突然ですが、今回「ともだちがほしいよ」という曲をリリースすることになりました。「月」というアルバム作品の中にも入っている曲で、そちらは「友達が欲しいよ」と曲名に漢字が入っていたりなんかします。なぜそうしたか?その理由なんかも含めて今回は語って行こうかなと思います。
1年前に「月」というアルバム作品とその中に入っている「藤の花」という1曲をリリースしたのですが、「月」はダウンロードしかできない形になっていて、こちらは私自身が音楽配信業者にお金を払って配信しています。「藤の花」の方は配信業者の方が1年に1回、私みたいな独立系ミュージシャンを配信に誘い込み、囲い込むために、1曲だけに限り無料サービスをやるので、それを利用してspotifyやAPPLE MUSIC等で無料で聴けるストリーミングも含めて配信したのですが、1年間の期限付きとなっていまして、「藤の花」は今月1月をもって配信は終了するのです。その代わりと言っては何ですが、今回新しく「ともだちがほしいよ」という曲を今後1年間ストリーミング配信しようと企(たくら)んだのでした。
「藤の花」の方は、ストリーミングでは聴けなくなりますが、YouTube上の動画では全編聴けますので、ぜひそちらを見ていただいて、気に入ったら、そちらからダウンロードいかがなものでしょうか?
さて、その作品「月」第2弾ストリーミング、シングルカットとも言うべき「ともだちがほしいよ」という曲をなぜ今回、数多(あまた)ある私の曲の中から選んだのかと言いますと、、、そんなに理由は無いのですが、まず「藤の花」の時もそうだったのですが、楽曲が音楽的にそんなに難しく無いこと、そして歌詞がシンプルなことなどが挙げられます。
特に”友達が欲しいよ〜”と唄う歌詞が、”50も過ぎた親父(オヤジ)が吐(は)く台詞(セリフ)か!?”と何だか世間から白い目で見られそうな、あるいはそう言われることは無いにしろ、腹の中で蔑(さげす)まされるだろうなと容易に想像されたので、よし!では、今回この曲で行こう!と思ったのでした。(笑)
やはり、曲には違和感がないといけない。
私の曲には、結構”わかってたまるか〜!”とか、”キミたちは満員電車に乗って死んでいけばいい、、、”とか、奇をてらったつもりは無いにしろ、大手のレコード会社だけでなく世間一般からも疎(うと)まれそうな歌詞がついてる唄が少なくない。(笑)”友達が欲しいよ〜”と唄うのも、その延長線上にあるのです。
何だか世の中の当たり前だと思う常識や風潮が、若い頃から嫌でしょうがない。”友達が欲しいよ〜”とか10代の青春時代の若者ではあるまいし、大の大人(おとな)がそんな女々(めめ)しいこというものじゃ無い!今時(いまどき)の小学生だってそんなこと言わない!とお咎(とが)めを受けてしまいそうですが、そんな指摘するのは連(つる)んで団体の中でぬくぬくと生きてる人間が言う話であって、厳しい現実において大人になっても友達が欲しいものだと思ってます。
この唄は30代の前半の頃、周りはみんな会社勤めになり、お金を稼ぐ以外に人生の価値は無いかのごとく世の中の大半は動いていることに気づかされ、自分もその大きな流れに背くことなどできないと悟った時に創った曲で、当時は曲が余り面白く無いので没(ボツ)にしてしまっていたのでした。
歌詞の中には”今じゃ新聞、経済面から読み始める自分がいる・・・”と唄ったりもしているのですが、実際はそんなこともなく(笑)、子供の頃そうであったようにまずテレビ欄をチラッとチェックして、スポーツ面を結構、隅(すみ)から隅まで読んで、それから経済面を読むのでした。ただその当時、経済面を読むようになった自分がいてと言うか、経済記事に何が書いてあるのか段々わかって来て、お金儲けと言おうか世の中の仕組みに興味を持ち始めた自分のその姿が、自身でとても不思議で新鮮に感じたので、こうした歌詞を思いついたのかもしれません。
大人は打算で動きます。子供の頃はそうした大人の打算を”汚(きたな)い”や”ズルイ”と言った言葉で表現しますが、生活がかかっているのです。金を稼げない自分の子供を責任を持ってその”汚い”大人にしないといけないのです。金を稼ぐには、嫌な人間とも顔をつき合わせなければいけません。
そんな時には、大人はたぶんその相手に”友達になろうよ!”と言うに違いありません。名刺を交換して”友達になろうよ!”と言って、友達になったふりをするのです。”お前なんか嫌いだ〜!”と言って敵を作るよりも、腹の中はどう思っているのかわかりませんが、表面上は友達になっておいた方がお互いメリットがあって作業がはかどるのです。その方が手っ取り早いのです。ですので”友達が欲しいよ!”と大人は言ってはいけないのです。
そこまでわかっていて何でお前はそんな”友達が欲しいよ〜”とか青くさい、今時の打算的な小学生だって言わないようなことを唄うのかと問われると、そう唄う方が自分は幸(しあわ)せになれると思うからに他なりません。(笑)
だって嘘はつきたくないもん。
