十六夜

昨夜、暑くてビールを家で飲み干してしまい、久しぶりにコンビニに出かけた。小さいビールを1本と家族のお土産(みやげ)にアイスモナカだけを買おうとしたのだが、レジの前で並んでしまい、結局は横の棚(たな)に並べられていたツマミの煎餅(せんべい)も買ってしまった。コンビニのマーケティングの餌食(えじき)になってるなと思うのだが、 致し方なくこれも人生と諦(あきら)め、夜道をトボトボ歩いて帰って来たのだった。

帰りの道から眺(なが)める夜空には、綺麗(きれい)な真ん丸のお月様が雲から出たり入ったりしていた。そうか、前の晩が十五夜だったのか!?まるでクリスマスが過ぎたケーキを誰も食べないように、1日遅れた月はいくら綺麗でも誰も見てはいない。人の不思議な風習に疑問を感じながら、そういえば十五夜に合わせてグーグルに広告を出した前々回参照)な、その結果報告をしなければいけないと、なぜか月を見ながら思ってしまった。

結果から最初に言うと、この広告に反応して自分の音楽をダウンロードしてくれた人は誰もいなかった。それはそうだろう!と思われるかもしれない。自分としても期待していたわけではなかった。ただグーグルアドワーズに残る数字をこのブログを書くことによって冷静に分析したいのだ。

今回の予算は1万円ほどと決めていた。たぶんドブに捨てることになるだろうということはわかっていたのだが、次のステップに行くにはやるしかないと思ったのだ。9/1からはじめ9/21に終わるように自動設定した。最初は1日300円の予算から始めたのだが、動きが無く、本当に広告掲載がされているのか怪しいと思ったのでグーグルにTELして確認すると、予算が300円だと反応しませんよ、せめて1000円からにしてください!と電話口の向こうにいる営業っぽい女の子から笑われてしまった。いや、まえやった時は300円からでも反応しましたよ!と反論もしたのだが、しかたなく最初は1000円に上げると次の日から数字が動き出し、また300円に戻したのだった。(笑)

9/10過ぎに300円を500円に引き上げた。動く数字は微々たるものだ。20日手前の最後の3日間だけ1日1000円に上げてみたのだった。

21日間の合計内訳を言うと、クリック数51 、表示回数2050、平均クリック単価¥185、費用¥9,450 というものだった。

この数字でアルバム「月」2000円をダウンロードで買って貰えるはずがない。たぶんクリック数が最低1000くらい無いと、現実的には厳しいと思うのだ。今回の費用1万円弱をペイするには、5人からアルバムをダウンロードしてもらわなければいけない。どう考えても採算が合うはずがないと最初からわかっていたはずだ。

ただ今回広告を打ったおかげでわかったこともある。クリックしてくれた2/3くらいは、私が想像した通り女性なのだ。しかし思ってもみなかったことはけっこう年配の方が多かったということである。ここが誤算だった。音楽ダウンロードなんてたぶん年配の女性はやらない。若い子じゃないとやらないと思うのだ。ネット世界が始まったのは確か2000年手前くらいなので、デジタル世代でダウンロード当たり前というのは30手前くらいまでなのだと予測する。グーグル広告には確か年齢別にしぼって出稿する手法はなかったと思うので、次やる場合はそうした機能があるインスタグラムで30までの女性にしぼってやった方が確率が上がるような気がする。ただ自分の音楽が若い子向けというのは問題があるような気もするのだが・・・。しかし、自称白髪アイドル(白髪アイドルとしてのマーケティング戦術)でもある。(笑)

1年後の十五夜に向けて、インスタグラムで広告を打つチャレンジをしてみてもいいかもしれない。ただ動画を作るのが面倒臭いよ~。もともとスマホを身に着けて、あっち行ったりこっち行ったりする人間じゃないので、昨夜も、雲から出て来た綺麗な月を撮影しようと思ったのだが、スマホを持ち歩く習慣がないので諦めて家に帰って来たのであった。(笑)十六夜という言葉があるのかどうなのかわからないが、夜空の月をみながら、いろいろなことを考えながら歩いたのだった。

