我輩は猫である

自分の住んでる街には野良猫が結構いるように思う。近所の散歩道には気づけば猫に餌(えさ)を与えている人か、スマホをじっと見て突っ立ってる人、たぶんポケモンGOをやっている人がウジャウジャいる。(笑)

そんな野良猫が家の周りで糞(フン)や尿を垂れるので臭(くさ)くて困ってたりもした。見てる分には犬も猫も嫌いじゃないのだが臭(にお)いを残されると、獣(けもの)の臭(にお)いというか人間と違っているのでどうも嫌(いや)になってくるのだ。

道路を挟んだ向こう側のご近所さんも二匹猫を飼っていて、ただその猫たちは外には出てこない家の中で飼われている。前は外で飼われていた猫もいたのだが死んでしまったみたいだ。随分と可愛がられていた猫で毛艶(けづや)も良く、人間を見ても怖がらず、我が家の周りでいつも昼寝をしていた。

その猫が死んだあと、よく似た野良猫がご近所さんの家の前で餌乞(えさご)いを始めた。去年の冬か一昨年(おととし)の冬だったと思う。哀れに思ったのかご近所さんは駐車場に段ボールの掘立小屋を建て、その野良猫を飼い始めたのだが半年ほどしたある寒い朝、その野良猫も死んでしまったらしく掘立小屋も無くなっていた。

なんでこんな話をしたかというと、その野良猫は非常に目つきの悪い猫で、そこまで睨(にら)まなくてもいいだろうというほど、睨(にら)んできて、人間の私がビビるくらいであった非常にインパクトの強い猫だったのである。

明かに飼い猫ではない野生の目つきで、”誰も信じちゃいね~よ!”といった感じがとても他人事(ひとごと)、いや他猫事(ねこごと)とは思えず(笑)、よくぞ頑張って生きて来たなと褒(ほ)めてあげたくなるくらい荒(すさ)み切った雰囲気を漂わせていた。今から思えばご近所さんに餌乞(えさご)いをし始めた時にはもう病気だったのかもしれない。

あまりに面白そうな猫だったので、毎月送っている私のライブ勧誘メールの中にエッセイと言おうか小説と言おうかこの猫を主人公にした文章を連載して書いてみた。その名も「我輩は猫である」。(笑)ご存じ文豪、夏目漱石の有名な小説「吾輩は猫である」をパロディーにしたもので、どうせ誰も読んではいないだろうと思い、過激に好き勝手書いたものだった。

その野良猫も死んでしまって、私の「我輩は猫である」も終わっている。せっかくがんばって書いたのでまとめたものをnoteというサイトにアップしてある。不意に思い出したので今回紹介してみた。読んでみませんか?猫ブームと言うが、人間が勝手に思ってるだけで、野良猫達は人間の入り込めない猫社会で毎日生死をかけて必死に生きているのかもしれない。

ただ、それはもの凄く残酷(ざんこく)な世界なのかもしれないが美しい世界でもある。今回そんな気がした。自分もそんな世界の中の一員なのである。音楽配信