2回目の緊急事態宣言が出てから数日たつ。毎週土曜日午後には阿佐ヶ谷の喫茶店にクラシック音楽を聴きに行くのだが、さすがに今回はためらった。その割には昨日、日曜午後には中野の街をプラプラ散歩してしまった。街は若者が多く、あまり年配の方は見かけなかった。だんだん新型コロナの実態がわかって来て、若者はコロナにかかっても自分の命は取られないと、もう感じているのだ。前回に比べて規制がゆるいので街中の雰囲気も穏(おだ)やかである。
また家の中で巣ごもりということになるのだろうか?感染者数はウナギのぼりでさらに明日以降も増えることになるだろう。こんな時は読書するに限る!と言いたいところなのだが、先週自分の何十曲もあるオリジナルソングの最後の唄入れ、ハモりの部分とかを近所の音楽スタジオに行って録音することに夢中になってしまい、仕事を完全に放り出してしまって、しばらくはそちらを優先しないといけない。家の中で1日中ボーッと本を読んでるわけにはいかないのだ。(笑)
確か前回の緊急事態宣言の時には、昔、楽しく読ませてもらった昭和の大作家、司馬遼太郎(しばりょうたろう)さんの時代小説について語った気がするが、今回は司馬さん以外の時代小説の話をしてみよう。
紹介したいのは、池波正太郎(いけなみしょうたろう)さんと藤沢周平(ふじさわしゅうへい)さんという二人の時代小説の作家さんで、司馬さんに負けず劣らず、この二人の小説も前に自分はよく読んだのだった。今更、私が紹介するまでもなく、どちらも超有名で、みなさんの方がよくご存知なのでしょうが、知らない方もいると思い、あえて笑われるのもかえりみず、ご紹介したいというか、二人の時代小説を自分が語りたいだけなのですよね。(笑)
有名政治評論家の田原総一郎さんが言うには、”3人の歴史小説は各々(おのおの)設定が違っている。司馬遼太郎は歴史に残る選ばれた大人物(だいじんぶつ)を取り上げ、池波正太郎は中間管理職、藤沢周平は名もなき市井(しせい)の人物を物語の主人公にするのだ。”と。ウ〜ム、深いではないか。さすが田原さん!
池波正太郎の代表作は何と言っても、昔、テレビドラマでも連載した「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」で、火事と喧嘩(けんか)が華(はな)の大江戸(おおえど)、深夜、丑三つ時(うしみつどき)、今で言う午前2時〜2時30分ころ、なんとか問屋に大泥棒が入り、何万両という大金が盗まれ、無残にもその問屋主人以下、家族もろとも全員殺害されてしまった事件が続発していた江戸時代、その大泥棒を捕らえようと火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)という組織が幕府によって結成され、その組長(くみちょう)さんが長谷川平蔵(はせがわへいぞう)という人物で、取り締まりは激烈を極め、皆がその長谷川平蔵を、鬼の平蔵、”鬼平(おにへい)”と呼ぶようになったのである。かっこいい〜!(笑)
テレビドラマでは、鬼平こと長谷川平蔵を歌舞伎役者の中村吉右衛門(なかむらきちえもん)さんが演じているのだが、これがまた陰影(いんえい)のある芝居で、渋(しぶ)いのである。最近はテレビで時代劇などやらなくなってしまったので、今の若い人は知らないのかもしれないが、私くらいの年代だと「鬼平犯科帳」は誰でも知っているというか、「遠山の金さん」、「大岡越前」、「水戸黄門」に次ぐくらいの人気があったと思う。ただ、ワンパターンで事件を解決していく「遠山の金さん」や「水戸黄門」に比べて「鬼平」はストーリーが複雑で、その分、視聴率がとれなかったといおうか、その分、大人向けの時代劇だったような気がする。
大泥棒を裏切って鬼平方(がた)に寝返り、何くわぬ顔で大泥棒の内情を探る密偵(スパイ)を”犬(イヌ)”と言った。女との情事も次から次へと出てくる。原作は何十巻にも上り、余りに膨大な量なので全部は読んでないのだが、10巻手前くらいまで、外出もせず、何もしないお正月楽しく読ませてもらったのであった。
