フロイトが夢の中で聞いたメロディー

ある曲のミックス・マスタリング作業をやっていて完全に行き詰ってしまった。何をやっても上手(うま)くいかない。自分の思い描いた像がそこにあるのだが、届かないのだ。簡単に済むと思っていたはずが、もう1週間くらい停滞(ていたい)してしまった。頭の中ではドラマや映画のように次から次へと作業がはかどっていくのだが、現実は遅々(ちち)として進まない。(笑)しかしながら、こういうことはよくある話で、何度も経験して来ている。こういう時は一旦(いったん)現場を離(はな)れるに限る。

ということで、このブログに向かってしまった。(笑)さて、何を書こう?今日も窓からそそぐ外の日差しはまぶしいぞ!

最近は暖かくなったので、また読書を再開した。寒いと自分は読書しないのだ。(笑)なぜだかと言うと、寝る前に布団の上に横になって本を読んで、睡魔(すいま)が襲ってきたら、本を閉じ、灯(あか)りを消して寝るという習慣になっていて、寒い季節だと体が冷えちゃって、読む気が、つい、しなくなってしまうのだった。手がかじかみながら本を読むのも辛(つら)いよ~。(笑)暖房つけて読めばいいじゃないか!と言われてしまいそうだが、暖房つけて、布団(ふとん)にくるまって時間を過ごすと体が温(あたた)まりすぎちゃって、眠れなくなってしまうのだ。多少、寒いかなと思うくらいに布団に潜(もぐ)り込んで、体が温まって自然と寝てしまうというのが、自分にとってはベストで、布団がその日、干してあればさらに快適に眠れるのであった。(笑)

寝る前に読む本はまちまちなのだが、やはり内容が難しい本を読むほど眠気(ねむけ)が襲(おそ)ってくる速度も速くなる。(笑)※ダーウィンの「種の起源」を読んでいた時には、読み始めて10分もたたないうちに眠くなって、布団にくるまってあっという間に寝てしまうという期間が何ヶ月も続いた。(笑)早くこの本を読み終えようとするのだが、眠くなるのは早いし、そうした難しい本に限って内容も膨大(ぼうだい)にあって、「種の起源」も「上」、「下」の2巻に分かれていたりなんかして、読み終えるのに半年くらいかかったと記憶している。(笑)

※ダーウィン「種の起源」・・・詳しくはウイキペディア

最近また読み始めたのも、「種の起源」に負けず劣(おと)らず難しい本で、※フロイトの「夢判断」という文庫本を読んでいる。「夢判断」も「上」、「下」2巻に分かれていて膨大な量なのだが、実は1回読み終えていて、あまりにも内容が難しいので、もう1回読んでみるかと、再度読み返している途中なのであった。「下」巻の最後1/4くらいのところで、冬になり止(と)まっていたのだが、暖かくなったのでまた読書を再開させたのであった。

※フロイト「夢判断」・・・詳しくはウイキペディア

なんで、フロイトの「夢判断」なんて、こんな小難しい本を読み始めたかと言うと、私の「月」という作品の最後から2曲目に「メロディー」という曲があって、この曲は曲名どおり一つのメロディーだけを延々繰り返す仕掛けになっていて、そのメロディーというのは、実は自分が寝ている時に思い浮かんだメロディーで、その時に夢を見ていたかどうかはわからないのだが、なぜか起きた後も覚えていて、そのメロディーに歌詞をつけただけの曲になっている。そんな寝ている夢の中で、メロディーを作るという人為的(じんいてき)作業が本当に行われたのだろうか?と自分自身の心の中に、疑心暗鬼(ぎしんあんき)があって、じゃあ1回フロイトの「夢判断」を、文庫本が本屋に置いてあったので読んでみようかと手に取ったのであった。

読んでみると、案(あん)の定(じょう)むずかしい本で、何を言っているのかさっぱりわからない。ただ1回読んでわかったのは、夢というのはフロイトが言うに、その人の願望充足(がんぼうじゅうそく)らしい。

