初心忘るべからず。

久しぶりに、このブログに向かっている。。。目が調子悪い。。。目薬差そう。。。ジクジクする。。。はやく書き始めようと思っていたのに、ログインするなりに、phpのバージョンを変えろだとか、たくさん出てきて、下準備するのに30分かかってしまった。こんなことしているうちに、だんだん文章を書こうという意欲も薄れてきてしまって、気持ちの行き場が無いと言おうか、誰かに怒りをぶつけたいのに相手がいないと言おうか、本当情けない気持ちになるんだよな。。。

世の中、どんなお店に行っても、スマホ決済するところばかりになってきて、どんどんデジタルシフトしているのだろうが、前も書いたような気もするが、一旦そのシステムが動かなくなると、すべてが止まってしまい、復旧するには無茶苦茶時間がかかったりして、デジタルにすると本当に効率が上がるのかよ!と、つい不平不満を語ってしまうところがもう老人なのだろうが、仕方がない。。。笑

少しは気分が晴れてきた。笑 本日も天気がいいぞぅ!わん。わん。わん。

今回書こうと思っていたのは、こんなデジタルの不満では無くて、先日行ったピアノ弾き語りライブのご報告なのであった。

やってやりましたよ、今回。ピアノらいぶ。お客さん、がんばって4人呼ぶことができました。来てくれた人、本当ありがとう!感謝してます。10曲歌ってやりました。どんなもんでぃ!てな感じだったのですが、まじめな話に戻りましょう。

今回、ピアノ弾き語りライブをやったのは、前回のこのブログにも書いたのだが、家で最近、昔の曲のピアノ練習を結構するようになって、その発表の場を求めたのだった。本番では、弾くのはグランドピアノで、家にある安いデジタルピアノで練習を積むばかりでは、失敗してしまうのではなかろうか?と不安にさいなまれ、近所の音楽スタジオの生ピアノで練習し、さらにはグランドピアノの置いてあるスタジオにまで出向き、死ぬほど練習したのであった。

結果は、所々(ところどころ)間違えたりもしているのだが、後悔の無いものになった。感じたのは、本番そのものと言うよりも、これだけ練習したという経緯に満足しているのである。自分のピアノを弾く力(ちから)というものが、どれくらいかというのは、自分が一番よくわかっていて、練習でできないものは、本番でもできないのだ。

自分の家のデジタルピアノで、10曲完璧に弾きこなせた!と思ったのは1回だけで、あとは、かならずどこかで小さくしくじるのである。50回練習して1回しか成功しない。と言うことでは、間違いなく本番でも同じようにしくじるのだ。要は確率の問題で、この確率が高い人が上手いピアニストであるとも言える。あるいは、しくじったとしても、そう感じさせないピアニストが上手いと言えるかもしれない。人間は間違いなく間違えるのだから!そう思ったのであった。

この確率を上げる、あるいはしくじりを感じさせないピアノの弾き方をマスターするには、結局は今まで以上に練習するしかない!と、こう悟ったのである。笑 悟ったのと同時に、なんだか初めてピアニストになれたような気がして・・・、ピアニストになれたというのはおこがましいが、その入り口に立てたような気がしたのであった。

それ以上に一番大切に感じたことは、この4人の人前でやったピアノ曲はすべて自分のオリジナル曲だということだ。自分のオリジナル曲でなければ、ここまで練習しなかった。クラシック音楽の発表会では無いんだ!モーツァルトやベートーベン、ショパンをきらびやかに弾いて、まるで自分の曲のような顔をしていることに興味は無いんだ!

昔、ピアノを弾き始めた頃、弾き方がわからなくて、とりあえず「バイエル」という有名な練習曲集を買ってきて、練習してみたが、駄目だった。リズムが違うのである。その曲の根底にあるリズムが白人なのだ。白人や黒人になりたくて、自分はピアノを弾き始めたわけじゃ無い!自分自身の気持ちを表現するためにピアノを弾き始めたのだ!

