温泉

コロナ感染者が最近東京ではまた連日200人を超える数になって来た。このままどんどん増えて行くことになるのだろうか?にもかかわらず政府は今月下旬よりGO TOトラベルキャンペーンを前倒しで実施するという。大丈夫なのだろうか?私が気にかけても仕方がないので今回は旅についてというか温泉について触れてみることにしよう。

やはり旅に温泉は付き物で温泉が嫌いな日本人はいないと思う。私も例外に漏れず温泉大好き人間でもある。最近は温泉に限らずどこに行ってもスーパー銭湯のようなものがあってそこでゆっくりするのもいい。中央線沿いに住んでる私は荻窪の老舗スーパー銭湯”湯とりあむ”の会員でもある。メンバーカードも持っているのだがさすがにこのコロナ禍行きたいとは思わなかった。

”湯とりあむ”以外にも行きたいなと思う東京のスーパー銭湯もたくさんあって、大江戸温泉物語だとか東京ドームの隣にある”ラクーア”とかサウナに入りながら松井(元プロ野球選手)のサイン入りバットをながめるのもいいかなと思ったりもして、コロナ感染の震源地になっている歌舞伎町のゴジラがビルの上で吠えている名前は何て言うのか忘れたが確か元コマ劇だった温泉施設にも1度は行ってみたいなとは思っている。

しかしながら旅に出る場合は、サービスの整ったそうしたスーパー銭湯に行くよりも本格的な温泉がいい。特にさびれた温泉が私の好みなのである。こうした趣向に目覚めたのは若い頃つげ義春の漫画が好きでそこでよくさびれた温泉宿が登場するからであった。そうした温泉宿の漫画ばかりを集めたつげさんの「リアリズムの宿」という漫画集があって、若い頃所有していた私の書物は引っ越し時にすべて売り払われたのだが、この本だけは手元に残して欲しいと家族に懇願し処分を逃れた漫画本でもある。未だに家のどこかに眠っている。(笑)

50年前につげさんがよく旅に出かけて入ったさびれた温泉宿といのは、コロナ禍前までの現代の観光ツーリズムの隆盛で今ではほとんど無くなってしまったと言っていい。秘湯と言ってももはや秘湯の名前がついてるだけの温泉なのだと思う。いざ行ってみると観光客がたくさんいたりなんかする。(笑)つげさんの漫画の中に出て来る地面から湧き上がる湯気の上で寝泊まりする東北のオンドル小屋につげさんになった気分で行ってみたことがある。秋田県の玉川温泉という田沢湖から1~2時間バスに乗ってたどり着く山深いところだ。漫画ではものすごいみすぼらしい施設で温泉の湯気の上にゴザをひいて横になったりしているのだが、現在では玉川温泉の手前に新玉川温泉という施設もできたりしていて意外に観光地のようにも見えた。しかし実際は温泉に来た人たちの会話を聞いているとみなさん病人で観光というよりも湯治に来ている感じであった。

温泉は屋内にある強酸性のヤケドするかも知れないから入り方に注意してくれと書いてあった総ヒバつくりの湯船と屋外に自然に湧き出る湯気の上に簡単な掘立小屋を建て、その下でゴザをひいて横になるオンドル温泉の二つがあって、このオンドル小屋に来たかったんだと思い最初にゴザをひいて周りの人たちと一緒にゴロリと横になってみた。真夏の季節で空が青かった。誰も会話しない。虻(あぶ)が何匹かいて刺されるかもしれないと怯えた記憶がある。1時間くらい横たわっただろうか、宿に戻って今度は総ヒバの湯船に入ってみた。泡が体にまとわりつく。今思えば玉川温泉は最近スーパー銭湯で流行っている岩盤浴や炭酸風呂の先駆けなのかもしれない。ただ温泉というよりはここは湯治場なのである。自分たちで自炊する宿舎と宿が出してくれて料理を食べる宿舎とに分かれていて、私は出された料理を翌朝1回だけ食べて帰って来たのだが1ヶ月くらい自炊でここに寝泊まりすれば知り合いもできるのかなと思ったりもした。お客さんの中には違う温泉で知り合った顔見知りの人が偶然またここで出会った感じで湯上りに気軽に会話している人たちもいた。

