YUKIOのカバー曲

ホームページやこのブログでの自分の売り文句は、”世界のどこにもないオリジナルソング唄ってます!”ということなのだが、実は他人のカバー曲もやったりするのだ。どうだ、驚いたかい?(笑)オリジナル曲しか唄えないわけじゃないぞ~!

3曲ほど実は唄える。(笑)

ひとつは坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」、ひとつは美空ひばりの「りんご追分」、そしてもうひとつは鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」という曲を唄ったりする。

私の曲調とは違う結構古い曲ばかりだが、なぜこうした曲を唄えるようになったかを今回お話したいと思う。

昔、飲み屋での私のライブで、私より年配のとある紳士が偶然飲んでいて、私の曲を聴いて”なかなか良いよ・・・!ライブまた次やるんだったらまた来るよ。”と言ってくれたのだった。ここまでは誰にでもよくある話なのだが、この紳士次のライブに本当に来てくれたのだった。

音楽をやっていると、”良かった!”、”素晴らしかった!”等、美辞麗句の言葉をウンザリするほどよくかけられる。芸能全般がそうなのかもしれないが、本当にそう思っているのかと言ったら勿論そんなわけはなく、挨拶(あいさつ)程度のものなのだ。そうした言葉をかけてくる人たちはみんな悪い人たちで信用しないなんてことはないのだが、どうも自分自身は余りそうした言葉を額面通り受け取ったりする性格ではないのだ。それだからかもしれないが自分にはミュージシャン仲間がいないのだった。(笑)

”次また行くよ!”と楽しそうにいろいろな所で言われたが、また本当に来てくれたのは今までにこの紳士だけだった。口先だけでなく具体的な行動を取ることが現実だと思っている。だからこの紳士に自分の心を開いたのだった。紳士は大酒飲みで、酒の飲み方をよく知っていた。また音楽を志(こころざ)す者を応援し支えようとするファンの心構えというものもよく理解していた。

紳士が来てくれたライブの飲み代は私の分も含めすべて持ってくれたのだった。さらにライブが終わった後にも2次会、3次会にも連れてってくれ、その遊興代も全部向こうで持ってくれた。紳士はカラオケが好きで、よくカラオケスナックで昔の古い唄を唄った。自称歩くジュークボックス、新宿生まれらしく「新宿育ち」という演歌を十八番にしていて、私は隣でよくその曲に合わせてマラカスを振った。また、以前このブログにも書いたように私は余りカラオケが好きでないと説明するのだが、紳士は気にすることも無く ”YUKIOさんも何か唄ってよ!”と催促されるので渋々、私の知っている古い邦楽「上を向いて歩こう」を唄ったのだった。

ライブに誘うと結構来てくれるので、その内この紳士に楽しんでもらいたいと思い、紳士にライブで私の唄を聴いてもらうだけでなく紳士にも唄ってもらおうと企んだのだった。それで紳士も私も知っている二人共通の「上を向いて歩こう」の譜面を買ってきて練習して、ライブで紳士に唄ってもらったのだった。

二人の生演奏はひどいものだった。(笑)

ピアノバーでやったのだが、私のピアノ演奏も間違いだらけで、紳士の方も紳士が得意なフランク永井の「東京ナイトクラブ」や「有楽町で会いましょう」といった曲に比べて「上を向いて歩こう」はちょっと難しいとのことだった。やはり作曲者の中村八大は只者(ただもの)ではない。

演奏もひどいし、あと譜面通りにピアノを弾くのもどうも楽しくない!譜面通りに弾くのであれば自分より上手いやつは世の中にごまんといる。そう思い、だったらもう自分のアレンジで思いっきり演歌を崩してやれと取り組んだのが、子供の頃なぜか印象に残っていた美空ひばりの「りんご追分」だった。

ただ、この紳士に唄ってもらおうと思ってアレンジしたのだが、ライブで紳士がたまたま用事で来れなくなって自分で唄ったら結構ウケてしまって、それ以来この曲を自分のレパートリーの中に入れてしまった。(笑)

紳士とはウッドベースも交えて、3人で一度だけYUKIO流「りんご追分」を唄ってもらった。紳士が言うには”「りんご追分」も難しいよ~、なんでYUKIOさん難しい曲ばかり選んでくるのよ~。」とのことだったので、よし!ではもうすこし簡単な曲にするべし!と思い、これも若い頃友達の家で聴いていたのか聴いていなかったのかよくわからないが、なぜか知っている鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」という古~い曲をアレンジしてやれと取り組んだのだった。

「街のサンドイッチマン」のアレンジは苦難を伴った。(笑)そうこうしてる内に、紳士は病(やまい)を患(わずら)い私のライブにも来れなくなった。たまに連絡するのだが、もうお酒は飲んでないらしい。そうだよな、あれだけ深夜遅くまで酒を飲んでカラオケ唄っているといつかは体もどこかおかしくなるよ。

紳士は深夜カラオケスナックからタクシーを使って家に帰るのだが、私の分も呼んでくれそうになるのでいつも断って一人ぽつりと夜道を歩きながら帰って来た。”YUKIOさんはいつもタクシーだけは断るね。”といつも紳士に笑われた。

