YUKIOストアはじめました

ギターとピアノ弾き語りで唄って来た曲のバンド化と言おうか完成形が、実は先日できあがった。全部で29曲ある。若い頃からずっと頭の奥でうごめいていた得体のしれないものが、とうとう目の前に現れたのだ。この唄たちが他人(ひと)に認められようが、認められまいが、唄を創った私にしてみれば、もう余り関係が無いと言おうか、この世に生まれて来た自分の心の叫びを自身で聞けたのだ。とりあえず肩の荷がおりた。もういつ死んでもいい。やるべきことはやった。

こんな感じで次の展開を今、いろいろ模索している。

それで手始めに、今まで創って来たアルバム作品をストリーミングやダウンロードといった音楽配信ではなくて、手元に持っているオリジナルCDをネット販売することにした。baseというネットショップ開設サイトのアカウントだけを以前から持っていたのだが、もう曲のミックスやマスタリングをしばらくはしなくてもいいので、その時間を利用して簡単にYUKIOストアというネットショップを作ってみた。

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こちらがYUKIOストアになっていて、過去の5つの作品「YUKIO」、「YUKIO PIANO」、「COCOLO」、「太陽」、「月」が買えることになっている。まあ、どうせ誰も買ってくれないだろうとは思っているのだが(笑)、あきらめちゃいけない。あきらめからは何もはじまらない。あきらめるとすべてが終わってしまう。

昔、ライブハウスかバーで一緒になった共演者の人に、”この人、自分の曲をいい曲だと自分で言ってるよ!普通そんなこと自身で言うかね!?”と、からかわれた事があるが、何を言ってるんだぁ!?

自分でいい曲だと信じない限りは、誰が信じてくれるんだ!!

そんな冷めたこと言ってるから、コピーだとか、どうしようもない曲しか創れないんじゃないか~!と思ってしまったことがある。(笑)ちなみにこの人は、ネットで特定されるようなことを余り書きたくはないのだが、世渡り上手な感じで、自分のライブに有名人や映画監督を呼んで、その名前のもとでたくさんお客さんを入れていた。(笑)たぶん、もの凄く自分のことを謙遜(けんそん)して、そうした有名人に取り入ったのだろうが、自分とすれば、そんなの関係ない!あくまで音楽勝負だ!と、この歳になって、いまだに、青くさいことを言っている。(笑)

あるいは、CDを売りに行った別の人には、”YUKIOさん、ずいぶん自分の作品を褒(ほ)めるね、もしかして自分好きっ子ちゃんなの?”と、からかわれたりもした。

バカヤロ〜!営業するとはそういう事だ。自信があるから営業に来てるんだ〜!

と、内心思いつつ、しっかり頭を垂れ下げて買ってもらったりもした。(笑)ちなみにこちらの人もCD何枚も続けて買ってもらったのだが、直近の「月」という作品を営業時に断られてしまった。断り文句が、自分は音楽に対してはうるさくて、気に入ったものしか買わないという。それは誰もがそうなのだと思うのだが、私が思うに買ってくれなかった原因は、前の作品を買ってくれた時に送料か消費税だったかを振込時に入ってなかったので、あらためて入れてもらったという経緯があって、それが気に食わなかったのだろうなと思っている。

こんな感じで今までの私の作品に対する熱い想いを今回は語ろうと思うのだ。

自分は、スマホは古いアイフォンを持っていて確かアイフォン7だったと思う。中古で買ったやつで、その前はアイフォン4 sをもう何年も使っていた。もはや5Gの時代、興味がそんなに無いと言ってしまえばそれまでなのだが、完全に時代遅れである。(笑)しかし、最低限世の中の動きはチェックするようにはしていて、自分の曲をスマホで聴いたりもする。すると、アイフォン 7で聴くとどうもおかしく聴こえるのだ。スマホだとL(左)+R(右)のステレオだけでなくて、上と下もある感じの4方面から音が出ている感じがして、マスタリング時、モニター用のスピーカーの前で、自分がこれでいい、これで他人様にも聴かせられると判断した完成形の音とは違うように聴こえるのだ。まだ4sの方が、多少は違っていたのだが、L+Rのステレオ感覚に近い感じになっていて、私が思い描いた音に近い音が出ていたような気がする。