願望充足(がんぼうじゅうそく)・・・。

もう少し、こんな難しい訳語ではなくて、もっとわかりやすい言葉でもないのかよ!?とも思うのだが、検索してみると、

願望充足とは、願望を空想上で達成する心理状態のことです。 夢やヒステリー、神経症の症状、幻覚は象徴的な願望充足です。

と、ある。その人の願いや望みを空想上でかなえるために夢をみるのだという。そんな馬鹿(ばか)な!わけのわからない夢などいっぱいあるし、願望充足のはずはないじゃないか!?と、みなさん思われるかもしれないが、フロイトはそうした反論を、夢に表(あらわ)れる現象というのは、いろいろな二次加工(にじかこう)がされていて、真実はその奥に隠されていると主張して、ひとつひとつ証拠(しょうこ)を示して論破(ろんぱ)していくのであった。

また「夢判断」の特長として、「夢」という曖昧(あいまい)なものを、証拠を示して、論理(ろんり)立てて解明していこうとするところが、東洋人の私としては、この本がものすごく白人ぽいと言おうか、西洋文明を感じるのであった。

コロナ禍の東京オリンピックが開かれるかどうかは科学の証明がないといけないと、アメリカのバイデン大統領は表明しているが、「夢」の解明を、できるだけ客観的に、まるで科学に基づくかのように論を語(かた)るフロイトは、占いや運勢を信じる人たちが語るロマンチックな夢解釈とは、ちょっと違った思考回路を持っていて、はたしてこの考えが正しいのかどうなのかは今の自分にはわからないが、この本が世界中で読まれ、この本によって精神分析がおこなわれ、心の病(やまい)から救われた人たちもたくさんいたからこそ有名になったわけでもあるのだろうし、相当な部分で当たっているのだろう。

この本が出たのは100年前の20世紀初頭で、精神分析のもはや古典書物なのだと思うが、現在の精神分析とはもっと進んでいると言おうか、どのような論を展開(てんかい)させているのだろうか?たぶんもっと細分化(さいぶんか)されているのだろうな。もうこうした本を読むことはないのだろうが、ふと、そう思った。テレビのニュースで精神分析医が人は誰でも人生に一度は鬱(うつ)になる期間があるということがわかって来たと言っていた。もう、21世紀はすごい世の中なりそうだ。(笑)

ちなみに、この私の「メロディー」という曲の歌詞作成時に、最初は”喜びのメロディー”と”悲しみのメロディー”の2つ言葉を使っていたのだが、”悲しみのメロディー”は消して、”喜びのメロディー”に統一した。なぜだろう?自分でもわからない。

けど、夢の中で聞こえるメロディーは”悲しみ”であってはいけない、”喜び”であってほしい!と自分の心が願っている気がして、、、フロイトが言う”夢とは願望充足(がんぼうじゅうそく)である。”と言うのは、あながち間違いではない気が最近はなんとなくしている。

最後に、繰り返されるこの通り一遍(いっぺん)等(とう)のメロディーが終わって、想像外のラップが始まるという展開がこの曲には待ち受けていて、(笑)ぜひ、このラップも聴いてもらえればなと思っているのだが、誰も聴いてくれない。(笑)

tunecoreが、コロナ禍特別企画として3年間無料配信サービスをすると言うので、それを利用してこの曲をストリーミングでも配信している。配信時に、プロモーションの動画をどうしよう?と思い、ラップで最後”宇宙にもどる、もどるだけ~”と何度も繰り返しているので、ゆっくり宇宙が動く動画を作成してみたのだが、誰も見てくれない。(笑)確かに退屈な動画だ。(笑)

ただ、ユーチューブなんかを見ると単純な動作だけがある音楽動画に何万回の視聴がついていたりして、それを真似(まね)したつもりだったのだが、うまく行かない。やはりフォロワー数とかは裏に何かあるような気がするのだが・・・。それは置いておいて、

