この静寂(せいじゃく)の中で

寒い。天気予報だとこれから雪だと言う。コタツに入っている。お茶を飲みながら久しぶりにこのブログに向かっている。ノートパソコンの向こうにはみかんがひとつ。隣の部屋から持って来た。雪が降るときの静寂(せいじゃく)が好きだ。静寂(せいじゃく)と言ったって、よく耳を澄(す)ませばいろいろな音が聞こえる。今もそうだ。外の通りを歩く人の会話、雨の道路を車が走る音、もっと先の中央線の電車の音、気づかなかったがこのコタツの電気の音、もうこのコタツも何年使っているのだろう?古くなっているからな。1回壊れちゃって、近くのホームセンターで中のヒーター部分だけを買って来て差し替えしちゃったことがあったっけ?まあ、いい。

いろんな音が聞こえてくるのだが、不思議と雪が降ると音が無くなるイメージがある。いや、無くなるわけじゃないのだが、”しんしん”とする感じだ。”しんしん”って、どんな感じなんだろうか?音がしないことを”しんしん”と言うのだろうか?音がしなければ”しんしん”なんて言葉も無いはずだけどな?今はまだ雪に変わる前の雨だけど、なんだかもう気分は”しんしん”な感じになっている。こうした静寂(せいじゃく)を感じるのが好きだ。

お茶が冷めてしまった。ちょっと文章書いただけなのにね。今日3杯目の緑茶だ。最近は寒いので温かいお茶を飲みたくなってしまう。1、2杯目は冷めちゃうともう飲みたくなくなってしまって、最後まで飲まずに捨ててしまった。このブログを書こうと思い、わざわざお湯を温めなおして3杯目を入れてもらったのだ。

なんだかこうした静寂(せいじゃく)を感じる音の中で生活している方が、いつの間にか楽になってしまった。わざわざ耳を凝(こ)らして、人間が人工的に作った音を聴こうとは最近はあまり思わないのだ。自然に鳴っている音が一番いい。地球のあるがままの音を受け入れるのが一番気持ちがいい。

この静寂(せいじゃく)の魅力とは一体何なのだろうか?と、たまに考えたりするのだけど、考えると言ったらちょっと大げさ過ぎるが、感じると言った方がいいかもしれない、すべてが不規則だからなのかもしれない。聞く音、聞く音、すべてが不規則なのだ。そう不規則な音というのは自由なのだ。

規則に縛られた音楽というのは、それだけ整理整頓されていて、覚醒された人間の意識の中では心地良く聞こえてくるのだが、一旦(いったん)緊張を解(ほど)くと疲れてしまう。ただ、不規則な音をそのまま自分で表現してもつまらないだけになってしまう。自然から聞こえてくる不規則な音と自分で意識的に作った不規則な音では、似ているようでまるっきり違っている。そこには何かが必ずあると思っている。うまく言えないが、宇宙的な法則が。あるいは人間がこの世に生きる根源的な法則が。

不規則な音というのは、次に何が聞こえて来るか予測できない音ということでもある。人間がこんな音を出すと、聞いている方は緊張が走ってかえって疲れちゃうのだろうが、今、外から聞こえる静寂(せいじゃく)の音には自分の心をリラックスさせる効果があるようにも思う。あと、静寂(せいじゃく)と言うからには、音が小さくなくてはいけない。音が小さければ、小さいほど、そこに音が鳴っているんだと気づいた時の新鮮さが、何だか妙に感動があったりもする。

不思議だ。子供の頃はこの静寂(せいじゃく)の音を何とも思ってなくて、かえって人工的な音を好んでいたはずなのに、今の自分にはこの静寂(せいじゃく)の音が必要だ。なぜなんだろう?と思ってしまうのだが、ここに答えなんてないはずだ。三連休の最終日。雪に変わりそうで変わらない雨の日曜午後。この静寂(せいじゃく)の中で、物思(ものおも)いにふけるのである。

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