YUKIO音楽のジャンル

自分はLogic Pro(ロジック プロ)という音楽ソフトを使っている。ジャンル分けされた何百種類ものサンプリング音やリズムパターンが入っていて便利なのであるが、しかし、実はLogicに入っているループ(1~4小説くらいの繰り返されるリズムの音素材)と呼ばれる既存のリズムパターンを自分の曲に取り入れたことは一度も無い。前に自分の音楽を結構好きになってくれたお客さんからどんな風に曲を創っているのか尋ねられた時にリズム作成にループを利用していないと言ったら驚かれた。(笑)たぶん今どき音楽ソフトを使う人間で、ループを使わずにいる奴はほとんどいないのではなかろうか?その理由を今回語ろう。

ループを使えば今風のちょっと複雑でお洒落なリズムパターンの曲を作れるような気がしないでもないが、私の場合はリズムより先にまずメロディーがあって、そのメロディーの下でリズムが自然と組み上がって行くのだった。リズムに乗せてメロディーを作り上げていくという作業はやったことがないし、やらない。嘘(うそ)があると思うから。(笑)ヒップホップであればそれでいいのかもしれないが、ヒップホップをやるわけでもないのでいいのだ。(実はヒップホップの曲もあるのだが、それでも既存のループを使わずに自分で組み立ててしまった。)

自分の曲に合わせて何百種類もあるループを探したこともあるが、いくら探しても無いのである。(笑)自分がしっくり唄えるリズムパターンが無いのだ。自分で創ったオリジナル曲を気持ち良く唄うには、自分でリズムを0(ゼロ)から組み上げるしかないのである。

このように自分のリズムは自分に合わせる形で創っているのだが、ジャンル分けされたループの中に自分のリズムが無いということは、音楽配信する時にどの音楽ジャンルかに登録しなければいけなくなった時に非常に困るのであった。(笑)

自分の中では、何十曲あるオリジナル曲はすべて構造が違っていて同じパターンでできている曲など一つも無いという自負があって、曲ごとにリズム(グルーブ感)はすべて違っていると思っている。

R&B風なのであってR&Bではない。ブルース風なのであってブルースでない。ジャズ風なのであってジャズでない。私自身の日本語のオリジナルソングなのだ。(笑)こんな風に言ってるから、若い頃からいくら面接を受けようが誰も相手にしてくれず落っことされるはめになる。(笑)

最近は音楽ジャンルの方ももの凄く細分化されていて”オルタナティブ・ロック”だとか”オルタナティブR&B”、”オルタナティブ・パンク”や”アーバン”や”シティ”が付いたりして”アーバン・シティ・ポップ”とか、昔は”レゲエ”だけだったのが”レゲトン”だとかもう数えきれないほどに広がっていてきりがない。

自分の音楽がどのジャンルに当てはまるのかわからないよ~!

1曲ごとに登録するのであれば、まだR&B風であればR&Bと素直に登録するのだが、これが10曲以上のアルバム単位となった場合、、、例えば「YUKIO」という15曲入り作品の中には色々なリズムパターンの曲が入っていてアコースティックギターで弾き語っているにもかかわらずジャンルは”ロック”で登録した。(笑)「YUKIO PIANO」というピアノ弾き語り作品もリズムパターンはまちまちで、ジャズのスタンダード曲をやっているわけでもないのだが”ジャズ”で登録してある。次に出そうと考えているミニアルバムはなんと”演歌”で登録している。(笑)

自分の音楽にジャンルなんか要らない!

