真夏の日本語レゲエ

今日も暑い。若い頃は夏によくレゲエを聴いた。レゲエを聴いたというかボブ・マーレーをよく聴いたと言った方がいいかもしれない。レゲエといえばトロピカルなイメージがあるが、歌詞は政治的な意味合いのものも結構あったりしてそんなビーチで聴くような音楽ではないと昔は評論家の人達は物知(ものし)り顔風に言っていたが、やっぱり暑くなるとレゲエが聴きたくなる。雪が降ってる寒い中では聴きたくない。(笑)

だって暑い国で生まれた音楽なんだから、歌詞がどうあろうと暑い時に聴きたくなるというのが筋(すじ)ってものだ。

レゲエというと若い頃ロックばかり聴いてた時期から黒人音楽にどっぷりとハマっていくちょうど過渡期に聴いた音楽だった。バンドでボブ・マーレーの有名な「ノーウーマンノークライ」という曲をやったりして、全然黒くならないので、真似(まね)るよりも、自分にあった身の丈(たけ)の自身の曲を創って唄った方がいいのだとその時感じて今に至っているような気がする。

ただヒップホップが流行って以来、押され気味でなんだか最近あまり街中でも聴くことがなくなってしまった。ボブ・マーレーのように有名な人が出てこなかったというのもあるのかもしれない。

彼の有名曲をいくらコピーしても全然本物っぽくならないので、自分のオリジナル曲でレゲエ調の曲をなんとか創れないかとずっと思っていてできた曲が「立ちっぱなし」という唄だ。

夏の暑い時期に、通りゆく車に排気ガスをかけられ”バカヤロー!”と叫んだかいもなく、無視され車は行ってしまう。虫っけらのような人生だがこんな人生にも意味があるんだよ!(笑)と、要約するとこんな感じの歌詞で笑ってしまうがちゃんとした立派な日本語のレゲエだと思っている。

今度の金曜日のライブで久しぶりにやってみるか?

夜になっても鳴りやまない蝉(せみ)しぐれが聞こえるビルの片隅(かたすみ)。裸足(はだし)で歩くには火傷(やけど)しそうなほど熱くなってるアスファルト。涼むためだけに意味もなく街をぶらつく若者達。みんなどこか暑さでイ・カ・レ・テ・ル。

真夏の熱帯夜。1曲だけだがレゲエを聴きに来ませんか?

8/9(金)夜8時より 大久保水族館 1ドリンク付き 料金1500円(本来お店の料金は1000円です。500円は私専用のミュージックチャージです。来ていただいた場合は500円、私、YUKIO本人に手渡してください。ご了解の上ご来店ください。)音楽配信

小さな音

先日久しぶりに音楽にどっぷり浸(ひた)る時間がありました。暑いので日曜日の夕方明るい内(うち)からたこ焼きをつまみにビールをチビリチビリ飲みながら好きな音楽をかけたのでした。

思えば素面(しらふ)で家の中で音楽を聴いたことなどもう何十年も無いような気がする・・・。自分で演奏する時は絶対に酒を飲んではやらないと決めていますが、聴く方となると全然駄目(だめ)でもはや酒を飲みながらでしか音楽を聴こうとしないのかもしれません。(笑)

こうなるとロックとか歌ものを聴くということもなくやっぱりジャズになってしまうのですよね。自分は唄ものをやってるくせして聴くのは唄ものでははないというこのジレンマ。実は唄ものではない曲も何曲かはあるのですが、いつかはお披露目できたらなと思っております。

ここ何年かは明るい内からかけるジャズって決まってまして、いつもマイルスデイビスの「マイルストーン」というアルバムをかけて酒を飲み始めるのです。4曲目のこの「マイルストーン」という曲から6曲目のセロニアスモンクの「ストレート・ノーチェイサー」という曲がかかってる内に外が暗くなってきて、小さめの灯りをつけて6曲目が終わると違うアルバムをかけ始めさらにディープな自分だけの世界にのめり込んで行くのであります。(笑)

さて、今回取り上げたいと思ったのはこの「マイルストーン」というアルバムではございませんで、同じマイルスでも「カインド・オブ・ブルー」に入っている「ソーホワット」という曲です。マイルスデイビスと言えばもう誰もが知っているジャズ界の帝王、有名なトランぺッターで、今さら私が何を語ろうが彼の名前に傷がつくものでもありませんで、そんな私も例にもれず若い頃はロックしか聴かないのに、なぜかマイルスデイビスの音楽だけはテープを持っていたのでした。その理由がこの「ソーホワット」という曲で、はじめて友達の家で聴かせてもらった時以来もう大好きになってしまった曲なのです。

「ソーホワット」といえばモードジャズの代表曲で歴史上最も有名なジャズのスタンダード曲10曲の内に入るくらいだと思いますので、私が下手な曲解説をしても笑われるだけなのでしません。意味がない。ここでわかってもいやしないモード奏法をうんちゃらかんちゃらと語ったら更に面白いのかもしれませんが、私そんな馬鹿じゃありません。(笑)