このアイフォン7、上にも書いたように中古で買ったものだったので、スピーカーがどこか壊れているのかな?と思ってもいたのだが、他の人のアイフォン で自分の曲を聴けるわけでもなく、いまだに、このアイフォンが壊れているのか?それともアイフォン そのものが最新のものに変わるうちに音の出力の仕組みを変えたのかは、確認できないのであった。

ただ、アップルミュージックから先日メールが来ていて、アイフォンでバランスよく聴こえるようにするプラグインを作ったので、それを最新のLogic pro(私が使用しているアップルの音楽ソフト)で使ってみてくださいとのことだった。しかし残念なことに、私がLogicを入れているノートパソコンが古くて、最新のLogicにアップデートできないのでこちらの方も確認のしようが無いのであった。(笑)

スマホはアイフォン だけでなく、グーグルのアンドロイドもある。アンドロイドスマホの音がどういうものなのかもわからない。なにせ一人でやっているので、確かめようがないのだ。もう少し友達がいればな〜と思うのだが、、、。

しかし、アップルやグーグルを当(あ)てにしても仕方がない。子供の頃にはGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)なんてなくて、生きて来れたんだから、これからも生きていける!(笑)いっその事、スマホを外で鳴らす場合はモノラルにすればいいじゃないか!とも思ったりもする。(笑)

なぜ、こうしたスマホの音源の話をしたのかと言えば、ストリーミングやダウンロードの音楽配信で私の曲を聴いてもらった場合に、私がマスタリングして、これを聴いてもらいたいと思った最終形の音とは違っているのではないのだろうか?と心配するのであった。確認のしようがないのだ。

私が持っているアイフォン 7で「夜の海辺」を聴くと、フルアコで弾いている間奏のソロが全然聴こえなくなっていたりして、この音のバランスで他人(ひと)に聴いてもらいたいとは思わないのだが、確認のしようがない。

スマホだけでなく、パソコンからスピーカーにつなぐ人や、専門オーディオで聴く人など、今の時代、人それぞれ聴く環境が違っていて、どれで聴いてくれなんて、こちらから言える立場ではないのだが、私とすれば、スマホではなくてL+Rのステレオの前(スピーカー2つと自分がちょうど三角形になる感じ)で聴いていただくのが一番自分が聴いてもらいたい音の状態に近いのではなかろうかと思っている。

そうした環境で、精魂込めて何年間(いや、曲の思いつきから数えれば何十年)もかけて創ったのが私のオリジナルCDなのだ。ストリーミングやダウンロードで、からかい半分、おもしろ半分で1、2曲聴いてもらっても、自分のこれまで命がけで人生をかけて創って来た音楽の世界をわかってもらえるはずはなく、前も書いたと思うのだが、やはり作品全体を通して聴いてもらいたいというのが自分の希望なのである。

音質についても、もう少し述べたい。自分が最終形としているのが、CD規格のサンプルレート44100Hz、16bit、wavファイルにして最後アイチューンズに曲を並べて、それで納得がいくものが出来上がれば完成したということにしている。最近は24bit以上のハイレゾ音質なんてものまであるのだが、一番音質の劣る16bitで調整するのだ。16bitで調整しておけば、あとでいくらでも24bitで調整できるからだ。

このように曲の思いつきから、マスタリングの最後まで、一人ですべてを何十年もかけて創って来た。しかもジャケットデザインも8割がた自分でやっていたりなんかして、、、本当、自分もしつこいな。(笑)

この作品(CD)制作を何かの作業に例えようとするならば、窯元(かまもと)に近いのかもしれない。何百もの皿や瓶(びん)を丹精(たんせい)こめて自分のこの手で土を練り上げ、固めて、焼き終わった後は、気にくわないものは一つずつすべて壊していく、そして残ったものだけを自分の作品にする。気の遠くなるような時間と労力がかかっていたりするのだが、ただ時間をかけただけでは何の意味もないとも思っている。要は作品の質なのだ。過程に酔っては駄目だ。過程に自分がどれだけ努力してきたのかを語る他人(ひと)は死ぬほどいるのだが、、、というか日本の世の中みんなそんな感じになっていて、ついて行けないのだが、

前にテレビの散策番組で、浅草かどこかの江戸の彫り物店が紹介されていて、ある商品が100万円以上するのでレポーターが料金高い!どうしてこの商品だけこんなに高いのか?と尋ねたところ、店主が言うには、この商品はお手製で1年以上かかって製作されて出来上がって来ているからだと説明していた。

1年かけたものが100万円、、、、?