それともう一つ、池波さんの代表作と言えば「剣客商売(けんきゃくしょうばい)」だろう。江戸時代中期、隠居(いんきょ)した老人の剣客が老中(ろうじゅう)田沼意次(たぬまおきつぐ)のもと、息子や40歳年下の元々はこの家に奉公(ほうこう)でやって来た若い女に手をつけてしまい、めとった妻と共に難事件を解決していく。テレビドラマにもなっていて、何年か前の最新のやつをちらっと見たところ、この隠居に出入りする腕自慢の女剣士、佐々木三冬(ささきみふゆ)を渡辺謙の娘の杏(あん)ちゃんが演じていたのだが、どうも原作とイメージが違うなと思ってしまった。主人公の息子、秋山大治郎と佐々木三冬は結婚するらしいのだが、その手前の巻で読むのを止めてしまったのだが、こちらの物語も池波作品らしく江戸の風情を感じさせる長編になっている。
そして池波さんと言えばグルメなのである。「鬼平犯科帳」も「剣客商売」も、どちらの中にもさんざん美味しそうな料理描写が出て来るのであった。池波さんは東京下町育ちなので、真っ黒な醤油(しょうゆ)を使った味の濃さそうな蕎麦(そば)や、すき焼なんかが場面、場面に出て来て、つい、よだれが出そうな感じになってしまい、池波さんが通ったお店のグルメ本の文庫本を買ったくらいだ。ただ血圧がだんだん高くなって来た今となっては、実際に食べるのを多少ためらってしまうのだが、、、。(笑)
池波正太郎は中間管理職を書くのである。
それに反して、藤沢周平さんは江戸時代の名もなき市井(しせい)の侍(さむらい)を描くのであった。藤沢さんの代表作は「蝉しぐれ」という作品で、これが泣けるのだ。確かあらすじは、東北の小藩につとめていた主人公の父親が政争に巻き込まれ、濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられ、切腹させられてしまう。父親の亡骸(なきがら)を主人公は大八車(だいはちぐるま)に乗せて、引いて家に帰る途中、急な坂道があって登ろうとするのだが、重たくてうまく登れない。賊(ぞく)家族の烙印(らくいん)を押された主人公を誰も助けてくれないのを見るに見かねて、幼なじみの隣家(りんか)の娘、お互い好き同士であったのだが、その娘が後ろからその大八車を押してあげて坂を登って行く。
この場面を読んだ時には、思わず涙がこぼれた。今、思い出しただけでも、またまた切なくなって来て目がウルウルしてしまう。(笑)
その後、この娘は藩主の寵愛(ちょうあい)を受けることになり、側室(そくしつ)となって江戸に行ってしまい、主人公も妻をめとり秘伝の剣術使いとして慎ましく成長していくのだが、またまた藩の争いごとに巻き込まれ、藩主の子を宿していたこの娘が命を狙われるはめになり、すったもんだの末(すえ)に助け出して、最後は秘伝の円月殺法(えんげつさっぽう)を繰り出し、藩の黒幕(くろまく)を切って、子供の頃からあった父親が濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられた長年の事件は解決する。その何十年後かに藩主が亡くなり、その幼なじみの娘から誰もいない秘密の宿に呼び出された主人公はその娘と肌を合わせるのであった。娘はこの後、出家(しゅっけ)して尼(あま)さんになると言う。逢瀬(おうせ)の後、主人公は鳴き止まない夏の蝉しぐれの中、馬を走らせるのだ。そう二人がまだ子供の頃、娘が蛇か何かに噛まれて主人公が助けてやったあの夏の蝉しぐれの中と同じように・・・。
なんだか自分が詩人になったようで、またまた泣けて来た。(笑)このように藤沢さんの小説は風景描写とかが綺麗というか詩的な感じがある。「橋物語」という橋にまつわる江戸の人情物語の短編を集めた文庫本も近所の古本屋で買って読んで、とても綺麗だな、これは司馬さんや池波さんの時代小説ともちょっと違うと感心したりもした。