あらためて、今回この気持ちに戻れたような気がしたのである。

初心忘るべからず。

ユーチューブ、ピアノライブ動画 https://youtube.com/live/hx6UStIFQ8Y

「仕事帰りの道すがら」ピアノ室での練習模様。

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悔いなきように

2枚組にしたいと考えている作品集の制作が、今、だんだん佳境(かきょう)をむかえ出している。家で考えた打ち込みのリズムを入れたノートパソコンをリュックの中に入れて背負い、そのパソコンにつなぐスピーカー2つを入れた箱を前カゴに入れて、自転車に乗ってピアノ室に行くのである。ピアノ室でそのノートパソコンとスピーカーをつなぎ、音を出して、その音に合わせる形で生ピアノを弾きながら唄うのであった。

結構大変なのだが、曲の構造を最終的に仕上げにかかる時にはどうしてもこの作業が必要になって来る。わざわざスピーカーまで持って行かなくても、パソコンから音を出せばいいではないかと思われるかもしれないが、パソコンだけだとボリュームを最高に上げても音が小さくて、生ピアノとの音量バランスがつり合わないので、わざわざこの作業をするために持ち運びできる小さいスピーカーを以前買ったのだった。

家には安い電子ピアノも置いてあって、家でそうした作業をすることもできるのだが、やはり生ピアノの音で確認しないと自分は駄目(だめ)なのである。電子ピアノで確認して行くと、どうしても頭でっかちになってしまうと言おうか、危ない。見落としがたくさん出て来てしまったことが何度もあって、電子ピアノで曲をまとめるということはやらない。

音楽はやはり頭で考えるよりも体で感じとるものだと、つくづく思うのだ。頭の中の設計図は大切なのだが、設計図よりももっと大切なのが感じとる力(ちから)と言おうか、閃(ひらめ)きと言おうか、うまく言えないが、音楽にはそう言う人間が人間であるべき原点があるような気がして、なぜ人は歌を歌うのだろう?という素朴な疑問に答えることができる奴(やつ)がいないように、自分にとっては、音楽とは理屈ではなくて説明不能な生きている内にこぼれ落ちる摩訶不思議(まかふしぎ)な現象なのである。

何をわけのわからない文章を書いているのだろう、オレは?爆笑

そう、自分の心の中に何年も沈み込んでいた得体の知れないものが徐々に形になり、そろそろ芽吹くかもしれないという段階に今は入って来ている状態になり、自分自身で何かこうウキウキしていると言おうか、これからこの曲たちがどのような形になって行き完成を見るのだろうか?予想を裏切る展開なんかもあったりして、一番大変な作業なのだが、一番楽しくもあって、これだから曲作りは止められない。

当初、この2枚組にしようと思っていた作品群は、自分の人生のおまけと言おうか、歳(とし)をとってからの作品群だったので、若い頃の自分の唄に比べてパワーが落ちると言おうか、冒険不足と言おうか、これまでの作品群でもうやりつくした感があって、今回の作品群は未完成のまま死んで行ってもいいかなと思っていたのだが、佳境に入るにつれ、心が燃え盛ってきて、もっと現実の中で他にやるべきことがあるにもかかわらず、それをやらずに、このこちらの作品群に向き合ってしまう自分の姿が、やはり自分は売れない歌手なのだろうなと思ってしまうのであった。しかも誰にも振り向いてもらえないと言う。笑

しかしながら、いいのである。これも自分の運命だと思い、そんなことよりもこの2枚組の作品の結末がどのようになるのか、それが知りたい。まだもう少し時間はかかるとは思うが、悔いの無いようにと思っている。

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食事をしようセレナーデ

久しぶりに会う父親の姿は腰が曲がっていた。何年ぶりだろうか?コロナ騒動が起きてからというもの、たまに電話で話したりもしたのだが、どの家もそうであるように、父親からも実家(いえ)には近寄るなと言われ自重(じちょう)していたところ、先日、次の第六波がいつ来るかわからないので、感染者数が落ち着いている今こそ、実家に久しぶりに戻って来いと言われたのである。

土産(みやげ)など何も要(い)らないから、手ぶらで戻って来いと言われたのだが、何も持って行かないというのも気が引けたので、東京駅の駅弁屋でなぜだか北海道名物の「森のいかめし」ひとつを買って、持って行った。(笑)

我が家の実家(じっか)事情は、自慢するほどでもないが複雑で、(笑)このウエブ上で公開するのもなんだかためらわれるので説明しないが、とりあえず父親は今、田舎(いなか)のマンションで一人暮らしをしている。前回帰った時には、90歳にもなろう老人が、眼鏡(めがね)もかけずにガンガンに高速道路で車(くるま)を飛ばしていて、危ないから、もう運転止めたら!と言うのだが、言う事を聞かないので、叔母(おば)の年賀状に父親を説得してくださいと書いたりして工作(こうさく)をおこなうと、その甲斐(かい)あってか、ようやく車の運転免許も返納(へんのう)してくれた。(笑)

