延々(えんえん)ギターソロのすすめ

先日、とあるところに自分のオリジナルCDを売りに行った。そこで最近の若者はギターソロを飛ばして聴くらしいという話で盛り上がったのだが、昨日の新聞かなんかでもガンズ・アンド・ローゼズのギタリストのスラッシュがそのことについて語っていて、そんなこと気にしてたら何もできないよ、自分はただ単に大音量でがむしゃらに弾くのが気持ちいいからやっているだけだみたいなことを話していた。

ガンズ・アンド・ローゼズか~!なつかしいなと思いつつ、実はそんなにガンズを聴いたことも無くて、自分はもっと古い世代で、確か歪(ひず)んだギターを弾きまくってた90年代に人気のあったバンドだったかな~?程度にしか知らないのであった。

時代はもうロックなんてものは古臭いものだと言わんばかりで、自分ももう何十年も聴いてはいないのだが、自分が若い頃はロックが全盛と言おうか、全盛の割には周りはみんな歌謡曲やフォークソングを聴いていて、エレキギターを持とうなら、やっぱりちょっとコイツ不良なのかもしれないと思われるふしもあったりして、日本にはたしてそんなロックなんていう音楽文化なんてあったのかな?と不思議に思ったりもするのである。(笑)

なんだか知らないうちに、芸能人やアイドルがエレキギター弾きながら歌い始めて、これがロックと言っていいのかどうか?最近ではコロナ禍前の夏のたくさん催されるロックフェスティバルでは若者が何万人も集まるらしいが、これがロックなのか何なのかオジサンにとってみればよくわからないのであった。(笑)

映画やドラマも、今の若い世代は早送りで見てあらすじだけを追ったりするらしいと、CDを買ってくれたお客さん相手に同じような話ネタをふったりして盛り上がったのだが、本心は、スマホでユーチューブやストリーミングサービスで音楽を聴くようになった若者がギターソロを飛ばすのは今に始まった話ではなくて、昔から自分も若い時は長々としたギターソロはよく飛ばしたもので、テープを”きゅるきゅるきゅる~”と早送りするのがすごく面倒臭いのだが、デジタルだとその手間が省けて便利なだけだという話なのではなかろうかと思っている。(笑)

ほとんどの若者はデジタルで今までにないサービスを体験している気でいるのだろうが、オジサンから見ればただの流行りを追っているだけで、今のデジタルサービスはなんでも最初無料にしたがるが、昔の通販なんかも初めは無料のサンプルを配って、気に入ってくれたお客様を相手に商売をしていたわけで、ユーチューブもストリーミングサービスもそのビジネスモデルがデジタルに変わっただけでなにも目新しいとは思えなかったりもする。

ただ、今のヒット曲の傾向と言ったら、そうしたギターソロが入っている曲が無くなって来ているそうで、やはり昔のテープを”きゅるきゅるきゅる~”早送りする時間が無くなった分だけ、時代はせっかちになっているのかもしれない。(笑)

そんな若い内からせっかちに生きてどうするんだ?と思ってしまうのだが、若者もそうした自分たちの感じ方がどこかおかしいと思ったのか、アナログレコードがまた復活しているというのだから不思議なものだ。

だいたいもう流行歌という考え方は、ロックをはじめとしてみんな同じ作り方になってしまっていて面白くない。売れれば天下なのだろうが、今の世の中そんな音楽で天下なんてとれっこない。天下をとろうと考えている奴らはみんなネットビジネスに向かっているので、音楽はもっと自由にやればいいのだ!と思ったりもするのだが、誰か耳を貸す人間もいやしないしな。(笑)

とりあえず、聴く人間のことも考えず、今の音楽マーケティングからは完全に外れてしまっている、歪(ひず)んだエレキギターを延々ギトギトと弾きまくっている曲がある。「太陽」という唄だ。若者からは”かっこわる~”(笑)とギターソロをスキップされてしまうのだろうが、自分の中では自身の傑作の内のひとつだと思っていて、今でも自分で聴いて楽しんでいる。自分の頭の中には、これだけギターソロの時間が必要だった。

この唄を聴いて、気に入ってくれればとても嬉しい。若者よ、寄り道をしろ!人生回り道があるからこそ楽しいのだ。

「太陽」ライヴ

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YUKIO音楽のジャンル

自分はLogic Pro(ロジック プロ)という音楽ソフトを使っている。ジャンル分けされた何百種類ものサンプリング音やリズムパターンが入っていて便利なのであるが、しかし、実はLogicに入っているループ(1~4小説くらいの繰り返されるリズムの音素材)と呼ばれる既存のリズムパターンを自分の曲に取り入れたことは一度も無い。前に自分の音楽を結構好きになってくれたお客さんからどんな風に曲を創っているのか尋ねられた時にリズム作成にループを利用していないと言ったら驚かれた。(笑)たぶん今どき音楽ソフトを使う人間で、ループを使わずにいる奴はほとんどいないのではなかろうか?その理由を今回語ろう。

