ジャズ的なもの③

前回の続き。最後の文章、自分の音楽を”たくさんの人に聴いてもらうためには西洋ハーモニーが基盤になっていなければいけない”という理由が述べられてなかったので続きを書こうと思う。

音楽をやるのは好きであれば別に日本の民謡を三味線でやったり、アフリカ音楽を打楽器のジャンベを使ってやるのもいいと思う。だけどそれは日本民謡やアフリカ音楽の村の中だけの話であって、世界の共通語は音楽の世界では西洋ハーモニーなのだ。

今の世の中であれば、なんでプログラミングがアルファベットの英語で入力しなければいけないのか?中国語や日本語で打ち込むことはできないのだ。(変換するソフトがあるのかもしれないが、調べたことがないのであしからず。)それと同じことである。

そんな西洋ハーモニーの最大の特徴が長調と短調という曲によって大別される構造である。前にNHKのクラッシック音楽番組の中で有名な演奏家の人が音楽は長調か短調かどちらかしか存在しないと言っていたのを聞いたことがある。その人はクラッシック音楽にどっぷりとはまっているからそう思うのかもしれないが、世界中には長調、短調関係の無い音楽はいっぱいある。日本の民謡に長調、短調は無い。アフリカ音楽に長調、短調は関係無い。たぶん世界中の古い民謡には長調、短調はないのだ、あるのは西洋の民謡だけの話なのだ。

長調、短調を決定づけているのはド、ミ、ソで言えばミの音である。ミのままであれば長調、ミが半音下がれば短調となり多少暗めなハーモニーとなる。

ここからが今回の話で、今の世の中、世界中で再生産されているポピュラー音楽の大半がたぶんこのド、ミ、ソの長調か短調でできているのだが、ジャズやブルースには一概にはそれは当てはまらない部分もあるということだ。

ブルースの最大の特徴はド、ミ、ソ(長調)のハーモニーの上にミの半音下げた音(短調の音)を入れているところにある。これでは長調なのか短調なのかわからない。

私の曲においてはド、ミの半音下げた音、ソ(短調)のハーモニーの上にミの音を(長調)の音を加えた曲すらある。これも長調、短調関係ない。

こんな曲があるので自分の音楽の中にはジャズ的なものが内包していると言っているのである。そしてド、ミ、ソ音楽に飽きてしまった人も世界にたくさんいると思うので、そういう人たちに私の音楽を聴いてもらいたい、そういう人たちに私の音楽を買ってもらいたいと思い、なるべく具体的に文章にしたつもりです。よろしくお願い致します。音楽配信

ジャズ的なもの②

日本の民謡が好きだ。聴いていて気持ちがいい。ただ音数が少なくてすぐ飽きてしまう。他人の音楽で気分がノッテ来ることはほとんど無いのだが、

日本の古い民謡がかかる盆踊りだと気持ちよく踊れる。

演歌は民謡を西洋ハーモニーのドミソに移し替えようとしたものだと思うが、余りに粗雑過ぎてどうもなじめない。民謡のメロディーを四七抜き音階だとか簡単に解釈したりするが、本来

日本古来の民謡をドミソだけの西洋ハーモニーで表現しようなんてことは無理だと思う。

人気のある若い三味線奏者が流行りのヒット曲を演奏したりするのをたまに見かけたりするが、別に三味線じゃなくても・・・ギターを弾けばいいんじゃない?と思ったりしてどうも気持ちが悪い。日本人はまだ工夫が足りない。

ジャズやブルースもそうだ。アフリカから奴隷として連れて来られた黒人がアメリカで与えられた仕事の息抜きの、西洋ハーモニーの楽器ピアノやギターを使って、どうも自分たちになじめないものを、知恵と工夫をしぼって自分たち流に解釈したものなのではなかろうか?

ドミソが絶対じゃない。

ただ音楽表現はあくまでも西洋ハーモニーが基盤になっていなければいけない。だってたくさんの人に聴いてもらいたいために唄をうたうのだから。音楽配信