YUKIO音楽の完成形

今夜は大久保水族館でライブだ。今回は「太陽」という私が作成したオリジナルアルバムの中から数曲演奏しようと思ってる。料金は1,500円で、本来1ドリンク付1,000円だが私専用のミュージックチャージということで500円取ります。本人にお渡しください。それを了解の上ご来店ください。

まず最初に忘れずに告知しておきます。今さら今日のライブのお知らせをして誰か来るものでもないし、ここ何年もこのような営業の仕方でお客が来た試しもないが、一応私のポリシーとして儲かる可能性が無いことはやらない。儲かる可能性を創るからこそ音楽をやってます。行ってあげたり、来てくれたりの音楽仲間はいらない。

普通に考えるとお店の料金が1,000円なのにそこに500円を勝手に乗せて営業すれば、他人から見てコイツ500円ボリやがって生意気(ナマイキ)!ということになるのだが、企業はみんなこうして利益を乗せて売っているのだから何も悪いことをやっているとは思っていない。ただ売値の中に利益を入れているのでわからなくなっているだけで、私の場合は単に私の音楽を好きになってくれる人が余りいないため苦肉の策としてやっているだけだ。

そこまでしてなんで音楽をやっているのと言われれば、あなたはわからないかもしれないけれど、いい音楽をやっているんですよとしか答えようがない。脳ミソに聞こえてきたものは自然に返さないといけない。余計わけがわからないな(笑)。

こんな意固地(いこじ)な私が自分の音楽作品をどの段階で完成したとみなすのか今回はそこを話そうと思う。

実は完成した作品は無いのだ。

今まで50年かけて4つ作品をつくって来た。曲数でいえば50曲くらいか。誰にも相手にされずよくやってるなとホトホト思うこともあるが、自分で選んだ道なのだから色々な発見もあるし様々な後悔もある。思うにその時、その時のベストを尽くしてこの4つの作品をつくったはずなのに、時間が経つとその作品の中の間違っていた部分とかに気づいたりするのだ。

完璧だと思って仕上げた作品が、実はその中に間違った部分が後々(のちのち)見えてきたりする。最初にそれに気づいた時にはどうしよう、せっかくここまでがんばって来たのにすべてが台無しになってしまうと恐れおののいたりしたものだったが、今はその間違いも含めて一つの作品なんだと思えるようになった。

間違いのない作品なんて無いのである。間違いがあるからこそ人生楽しいのだ。間違いも含めて一つの作品なのだ。

作品は時間と共に変化して行く。

作品に終わりは無い。

これが今の私の実感です。

こんな私の音楽聴きに来ませんか?世の中の流れに逆らうように有料ですが、きっと何か感じられるものがあると思ってます。いつかあなたに出会えることを夢みて。音楽配信 

アルバム”太陽”ダイジェスト