時間さえかければいいのか?と思ってしまった。自分とすれば、そんな1年どころか何十年もかけて創ったCDを1500円や2000円で売っていたりする。こんな安いものはないのに・・・、それでも高いと言われ、誰も聴いてくれない。この店主、甘いんじゃないかと思ってしまった。過程なんて、お客様にとってみればどうでもいいんだ!!お客様にとって一番大切なことは、それを必要としているかどうかだ!自己満足で料金をつけるんじゃない!!と思ってしまったのであった。(笑)スイマセン、、、

こんな誰も言ってはいけないことを言ってしまった自分ではあるが、(笑)自分のオリジナルCDを売るストアを作ったのである。(笑)馬鹿にしてくれ!笑ってくれ!無視してくれ!(笑)ただ音楽はそこら辺で聴けるものとはちょっと違うよ!気に入らなければ、それはお前さん、人生の肩書という音楽だけを聴いているんじゃないのかい!?(笑)どんどん過激になって行く。(笑)このままじゃ収拾(しゅうしゅう)がつかなくなるのでもう止めようと思う。ただこれだけは言いたい。作品を通して聴いて下さい。そんな1、2曲聴いてコイツの音楽は良いとか悪いとか、無料(ただ)なら聴いてあげるとか、評論家みたいに貧乏くさいこと言うのは、いずれそれはアナタの身に降りかかってくることでもあると思うからだ。

本当にお金のない人が自分の音楽を気に入ってくれて、聞きたいと言ってくれるなら、いくらでも無料(ただ)で、どこに行っても唄う!ただ今の時代、お金も十分あるのに、なんだかいろんな条件をつけてくる人がほとんどだ。音楽が良い悪いかの以前に、ものの良し悪しが何か別の次元、、、お金で語られているようなそんな気がしてたまらないのであった。(笑)

オリジナルソング。YUKIOストアはじめました。

聴いてください。YUKIOストア

音楽配信もやっています

静けさの中で

ホームセンターで安く買って来たCDラジカセが壊れてもう何ヶ月にもなる。昨年末に格安電話会社に替えた時に中古のスマホにしたのだが、今のスマホというのはイヤフォン端子が付いてなくて別途でワイヤレス・イヤフォンを買わなければいけないということを知らなかった。イヤフォンを付けずにそのまま外に音を出すしかないのだが、中古のせいかある一定のところの音が小さくしか出なくなっていてバランスがどうもおかしい。このスマホで音楽を聴きたくないと思ってしまい、仕方がないので替える前の電話もできなくなった古いスマホで聴いていたところそれも壊れてしまった。本格的に音楽を聴くにはパソコンにオーディオインターフェイスを繋(つな)ぎ、そこからさらにスピーカーを繋いで聴くしかないのだがもう面倒くさい。このような状況になってしまったので最近はもうほとんど音楽を聴かなくなってしまった。他人の音楽は聴いてはいないのだが、自分の音楽を創り上げる作業だけはなぜだか地道にやっている。(笑)

また昔からTVで歌番組はほとんど見て来なかったのだが、最近NHKの懐メロ番組にチャンネルを合わせるようになってしまった。演歌ばかりで自分の音楽とは関係がないと思いつつ、やっぱり歳をとると日本人はこうしたメロディーに哀愁を感じるのだと思わなくも無い気がしている。

こうした自分の他人(ひと)の音楽を聴くという姿勢に、ある一定の志向があったように前から薄々思っていた。それは誰もが若い頃年上のお兄さんやお姉さんにあこがれを持つのと同じように、自分は基本的に自分よりも年上の人の音楽を聴いて来ているのだ。自分の音楽に影響を与えたロックやブルース、ジャズ、レゲエミュージシャンなどは、自分が50代のいい歳になっているより更に上の世代なので、今やみんな亡くなって伝説化されているか或いは生きていても大御所と呼ばれ誰も批判できない評価の定まった人たちばかりなのである。

それに反して自分より年下のミュージシャンの音楽をどれだけ聴いて来たかと言うと・・・、名前を挙げられないのだ・・・。ミスターチルドレンやGReeeeNを聴いて来たわけでもないし、米津玄師を聴いているわけでもない・・・。宇多田ヒカルが流行ったのはもう10年以上前でそれすら聴いてない・・・。