肝心なことは誰だって嘘はつきたくないですよね。今回あえて作品「月」8曲目に入っている「友達が欲しいよ」を平仮名(ひらがな)の「ともだちがほしいよ」に変えたのもこうした考え方からなのでした。まだ子供心をどこかに引きずっている自分がいるのです。たぶん子供の頃から友達がいなかったのでしょうね。(笑)
せっかく音楽配信するというので、動画も「藤の花」に続いて作ってみました。ただ部屋の中での撮影となると上半身だけのものになってしまって、前回と変わらないものになるので衣装を変えてみました。チャンチャンコ着て、腹巻き巻いて唄ってます。(笑)へ、へ、へ。オリジナルの日本語の唄をうたっているからな。ギターとベースも弾いているぞ〜。右肩の下着がズリ落ちているのはご愛嬌(あいきょう)。(笑)ぜひ見てやってください。
「ともだちがほしいよ」音楽配信中 作品「月」音楽配信中
書き忘れてましたが、この曲の音楽的なこともついでに述べておこうと思います。音楽的には何も新しいことはやってません。(笑)ですので最初、若い頃この曲を没(ボツ)にしていました。けど、自分の心の中にはずっとこの曲は残っていて、たぶんビートルズの初期の頃の曲に近いのかなと勝手に思ったりもしてます。世界のビートルズと自分の曲をとうとう重ねちゃいました。(笑)
自分の音楽はロックだという割には今までビートルズについて何も語ってきませんでしたが、ビートルズは原体験で聴いているわけではなく後追いなので何とも言いづらいと言いましょうか、一応は一通り聴いてまして結構好きなのですが、周りにいた熱狂的なファンと思われる人達とは多少距離を置いてきたような気がしないでもありません。(笑)CDも何枚か持ってまして、やはり初期の頃のシンプルなビートルズの曲が大好きで、「ラブミードゥー」とか「抱きしめたい」とか、ジョンレノンのシャウトものと言いますか、そうした曲が好きなのです。この「ともだちがほしいよ」という曲も自分の声の音域の結構ギリギリのところで唄ってたりなんかするものですから、自分でも和製ジョンレノンになった感じで、まんざらでもない顔をして唄っていたのだろうな、その時の自分の顔を鏡で見てみたかったとも思うのでした。(笑)
そしてビートルズと言えば、私にとってはあまりお金の臭いがしないバンドと言おうか、大人に利用されずに自分たち自身で考え、この大地を踏みしめたバンドというイメージがあります。日本にも次から次へと色々な人気バンドやタレントさんが出てくるのですが、みんなその背後に芸能事務所があって、お金儲けの大人の都合で動いている感じが見え隠れして、自分たちで物を考えないと言おうか、考えさせられないように洗脳されるのか、よくわかりませんが、見ていて退屈(たいくつ)なのです。エレキギターを持って格好よく弾いているのですが、全然ロックに見えない、、、。演歌歌手と何が違うのだ???洒落(しゃれ)たコード進行でキーボード弾いて喝采を集めても、後ろで大人が手を引いているだけのような気がして、どうもお金の臭いが漂って来るのを嗅(か)ぎつけてしまうのは私だけでしょうか?現実のビートルズもアイドルとしてそんな感じだったのでしょうけど、不思議と余りそうしたイメージが湧いてこないのですよね。
ジョンレノンとポールマッカートニーは、ビートルズというバンドの曲作りの仕事仲間なのでしょうけど、同時に”ともだち”だったのかもしれません。お金儲けと割り切れば世界一儲けられるバンド、ビートルズを解散させる必要はどこにも無かったのですから。そんなことより相手の音楽性が許せなくなったりしたのでしょうけど、それも”ともだち”だったからこそなのでしょうね。二人が”友達になろうよ!”と名刺交換して、効率優先の割り切った大人の関係だったならば、まず解散もなかっただろうし、それより、第一ビートルズがこれほどまで有名なバンドになることも無かったような気がします。
自分も若い頃、何度も気の合うバンド仲間を求めて、その”ともだち”を探したのですが、未(いま)だに出会えません。ただ、こればっかりは自分で努力して何かできるものでもありません。仲良かった友達と音楽リハーサルスタジオに行って、自分の音楽をグチャグチャにされてしまって深く傷ついたり、自分より音楽知識の高い人間に、こうした方が良いと言われ指示に従い、結局は自分の意図しない曲になったりして、こうじゃないだろ!と思ったことも何度もあったりして(笑)、歳をとった今、それが現実なのだと思います。それでも自分はまだ不思議とこう思うのです。ジョンとポール、2人のように
ともだちがほしいよ
と。
最後に音楽をやっている人向けにこの簡単な曲の構造を語りますと、この曲のコード進行はFとFの平行調のDmが中心になっているのですが、曲の最後そのどちらかのコードに行くところをDに行って終わってます。たぶんこれは調が変わっているのだと思いますが、こうした進行もたぶんビートルズの中期くらいの曲にあったような気がします。このDに行くところを見つけることができなかったならば、この曲は没(ボツ)にしていました。そうした点もこの曲がビートルズに影響を受けたものなのかなと自分では思っています。
がんばって、曲を創って、唄って、録音して、営業して、解説までしちゃいました。(笑)
ぜひ、聴いてください。音楽配信中