とりあえずは、この「メロデイー」という曲を聴いてみないかい?作品「月」の中、9曲目。あるいは、ストリーミングでも配信中です!気に入ったら買ってください。よろしくお願いします。

音楽配信

「メロディー」動画。星が実は徐々に動いて行くのであります。(笑)

YUKIO音楽のジャンル

自分はLogic Pro(ロジック プロ)という音楽ソフトを使っている。ジャンル分けされた何百種類ものサンプリング音やリズムパターンが入っていて便利なのであるが、しかし、実はLogicに入っているループ(1~4小説くらいの繰り返されるリズムの音素材)と呼ばれる既存のリズムパターンを自分の曲に取り入れたことは一度も無い。前に自分の音楽を結構好きになってくれたお客さんからどんな風に曲を創っているのか尋ねられた時にリズム作成にループを利用していないと言ったら驚かれた。(笑)たぶん今どき音楽ソフトを使う人間で、ループを使わずにいる奴はほとんどいないのではなかろうか?その理由を今回語ろう。

ループを使えば今風のちょっと複雑でお洒落なリズムパターンの曲を作れるような気がしないでもないが、私の場合はリズムより先にまずメロディーがあって、そのメロディーの下でリズムが自然と組み上がって行くのだった。リズムに乗せてメロディーを作り上げていくという作業はやったことがないし、やらない。嘘(うそ)があると思うから。(笑)ヒップホップであればそれでいいのかもしれないが、ヒップホップをやるわけでもないのでいいのだ。(実はヒップホップの曲もあるのだが、それでも既存のループを使わずに自分で組み立ててしまった。)

自分の曲に合わせて何百種類もあるループを探したこともあるが、いくら探しても無いのである。(笑)自分がしっくり唄えるリズムパターンが無いのだ。自分で創ったオリジナル曲を気持ち良く唄うには、自分でリズムを0(ゼロ)から組み上げるしかないのである。

このように自分のリズムは自分に合わせる形で創っているのだが、ジャンル分けされたループの中に自分のリズムが無いということは、音楽配信する時にどの音楽ジャンルかに登録しなければいけなくなった時に非常に困るのであった。(笑)

自分の中では、何十曲あるオリジナル曲はすべて構造が違っていて同じパターンでできている曲など一つも無いという自負があって、曲ごとにリズム(グルーブ感)はすべて違っていると思っている。

R&B風なのであってR&Bではない。ブルース風なのであってブルースでない。ジャズ風なのであってジャズでない。私自身の日本語のオリジナルソングなのだ。(笑)こんな風に言ってるから、若い頃からいくら面接を受けようが誰も相手にしてくれず落っことされるはめになる。(笑)

最近は音楽ジャンルの方ももの凄く細分化されていて”オルタナティブ・ロック”だとか”オルタナティブR&B”、”オルタナティブ・パンク”や”アーバン”や”シティ”が付いたりして”アーバン・シティ・ポップ”とか、昔は”レゲエ”だけだったのが”レゲトン”だとかもう数えきれないほどに広がっていてきりがない。

自分の音楽がどのジャンルに当てはまるのかわからないよ~!

1曲ごとに登録するのであれば、まだR&B風であればR&Bと素直に登録するのだが、これが10曲以上のアルバム単位となった場合、、、例えば「YUKIO」という15曲入り作品の中には色々なリズムパターンの曲が入っていてアコースティックギターで弾き語っているにもかかわらずジャンルは”ロック”で登録した。(笑)「YUKIO PIANO」というピアノ弾き語り作品もリズムパターンはまちまちで、ジャズのスタンダード曲をやっているわけでもないのだが”ジャズ”で登録してある。次に出そうと考えているミニアルバムはなんと”演歌”で登録している。(笑)

自分の音楽にジャンルなんか要らない!