また部屋にはテレビがなく、何もすることがないので夜ずっとストレッチをしていた。朝、窓を開けるとそこは新緑の森で庇(ひさし)の下には燕(つばめ)が巣をつくっていた。燕の巣をみるのもいつぶりだろうか?と思ったものである。

このようにつげさんほどではないが自分なりにさびれた温泉を楽しむことができた。”さびれた温泉”という言葉を玉川温泉の人が聞いたら目を引(ひ)ん剝(む)いて怒るかもしれない。(笑)どうやら玉川温泉は知る人ぞ知る湯治場のようだ。病院から治しようのないと言われた重病の人たちが藁(わら)をもすがる感じで訪れるところで私のようなチャラチャラした人間が行くべき場所ではなかったのかもしれない。もう結構時間が経つが何年か前には冬に屋外のオンドル小屋が雪崩(なだれ)に巻き込まれ死人まで出たとニュースでやっていた。山奥の湯治場なのだ。

これとは別に東北の有名な湯治場に連れて行ってもらったことがある。酸ヶ湯というところでよくテレビニュースの冬の天気予報で積雪量が今何メートルに達しているといった話題で必ず出て来る温泉だ。雪中行軍(せっちゅうこうぐん)で軍人がみんな遭難死までしてしまった八甲田山の山深いところにあるのだが、私が連れられて温泉に入ったのはこれも夏だった。

宿舎も木造りのさびれた感じで私好み、何にも知らされずに脱衣所で服を脱いで階段を下りて行った高い天井の下の湯船はなんと混浴になっていて硫黄の臭いが鼻にまでつく。湯の色は黒く濁っていて入ると体が見えなくなってしまう。なるほどこれであれば男女気にすることもないのだろうが、見渡すと湯につかっているのはおばあちゃんばかり(笑)、ひとりだけ若い女の子が前を隠して入って来たと思うと周りの男のギラギラとした視線がその子に集中しているではないか。セクシャルハラスメントのニュースが毎日のように報じられる現代においてまさか優雅にこんな混浴の温泉に入れるとは思ってもいなかった私は酸ヶ湯の異常なくらい硫黄臭い濁った湯と千人風呂といわれるだだっ広い空間がすっかりお気に入りの場所となったのである。(笑)

こんな酸ヶ湯も明治時代は雪山で徒歩で行くのに遭難するくらいだったのだろうが、現代では青森空港からバスで1時間くらいで行けたりする。冬にもバスが出ていると聞いた。私が行ったのはもう10年以上前なのだがその時はもうすでに秘湯ということでもなかった。宿舎の前は大きな駐車場があってお土産売り場には人がたくさん買い物をしていたりしていた。ただなんとなく形だけでもつげさんの気分を味わえたと思っている。

温泉はこの玉川温泉、酸ヶ湯だけでなく他にいろいろ行ったことはあるのだが、やはり私にとってみればこの2つの温泉経験が特別の体験になっている。東北出身のある人に聞いたのだが東北の温泉だけは温泉一つに宿も一つだけで、ほかの地方に行くと一つの温泉の周りに宿がたくさんあるということらしく、そういえば熱海にしろ草津にしろホテルがたくさん建っている。

そう考えると東北の温泉にあともう一か所だけ行きたいところがあって、鶴の湯という温泉に行きたいのだった。秋田の温泉で、鶴の湯も混浴になっているのだが、湯の色が酸ヶ湯と違って白濁色になっている。酸ヶ湯と鶴の湯が昔からある東北地方の人間が畑作業の休閑期に訪れる湯治場なのだと言う。そんな話を聞くとますます行きたくなってしまう。座敷に名人初代高橋竹山(たかはしちくざん)を招き入れて三味線を弾いてもらったりして、、、ありもしない贅沢な妙な妄想をしてしまう。。。(笑)上の話をしてくれた人は竹山(ちくざん)の生演奏を昔、子供の頃じいさまの膝の上で聴いているとのこと、吉幾三(よしいくぞう)もそうらしい。羨(うらや)ましい限りだ。

