味噌ラーメン屋の夜

先日夜、久しぶりに近所の味噌ラーメン屋さんに行ってきた。家に居場所がなくなると外に出て馴染(なじみ)の店長がいれば世間話(せけんばなし)をしてくるラーメン屋だ。その日店長はいなかった。余りに早い時間帯に行き過ぎたのかもしれない。まだ家族連れのお客さんがいたりして店は混んでいた。夜遅くに行くと、結構この人たちどんな関係なんだろう?といったカップルや仕事上がりかなんかの近所のタクシー会社の運ちゃんがラーメンをすすってたりする。

いつものようにビールだけ先に持ってきてもらって、モヤシをつまみに何週間か前発売のちょっと古い週刊文春を読み始めた。こうなるともう、いくらお店が混雑していようとも自分のモードに入ってしまい、暫(しばら)くその場でくつろぐことになる。(笑)

スマホが世間に広がって以来、ラーメンや食事の外食の待ち時間をスマホを見て時間をつぶす人たちばかりになったからだろうか、お店のカウンターの下には前は漫画やエロ本やあやしげな週刊誌がごちゃ混ぜになって置いてあったのだが最近は見なくなってしまった。幸(さいわ)いにしてこの味噌ラーメン屋にはかろうじて週刊文春と大人向けの漫画本とラーメンベスト100とかいう雑誌3冊が置いてある。

ビールをチビチビ飲みながら週刊文春のページをめくる。もう何を読んだのか忘れた。この手の週刊誌を自分で買ったことは一度もなく、いや、東京に戻る帰りの東海道新幹線の中ではいつも売店で週刊現代を買って柿の種(たね)をポリポリ喰いながら缶ビールを飲んで、読んで来たものだ。(笑)

週刊現代の方が巻頭のグラビアが多少エロいのだが、記事の内容は文春に比べてかなり薄い。たぶん読者層が違うのだと思う。現代は30~40代向け、文春は40~50向けといったような感じか。

いつもこの味噌ラーメン屋で読む週刊文春の中でお気に入りのページは小泉元総理の秘書だった飯島さんの直近の政治情勢を分析した記事である。飯島さん独自の視線があってつい読んでしまう。前はグーグル日本法人の社長さんだったなんとかさんの記事をいつもモヤシをつつきながら感心して読んでいた。

週刊文春を読んでいると一人自分の世界に閉じこもるので、周りが見えなくなってしまう。ただこういう時間が自分にとって必要なのだ。気づくと「ラウンドミッドナイト」がかかっていた。モンク(セロニアス・モンク ジャズピアニスト ラウンドミッドナイトの作者)が弾いているものではなくて、誰かがやっているものだ。そんなにジャズに詳しくない私でもわかる。死ぬほどいろいろな人間が「ラウンドミッドナイト」を演奏してると思うのだが、マイルス・デイビス好きの私はマイルスとコルトレーンがやっている「ラウンドミッドナイト」が一番好きだ。

最近のラーメン屋はBGMにジャズがかかっている。ちょっと検索で調べてみたのだが、ジャズをかける理由はそんなに根拠があるわけでもなくてただなんとなくお洒落(しゃれ)だからということだけらしい。しかし自分にとっては外食する時にはやはり自身がリラックスする音楽がかかっているお店を無意識の内に選んでいるのかもしれない。そう思ってしまった。

ここの味噌ラーメンも美味(うま)いが、BGMがジャズじゃなくて今の流行歌だったら、これほどまでこのお店に通っただろうか?たぶんそんなこともないような気がして、よく自分が行った外食のお店のBGMに何がかかっていたか思い出してみた。

お昼によく「やよい軒」という和食チェーン店さんに行った。「やよい軒」のBGMはやはりこの味噌ラーメン屋さんと同じモダンジャズだった。朝早くのドトールコーヒー(コーヒーチェーン店)でコーヒーを飲むのが好きだった。ドトールはいつも朝ボサノバ系がかかっている。歯医者の帰りにいつも寄るリトルマーメイドのパン屋(チェーン店)も朝ボサノバがかかっている。癒し系カフェ音楽というらしい。(笑)確かに癒された気分にもなる。

こう見ると自分が外食に行くお店のBGMにはやはり共通点があるように思う。BGMを馬鹿にしてはいけない。ただジャズやボサノバばかりだ。ジャズといってもスイングジャズやビバップ、フュージョンとかいろいろあるのだが、(現にドトールに夕方行くとフュージョンがかかっているような気がする。)自分が聴いて落ち着くのは電気を通してない生楽器のモダンジャズや女性の唄ものなのだ。別に自分はお洒落で格好いい人生を送ってきたつもりはないのだが、こうした音楽を聴くとついくつろいでしまう。

一日の波長もあるのかもしれない、朝から小難しいモダンジャズは聴きたくない。朝は軽くボサノバで聞き流したい。夜暗くなって、お酒が入ってようやくモダンジャズを聴きたくなるのだ。不思議と。

そんなこと考える内(うち)ふと気づくと、店内ではまた違った人間がやっている「ラウンドミッドナイト」がかかっていた。音もいいので天井(てんじょう)にかかっているスピーカーをよく見るとBOSEの結構高そうなやつだった。音にも見えないところでこだわっているのかもしれない。あわてて券を渡していた味噌ラーメンを持ってきてくれと頼み、急いで食べて帰って来た。馴染(なじみ)の店長さんがいないせいか出てきたラーメンはいつもと違って普通盛りだった。こちらの方が歳(とし)をとった自分のお腹(なか)には実は丁度(ちょうど)いい量なのだ。