と、思ったりもするのだが現実はそんなこと許してくれない。どこかにすみ分けされることになってしまうのだった。

しかし最終的に自分の音楽がどのジャンルかと問われれば、自分の音楽は”ロック”だと内心思っている。音楽的にはわからないが精神的には”ロック”だと言い張れる。自分の音楽はこのまま誰にも相手にされず終わって行くのだろうが、その原因をクヨクヨ自分の心の中にしまい込んで”どうせオレなんか才能なくて駄目な人間なんだ~!”と嘆いて死んでいくよりも、”オレは間違っちゃいない!世の中がおかしいんだ~!”と叫んで死んでいく方がなんだか健康的で前向きなような気がするからだ。

死ぬまで挑戦者であって、ロックは反省してはいけない。

音楽配信

太陽ライブ

メロディーが先か、言葉が先か

誰にも相手にされず、これまでに4つの作品をつくって来た。古い順に並べて「YUKIO」、「YUKIO PIANO」、「COCOLO」、「太陽」。前2つは最もシンプルにギターとピアノの弾き語り、あとの2つはリズムも入れて楽器演奏からミックス、マスタリングまですべて自分でやった複雑な一人バンド形態になっている。

対照的なのだが、それだけではなくて実はこの最初2つと後2つの作品群では決定的な違いが自分の中ではあったりする。

それは唄の創り方がメロディーが最初に閃(ひらめ)いたのか、言葉が最初にあったのかの違いである。メロディーが先か、言葉が先かで決定的に唄の本質が違ってくるのだ。

「YUKIO」、「YUKIO PIANO」の弾き語り作品の方は言葉が先にあって、「COCOLO」、「太陽」のバンド形態2つはメロディーが先になっている。

弾き語り2つは言葉がやはり最初に聴こえて来る。バンド形態の方は歌詞にも気をつかっているのだが、よく聴かないと何を唄っているのかよくわからない。メロディーが先にあって後から言葉を足したからだ。

なぜこのような違いがあるかと言うと自分でもわからない。ただ「cocolo」という曲のメロディーが閃(ひらめ)いて以来ずっと私の唄はメロディーが先にできて来て歌詞を後からつける形になっている。

弾き語り2つは日本語でしか唄えない、あるいは成立しない唄で、バンド形態2つは日本語で唄ってはいるが、別に日本語でなく英語で唄ってもおかしくないような気もする。

どちらが良いのかわからないが、これらすべての作品は私の中から流れ落ちてきたものなのですべてを引き受るしか説明がつかない。

誰も聴いてくれない自分の作品を分析しても仕方がなのだが、メロディーが先か、言葉が先かで自分の中ではここにもの凄い断層があるのだ。ライブではなるべく混ぜないように気を使ったりもするのだが、たくさん唄ったりしなければいけない場合など致し方なく混ぜたりしたりもする。

自分の気持ちの中では昔のように先に言葉が出てきてもらいたいと実は思っていて何とかならないかと考えるのだが、考えて唄ができるものでもなんでもなく今、現在もこのような状態なのである。しかしながら、私の想いとしては自分が普段使っている日本語という言葉のイントネーションがやはりその曲のメロディーに影響を及ぼすのが自然のような気がするのだ。

欧米の音楽ばかりを聴き過ぎたのかもしれない。確かに日本語で唄われた曲なんて大人になってほとんど聴いて来ていない。しかし実は自分は日本の民謡でしか踊れないということも知っている。

欧米の音楽ばかりが情報として入ってきて価値のあるものだと思われがちだが、中国の音楽も聴いてみたい。特に中国の結婚式でみなさんお酒を飲みながらどんな唄を唄っているのだろうか?10億人もいるのだから人それぞれ色々な唄を酔っぱらいながら唄っているのだろうと想像すると楽しくてしようがない。日本にさえ地方地方に様々な民謡があるのだから、中国行くともっと百花繚乱の民謡が聴けるような気がするのだ。

話がそれたが、私のこの4つの作品試しに聴いてみませんか?行きつく所はここなのです。(笑)音楽配信