温泉について語ってしまったが、そうした東北の温泉経験とは違った私の「温泉」という曲がある。こちらは酸ヶ湯、鶴の湯というよりは箱根、草津と言ったイメージであろうか、湯気が立ち上る湯船に一人、旅の疲れを癒(いや)すようにつかり、湯上りにはタオルを首に巻き浴衣(ゆかた)姿で廊下の赤じゅうたんの上をスリッパをペタペタ鳴らして、部屋に帰れば贅沢なご膳が待っているという典型的な日本の温泉宿姿をちょっと洒落た感じで表現しようと企んだ唄だ。ジャズ風になっていて風呂上りのリラックス感を出すために猛烈にリバーブ(浴槽内で唄うとエコーがかかるようなもの)をかけたり、声量を意識的に落として録音したりもした私自身のオリジナルの温泉唄だ。この文章を読んで興味が湧いてくるようであれば是非お聴き願えればと思う。

今後GO TOキャンペーンが盛り上がるのかどうなのかはわからないが、たまには旅に出るのもいい。すべてを忘れて湯につかってのんびりしたいというのが温泉の魅力のひとつような気がする。

音楽配信中 「温泉」作品COCOLO 12曲目です。

出来の悪い「温泉」ライブ

OLD-SCHOOLの少年

友達が欲しいよ」という自分の曲があって今回創った「月」という作品の8曲目に入っている。唄の内容は歳(とし)をとるごとにみんな仕事や子育てに追われて、子供の頃いた友達なんてすっかり忘れちゃって友達が欲しいよ~!という曲だ。30代の頃に発想したもので当時、仕事が忙しくなりそれまで子供の頃から暇さえあれば聴いて来た好きな音楽を聴く時間もやる時間も無くなってしまったという焦(あせ)りの中で生活していた思い出がある。その中の歌詞の一部分が”今じゃ新聞、経済面から読み始める自分がいる・・・”という件(くだり)があったりする。

また「世界はひとつ」という「COCOLO」という作品の中に入っている曲の冒頭では”キミたちは満員電車に乗って死んでいけばいい・・・”と他人の目も気にせず過激に唄っていたりもする。(笑)

この2曲の歌詞の中の”新聞”と”満員電車”という言葉が、自分とすれば今さら変更するつもりは無いのだが、世の中で使われなくなるかもしれないと最近は思っていたりなんかする。

もはや若者は新聞を読まないのだと言う。必要な情報はすべてはスマホから仕入れているのか、前に中華屋の隣で食べていた若者二人が新聞を読まないことをなんだか自慢していた。数年前に行ったライブバーの誰もが参加できるオープンマイクでは女の子が”友がフェイスブックで格好いいこと載せている~♪けど私はついていけない~♪”とかなんとか、うる覚えだが悩みをこんな感じで歌っていて、流行りに敏感な若者にとってはSNSは何を使うのか悩んでいても、その中の選択肢に手紙や新聞は無いのだ。通勤ラッシュの満員電車でも昔は周りに邪魔にならないように新聞を半分に折って読んでいるおじさん達がたくさんいたが今ではそんなにいなくなっているような気がする。

そしてその満員電車も今回のコロナ騒動では一番感染の危険があるということで、会社員の人達もほとんどテレワークになり自宅待機になったので、最近乗ってはいないのだがたぶん解消されているのではなかろうか。あれだけ行政が通勤時間をずらして下さいと言って満員電車を解消しよとしてもできなかったものが、今回の騒動では命がかかっているのでみなさんおとなしく聞いているのだろう。(笑)騒動が終わった後もテレワークで仕事が成立するのであれば電車通勤なんて要らない。そう思うと今後満員電車は無くなるのかもしれないと思ってしまった。

