YUKIO音楽のお正月

新年あけましておめでとうございます!と言ってる割にはお正月からもう1週間もたっておりますがみなさんお正月休みをいかが過ごしましたでしょうか?私はと言えば箱根駅伝を観るわけでもなく自分の音楽に結構没頭しておりました。

というのは、1年前のお正月休み期間中にその前に録音してあったオリジナルの曲をとりあえず形だけまとめ上げる作業をしておりまして、その数30曲(笑)なんとか仕上げたのですが、ミックス、マスタリングで一番肝心で難しい音圧上げを時間が無くてやってなかったのです。当初は30曲もあるのでミニアルバム一つと2枚組のCDを作ってやろうと企んでたのですが結局3つに分けることにして、最初10曲入りのアルバムの音圧上げを昨年春から夏にかけて空いてる時間にやって完成したのですが、その後このブログを書いたりだとかユーチューブの動画をアップしたりだとか色々やらなければいけないことが沢山出てきたので、残りの20曲はそのままほったらかしになっている状態でした。そこで今回、今年のお正月休みを利用して5曲入りのミニアルバムの音圧アップに取り組んだのでした。

もうすっかり曲すらも忘れているような状態でして大変だったのですが、なんとかまとめ上がったのではないかと思っております。。。が、しかし最終的にまだ決断しているわけではありません。(笑)

この30曲、結構な数ですが、実は若い頃、没にしてきたものと歳をとってから作ろうとしたものがごちゃ混ぜになっておりまして、それをどう他人(ひと)に聴かせる作品として分けるのか昨年の正月には一人で散々悩みました。

今までの4つの作品は時系列に沿って出来上がっているのです。最初のギター弾き語り「YUKIO」1曲目に入っている”たまご”という唄は私の10代の時に創った曲で、4つ目の作品「太陽」最後に入っている”隣の人”という唄は私の20代後半に思いついた曲となってます。基本その”たまご”から”隣の人”まで私のこの世に生きている時間が順次流れているのです。ですのでこの4つの作品に入っている曲は当時の自分の中では合格した作品で、今回ミックス・マスタリングしようとしている曲はそこから没にしてしまっていた唄ばかりなのです。なぜ没にした作品をまた取り上げようとしたのでしょうか?それは歳をとると共に

人生に意味のないものなんて無い

と思うようになったからです。駄目なものなんてない!人がそれぞれ違うように、作品もそれぞれ個性があるのです。あの曲が良くて、あの曲が良くないなんてことはないのです。勿論、曲の制作に関しては全力を尽くすということが前提ですよ。

4つ目の作品最後の曲”隣の人”を思いついた時に、果たしてこの曲を頭から外に出す時期がはたして来るのだろうか?と記憶しているのですが、30年後に出来てたんですね、本当に!現実は溺れそうなほど辛くて厳しいんですけど、何か念じていれば気づいた時にそれが現実になっていたりもします、音楽だけの話ではなくて不思議と。

話がまとまらなさそうなので、今回は私のお正月の挨拶とさせていただきます。私の音楽、気に入ったら買ってね。相も変わらず単刀直入な言い方しかできないお人ね♡。

今年もよろしく!(笑)

音楽配信

フーテンのYUKIOさん

映画「男はつらいよ」が正月に久しぶりに封切られるらしい。もはや若い人にとって主人公の”フーテンの寅さん”とは誰なの?といった感じなのだと思うのだが、私が若い頃すでにそんなイメージだった。(笑)

簡単に説明すると渥美清(あつみきよし 故人)演じる性格がちょこっとねじ曲がってフラフラしている主人公”フーテンの寅さん”が巻き起こすドタバタ劇だ。毎回マドンナが出てきて”寅さん”が惚れちゃうのだがフラれてしまうという結末になる。(笑)

映画シリーズが今回50本目とのことで、シリーズの後半くらいからは”寅さん”と違ってまっとうな人生を歩む寅さんの妹”さくら”の子供、名前が何て言うのか忘れてしまったが、そうその”寅さん”の甥っ子(おいっこ)の恋愛模様なんかも描かれていたりする。

