荷物だらけ

猛烈な残暑にかかわらず昨日、井の頭公園で唄って来た。唄うたびに段々荷物が増えて来て困っている。コロナ明けから”オリジナルソング”ののぼり旗を立てて唄い始めたのだが、最初は撮影用の三脚(さんきゃく)のカメラの横に巻き付けていた。ところが風が強い日などは三脚が倒れてしまって、これじゃ駄目だと思い、公園内の自転車置き場などに立っている”ここが駐輪場です”といった公園内の他ののぼり旗を抜いて、その下の土台を唄っている時だけ拝借(はいしゃく)して来て、それにのぼり旗を立てて唄っていたのだが、ある時公園の警備員に見つかって、公園の管理物は使用しないように厳重注意されてしまった。

何も裏でコソコソして盗んだわけでもなく、唄い終わったらすべて元に戻しているのだから、そんな小さなことに目くじらを立てなくてもいいじゃないかと主張もしてみたのだが、クレーム通らず、仕方がないと、渋々、自分でのぼり旗専用の土台を買って現在は使っている。

そののぼり旗の土台、意外に大きくて、いつも井の頭公園には小さなキャリーバッグに荷物を詰めて、ギターケースを背負って行くのだが、キャリーバッグに入りきらないので、ギターケースに紐(ひも)でくくりつけて背負っていくはめになった。背負ったギターケースの更にその上に大きくて白い土台がくくりつけられているのである。そして手でキャリーバッグをゴロゴロ引いて街中を駅に向かって歩いて行くのであった。傍(はた)から見るととてもみすぼらしい格好で、帰りに腹が減ったとパン屋に寄ってパンを買ったりするのだが、パン屋の中に入ると、なんだか店員からなんでウチに入って来るんだ?という感じの白い目で見られているようで落ち着かないのだが、これも自分の人生と思って、最近はもうそうした冷たい視線も慣れた。笑

さらに、当初公園内では自分のオリジナルCDを誰も買ってくれる気配を感じなかったので、公園の道路上にただ並べただけのCDの展示の仕方に問題があるのではなかろうか?と思い、小さな組み立て式の段ボールのテーブルを買って、そこに風呂敷を引き、その上にCDを展示するようにした。私の音楽に興味を持ってくれた通行人が、そんなにしゃがまなくてもCDを眺められるようにしたつもりだ。

そして、立って私の唄をずっと聴いてもらうのも辛(つら)いかと思い、キャンプなどで使ったりするような伸縮(しんしゅく)式のイスを4つ買った。このイスに座って私の唄を聴いてくれればくつろげると思ったからだ。1曲だけ聴いてもらっても、たぶん私の唄世界はわからない、せめて10分ほどこのイスに座らせることはできないものかと考えたのである。

4つも買ったの?誰も聴いてくれる人もいないのに、1つでいいんじゃないの?と思われるかもしれないが、聴く側から言えば、誰ともわからない人間が唄っている目の前で、一人で座って聴くだろうか?ありえないだろう。せめて恋人同士のカップルか、友達同士の二人組くらいがイスに座って聴いてくれる可能性はあると思い、最初は3つ持って行っていたのだが、誰もそうしたグループが現れることもなく、キャリーバッグに入りきらないという理由もあって、持っていく数が2つになり、とうとう昨日は一つになってしまった。。。

大体、キャリーバッグにこの伸縮イス2つくらいが入る限界で、3つ持って行っている時は2つをギュウギュウにバッグに詰めて、残り一つを背負っているギターケースにくくりつけるしかなかったのであった。ギターケースにのぼり旗の土台とイスをくくりつけて行くのである。格好はさらに情けなくなったのであった。笑

このように、井の頭公園でライブをやるにつれて荷物が増えてしまって、困っているのである。先日、もう少し大きめのキャリーバッグを買おうかとホームセンターに見にいったのだが、ためらってしまった。まだまだ、この小さなキャリーバッグとギターケースで頑張れるはずだと思ったのだ。荷物の重たさや、外見の汚さなんてどうでもいいんだ。自分にはまだやるべきことがある!と考えたのだ。

そのイスの上には”お疲れ様です。お気軽にお休みください。鳥の鳴き声と一緒に唄を聞いていきませんか!-YUKIO 試聴イス-”という紙を置くようにしている。風で飛ばされないようにするため、周りの大きめの石っころを重しとしてさらにその紙の上に置くのであった。

