ここ3回ほど、自分が何を考え、感じたりしてオリジナルの音楽を制作して来たか、本格的に語ってしまった。(笑)こうなれば、もう1回くらい書いてもいいかと思い、次、どの曲にしよう?と頭の中を整理して、そうか!「食事をしようセレナーデ」という曲の構造を紹介しようと企んだのだったが、あらためて鍵盤の前に座ってこの曲を検証してみると、前から思っていたのだが自分自身もよくわからない点が多々あることに気づいた。(笑)
違う、もっと簡単な曲の説明をしようかなとも思ったのだが、音楽というのは、学校の成績というものでは無いと言おうか、理屈ではなく、そこに正解は無い!悩んでいる自分がいるだけで、そうした自分の正直な姿をさらすことが、やっぱり一番、自分の曲を聴いてもらう動機(どうき)づけになるのではなかろうかと思い至ったのであった。
前回語ったように、ローリングストーンズのキースリチャードのように100%自分が理解できる音楽しかやらないのと同じように、美空ひばりが昔、唄った「リンゴ追分」の曲の途中でいきなりわけのわからない奇数小節が飛び出して来るのも、また同じ音楽なのだから。
頭の中で、まず最初にこの「食事をしようセレナーデ」を音楽的に説明しようと考えた要因はツーファイブ・ツーファイブだった。ツーファイブをまず説明しなければいけないと思う。ツーファイブとは、調性音楽の西洋音楽で一般的な進行であり、最も原点になっている進行、Ⅳ(サブドミナント)→Ⅴ7(ドミナント)→Ⅰ(トニック)のⅣ(サブドミナント)にベースのⅡの音を追加した進行で、Ⅱm7→Ⅴ7→Ⅰで、このⅡとⅤを取り、ツーファイブと呼ばれるジャズの最も基本進行となっている。
(楽器を演奏しない人や、ジャズに興味ない人ゴメンナサイ!今回もちょっと難しい話になってしまいました。これを最後に、しばらくはもう少し楽しい話をしようと思ってます。笑)
黒人にとってみれば、Ⅳ→Ⅴ7→Ⅰと行くよりもⅡm7→Ⅴ7→Ⅰと行った方が、自分の耳には自然に聞こえたのかもしれない。(笑)このⅡm7→Ⅴ7がジャズの基本だ。
そんなツーファイブジャズに革命を起こす人間も、ジャズは歴史があるので、出て来たりもする。それがジャズの大作曲家デュークエリントンなのか、その下で働いていた名前を忘れたが下請けの作曲家さんだったのかは詳しくないのでわからないが、どちらかがツーファイブ・ツーファイブという、それまで考えつかないコード進行での曲を創ったのであった。
ツーファイブ・ツーファイブとは名前の通り、ツーファイブとツーファイブを連続して続けるコード進行だ。なんだ!別に並べるだけなら誰でも考えつくじゃないか!と思われるかもしれないが、ツーファイブ・ツーファイブの本質は移調にある。曲の途中で調(スケール)が変わるのだ。こんな発想なかなかできない!頭の中でツーファイブ・ツーファイブと並べることは簡単だが、調(スケール)が移っているのに、さりげに唄うことができる!というのは音楽的には奇跡に近い!!なんで日本人はこういう発想ができないんだ!?とも凡人の私なんかは思ってしまうのだが、(笑)これが音楽というものである。(笑)
「食事をしようセレナーデ」は、このツーファイブ・ツーファイブを真似(まね)したつもりはなかったのだが、コード進行がDm7→G7→Em7→A7(DがⅡ、GがⅤ。EがⅡ、AがⅤ。のツーファイブ・ツーファイブ)になっていて、そこにテンションをかけた形になっている。知人のピアニストに”この曲、ツーファイブ・ツーファイブか!?”と指摘され初めて気づいたのであった。
気づいたのは良かったのだが、このDm7→G7→Em7→A7を自身で分析すると、上記で述べたようなデュークエリントンの曲(サテンドール)のように、調(スケール)が完全に移っていないのだ。どういうことなんだ!?自分が間違えていると思い、サテンドールと同じツーファイブ・ツーファイブの完全な移調で弾いたのだが、どこか違うのである。違う・・・・。この曲で自分が表現したいものではない。こう思ってしまったのであった。
そういえば、この「食事をしようセレナーデ」という曲はどこにキー(調)があるのかもわからないのである。おかしなもので、創った自分がわからないのだ。100%自分が理解できない曲はやらないとおぼしき世界のギタリスト、キースリチャードからは愛想をつかされそうだし、そんな曲を売ってるんじゃない!と、みなさんに怒られてしまいそうだが、自分の中では絶対にいい曲だという確信がある。ただ音楽的に説明できないだけだ。
この曲だけでなく、音楽理論(自分が今まで読んで来た理論上のことを言っているだけで、自分が知らないだけなのかもしれないが)上、説明できない自分の曲は多々ある。(笑)いや、たぶん音楽学校に行くと、先生からまず”そこは違っている!正解はこうだ!!”と、手直しされることになるに違いないと思っている。ただ、そんな手直しされた曲を、創った自分が聞いても”この曲はもう死んでいる・・・。”と思うに違いない。
「食事をしようセレナーデ」は頭の中でどうしてもテンションが要ると言っているので、ここまで複雑なテンションを表現するにはピアノで表現するしかないと弾き語りで唄っていたのだが、先日、リズムも入れて、ギターの伴奏も添えたバンドバージョンを完成させたのであった。そのバンドバージョンのギターではサテンドールと同じツーファイブ・ツーファイブの移調スケールで弾いているのだが、ピアノの方は相変わらず微妙にずれたテンションコードの方を弾いていることに今日気づいてしまった。
ただ鍵盤の前で検証してみると、両方重なっていても自分の頭の中では全然おかしくないのである。こちらの方が正しいと信じるしかもう道はないのだ。自分の人生にとって、生きる指標は、考える自分がいて、そんな先生や師匠と呼ばれる人たちから教えを乞うことでは無いのだ。ただ自分の考えが正しいということを客観的に証明できないだけだ。(笑)
そういえば、この「食事をしようセレナーデ」を自分で聴くと、セロニアス・モンクを思い出すのである。世界のジャズピアニストと自分の曲を一緒にしてはいけないのだろうが、モンクは有名になった後でも、音楽学校に通っていたということを本屋で立ち読みして知った。それだけ自分の曲でまだわけがわからないと思っていたところがあったから通っていたに違いない!と想像したのだが、私が大好きな「ラウンドミッドナイト」(モンクの代表曲)という曲は、たぶん彼がそんな音楽学校に行く前にすでに作曲されていたに違いないと信じるのであった。
音楽配信中。「食事をしようセレナ―デ」聴いてみませんか!?「YUKIO PIANO」4曲目です。いい曲です!!気に入ったらお買い上げいかがなものでしょうか?ぜひ!!聴いて下さい。