってしまい、これじゃ駄目だとピアノを弾いた照明の当たった洒落た画像に代えるとまたアクセスが戻ったりするのです。なぜこんなズボラな性格に生まれて来たのでしょうか?(笑)

とりあえず今回創った動画観ていただけませんでしょうか?ハイ(high)という曲のライブ映像となっています。何本かこういう映像を作ってみて、それからまた次の段階に進もうと思ってます。ぜひご覧ください、笑えますよ。音楽配信

六月のボサノバ

”青山シャーベット”という自分の曲があります。昔、東京の青山というお洒落な街で働いていたことがあってその時の思い出を唄ったものですが、リズムがラテン調になっています。

じつはたくさんある自分のオリジナル曲の中でラテン調の曲というのが何曲かありまして、夏の暑い時期になると自然とだんだん唄いたくなって来るのですが意識的にラテン調の曲を創ろうとしたわけではないのです。

世界的に有名なブラジルのボサノバ作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲はもちろん聴いて大好きなのですが、ジョビンの曲をコピーしたことも無いですし、まず第一、難し過ぎて私にはできない。(笑)

ラテン調の曲を真似(まね)て創ろうとしたわけではなくて、純粋に頭に聞こえて来たメロディーにハーモニーをつけて唄って煮詰めてみるとこうなっちゃったという感じで、自然と出来上がったものでして意識的にボサノバを唄おうという気はございませんでした。

自分の血の中にラテンの血が混じってるのかといれば、そんなはずはなく、純粋な日本人で、なぜラテン調の曲が出来たのかといえばやはりそうした曲を一時期よく聴いたりしてたからかなと思ったりもします。聴いてる時期にはそんな曲はできなくて、飽きて忘れた頃に実(み)となって現れ出て来るのかもしれません。

梅雨(つゆ)の中休み。雨が上がった青空を見上げると、雲が分厚く、夏雲にもはやなって来ています。六月というのはよく考えると季節的には春ではなくてもう夏なのですね。ボサノバ、ライブでやるにはまたガットギターひっぱり出してきて練習しないといけない。音楽配信