このイスに座ってゆっくり私の唄を聴いてみませんか?そんな何万も使って音楽フェス行って電気で拡声されたでかい音を聴くよりも、自然の音と交じりあった等身大の音楽を聴く方がよほどリラックスできますよ!今の時期は蝉の鳴き声が後ろで大音量でかかっていますが、そろそろその鳴き声も小さくなってきました。これが虫の音に代わり、たまにカラスの鳴き声が静寂(せいじゃく)をその世界の均整(きんせい)を破ります。一番のおすすすめは森の鳥のさえずりです。鳥のさえずりと私の唄のハーモニーをぜひ聴きに来てください。イスはご用意いたしますよ。ただし最低1つ。それ以上の場合は事前予約ということで-なにせ荷物が多くて大変なんです-宜しくお願いします。

まあ誰もいないか。それでも公園に唄いに行く自分であった。笑 

人生って不思議。

私の最近の井の頭公園でのライブ模様がわかります。

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YUKIO根性論

窓から陽の光が入って、とても気持ちのいい午前中だ。本来は今日、井の頭公園に唄いに行く予定にしていたのだが止(や)めにした。膝(ひざ)が調子悪いのだ。昨年1年間できるだけ公園で唄うようにしたのだが、予想以上に自分の体に負担がかかっているみたいで、唄を外でうたうということは肉体労働であり、ものすごい重労働なのだなと実感している最近なのである。

膝だけでなく、喉(のど)も、かれ気味で、どうも気持ち良く唄えない。昨日土曜日に公民館のピアノ室でピアノに合わせて唄っていたのだが、盛り上がるところで声が多少かれていたりする。家族にそれは発声が悪いのよ、もっと腹から声をださないと!と檄(げき)を飛ばされたりもするのだが、確かに発声法を誰かに教わったこともないし、すべてが自己流なので、何が正しくて正しくないかはわからないのだが、たとえ正規の発声法を教わっていたにしても、唄をうたい過ぎれば誰だって喉はかれるわ!と思ってしまうのである。膝も喉も有限であって(限りがあって)、そんな根性論でそれを超越(ちょうえつ)して行け!と言われても、困るのであった。

土曜日に公民館のピアノ室でうたい、日曜日に井の頭公園で半日立って、続けてうたうことは、今の自分にとっては重労働過ぎるのかもしれない。土曜日にピアノ室に予約の入っている日の次の日曜日(今日のような日)は井の頭公園に唄いにいかなければいいだけの話なのだが、そうするとなんだかまた寂しい気がするのであった。笑 

どうせ井の頭公園で唄ったにしても、たいしたお金が落ちるわけでもないのに、なぜここまで自分は外で唄をうたうことにこだわるのか?自分でもよくわからないのである。この齢(とし)になると、周りはたぶん社会的に地位のある、いわゆる分別のある大人としてみなさん振る舞っているのだと思うのだが、幸いにしてというか、不幸にしてというか、(笑)そうした友達も誰もいないので、影響を受けないと言おうか、そういう悟った大人になりたくないと言おうか、とにかく自分の唄をわからせるまでどれだけ馬鹿にされても唄ってやるのである。

なぜだかって?それは自分の創った曲がとてもいい唄だと思っているから。

今日は休んでしまったが、来週どうしようか?来週も土曜日ピアノ室の予約が入っていて、日曜日井の頭公園で唄う予定になっているのだが、膝の調子があと1週間で治るようなものでもないと思うし、体を壊してまで唄い続けるのか?どうなのか?どこかで判断しないといけない。唄い続けるしか無いのだが。

結局は最後、根性しか無いのかもしれないな。

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井の頭感謝祭で感じたこと

寒くなって来た。が、とても天気が良い。昨日は井の頭公園の1年に1回という感謝祭ということで、屋外ステージで20分ばかり唄って来た。いつも唄っている場所は池南側という緑深いところで、マイクも無しで唄っているのだが、昨日は井の頭公園のメインステージで、観客もチラホラいる中、マイク有りで唄って来たのであった。

こういうお祭りと言うか最近はフェスと言うのかイベントで、コロナ前から何度か唄う機会に巡り合えたのだが、いつも唄う前に選曲を悩んでしまうのであった。以前はなるべく、聴いてくれる人もハッピーになれるような、あたりさわりのない曲ばかりをやってしまっていたのだが、自分とすればそんな曲ばかりを創っているわけではないので、今回思い切って反感を買ってでもいいから、”愛”だの”恋”だのという曲とは別の曲を多少入れてみようと思ったのである。