そしてもうひとつ、藤沢作品の中で私のお薦(すす)めは、「用心棒日月抄(ようじんぼうじつげつしょう)」である。今まで”にちげっしょう”と読んでいたのだが、今回調べると”じつげつしょう”とある。あいかわらず自分は馬鹿だなと思ってしまうのであるが、これが面白いんだ。
あらすじは、またまた東北の小藩の名も無い侍(ただし、腕利き)が藩の政争に巻き込まれ、江戸に出て来て用心棒をしながら事件を解決していくというストーリーで、読むとスカッとするのだが、それ以上に面白いのは主人公と女忍者、佐知(さち)との男女関係の機微(きび)だ。
最初、佐知はこの主人公の命を狙う敵方の密使として登場する。主人公は危うく殺されそうになるのだが、腕利きなので形勢逆転、反対に、突然襲って来た顔を隠した密使を切って、その密使は太腿(ふともも)裏に深い傷を受け、気を失ってしまう。主人公は最後とどめを刺そうとするのだが思いとどまり、密使の自分が切った傷の手当(てあて)をするのであった。
密使のまとった着物を左右に開くと、太腿裏から大量の血が流れている。早く止血(しけつ)しなければ。主人公がさらに目を上にやると、江戸時代の人間がパンツなど履いているわけはなく、在(あ)るものが見えなければいけないのだが、このずっと主人公の命をつけ狙ってきた密使には在(あ)るものがついてないのだ。
此奴(こやつ)、くノ一(いち)※か。。。
※くノ一(いち)・・・女忍者
主人公は驚き、股間を見て見ぬふりをして、その太腿裏の傷を止血、治療して、密使が気を失っている間に、その場を立ち去ったのであった。(笑)
それ以降、この女忍者、佐知(さち)が主人公がピンチに陥(おちい)るたびに、陰(かげ)になり日向(ひなた)になり登場して来て、主人公の味方になって助けるのである。それどころか男女の深〜い関係にまで陥ってしまい、二人は切っても切れない関係になって行くのだ。うらやましいな〜。
最後、事件がすべて解決し、主人公は江戸を離れ東北の小藩に戻ることとなった。田舎の藩には”まだ、戻って来られぬか?”と心配し、自分を慕って来る女房もいるし、溺愛(できあい)する子供もいる。佐知との逃避行(とうひこう)を江戸時代なので現代ドラマのようにするわけにはいかない。藩に戻れというのは上からの厳命(げんめい)である。
そして、いざ田舎に戻ってみると、いるではないかそこに別れたはずの佐知(さち)が。。。どう言うことだ??佐知は出家して、主人公の家の近くの尼寺にいるという。佐知は女忍者から尼さんになっていたのだ。さすが、くノ一(いち)!七変化(しちへんげ)!主人公は幸せな自身の家庭を築きつつ、佐知との逢瀬(おうせ)も続くのであった。終わり。。。
なんじゃこれは!?(笑)
こんな幸せなハッピーエンドがあっていいのか!?この主人公、幸せ過ぎる!大人の男の生活の理想だ!そう思ってしまい、「用心棒日月抄」の中の女忍者佐知(さち)は私の中では1番の理想の女なのである。(笑)今時(いまどき)で言うとフィギュア好きの男の子が、秋葉原でメイドカフェに行くようなものか?ちょっと違うような気もするが。まあ、同じような感覚である。(笑)
藤沢周平は名もなき市井(しせい)の者を描くのだ。
このように池波さんも、藤沢さんも、司馬さんに負けない毛色が違うが面白い時代小説を書いていて、読んでない方がいれば緊急事態宣言下、家にいるしかないので試しに読んでみるのもいいかもしれない。読んでもらっても私には何の得(とく)にもなりませんが。(笑)ただ今回、自分が昔、夢中になったこの三人の時代小説のストーリーを語りたかっただけなのですよね。(笑)
こんなこと書いてる場合じゃなくて、自分のオリジナル音楽の最後の作業を始めなきゃ、、、やることあるだろう、オマエよ。(笑)
”帰省(おやじの想い)”はギター弾き語り「YUKIO」8曲目。”火の玉”は作品「COCOLO」6曲目です。気に入ったらお買い上げいかがなものでしょうか?