さざ波の音

自分の唄の中に何曲か海をテーマにした唄がある。海が好きだ。海をずっと見ていても飽きない。いや、海のさざ波を聞いていても飽きないと言った方がいいかもしれない。

別に海の近くで育ったわけでもないのだが、ひょんな縁(えん)から海辺の家を訪れることになる度(たび)にずっとその海辺を散歩して来る。やはり快晴の空の下の青い海辺が風に吹かれて一番気持ちいいのだが、空はいつも快晴なわけでもなく、どんよりとした曇り空の下の海や、激しい雨が打ち付けた濁(にご)った海、別の日には強風に吹かれて波が荒れ狂っていたりとか、その時の季候によって海は色々な表情を持っていて、人生と同じで予想がつかない姿が自分の心を惹き付けるのかもしれない。

また海風に向かって浮遊しているカモメやウミネコの鳴き声を聞いているとどこか気持ちが落ち着くのだ。こんな贅沢な時間はない。

いつかさざ波の聞こえる家に住みたい。もはやかなわぬ夢だと思っているが。

気づいたのはその地方によって海のさざ波の聞こえ方が違うということだ。実際はさざ波はさざ波でどこに行こうが同じだと思うのだが、やはりその土地土地(とちどち)で知り合った人との情の触れ合いのようなものが自分の心にさざ波の違いとして感じられるのだろう。さざ波はその時の自分の心を映し出す鏡のような気がする。

「夜の海辺」はそうした私が感じて来たさざ波の唄で、自分の中ではお気に入りの1曲だ。久しぶりに旧友と夜の海辺で落ち合い過去を温め合うが、現状の話になるとくい違いが知らぬ間に出てきて結局すれ違ったまま分かれていく、さざ波の音だけがその浜辺に残されて聞こえてくるという設定になっている。

この海がどこの海だとは言わないが、私にとっては自分の青春の終わりの海だと思っていて、海とは先ほども述べたように人生と同じで予想もつかないものなのだ。いくら若い頃、仲が良かった友達であろうと、周りの違った環境の中に放り込まれると価値観も違ってくるだろうし、さっさとおいしい話の方に向かっていってしまって昔の情なんて忘れてしまったりするのが人間だとその時私は悟ったのだ。信頼していた友との別れ。心が崩れるような瞬間。しかし海はそんな人間のちっぽけな感傷など構ってくれない。さざ波の音だけが安らかに聞こえて来る。何事も無かったかのように。しかし、さりとて意外なところから助け舟を出してくれたりするのもまた人間なのだ。

快晴の下の海はおだやかでいつまでも眺めていられる。しかし、一旦牙(きば)を向くと先日の地震の大津波のように信じられないほどに人間世界を破壊してしまって、これが本当に同じ海なのか?と思うほどである。そして嵐が過ぎ去るとまた、まるでそんなことが夢であったかのように平穏になり白波の上に陽(ひ)の光がキラキラ輝いていたりなんかする。

不思議なものだ・・・。自分の人生はさざ波の中を散歩しているのかもしれない。音楽配信

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