田舎のショッピングモールの前で待ち合わせたのだが、腰の曲がった父親が、自分を見上げて、”お前、背が伸びたな~!”と言うのである。(笑)”いや、伸びてないですよ。縮(ちぢ)んでます。お父さんの腰の曲がり方(かた)の方(ほう)が、私の背が縮むのより早いんです!”と返すのだが、一向(いっこう)に”お前、大きくなったな~!”と不思議な顔をするのであった。

90歳を超えた腰の曲がった老人と、背が縮みはじめた初老(しょろう)間際(まぎわ)の老人二人で、そこのショッピングモールで食べ物の買い出しをおこなった。ショッピングモールはとても広くて、何でも売っていて、”お前、なにが食べたい?好きなもの言え。なんでも買ってやる。”と言われ、腰の曲がった老人は杖(つえ)の代わりに大きな買い物用のショッピングカートを押した。

初老を迎えそうな老人は、適当に”これがいい。”とか言うのだが、最終的にはいつもその90歳を超えた腰の曲がった老人が”いや、この刺身(さしみ)は色が悪い。こっちの方がいい!”とか言いはじめ、言いくるめられてしまい、腰の曲がった老人が数日前から思い描いていた予定通りの買い物になるのであった。(笑)若い頃からいつもそうだ。子供の意見を形だけ聞くだけで、最終的には自分の思いを通そうとする。(笑)

老人二人では食べきれないような量の食べ物を買って、でかい今風のショッピングモールを出てタクシーで実家(いえ)に帰った。もう夕方で、父親は大体スケジュールを組んでいるので、どんな予定になっているのだろう?と思っていると、風呂に入ってから、飯(めし)を喰おう、お前先に入れと言われ、風呂から上がって出て来ると、父親が台所で料理を始めていた。手伝おうか?と言うのだが、要(い)らない、自分でやると言う。腰を曲げながら、ご飯を炊いて、味噌汁を作ろうとしていた。

何にもすることがないので、テーブルで父親の鼻唄を聞きながら、まだ手のつけられていない新聞を読んだ。昔からそうだ、自分が実家(いえ)に戻って来る日には、なぜだか父親はその日の新聞に手をつけなくて、皺(しわ)ひとつない新聞を自分に読ませてくれる。

父親の鼻唄がさらに大きくなった、なんだかご機嫌(きげん)だ。何を唄っているのだろう?子供の頃は、キャッチボールの相手をしてくれる時に、「上海帰りのリル」という古い歌をいつも口ずさんでいた。

”リ~ル。リ~ル。どこにいるのか?リ~ル。誰かリ~ルを知らないか?上海帰り~の~!リル、リル。”

この歌詞を猛烈に喉(のど)のコブシを回して唄うのである。耳にこびりついて離れないので、「火の玉」という自分の曲にも歌詞の中に「上海帰りのリル」という言葉を使っていたりもする。(笑) カラオケが流行っていた時には、大川栄作の「さざんかの宿」が十八番だった。この演歌を肩を怒らせてコブシをこれでもかと思うくらいに回して歌っていたのだが、今晩の鼻唄は、 「上海帰りのリル」 や 「さざんかの宿」 ではなくて、聞いたことのないものだった。しかもあまりこぶしを回してない。

鼻唄を聞いている自分としてはとてもいい!なんで昔はあんなにコブシを回していたのだろう?今の方がよほど素直な感じがして、とてもいいのに!と新聞を読みながら思ってしまった。

”料理出来たぞ!”と言われ、二人でテーブルに運んだ。父親の久しぶりの手料理だったのだが、もう何を出してくれたのか歳(とし)のせいなのか、すべてを思い出せなくなっている。(笑)ただテーブルの真ん中に買って来た刺身(さしみ)を置いて、大皿にはトンカツ一切れと、野菜がのっていた。野菜の下の手料理が思い出せない。駄目な息子だ。(笑)