自分は実は映画館で「男はつらいよ」は観たことがない。若い頃は”寅さん”がなんでこんなに騒がれるのかわからなかった。昔、洋楽の音楽誌の書評で「男はつらいよ」がハワイで上映されているが全然人が入っていない、アメリカ人には”寅さん”の義理人情(ぎりにんじょう)の世界がわからないのだと書いてあった。子供心にそうなんだと思ってしまった記憶がある。

・・・時が経(た)って、自分はそう思っていた頃の親の年齢すら超えてしまっている歳(とし)になっている。その間に色々なことがあった。子供の頃まっぴらだと思っていた義理人情がなんとなく大人となった今はわかる。

テレビ映画でしか観たことはないのだが、歳をとってから”寅さん”を見て腹を抱えて笑ったり”寅さん”の失恋と一緒に涙したりもした。”寅さん”はやっぱり自分の人生の鏡なのだ。いくら格好いいこと言っても、人生、義理や人情がないと生きて行けない。

若い頃は挫折(ざせつ)を知らないので何でも強気に他人に接してしまう気があるが、歳をとればとるほど他人に頼らざるを得ないので余計”寅さん”の心が身に染みる。あの頃、、、自分はなんで弱者に対してあんな強気な態度をとったのだろうか?人生は格好よく生きられると思っていたのだ。そんなはずないじゃないか!みんな心に”寅さん”を抱えてるはずだろ!今ではこうした想いの方が強い。

誰にも相手にされないオリジナルソングを井の頭公園で毎週のように唄っている。今や自分が現代版の”寅さん”なのかもしれない。また仕事が1本無くなったという電話がこのブログを書いている間に来た。来年どうなってしまうのだろう?

フーテンの寅さんならぬ、フーテンのYUKIOさんだな。音楽配信

メロディーが先か、言葉が先か

誰にも相手にされず、これまでに4つの作品をつくって来た。古い順に並べて「YUKIO」、「YUKIO PIANO」、「COCOLO」、「太陽」。前2つは最もシンプルにギターとピアノの弾き語り、あとの2つはリズムも入れて楽器演奏からミックス、マスタリングまですべて自分でやった複雑な一人バンド形態になっている。

対照的なのだが、それだけではなくて実はこの最初2つと後2つの作品群では決定的な違いが自分の中ではあったりする。

それは唄の創り方がメロディーが最初に閃(ひらめ)いたのか、言葉が最初にあったのかの違いである。メロディーが先か、言葉が先かで決定的に唄の本質が違ってくるのだ。

「YUKIO」、「YUKIO PIANO」の弾き語り作品の方は言葉が先にあって、「COCOLO」、「太陽」のバンド形態2つはメロディーが先になっている。

弾き語り2つは言葉がやはり最初に聴こえて来る。バンド形態の方は歌詞にも気をつかっているのだが、よく聴かないと何を唄っているのかよくわからない。メロディーが先にあって後から言葉を足したからだ。

なぜこのような違いがあるかと言うと自分でもわからない。ただ「cocolo」という曲のメロディーが閃(ひらめ)いて以来ずっと私の唄はメロディーが先にできて来て歌詞を後からつける形になっている。

弾き語り2つは日本語でしか唄えない、あるいは成立しない唄で、バンド形態2つは日本語で唄ってはいるが、別に日本語でなく英語で唄ってもおかしくないような気もする。

どちらが良いのかわからないが、これらすべての作品は私の中から流れ落ちてきたものなのですべてを引き受るしか説明がつかない。

誰も聴いてくれない自分の作品を分析しても仕方がなのだが、メロディーが先か、言葉が先かで自分の中ではここにもの凄い断層があるのだ。ライブではなるべく交ぜないように気を使ったりもするのだが、たくさん唄ったりしなければいけない場合など致し方なく交ぜたりしたりもする。

自分の気持ちの中では昔のように先に言葉が出てきてもらいたいと実は思っていて何とかならないかと考えるのだが、考えて唄ができるものでもなんでもなく今、現在もこのような状態なのである。しかしながら、私の想いとしては自分が普段使っている日本語という言葉のイントネーションがやはりその曲のメロディーに影響を及ぼすのが自然のような気がするのだ。