この曲の何を語りたかったといえば、酒を飲みながら久しぶりに聴いて、ボリュームをしぼって聴くともの凄く響くというのに気づいたと言いましょうか、最初に友達の家で聴いた時から薄々(うすうす)そう思ってたと言いましょうか、「ソーホワット」は音が小さければ小さいほどカッコいい!部屋の片隅、真っ暗な暗闇の先から聴こえて来る、小さな、小さな音の「ソーホワット」が一番素敵だということを再発見してしまったことです。

音が大きくある必要はあるのだろうか?今の世の中なんでも大きな音で表現しようとしますが、はたしてそれが正解なのでしょうか?マイルスデイビスと並んで私が大好きな武満徹さんも自分の曲を演奏してくれるオーケストラに向けて”もっと小さく、もっと小さく。”とよく言っていたと何かの解説で読んだことがあります。

マイルスと武満さんの音楽の共通点は音を小さくすればするほど魅力的になるような気がして、先日は「ソーホワット」のあとに武満さんの代表曲「ノーベンバーステップス」を限りなく小さな音で聴いてみました。

至高の究極。

なんじゃそれは?オマエは”美味(おい)しんぼ”か!古いな。(笑)

このようにして50代親父(おやじ)のささやかな日曜夜は過ぎて行ったのであります。翌朝、血圧が高かったのは言うまでもありません。音楽配信

YUKIO音楽の時代

自分でオリジナルの唄を唄っている割には、他人(ひと)の音楽を買わなくなってもう何年も経つように思います。CDチェーン店が自分の音楽CDを置いてくれないので腹が立ってそれ以来CDを買っていません。(笑)自分で販売しているくせにダウンロードで買ったことも無く、ストリーミングサービスは無料のspotifyだけたまに聴いてたりします。

何を聴いたら面白いのかよくわからないので、ワールドトップ50というのをたまに聴く程度です。今、世界で最も売れている50曲がたぶん聴けるのでしょうけど、当然その中に私の知っている曲などは無くチンプンカンプン、流行に取り残されたおじさんが”今の若い者は・・・”などと若者を苦々(にがにが)しく思っている感覚に近いのかもしれません。

大手CDチェーン店には置いてもらえませんでしたが、近所のアナログレコード屋さんでは自分のCD置いてくれていて、そのアナログレコード屋さんとたまに世間話をしたりするのですが、アナログレコード最近復活傾向にあるけれど、どういった曲のレコードが売れてたりするのか尋ねてみると、傾向なんかなんでもいいんです要は流行(はや)りですよと言われてしまいました。(笑)曲の内容などはどうでもいい。お洒落(しゃれ)感覚で今の若者は音楽を愉(たの)しんでいるだけだと言いたかったのだと思います。

思えば私の若い頃もそうだった。それが歳を重ねるうちに生きるためのいろいろな知恵がついて来たりなんかして、、、それと共に聴く音楽も遍歴して来ました。最初はロック、それから黒人音楽になり、だんだん唄ものを聴かなくなりジャズに移り、今はクラシック音楽です。ほとんど一貫性が無いのですが、自分の中ではその時、その時の良いと思ったものだけを聴いて来ただけなのです。当然自分の創る音楽も、こうして今まで聴いて来た音楽の影響から切って切り離せないものでもあります。オリジナルの曲といっても何もない0(ゼロ)から創り出すことなんてありえないのですから。

spotifyのワールドトップ50を聴いていると、ほとんどが打ち込みの音楽になっています。その時代、その時代の傾向があって最近の流行りはその打ち込みに乗せてメロディーなのかラップなのかよくわからない中間くらいの感じで創られている風です。ちょっと前まではヒップホップがどこに行ってもかかってましたが、今はもう一つのジャンルとして成立してしまったので若者が飛びついて来ないのかもしれません。あとエフェクターなどのプラグインの使い方も相当複雑になっている感じで随分金かかってるなと感心したりもします。

ただその時代が過ぎてしまえば、流行った分古臭く感じてしまうのも事実。いつその時代が終わるのかは誰もわからないのですが常にアンテナを張ってないと取り残されてしまう。気づいた時にはあとの祭り。これは音楽だけではなくて世の中一般すべてそう。そんな面倒くさい時代を追うよりも、自分で時代を創ればいいんじゃん!?

おっしゃる通り!しかし自分で時代を切り拓くつもりでやってきましたが、ご覧の通りこの様(ざま)です。トホホなのですけどまだ諦(あきら)めちゃいませんよ!息が続く限りやってやります。ザマ~ミロ。だって、

女の子にモテたいために男の子はギターを弾き始めるのだもの。

誰かがそんなこと言ってたな・・・。音楽配信