父親は酒をやめて何十年になるのだが、自分だけはビールを飲んだ。食事をはじめたのだが、父親はそれまでつけていたテレビを消した。テレビの音が無くて大丈夫なのかな?会話がはずむのかな?昔、同じように父親がテレビを消して、会話だけで食事を楽しむぞ!と家族に宣言したのだが、いざ消してみると、まったく会話がはずまなくて、10分ほどでまたテレビをつけたというホロ苦い思い出がある。(笑)

ところが今晩は違った。会話が弾(はず)むは、弾(はず)む。父親が一方的に話して来る感じでもあったのだが、話を聞いている自分の気持ちも悪い気がしない。まるで恋人同士のような食事ではないか。(笑)

オレの研(と)いだ、自慢の炊き立てのご飯を食べろと言う。今の米(こめ)は昔のように、そんな研(と)がなくてもいいんですよ!とアドバイスするのだが、そんなこと知ってる!けどやっぱり、白い研(と)ぎ汁が出なくなるまで、研(と)ぎたくなるんだ!それが一番旨(うま)いだ。と言ってくる父親の顔がなんだか少年のようだ。そういえば、自分がこちらに出て来て一人暮らしを始めた時も、一緒に出て来て安アパートの部屋の中で米の研ぎ方を教えてくれたのは父親だった。

味噌汁も上手くできたから飲めと言う。確かに旨(うま)い!味噌汁も、その時に、味噌これくらいで、あとは本ダシ入れて、ハイミーを隠し味で入れるんだと教えてくれたのも父親だった。なんだか懐(なつ)かしい味だなと思ってしまい、ハイミーなんて今、体に悪いということで売ってないんじゃないの?と訊(き)こうと思ったのだがやめた。父親がせっかく自分のために作ってくれた食事にこれ以上ケチをつけたくなかったからだ。

そういえば、高校時代、母親がいない時期があって、昼間は給食ではなくて、みんな弁当持参だったのだが、父親が自分の弁当を作ってくれていた時期があった。弁当箱には装飾(そうしょく)なんて何もなくて、ただ、焼いた魚の切れが一切れ、おかずとして入っているだけのものだった。梅干しひとつだけの日の丸弁当よりはまだマシだったのだが、(笑)周りはみんなタコ足に切ったウインナーとか、緑のギザギザの仕切りが入った弁当箱を何が入っているんだろう?と期待して開けて食べ始めるのだが、自分は弁当箱を恥ずかしくてなかなか開けられなかった。(笑)

その頃にくらべて、父親は料理の腕(うで)をあげた!味もそうなのだが、なんといっても今回は、見せ方を工夫してきた。ちゃんと装飾してあるのである。(笑)恋人同士の12月なのでクリスマスの食事みたいだ。(笑)

”お前、いつまで、そんな誰も見向きもしない音楽やっているんだ?ピアノ室行ってるって聞いたけど、ピアノなんて弾けるのか?大体、お前、譜面も読めないのにどうやってピアノ弾くんだ!?”

と、あいもかわらずその夜の恋人同士のような会話の中で嫌(いや)みのように訊(き)かれたのだが、

”譜面は読めないけど、音楽に譜面は関係ないよ~。”

と、答えたら、なんだか珍しく父親は上機嫌(じょうきげん)で笑っていた。

酒の酔いが回って来たので、土産(みやげ)で買って来た「森のいかめし」の封を開けて、”こっちでいう、「峠の釜めし」や「ますずし」みたいなものだよ。イカもやわらかく煮てあって食べやすいよ~!美味しいから。”と言って、 包丁で細かく切って、その切れはしを父親にあげると、”なんだ、名物か!?”と言って美味しそうに口にほうばっていた。

自分の唄に「食事をしようセレナーデ」という曲がある。別れた恋人との楽しい記憶を思い出しながら、一人で食事をするという歌詞の一応ロマンチックな唄だ。その晩、洗い物は自分の方でやってあげたのだが、洗ったあとの食器の置き場所が違うみたいで、私が寝ついたであろう夜中に、食器の位置を父親はいつも置いてある場所に変えていた。90歳超えての初めての一人暮らしもなんだか自由で、楽しいみたいだ。(笑)その台所の音を聞きながら、この唄を思い出した。

唄の対象になっているのは恋人なのだが、父親が対象でも何らおかしくないような気がして、父親と二人だけのロマンチックなその夜は更(ふ)けて行ったのである。

※「食事をしようセレナーデ」・・・ピアノ弾き語り「YUKIO PIANO」4曲目です。ぜひ聴いてみませんか!?

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