ジャズ的なもの②

日本の民謡が好きだ。聴いていて気持ちがいい。ただ音数が少なくてすぐ飽きてしまう。他人の音楽で気分がノッテ来ることはほとんど無いのだが、

日本の古い民謡がかかる盆踊りだと気持ちよく踊れる。

演歌は民謡を西洋ハーモニーのドミソに移し替えようとしたものだと思うが、余りに粗雑過ぎてどうもなじめない。民謡のメロディーを四七抜き音階だとか簡単に解釈したりするが、本来

日本古来の民謡をドミソだけの西洋ハーモニーで表現しようなんてことは無理だと思う。

人気のある若い三味線奏者が流行りのヒット曲を演奏したりするのをたまに見かけたりするが、別に三味線じゃなくても・・・ギターを弾けばいいんじゃない?と思ったりしてどうも気持ちが悪い。日本人はまだ工夫が足りない。

ジャズやブルースもそうだ。アフリカから奴隷として連れて来られた黒人がアメリカで与えられた仕事の息抜きの、西洋ハーモニーの楽器ピアノやギターを使って、どうも自分たちになじめないものを、知恵と工夫をしぼって自分たち流に解釈したものなのではなかろうか?

ドミソが絶対じゃない。

ただ音楽表現はあくまでも西洋ハーモニーが基盤になっていなければいけない。だってたくさんの人に聴いてもらいたいために唄をうたうのだから。音楽配信

ジャズ的なもの

このブログSEOを考えてやっているはずなのだが、考えれば考えるほど、自分の音楽がいわゆる一般的な現在流行っているポピュラー音楽を聴きたがっている人達の求めているものとはかけ離れているような気がして仕方がない。

私の音楽にはジャズ的なものが内包している。

ではジャズ的なものとは何なのかと云えば、一番わかりやすいのはテンションコードというものがたくさん出てくることだ。テンションコードとは西洋音楽では基本ドミソが基本的なハーモニーと考えられるが、それ以外の音が追加されたコードである。

私はドミソが協和音とはあまり思っていない。たぶん白人にとってみればドミソは気持ちよく聴けるハーモニーなのかもしれないが何分白人ではない。黒人にとってみてもドミソが白人からいくら理論上正しいと説明を受けても、本能がそれを拒否する、そしてジャズやブルースが生まれた。

黒人のアフリカ音楽とジャズやブルースは基本的に違っている。

アフリカ音楽には西洋ハーモニーという考え方がない。それに対してジャズやブルースはドミソが気持ちいいとは思わないが、あくまでも他人に聴かせようとする自分の音楽の基盤は西洋ハーモニー上であって使う楽器はピアノやギターなのだ。

ただ私は自分の音楽の中にジャズやブルース的な要素があることは認めるが、ジャズやブルースをそのままコピーしたりカバーすることは無い。

自分は日本語を話す東洋人であり、黒人ではないのだ。

昔、若い頃、ディスコ(今でいうクラブ)に行って踊ったことが何度もあったが、心底そのリズムに乗って踊っていたことはない。どこかに冷めた気持ちがあって、違うと思っていた。不思議と日本の民謡の盆踊りであれば気持ちよく踊れるのだ。(続く) 音楽配信

雨の日曜日

今も外は雨が降っている。窓の外はどんよりとした暗い雲、雨の日曜日だ。

「雨のハイウエイ」という自分の曲がある。Youtubeにもちょこっと上げてて自分では随分難しい曲だと思っているのだが、意外にアクセスがあったりする。どうも調べたりすると矢沢の”エイちゃん”にも同じタイトルの曲があるみたいで、そこから流れて来るらしい。

最初は「雨のハイウエイ」という曲名じゃなくて「雨の日曜日」という唄にしようと思っていた。それくらい雨の日曜日というのは私の中で好きなのだ。特に午前中。まだ頭がぼやけて今日は休みだというリラックス感も伴って、しかも雨なんかが降っているとヤッターという感じになり心が開放された気分になる。

今日もそうした開放的な気分の中、TVで東京マラソンをつけっぱなしにしながらパソコンに向かって仕事をした。今が仕事を終わった時間を利用してこのブログを書いている。

これから午後の時間どう使おう?どうせ毎度同じなのだが、雨が降っているとなんだか気だるい、雨の日曜日。音楽配信