音楽配信中です。気に入ったらダウンロードいかがなものでしょうか?作品を通して聴いていただくのがお勧(すす)めです。

「月」ライブ

月見

9月に入った。気づけばもう10日過ぎ、最近はまた蒸し暑いが8月ほどのこともなく、どこか空気が冷たく秋の気配が漂い始めている。これからだんだん冬に向かって行くのだろう。

ちょうど、この夏と秋の境目(さかいめ)に毎年、お月見のイベントがやって来る。ススキと団子をお供(そな)え物にして満月を愛(め)でるという十五夜のイベントだ。今年は9月の21日らしい。

最近は十五夜以外にも、スーパームーンとかいうものまであったりして、その違いがよくわからない。(笑)検索で調べると関連ページが出て来たりもするのだが、なんだか読む気にもなれなくて・・・、まあ今年の中秋の名月は9月21日ということでいいではないか。

実はこの9月21日に向けて、ウエブ上である仕掛けをしてみた。コロナが流行し始めた頃に作った「月」というアルバム作品のPRに、グーグルに広告を出しているのだ。(笑)

9月21日、十五夜を最終日に、”お月見”、”十五夜”、”中秋の名月”の3ワードを買って、そのページに”月を愛でながら聴く音楽/日本語のオリジナルソウル/YUKIOと一緒に唄おう”というキャッチコピーをつけて、アルバム「月」の各曲をダウンロードできるtunecoreのページにリンクを貼ってアドワーズの広告を出している。サブタイトルに、”十五夜のお月見のお供に!中秋の名月にはこのアルバムで決まり!”とか、なんとか付けていたりもする。(笑)

この広告を出すことによって、目に見える形で作品「月」が売れるとは思ってはいないのだが、自分が今かけられる予算の範囲内でやるべきことはやってみようと思ったのだ。

「月」を作った時には、その中の「藤の花」という曲を別にストリーミングでもきけるように別途配信して、ウエブ上のランディングページと言われるチラシを作って、そのページに誘導するようにグーグルにも今回同様の広告を打ったことがあるのだが、今回はランディングページを通すことなく、直接「月」のダウンロードページに飛ばすようにした。このtunecoreのページから、各音楽配信サイトのページに飛んで行ける形になっている。

「藤の花」の場合、藤(ふじ)の季節がゴールデンウイーク頃なので、その手前の4月後半に広告を出してみたのだが、終わりが曖昧と言おうか、いつからいつまでという期間が決まっていなかった。今回は十五夜ということで、9月21日までとはっきりしている。季節もので勝負というやつだ。

テレビでも、最近はマクドナルドやケンタッキーが十五夜に向けて、目玉焼きを挟んだ月見バーガーを前面に売り出しているCMをよく見かけるようになった。十五夜は国内では一大商戦なのだ。(笑)日本人にとってこの季節、月を愛(め)でるということは昔ながらの風習なのだろう。

特にこの季節の月見というのは、女の人の方が興味を持つもののような気もする。男はあまり、月だ!月だ!と騒いだりしない。ラテン語の名残(なごり)があるフランス語やスペイン語にしても、月や海は女性名詞だ。

この私が創った10曲入り「月」最後の曲、この作品と同じタイトル名となる「月」という曲の作成時の思い出を語りたい。この曲が思い立ったのは、昔、若い頃、この夏から秋にかけての季節に健康診断を受けて、初めて検査に引っかかった時だった。何の症状もないのに、まさか自分が再検査になるとは思っていなくて、いきなり自分の人生が真っ暗になったような気がしたのだった。もう自分は駄目なのかもしれない・・・と、そう感じた時、自分は無意識の内に心の中で母親を叫んでいた。街の中で母親を叫んでいたのだ。

太平洋戦争の末期に、戦場にかり出された若い兵隊さん達は最後逃げ場がなくなって、もうどうしようもなくなった時に、”天皇陛下バンザイ!”と言って自爆していったわけでなく、母親の名前を叫びながら死んでいったという話を聞いたことがある。その時の自分はまさにこんな気分だった。自分の人生が終わると悟った時、男は常日頃いくら強気な言葉を発しようと、最後はやさしかった自分の母親を想うのかもしれない。

そうした気分を子供の頃、母親と一緒に屋根に上って眺めた十五夜の思い出と重ね合わせて、この「月」という唄を創ったのだった。頭が仕事ばかりに行っていて、全然曲ができない時期だったのだが、不思議とメロディーが頭に浮かんだのであった。

こんな「月」という曲、今年の十五夜のお供にいかがですか?曇り空でなく綺麗な夜空の中で、餅つきしているウサギの満月を見れればいいな。天気予報はどうなっているのだろう?