いつも野菜を山盛りにしてくれて、チャーシューまでおまけしてくれる店長さんの親切心をあらためて感じた夜だった。店長さん元気なのかな?しばらく会ってないな。音楽配信

パンク少年だった頃

もうロックを聴かなくなって久しいが実は音楽を聴き始めた若い頃はパンク音楽が大好きだった。タイヤのパンク音ではなくてパンク音楽だ。(笑)今の時代、知らない人もいそうなので簡単に説明しておくと、大人の社会に反逆しようと髪の毛を逆立てボロ衣をまといエレキギターで3コードをかき鳴らすイギリス発祥の若者の音楽だ。

代表的なところで海外ではセックスピストルズやクラッシュ、ジャムといったバンドがあって、日本でもアナーキーというバンドがあったりした。アナーキーのヒット曲で”シティサーファー”というものがあって、”シティサーファー”と歌っているところがよく聴きとれず”チーチーパーパー”と真似たものだった。

生まれてはじめてコンサートに行ったのもパンクバンドのスターリンというバンドだった。(笑)オールスタンディングで髪の毛を逆立てたパンクス達がステージ前で飛び跳ね、ボーカルで歌を歌っている遠藤ミチロウになぜだか唾(つば)を吐きかけ、しまいには後ろで喧嘩(けんか)がはじまっていた。(笑)今となってみれば笑ってしまうが若い頃はこれがロックだと思い、少し大人になったと思えた瞬間だった。(笑)

自分の音楽の始まりも学園祭でパンクバンド風に唄をうたったことだった。当時まだ作曲することに興味がなく作詞だけだったのだが「パンクの詩(うた)」という唄をみなさんの前で披露したのである。歌詞は”パン屋がロックをやるよりも~、米屋がロックをやるよりも~、パンクがロックをやるのが最高だ!”というたわいのないもので、この安直な韻(いん)の踏み方は今でも結構気に入っている。(笑)

反逆の証(あかし)として髪の毛をデップで固めて逆立て、髪染めの知識もなかったので金色のポスターカラーを塗りたくってステージに立って熱唱したのだった。熱唱したのか、がなり立てただけだったのか今となってはわからないが、(笑)あの時の興奮が自分の音楽のすべての始まりのような気がする。

時がたち遠藤ミチロウさんもスターリンを解散して何十年も地道にライブハウスで歌ってこられたが、先日新聞か何かで癌でしばらく休養するとか出ていた。今となってはあのパンクムーブメントは一体何だったのかと不思議に思ったりもする。

最近の風潮として余り世の中を否定するような表現が無くなったような気がする。表に出ないだけなのかもしれないが、肯定的な表現ばかりじゃ息がつまってしかたがない。何を本心を隠して格好のいいことばかりを言ってるんだと思ってしまうのは私だけだろうか?たぶんSNSで除け者(のけもの)扱いをされまいとみなさん気を使っているのだろうと容易に想像できるのだが、テレビのコメンテーターでもあるまいしもっと自由に言いたいこと言おうぜと私が言っても今さらどうしようもない。

若者よ立ち上がれ~と言ったところで立ち上がるはずもなく、今風の流行りとすればもっとお洒落にフェスに行ってキャンプを張ることなのだろうな。(笑)

実は近所にパンクスがモヒカンだとか髪のセットに通う床屋がある。パンクスだけではなく一般の人もカットしてくれるので、料金も安いし2度ほど行ったことがあるのだ。女の社長さんで一人で切り盛りしているらしくパンクスに交じって普通にカットしてもらった。(笑)

カットしながら話しかけられて自分もオリジナルの音楽をやっていると言ったら、どんな音楽なの?と根掘り葉掘り訊かれて曖昧に応えていると、”なんだかボサノバやってる感じがする・・・。”とか言われてしまって、”まぁそんな曲も無きにしも非(あら)ずかな・・・。”とかまたお茶を濁すと、それっきり会話が弾まなくなり気まずい思いをして帰って来た。

余り楽しくなかったのでもう何年もその床屋さんには行かなかったのだが、先日もう私のことを忘れてしまっているだろうと思い久しぶりに行ってみた。しかし会話は一切なし、無言だった。これで初めて気づいたのだ、

パンクスはボサノバが嫌いだってことを・・・。音楽配信

六月のボサノバ

”青山シャーベット”という自分の曲があります。昔、東京の青山というお洒落な街で働いていたことがあってその時の思い出を唄ったものですが、リズムがラテン調になっています。

じつはたくさんある自分のオリジナル曲の中でラテン調の曲というのが何曲かありまして、夏の暑い時期になると自然とだんだん唄いたくなって来るのですが意識的にラテン調の曲を創ろうとしたわけではないのです。

世界的に有名なブラジルのボサノバ作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲はもちろん聴いて大好きなのですが、ジョビンの曲をコピーしたことも無いですし、まず第一、難し過ぎて私にはできない。(笑)

ラテン調の曲を真似(まね)て創ろうとしたわけではなくて、純粋に頭に聞こえて来たメロディーにハーモニーをつけて唄って煮詰めてみるとこうなっちゃったという感じで、自然と出来上がったものでして意識的にボサノバを唄おうという気はございませんでした。

自分の血の中にラテンの血が混じってるのかといれば、そんなはずはなく、純粋な日本人で、なぜラテン調の曲が出来たのかといえばやはりそうした曲を一時期よく聴いたりしてたからかなと思ったりもします。聴いてる時期にはそんな曲はできなくて、飽きて忘れた頃に実(み)となって現れ出て来るのかもしれません。

梅雨(つゆ)の中休み。雨が上がった青空を見上げると、雲が分厚く、夏雲にもはやなって来ています。六月というのはよく考えると季節的には春ではなくてもう夏なのですね。ボサノバ、ライブでやるにはまたガットギターひっぱり出してきて練習しないといけない。音楽配信