なんでこんな話をしたかと言うと、先日創った作品「月」の中の1曲「藤の花」という曲を誰か聴いてくれないかとプロモーション活動に最近は勤(いそ)しんでいて、その内の一つに海外にsubmit hubというサイトがあって、そこに登録しているアメリカやヨーロッパのレコードレーベルとかspotifyやインスタグラムにフォロワーがいっぱいいる今で言うインフルエンサー(世の中に影響力がある人)の人達に向けて自分の曲を彼らのブログやプレイリストに取り上げてくれないかと送りつけていたりする。(笑)当然相手にされないのだが、ようやくひとつ返事が返って来たと思ったら

You have potential in your voice, but music is a little bit too old-school as for me.

と書いてあった。”OLD-SCHOOL”…”オールドスクール”とは、、、純粋な日本人である私は

古い学校??????

と最初、素直に直訳して思ったのだが、”TOO”が前についているので”古い学校過ぎる!”とは、、、何か嫌な予感がして念のためグーグルで調べると、案の定

時代遅れ~!!!!!!!!!

という意味なのであった。(笑)

この外人何を好き勝手ほざきやがって~、と悔し涙を部屋の中で一人寂しく、コロナのおかげで外にも出れないので流したのである。

確かにもう何年もポップスやロックやジャズを聴かず、クラシックやデューク・エリントン、マイルス・ディビス、高橋竹山を聴いて来た・・・。ヨーロッパの方で流行っている無料の音楽サイトsound cloudのフォロワーがたくさんついてる曲とか聴くと本当にお洒落で格好よくできている・・・。しかし・・・、しかしだな”時代遅れ”と言うのは若者が年寄りに向けて馬鹿にする言葉である。自分は知らない内にもうイケてない大人なってしまったのか~!と途方に暮れるのだが、こういう蔑視(べっし)する言葉はこの外人に限らず日本人の音楽関係者からも昔から言いたい放題言われて来たので意外に立ち直りも早かったりする。(笑)

ただ、”OLD-SCHOOL”と言われて自分の唄を客観的にみると、”新聞”や”満員電車”といった上記のように若い頃創った歌詞の中の言葉がもはや今の時代や今後訪(おとず)れるであろう未来に合わなくなって来ているのも事実だ。そこがちょっと引っかかったので今回このブログで取り上げてみたのである。

”OLD-SCHOOL”のグーグル検索ページを更に下の方にスクロールすると、「古いけど魅力的」という前向きな意味もあると書いてあった。古いからこそオリジナリティがあり、歴史も感じられ趣(おもむき)があるという。音楽ソフトのサンプリング音の中にも”OLD-SCHOOL”というジャンルがあったように思う。悪い意味で使われる言葉でも無いようだ。

スティービー・ワンダーが歳をとってから創った曲に「new」という曲があって英語で何を唄っているのかわからなかったのだが、なんとなく”周りはもう自分の唄を古臭いとヒソヒソと言うのだが、違う、オレはまだ新しいん(new)だ!”という意味で自分の中で勝手に解釈していた。(笑)その気持ちが今回わかった。

当然と言えば当然なのだが、いくら自分の曲を送りつけても他の外人たちは返答も無く全く無反応で、この外人だけがメールを送って来てくれたので実はとてもいい奴(やつ)なのかもしれない。この曲のアタマ出しをちょこっとだけ聴いた素直な感想なのだろう。しかしこの風に負けたくない。自分の曲は”OLD-SCHOOL”なんかじゃない!自分の唄にはまだ可能性があると信じている。笑いたければ笑ってくれ。

若かりし頃、みんな永遠の青年だった。周りは”満員電車”に乗るような大人になりたくないと随分大人を軽蔑(けいべつ)していた。しかしほとんどの人間がそうした”満員電車”に乗る大人になって行った。そしてそうした奴に限って歳をとった今、若者に向かってため息をつきながらこう諭(さと)すのだ

昔はこうじゃなかった、最近の若い者は・・・

と。

「世界はひとつ」、作品「COCOLO」の中の5曲目です

音楽配信やってます。ぜひ聴いて下さい。

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