欧米の音楽ばかりを聴き過ぎたのかもしれない。確かに日本語で唄われた曲なんて大人になってほとんど聴いて来ていない。しかし実は自分は日本の民謡でしか踊れないということも知っている。

欧米の音楽ばかりが情報として入ってきて価値のあるものだと思われがちだが、中国の音楽も聴いてみたい。特に中国の結婚式でみなさんお酒を飲みながらどんな唄を唄っているのだろうか?10億人もいるのだから人それぞれ色々な唄を酔っぱらいながら唄っているのだろうと想像すると楽しくてしようがない。日本にさえ地方地方に様々な民謡があるのだから、中国行くともっと百花繚乱の民謡が聴けるような気がするのだ。

話がそれたが、私のこの4つの作品試しに聴いてみませんか?行きつく所はここなのです。(笑)音楽配信

YUKIO作曲法

実はもう何年も曲ができない。曲ができないというか、曲の基(もと)になるアイデアが閃(ひらめ)いて来ない。もう駄目(だめ)だ。というのは冗談で、(笑)原因は齢(とし)をとって来たのと、他人(ひと)の音楽を聴かなくなったからだと思っている。

大手CDチェーン店で自分のオリジナルCDを置いてくれなかった件以来、一切CDを買わなくなった。(笑)実は聴いてみたい曲とかあったりするのだけど意固地になってもう買っていない。ストリーミングサービスを使って聴いてみようかとも思うのだが、検索してもなかなか出て来なかったりもしてすごく億劫(おっくう)なのでそちらも利用していない。要は音楽的な刺激が無いのだ。

週末には毎週のように近所のピアノ室に行って練習するのだが、それは元々自分の頭の中にあった曲の基(もと)を他人に聴かせられるよう練り上げていく作業であって、曲を創るというものではないのだ。曲の基(もと)が枯渇して来ている。(笑)どうせいくら頑張って曲をつくっても誰も聴いてくれないという、もはやふてくされた気持ちもある。(笑)

今回はその曲の基(もと)になるメロディー、あるいは言葉なり自分が唄を創る上での所謂(いわゆる)インスピレーションを湧かせるヒントとなるネタについて述べようと思う。

ここで最初に目次があってそれからいかにものハウツーものの書き方をすればグーグル検索の上位にも引っかかったりもできるのだろうが、そんなことしません。(笑)できないし・・・。(笑)

芸人さん達はネタ帳のようなものを持っていると思うのだが、自分も同じ感じで湧き出たメロディーは鼻唄まじりに昔はテープに現在はスマホの録音できるアプリに録っておいたりする。酔っぱらった勢いでなにか無性に言葉を書きたくなったりした場合などはメモをちゃん取ったりするのだ。売れないのによくそんなことをするなと言われればその通り!お恥ずかしい限り。しかしながらこれは自分の性分なのだから、他人(ひと)からとにかく言われたくはない。

その鼻唄まじりのメロディーやフレーズは日々重なると山のように溜まっていくのだが、その中のどれを唄にできると判断し選択するか、あるいはその選択の基準は何かと言ったら、実は選択などしないのである。録るだけ録って後日聴いたりなんかはしないのだ。(笑)そうした録音やメモをとった意味がないじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、いいんです。録音された山のような数のメロディーやフレーズは実はみんなクズで、翌朝起きたらみんな忘れてしまっているのだ。

唄にできるのはなぜだか何日経っても頭から離れないメロデイーやフレーズ、言葉なのである。頭にこびりついて離れないのだ。(笑)録音なんて必要ない。ずっと頭の中で鳴り続けていて、たぶん死ぬまで鳴り続けているだろう。自分はその音を広げて曲を創っているだけだ。

私の曲の創り方の最初の部分を説明してみた。こんな曖昧(あいまい)な書き方だとグーグル検索に引っかからないよ~。(笑)けどこういう説明の仕方しかできないのだよ。

これが私の曲を創るためのハウツーです。

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