若者を馬鹿にしている・・・!年功序列・・・!そんなつもりは無いのだが、客観的にみると若い頃で時間が止まっている。しかしポピュラー音楽そのものがいつの時代も若者のものでしかないのかもしれない。頭の中の脳ミソだけはいつまで経っても若い気分でいて、外見は白髪だらけの皺(しわ)だらけになってしまっている。

いつからだろうか?音楽をむさぼるように聴かなくなったのは・・・。若かりし頃、新しい流行りの音楽にいつもアンテナを張っていた。たぶん仕事が忙しくなった頃くらいから新しい音楽を買わなくなった。忙しさにかまけて音楽を諦めるのが嫌でライブだけは続けていた・・・。そのうち金儲けがこんなに面白いものだと思わなかったかのように夢中に働き、相手先と酒を酌み交わすようになった。周りは年上か同年代の人間ばかり、しかし50代となった今、気づくと周囲はみんな年下ばかりになっている、音楽はヒゲダンと呼ばれるバンドが最近は流行っているらしいが・・・興味は正直無い。しかしこの間も自分の音楽だけはああでもない、こうでもないと創り続けて来た。

新型コロナウィルスのおかげで、ライブを中断せざるを得なくなった。先日また一緒にやろうと誘われたりしたのだがまだ行っていない。とりあえずは音楽を聴ける環境が欲しい。昨日久しぶりにホームセンターで売っているラジカセを見て来たが、どうも欲しいものが見当たらない。来週は大型家電店にでも行ってみようか?それともまだこの音楽のない静けさの中で、朝、鳩(はと)の鳴き声や、夜、松虫の虫の音(ね)を聞いていた方がしあわせなのだろうか?

音楽配信中 作品「

メロディー

明日に向かって唄え!

日当たり良好。窓から日差しが眩(まぶ)しいくらいに差し込んで来る。長袖(ながそで)を羽織(はお)っていたのだが脱いでしまい、半袖(はんそで)になっている。

このブログを書くのも久しぶりだ。井の頭公園で休みに唄いに出て以来、時間が取れなくなってしまった。まあ、人気ブロガーになりたいわけでもないのでいいか。今は久しぶりに羽を伸ばしてモニターに向かっている。

何を書くにも今回は井の頭公園での体験を語るしかないのだろうな。ほとんど最近は休みになると1日中、日が暮れそうになるまで唄ってくる。先週は高円寺フェスの路上ライブもあって連続で唄ったりして休み明けには多少声が枯れたが、今はもう戻っている。

50過ぎてる大人のやることじゃないな。と、思いつつもたぶんずっと続けて行くのかもしれない。若い頃、自分の親を見て50代なんてずいぶん分別があって大人の顔をして世の中を語っていたように思うのだが、自分を顧(かえり)みてなんだこの様(ざま)は!?と思ってしまうのであった。

鏡(かがみ)だけを見れば、髪を染めてないので、50代半ばのおじさんがそこにいる。ただ気持ちはなんだろうか、大人の世界に憧(あこが)れていた子供の時のままだ。傍(はた)から観ると白髪だらけのおじさんが公園でわけのわからない唄をうたっているだけで、何のために生きているのかわからないのかもしれないが、自分とすれば幸せなのである。やっぱり自分は唄をうたっていたい。それをかみしめてしまった。

SNSでライブ配信してやろうと思いスマホで撮るのだが、なぜだか5分も持たない内に終了になってしまうので、最近使っている安い専用の小さいカメラで撮って家に帰ってから録画された動画を見たりする。自分の唄のチェックをするためだ。

ギターをジャカジャカ弾くだけなのだが、ギターを弾くことに注意が行ってしまい唄がどうも疎(おろそ)かになっていることに気づいた。自分の唄はあくまでも唄が中心であって、楽器を鳴らして聴かせたいわけではないことを再認識してしまった。たくさん唄うので歌詞帳を載せるために譜面台を立てているのだがやっぱりできるだけ歌詞は覚えて唄った方がいいと思った。井の頭公園で唄っている間に歌詞を全部覚えたいといおうか、体に覚え込ませたい。それがなんとなく自分の幸せ感のような気がする。

今週の土曜も唄いに行く。明日がどうなるかわからない日々が続くが、唄っている時だけはすべてを忘れて唄に集中していたい。音楽配信