と、思ったりもするのだが現実はそんなこと許してくれない。どこかにすみ分けされることになってしまうのだった。

しかし最終的に自分の音楽がどのジャンルかと問われれば、自分の音楽は”ロック”だと内心思っている。音楽的にはわからないが精神的には”ロック”だと言い張れる。自分の音楽はこのまま誰にも相手にされず終わって行くのだろうが、その原因をクヨクヨ自分の心の中にしまい込んで”どうせオレなんか才能なくて駄目な人間なんだ~!”と嘆いて死んでいくよりも、”オレは間違っちゃいない!世の中がおかしいんだ~!”と叫んで死んでいく方がなんだか健康的で前向きなような気がするからだ。

死ぬまで挑戦者であって、ロックは反省してはいけない。

音楽配信

太陽ライブ

音楽の血

緊急事態宣言の1ヶ月の延長が決まった今年のGW、みなさんお家(うち)で何をなされてるのでしょうか?最近の報道を見てるとどうやらこの1、2ヶ月外出を控えればコロナも収束(しゅうそく)していくというわけではなさそうで、今後何年も付き合っていかなければならないことになりそうな論調に変わってきた。

ソーシャルディスタンス(社会的距離)を守って学校や会社に行く世界になって行くのだろうか?そんなこと言ってると集会なんてできないので、スポーツとかコンサートとか政治の街頭演説だってできないではないか?会社だって行く必要が無いのであればどんどん独立していく奴も出て来ると思う。誰もが想像できないような末恐ろしい世の中になって行くのかもしれない。

そんなことをぼんやり想像してみたが、、、考えたところで今現在、何か自分の行動が当面変わるわけでもなく自分は自分の音楽の道を行くだけである。今回は自分がこれまで聴いていいなと思ったり、影響を受けてきたミュージシャン(音楽家)のそのいいと感じた共通点について語ってみようと思う。音楽は主観だと思うのであくまで私の独断で語るものだ。

若い頃から色々な音楽を聴いて来た。ロックからブラックミュージックまで。歳と共にそれがジャズやラテン音楽になり、とうとう現代音楽に向かい、最近はもはやクラシック喫茶でバッハ、モーツァルトやベートーベンといった昔のドイツ音楽ばかり聴く生活になってしまった。原点回帰してるとも言える。(笑)

技巧的なものは全く別々のジャンルに当てはまるものでまちまちなのだが、自分の心の中ではこれらの音楽はすべて統一されているのである。それは音楽というのは最終的には血を感じさせないといけないということだ。

たぶん世の中には音楽を上手く奏(かな)でる人間は世界中にたくさんいると思う。しかし上手いだけや格好いいだけでは自分の心は動かない、、、そこにその人の血を感じさせないと駄目なのだ。血を感じさせると言おうか、その音楽の背後にどうしても血が漂って来てしまうと表現した方が正しいのかもしれない。

抽象的で曖昧な言い方ではなくて、ではその血と言うのは一体何かと言えば、具体的に言えばその人の歴史と地理でなければいけない。私にとっていい音楽とは、その人の親がどういう親であったり、地球上のどこら辺の街で育ったり、どのような社会環境であったりしたかをリアルに感じさせるものなのだ。

黒人のブルースにはその背後にあった奴隷制といった歴史を抜きには語れないし、アントニオ・カルロス・ジョビン(ボサノバの創始者)やピアソラ(アルゼンチンタンゴの神様)の音楽は私のような北半球で育った人間にしてみれば重力が逆になったようなリズムに感じられてしまい、地理的に南半球でしか生まれないような音楽に思えてしまう。そこに時空を超えて自分の知らない世界が広がっているような気がしてそうした音楽に夢中になってしまうのである。だから日本人がただ単に海の向こうのクラシックやジャズを演奏してみても、それは上手いのはよく分かるのだが、何を伝えたいのかどうもその意義がわからないのだ。

知り合いのご子息がお医者さんの卵らしく、まさかこの時期感染症の専門医になるのか?あるいは医者になったところでイタリアでは150人以上の医者が死んでますよ!と先日夜連絡をとる機会があり、酔っぱらった勢いで脅しのメールを送ったのだが、”外科医になります。”と素っ気ない返事が返ってきた。(笑)

このイタリア人医師が150人以上亡くなってしまった話とかを聞くと私の中では音楽の血を感じてしまうのだった。イタリアの人たちと言えばオペラを歌ったり、サッカーに熱狂したりなんかしてもの凄く感情的で情にもろいそんなイメージがあったりする。医療の現場でそんな情をはさむ余地などないのだろうが、ニュースに出て来るイタリアの医師は診療が終わった後に”医療崩壊が起きている。助けが必要だ。”とガサツにマスクを取り外して訴えていたりしたが、日本ではこんな適当なマスクの取り方などは多分ありえないだろう。