音楽配信中

フロイトが夢の中で聞いたメロディー

ある曲のミックス・マスタリング作業をやっていて完全に行き詰ってしまった。何をやっても上手(うま)くいかない。自分の思い描いた像がそこにあるのだが、届かないのだ。簡単に済むと思っていたはずが、もう1週間くらい停滞(ていたい)してしまった。頭の中ではドラマや映画のように次から次へと作業がはかどっていくのだが、現実は遅々(ちち)として進まない。(笑)しかしながら、こういうことはよくある話で、何度も経験して来ている。こういう時は一旦(いったん)現場を離(はな)れるに限る。

ということで、このブログに向かってしまった。(笑)さて、何を書こう?今日も窓からそそぐ外の日差しはまぶしいぞ!

最近は暖かくなったので、また読書を再開した。寒いと自分は読書しないのだ。(笑)なぜだかと言うと、寝る前に布団の上に横になって本を読んで、睡魔(すいま)が襲ってきたら、本を閉じ、灯(あか)りを消して寝るという習慣になっていて、寒い季節だと体が冷えちゃって、読む気が、つい、しなくなってしまうのだった。手がかじかみながら本を読むのも辛(つら)いよ~。(笑)暖房つけて読めばいいじゃないか!と言われてしまいそうだが、暖房つけて、布団(ふとん)にくるまって時間を過ごすと体が温(あたた)まりすぎちゃって、眠れなくなってしまうのだ。多少、寒いかなと思うくらいに布団に潜(もぐ)り込んで、体が温まって自然と寝てしまうというのが、自分にとってはベストで、布団がその日、干してあればさらに快適に眠れるのであった。(笑)

寝る前に読む本はまちまちなのだが、やはり内容が難しい本を読むほど眠気(ねむけ)が襲(おそ)ってくる速度も速くなる。(笑)※ダーウィンの「種の起源」を読んでいた時には、読み始めて10分もたたないうちに眠くなって、布団にくるまってあっという間に寝てしまうという期間が何ヶ月も続いた。(笑)早くこの本を読み終えようとするのだが、眠くなるのは早いし、そうした難しい本に限って内容も膨大(ぼうだい)にあって、「種の起源」も「上」、「下」の2巻に分かれていたりなんかして、読み終えるのに半年くらいかかったと記憶している。(笑)

※ダーウィン「種の起源」・・・詳しくはウイキペディア

最近また読み始めたのも、「種の起源」に負けず劣(おと)らず難しい本で、※フロイトの「夢判断」という文庫本を読んでいる。「夢判断」も「上」、「下」2巻に分かれていて膨大な量なのだが、実は1回読み終えていて、あまりにも内容が難しいので、もう1回読んでみるかと、再度読み返している途中なのであった。「下」巻の最後1/4くらいのところで、冬になり止(と)まっていたのだが、暖かくなったのでまた読書を再開させたのであった。

※フロイト「夢判断」・・・詳しくはウイキペディア

なんで、フロイトの「夢判断」なんて、こんな小難しい本を読み始めたかと言うと、私の「月」という作品の最後から2曲目に「メロディー」という曲があって、この曲は曲名どおり一つのメロディーだけを延々繰り返す仕掛けになっていて、そのメロディーというのは、実は自分が寝ている時に思い浮かんだメロディーで、その時に夢を見ていたかどうかはわからないのだが、なぜか起きた後も覚えていて、そのメロディーに歌詞をつけただけの曲になっている。そんな寝ている夢の中で、メロディーを作るという人為的(じんいてき)作業が本当に行われたのだろうか?と自分自身の心の中に、疑心暗鬼(ぎしんあんき)があって、じゃあ1回フロイトの「夢判断」を、文庫本が本屋に置いてあったので読んでみようかと手に取ったのであった。

読んでみると、案(あん)の定(じょう)むずかしい本で、何を言っているのかさっぱりわからない。ただ1回読んでわかったのは、夢というのはフロイトが言うに、その人の願望充足(がんぼうじゅうそく)らしい。