自分の唄はすべてラブソングだと思っているのだが、巷(ちまた)に溢れる歯が浮いてしまいそうな”愛”だの”恋”だのという曲とは一線を画していると自負していて、最近はプロの作詞家の人達もそうした安直なワンパターンの曲ばかりを書いてきた反省にたってか、ヒット曲の歌詞も内省的な歌詞も増えて来ているような気もするので、もうそんな建前上の”愛”だの”恋”だのという時代じゃないだろうと言う判断で今回選曲を考えたのであった。

1曲目「ひごもんずとビートルズ」、2曲目どうしようかと迷ったのだが・・・「わかってたまるか」、3曲目「ボクはモグラ」、4曲目「帰省」、5曲目「仕事帰りの道すがら」とプランを立ててステージに上がった。

「ひごもんずとビートルズ」は食べに行った”ひごもんず”と言うラーメン屋さんでBGMにビートルズがかかっていて、なんで最近のラーメン屋さんはBGMにビートルズかジャズをかけているのだろう?と不思議に思って創った曲で、歌詞は”飲んだ帰りひごもんず、なんでかかるビートルズ?”しかない。この歌詞を繰り返すだけの曲だ。笑「わかってたまるか」は”わかってたまるか~!わかってたまるか~!わかってたまるか~!お前なんかに~!”を繰り返すだけの唄だ。笑 「ボクはモグラ」は”モグラ、モグラ~”を延々繰り返す。笑 「帰省」はぶつかり合う親子関係を唄ったものだ。「仕事帰りの道すがら」は大失恋ソング。笑

もう、大勢の観客の前で、こうした個人的なグダグダの歌詞のうたを唄ってもいいだろう!そういう時代になって来ているよと判断したのだが、甘かった。笑 1曲目の「ひごもんずとビートルズ」はまだ聴いてくれているなという実感はあったのだが、問題の2曲目「わかってたまるか」を”わかってたまるか~!わかってたまるか~!わかってたまるか~!お前なんかに~!”と叫び始めると、観客はスッと引いて行き、ベンチを立って向こうに行ってしまう人も出てしまう始末。笑 これではいけないと思い、3曲目を予定通り「ボクはモグラ」を唄い、会場はある程度なごみ、この空気を壊しちゃいけないと思い、4曲目、5曲目を急遽変更、”ダーリン、キスして、チュ!チュ!チュ!”と唄う、「チュウ!チュウ!チュウ!」という曲と「銀座モード」という曲を唄った。「銀座モード」はこういう場で唄うには多少難しい曲かもしれないと思ったが、唄うしかなかった。最後は「天国キス」という曲を唄ったのだが、”終了”の合図が目の前にずっと出されるので曲の途中で終わってやったぜ!笑

このように今年の井の頭公園感謝祭ステージはあっという間に終わってしまったのであった。まあ、一通り気持ち良く唄えたのだが、やっぱり、2曲目の「わかってたまるか」を唄うとドン引きされた事実は、世の中昔から何にも変わっちゃいないんだよなと思えたのだった。昔からこの「わかってたまるか」を唄うとドン引きされるのだが、自分の気持ちとすれば、この曲を笑い飛ばしてくれるような感じで、終わったら拍手でもしてくれる観客が少しでもいてくれればなとはずっと思って来たのである。しかし現実は、そんな人間とはいまだ巡り合えていない。友達もできずに、自分一人で音楽をやるしかなかったわけだ。笑 

最近、新聞とかを読んでると、子供の多様性だとか個性を大切に!みたいな大人の言い分がたくさん見受けられて、日本も最近は少し変わって来ているのかなとも思ったりもしていたのだが、昨日の経験では、やはりそれはなんだかお偉いさんや有名人の建前だけの綺麗ごとの言い分なのだろうなと感じてしまったのであった。日本の世の中は何にも変わっちゃいない。笑 変わらない世の中に対して、どう対応していくかが、自分のような人間にとっては大切なんだ。

スポーツ欄にサッカーの日本代表が強くなったのは、今の若い代表選手はみんな主張が激しく個性が強いらしくて、サッカー協会が若年世代からそうした個性を大切にする教育をおこなって来た結果であって、主張が激しい選手が多くなった今では逆に協調性を身に着けさせるような方針に教育を多少変更していると書いてあった。

そんな世の中の大人にコントロールされる個性なんかは個性とは言わない気がするのだが。。。自己主張しなさいといわれて激しく自己主張して、自己主張やめなさいといわれれば素直にしたがいおとなしくなる。こんなもの個性とは言わないよ。

自分がそうであるとは言わないが、個性とは周りからどう思われようと主張できるそいつの勇気だと思うのだが・・・。今の日本の世の中、個性が一人歩きしている。笑

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