日本はしっかり情報が共有され管理されていて、医師も感染しているがイタリアほどの数でもない。しかし今日の新聞では東京ではコロナ陽性の可能性がある急患を受け入れる病院がなく患者は4時間以上たらい回しにされた事例が頻発していると書いてあった。感染症のことを知れば知るほどうかつに患者を診ると危険なのはもはや素人の自分でもわかる。自分がもし医師であるなら疑いのある患者を診たくないというのが誰もの本音だろう。

しかし、田舎にたった一人しかいないお医者さんが、夜中に門を叩かれ”ウチの爺(じい)さんが咳(せき)が止まらないんだ、苦しがっていて、コロナかもしれないがどうか診てやって下さい~!!”と涙目で懇願(こんがん)されたとすれば、そのお医者さんは門を開くのだろうか?しかもその爺さんというのはいつもピザが余ったらお裾(すそ)分けしてくれて世間話をしたよく知っているピッコロ爺さんだったならば・・・。

平時であれば躊躇(ちゅうちょ)なく誰でも診察に応じるだろう。しかし今回は感染する可能性はかなり高そうだ・・・、どうしよう?決断しなければいけない。アナタならどうしますか?自分であれば・・・自分であれば・・・多分できない気がする。しかし、

イタリア人の医師は診るはずである。医師である前に情が通った一人の人間であるからだ。それが今回語りたかった音楽の血でもある。音楽配信中

真夏の日本語レゲエ

今日も暑い。若い頃は夏によくレゲエを聴いた。レゲエを聴いたというかボブ・マーレーをよく聴いたと言った方がいいかもしれない。レゲエといえばトロピカルなイメージがあるが、歌詞は政治的な意味合いのものも結構あったりしてそんなビーチで聴くような音楽ではないと昔は評論家の人達は物知(ものし)り顔風に言っていたが、やっぱり暑くなるとレゲエが聴きたくなる。雪が降ってる寒い中では聴きたくない。(笑)

だって暑い国で生まれた音楽なんだから、歌詞がどうあろうと暑い時に聴きたくなるというのが筋(すじ)ってものだ。

レゲエというと若い頃ロックばかり聴いてた時期から黒人音楽にどっぷりとハマっていくちょうど過渡期に聴いた音楽だった。バンドでボブ・マーレーの有名な「ノーウーマンノークライ」という曲をやったりして、全然黒くならないので、真似(まね)るよりも、自分にあった身の丈(たけ)の自身の曲を創って唄った方がいいのだとその時感じて今に至っているような気がする。

ただヒップホップが流行って以来、押され気味でなんだか最近あまり街中でも聴くことがなくなってしまった。ボブ・マーレーのように有名な人が出てこなかったというのもあるのかもしれない。

彼の有名曲をいくらコピーしても全然本物っぽくならないので、自分のオリジナル曲でレゲエ調の曲をなんとか創れないかとずっと思っていてできた曲が「立ちっぱなし」という唄だ。

夏の暑い時期に、通りゆく車に排気ガスをかけられ”バカヤロー!”と叫んだかいもなく、無視され車は行ってしまう。虫っけらのような人生だがこんな人生にも意味があるんだよ!(笑)と、要約するとこんな感じの歌詞で笑ってしまうがちゃんとした立派な日本語のレゲエだと思っている。

今度の金曜日のライブで久しぶりにやってみるか?

夜になっても鳴りやまない蝉(せみ)しぐれが聞こえるビルの片隅(かたすみ)。裸足(はだし)で歩くには火傷(やけど)しそうなほど熱くなってるアスファルト。涼むためだけに意味もなく街をぶらつく若者達。みんなどこか暑さでイ・カ・レ・テ・ル。

真夏の熱帯夜。1曲だけだがレゲエを聴きに来ませんか?