ループを使えば今風のちょっと複雑でお洒落なリズムパターンの曲を作れるような気がしないでもないが、私の場合はリズムより先にまずメロディーがあって、そのメロディーの下でリズムが自然と組み上がって行くのだった。リズムに乗せてメロディーを作り上げていくという作業はやったことがないし、やらない。嘘(うそ)があると思うから。(笑)ヒップホップであればそれでいいのかもしれないが、ヒップホップをやるわけでもないのでいいのだ。(実はヒップホップの曲もあるのだが、それでも既存のループを使わずに自分で組み立ててしまった。)

自分の曲に合わせて何百種類もあるループを探したこともあるが、いくら探しても無いのである。(笑)自分がしっくり唄えるリズムパターンが無いのだ。自分で創ったオリジナル曲を気持ち良く唄うには、自分でリズムを0(ゼロ)から組み上げるしかないのである。

このように自分のリズムは自分に合わせる形で創っているのだが、ジャンル分けされたループの中に自分のリズムが無いということは、音楽配信する時にどの音楽ジャンルかに登録しなければいけなくなった時に非常に困るのであった。(笑)

自分の中では、何十曲あるオリジナル曲はすべて構造が違っていて同じパターンでできている曲など一つも無いという自負があって、曲ごとにリズム(グルーブ感)はすべて違っていると思っている。

R&B風なのであってR&Bではない。ブルース風なのであってブルースでない。ジャズ風なのであってジャズでない。私自身の日本語のオリジナルソングなのだ。(笑)こんな風に言ってるから、若い頃からいくら面接を受けようが誰も相手にしてくれず落っことされるはめになる。(笑)

最近は音楽ジャンルの方ももの凄く細分化されていて”オルタナティブ・ロック”だとか”オルタナティブR&B”、”オルタナティブ・パンク”や”アーバン”や”シティ”が付いたりして”アーバン・シティ・ポップ”とか、昔は”レゲエ”だけだったのが”レゲトン”だとかもう数えきれないほどに広がっていてきりがない。

自分の音楽がどのジャンルに当てはまるのかわからないよ~!

1曲ごとに登録するのであれば、まだR&B風であればR&Bと素直に登録するのだが、これが10曲以上のアルバム単位となった場合、、、例えば「YUKIO」という15曲入り作品の中には色々なリズムパターンの曲が入っていてアコースティックギターで弾き語っているにもかかわらずジャンルは”ロック”で登録した。(笑)「YUKIO PIANO」というピアノ弾き語り作品もリズムパターンはまちまちで、ジャズのスタンダード曲をやっているわけでもないのだが”ジャズ”で登録してある。次に出そうと考えているミニアルバムはなんと”演歌”で登録している。(笑)

自分の音楽にジャンルなんか要らない!

と、思ったりもするのだが現実はそんなこと許してくれない。どこかにすみ分けされることになってしまうのだった。

しかし最終的に自分の音楽がどのジャンルかと問われれば、自分の音楽は”ロック”だと内心思っている。音楽的にはわからないが精神的には”ロック”だと言い張れる。自分の音楽はこのまま誰にも相手にされず終わって行くのだろうが、その原因をクヨクヨ自分の心の中にしまい込んで”どうせオレなんか才能なくて駄目な人間なんだ~!”と嘆いて死んでいくよりも、”オレは間違っちゃいない!世の中がおかしいんだ~!”と叫んで死んでいく方がなんだか健康的で前向きなような気がするからだ。

死ぬまで挑戦者であって、ロックは反省してはいけない。

音楽配信

太陽ライブ

音楽の血

緊急事態宣言の1ヶ月の延長が決まった今年のGW、みなさんお家(うち)で何をなされてるのでしょうか?最近の報道を見てるとどうやらこの1、2ヶ月外出を控えればコロナも収束(しゅうそく)していくというわけではなさそうで、今後何年も付き合っていかなければならないことになりそうな論調に変わってきた。

ソーシャルディスタンス(社会的距離)を守って学校や会社に行く世界になって行くのだろうか?そんなこと言ってると集会なんてできないので、スポーツとかコンサートとか政治の街頭演説だってできないではないか?会社だって行く必要が無いのであればどんどん独立していく奴も出て来ると思う。誰もが想像できないような末恐ろしい世の中になって行くのかもしれない。