願望充足(がんぼうじゅうそく)・・・。

もう少し、こんな難しい訳語ではなくて、もっとわかりやすい言葉でもないのかよ!?とも思うのだが、検索してみると、

願望充足とは、願望を空想上で達成する心理状態のことです。 夢やヒステリー、神経症の症状、幻覚は象徴的な願望充足です。

と、ある。その人の願いや望みを空想上でかなえるために夢をみるのだという。そんな馬鹿(ばか)な!わけのわからない夢などいっぱいあるし、願望充足のはずはないじゃないか!?と、みなさん思われるかもしれないが、フロイトはそうした反論を、夢に表(あらわ)れる現象というのは、いろいろな二次加工(にじかこう)がされていて、真実はその奥に隠されていると主張して、ひとつひとつ証拠(しょうこ)を示して論破(ろんぱ)していくのであった。

また「夢判断」の特長として、「夢」という曖昧(あいまい)なものを、証拠を示して、論理(ろんり)立てて解明していこうとするところが、東洋人の私としては、この本がものすごく白人ぽいと言おうか、西洋文明を感じるのであった。

コロナ禍の東京オリンピックが開かれるかどうかは科学の証明がないといけないと、アメリカのバイデン大統領は表明しているが、「夢」の解明を、できるだけ客観的に、まるで科学に基づくかのように論を語(かた)るフロイトは、占いや運勢を信じる人たちが語るロマンチックな夢解釈とは、ちょっと違った思考回路を持っていて、はたしてこの考えが正しいのかどうなのかは今の自分にはわからないが、この本が世界中で読まれ、この本によって精神分析がおこなわれ、心の病(やまい)から救われた人たちもたくさんいたからこそ有名になったわけでもあるのだろうし、相当な部分で当たっているのだろう。

この本が出たのは100年前の20世紀初頭で、精神分析のもはや古典書物なのだと思うが、現在の精神分析とはもっと進んでいると言おうか、どのような論を展開(てんかい)させているのだろうか?たぶんもっと細分化(さいぶんか)されているのだろうな。もうこうした本を読むことはないのだろうが、ふと、そう思った。テレビのニュースで精神分析医が人は誰でも人生に一度は鬱(うつ)になる期間があるということがわかって来たと言っていた。もう、21世紀はすごい世の中なりそうだ。(笑)

ちなみに、この私の「メロディー」という曲の歌詞作成時に、最初は”喜びのメロディー”と”悲しみのメロディー”の2つ言葉を使っていたのだが、”悲しみのメロディー”は消して、”喜びのメロディー”に統一した。なぜだろう?自分でもわからない。

けど、夢の中で聞こえるメロディーは”悲しみ”であってはいけない、”喜び”であってほしい!と自分の心が願っている気がして、、、フロイトが言う”夢とは願望充足(がんぼうじゅうそく)である。”と言うのは、あながち間違いではない気が最近はなんとなくしている。

最後に、繰り返されるこの通り一遍(いっぺん)等(とう)のメロディーが終わって、想像外のラップが始まるという展開がこの曲には待ち受けていて、(笑)ぜひ、このラップも聴いてもらえればなと思っているのだが、誰も聴いてくれない。(笑)

tunecoreが、コロナ禍特別企画として3年間無料配信サービスをすると言うので、それを利用してこの曲をストリーミングでも配信している。配信時に、プロモーションの動画をどうしよう?と思い、ラップで最後”宇宙にもどる、もどるだけ~”と何度も繰り返しているので、ゆっくり宇宙が動く動画を作成してみたのだが、誰も見てくれない。(笑)確かに退屈な動画だ。(笑)

ただ、ユーチューブなんかを見ると単純な動作だけがある音楽動画に何万回の視聴がついていたりして、それを真似(まね)したつもりだったのだが、うまく行かない。やはりフォロワー数とかは裏に何かあるような気がするのだが・・・。それは置いておいて、

とりあえずは、この「メロデイー」という曲を聴いてみないかい?作品「月」の中、9曲目。あるいは、ストリーミングでも配信中です!気に入ったら買ってください。よろしくお願いします。

音楽配信

「メロディー」動画。星が実は徐々に動いて行くのであります。(笑)