8/9(金)夜8時より 大久保水族館 1ドリンク付き 料金1500円(本来お店の料金は1000円です。500円は私専用のミュージックチャージです。来ていただいた場合は500円、私、YUKIO本人に手渡してください。ご了解の上ご来店ください。)音楽配信

小さな音

先日久しぶりに音楽にどっぷり浸(ひた)る時間がありました。暑いので日曜日の夕方明るい内(うち)からたこ焼きをつまみにビールをチビリチビリ飲みながら好きな音楽をかけたのでした。

思えば素面(しらふ)で家の中で音楽を聴いたことなどもう何十年も無いような気がする・・・。自分で演奏する時は絶対に酒を飲んではやらないと決めていますが、聴く方となると全然駄目(だめ)でもはや酒を飲みながらでしか音楽を聴こうとしないのかもしれません。(笑)

こうなるとロックとか歌ものを聴くということもなくやっぱりジャズになってしまうのですよね。自分は唄ものをやってるくせして聴くのは唄ものでははないというこのジレンマ。実は唄ものではない曲も何曲かはあるのですが、いつかはお披露目できたらなと思っております。

ここ何年かは明るい内からかけるジャズって決まってまして、いつもマイルスデイビスの「マイルストーン」というアルバムをかけて酒を飲み始めるのです。4曲目のこの「マイルストーン」という曲から6曲目のセロニアスモンクの「ストレート・ノーチェイサー」という曲がかかってる内に外が暗くなってきて、小さめの灯りをつけて6曲目が終わると違うアルバムをかけ始めさらにディープな自分だけの世界にのめり込んで行くのであります。(笑)

さて、今回取り上げたいと思ったのはこの「マイルストーン」というアルバムではございませんで、同じマイルスでも「カインド・オブ・ブルー」に入っている「ソーホワット」という曲です。マイルスデイビスと言えばもう誰もが知っているジャズ界の帝王、有名なトランぺッターで、今さら私が何を語ろうが彼の名前に傷がつくものでもありませんで、そんな私も例にもれず若い頃はロックしか聴かないのに、なぜかマイルスデイビスの音楽だけはテープを持っていたのでした。その理由がこの「ソーホワット」という曲で、はじめて友達の家で聴かせてもらった時以来もう大好きになってしまった曲なのです。

「ソーホワット」といえばモードジャズの代表曲で歴史上最も有名なジャズのスタンダード曲10曲の内に入るくらいだと思いますので、私が下手な曲解説をしても笑われるだけなのでしません。意味がない。ここでわかってもいやしないモード奏法をうんちゃらかんちゃらと語ったら更に面白いのかもしれませんが、私そんな馬鹿じゃありません。(笑)

この曲の何を語りたかったといえば、酒を飲みながら久しぶりに聴いて、ボリュームをしぼって聴くともの凄く響くというのに気づいたと言いましょうか、最初に友達の家で聴いた時から薄々(うすうす)そう思ってたと言いましょうか、「ソーホワット」は音が小さければ小さいほどカッコいい!部屋の片隅、真っ暗な暗闇の先から聴こえて来る、小さな、小さな音の「ソーホワット」が一番素敵だということを再発見してしまったことです。

音が大きくある必要はあるのだろうか?今の世の中なんでも大きな音で表現しようとしますが、はたしてそれが正解なのでしょうか?マイルスデイビスと並んで私が大好きな武満徹さんも自分の曲を演奏してくれるオーケストラに向けて”もっと小さく、もっと小さく。”とよく言っていたと何かの解説で読んだことがあります。

マイルスと武満さんの音楽の共通点は音を小さくすればするほど魅力的になるような気がして、先日は「ソーホワット」のあとに武満さんの代表曲「ノーベンバーステップス」を限りなく小さな音で聴いてみました。

至高の究極。

なんじゃそれは?オマエは”美味(おい)しんぼ”か!古いな。(笑)

このようにして50代親父(おやじ)のささやかな日曜夜は過ぎて行ったのであります。翌朝、血圧が高かったのは言うまでもありません。音楽配信