そんなことをぼんやり想像してみたが、、、考えたところで今現在、何か自分の行動が当面変わるわけでもなく自分は自分の音楽の道を行くだけである。今回は自分がこれまで聴いていいなと思ったり、影響を受けてきたミュージシャン(音楽家)のそのいいと感じた共通点について語ってみようと思う。音楽は主観だと思うのであくまで私の独断で語るものだ。

若い頃から色々な音楽を聴いて来た。ロックからブラックミュージックまで。歳と共にそれがジャズやラテン音楽になり、とうとう現代音楽に向かい、最近はもはやクラシック喫茶でバッハ、モーツァルトやベートーベンといった昔のドイツ音楽ばかり聴く生活になってしまった。原点回帰してるとも言える。(笑)

技巧的なものは全く別々のジャンルに当てはまるものでまちまちなのだが、自分の心の中ではこれらの音楽はすべて統一されているのである。それは音楽というのは最終的には血を感じさせないといけないということだ。

たぶん世の中には音楽を上手く奏(かな)でる人間は世界中にたくさんいると思う。しかし上手いだけや格好いいだけでは自分の心は動かない、、、そこにその人の血を感じさせないと駄目なのだ。血を感じさせると言おうか、その音楽の背後にどうしても血が漂って来てしまうと表現した方が正しいのかもしれない。

抽象的で曖昧な言い方ではなくて、ではその血と言うのは一体何かと言えば、具体的に言えばその人の歴史と地理でなければいけない。私にとっていい音楽とは、その人の親がどういう親であったり、地球上のどこら辺の街で育ったり、どのような社会環境であったりしたかをリアルに感じさせるものなのだ。

黒人のブルースにはその背後にあった奴隷制といった歴史を抜きには語れないし、アントニオ・カルロス・ジョビン(ボサノバの創始者)やピアソラ(アルゼンチンタンゴの神様)の音楽は私のような北半球で育った人間にしてみれば重力が逆になったようなリズムに感じられてしまい、地理的に南半球でしか生まれないような音楽に思えてしまう。そこに時空を超えて自分の知らない世界が広がっているような気がしてそうした音楽に夢中になってしまうのである。だから日本人がただ単に海の向こうのクラシックやジャズを演奏してみても、それは上手いのはよく分かるのだが、何を伝えたいのかどうもその意義がわからないのだ。

知り合いのご子息がお医者さんの卵らしく、まさかこの時期感染症の専門医になるのか?あるいは医者になったところでイタリアでは150人以上の医者が死んでますよ!と先日夜連絡をとる機会があり、酔っぱらった勢いで脅しのメールを送ったのだが、”外科医になります。”と素っ気ない返事が返ってきた。(笑)

このイタリア人医師が150人以上亡くなってしまった話とかを聞くと私の中では音楽の血を感じてしまうのだった。イタリアの人たちと言えばオペラを歌ったり、サッカーに熱狂したりなんかしてもの凄く感情的で情にもろいそんなイメージがあったりする。医療の現場でそんな情をはさむ余地などないのだろうが、ニュースに出て来るイタリアの医師は診療が終わった後に”医療崩壊が起きている。助けが必要だ。”とガサツにマスクを取り外して訴えていたりしたが、日本ではこんな適当なマスクの取り方などは多分ありえないだろう。

日本はしっかり情報が共有され管理されていて、医師も感染しているがイタリアほどの数でもない。しかし今日の新聞では東京ではコロナ陽性の可能性がある急患を受け入れる病院がなく患者は4時間以上たらい回しにされた事例が頻発していると書いてあった。感染症のことを知れば知るほどうかつに患者を診ると危険なのはもはや素人の自分でもわかる。自分がもし医師であるなら疑いのある患者を診たくないというのが誰もの本音だろう。

しかし、田舎にたった一人しかいないお医者さんが、夜中に門を叩かれ”ウチの爺(じい)さんが咳(せき)が止まらないんだ、苦しがっていて、コロナかもしれないがどうか診てやって下さい~!!”と涙目で懇願(こんがん)されたとすれば、そのお医者さんは門を開くのだろうか?しかもその爺さんというのはいつもピザが余ったらお裾(すそ)分けしてくれて世間話をしたよく知っているピッコロ爺さんだったならば・・・。

平時であれば躊躇(ちゅうちょ)なく誰でも診察に応じるだろう。しかし今回は感染する可能性はかなり高そうだ・・・、どうしよう?決断しなければいけない。アナタならどうしますか?自分であれば・・・自分であれば・・・多分できない気がする。しかし、

イタリア人の医師は診るはずである。医師である前に情が通った一人の人間であるからだ。それが今回語りたかった音楽の血でもある。音楽配信中