紳士が酒を飲まなくなってもう何年も会っていない。「街のサンドイッチマン」 のアレンジ完成しましたよ。ちょっと難しいけど、唄ってみませんか!?素面(しらふ)でも大丈夫ですよ!と今度そう書いて来年の年賀状を送ってみようか。

お酒を飲まない紳士と私、二人で会話できたりするのかな?けど、喫茶店かどこかでお茶をすすりながら、ただ空を眺めているだけでもいいような気がする。音楽配信

チェッカーボードの帰り道

チェッカーボードからの帰り道 JR中央線高架下

昨夜はチェッカーボード(阿佐ヶ谷のブルースライブバー)でライブだった。今回は4組の出演で1番目ということで夜7時30分から40分ほど唄ってきた。他の3組は有名な黒人ブルースやジャズのカバーをやっている人達で前に何度か一緒になったような気がするが、ほとんど会話もしないのでどうだったかは定かでない。

お客さんは相変わらずいない。忌野清志郎が自分の音楽を人気がとれないマイナーなブルース音楽と言っていたがその通りなのかもしれない。しかし清志郎が死んだ時、あれほど葬儀場の前にファンが列を成して悲しんだのも事実。ブルースはマイナーな音楽かもしれないが音楽の力(ちから)はすごいものだと未(いま)だに信じて唄ってる。

今回はいつもと違ってギターソロを入れてみることだった。大久保水族館というライブバーで演奏する時はカラオケをバックに唄って間奏にギターソロを入れているのだが、今回は間奏にカラオケが無いのでギターソロ1本でお客さんに聴いてもらうことになる。心配だったがやってみた。結果は、まぁ良くもあるし悪くもある。

バックにハーモニーが流れてないので、他人(ひと)が聴いてくれるかな?と心配したが録音したものを聴いてみると意外に普通に聴ける。ただチェッカーボードで演奏するようになって創った”アーモンド”というブルース調の曲の間奏がギターソロだけだと小節が数えられなくなって一体どこ弾いているのかわからなくなってしまうという前からの疑問点が解決されていない。ここをなんとかしないと。

今回の演奏メニューは1.アーモンド、2.タクシードライバーはAチューニング、3.ボクはモグラ、4.答え、5.間違ってない、6.太陽、というもので、動画も撮ったのだが照明の光が自分の後ろから出たり入ったりしてどうも気になって仕方がない、演奏も結構タイミングがずれていたりなんかしてよくない。”間違ってない”という曲は前回上手く唄えなくて今回あらためて唄ってみたのだが4回繰り返すところ5回繰り返してしまったりしている。色々(いろいろ)あるが、後日まとめてyoutubeにアップしてみようと思う。

ライブ=生きてる、ことに間違いなんてないと思っている。自分の行動には何か意味があるのだ。行動には無駄なものは無い。遠回りには遠回りの意味がある。明日を信じてまた唄うだけだ。ライブ聴きに来ませんか。

あなたに出会えることを夢みて。

音楽配信

カラオケ嫌い

来週の水曜日は阿佐ヶ谷チェッカーボードでライブだ。そろそろ準備しないといけない。何を準備するのかといえば単に曲順を考えるくらいなんだけれど。(笑)そんなこともないか?練習もしたりするからな。

他人のカバー曲をやるのは実は3曲ほどある。しかし全部ピアノの弾き語りなのでチェッカーボードではやらない。ここではすべてギター弾き語りなのだ。いや、そんなこともない?鍵盤を借りてやっている女の子もいた。

ともあれ、チェッカーボードでやる時は私はギター弾き語りなのである。「cocolo」という何から何まで全部ひとりでやった作品をつくった時、ライブでは当然その曲を一人で再現できないので録音したカラオケをバックにして唄っていいかと訊いたのだが、ウチは生演奏一本ですと言われてしまい、そうであればと腹をくくってギター1本片手に、片手じゃないな、両手か?唄をうたっている。

いまどきカラオケ演奏は禁止という店は少ないと思うが、ブルースのお店ということもあってか生演奏しか駄目なようで、なかなか筋(スジ)が通っていて宜しい。

実はライブバーで自分のオリジナル曲を唄っているくせに、カラオケが苦手なのである。自分の曲のカラオケは仕方なく唄っているのだが、一人で自分で駅前のカラオケボックスとかに行って他人の歌をうたったりしたことがない。いや、カラオケボックスには行ったりするのだが、それは自分の曲を練習する時に音楽リハーサルスタジオ代わりに料金が安いので仕方なく使っていたりするものだ。

ところが意外に私みたいな使い方をする同業のオジサンみたいな人達がアコギを背中に背負ってカラオケボックスにいたりなんかする。このオジサン、カラオケ歌いに来てる割にはなんとなくミュージシャンぽい、同業なのかな?冴えない顔つき、オレと同じだな?と内心思いつつエレベーター前ですれ違ったりする。(笑)

このように私はカラオケが好きではない。誘われて渋々歌ったことは何度もあるが、他人(ひと)を自分からカラオケに誘ったことは一度もない。昔、なんで自分で曲を創って唄っているのにカラオケが好きじゃないの?と私のライブに来てくれたお客さんに訊かれたことがある。どう答えたか忘れてしまったが、今考えると自分が考える唄の在り方とカラオケの世界は根本的に違っているように思う。

まず自分の唄は手作りである。カラオケは自動演奏だ。そう、楽なのだ。楽して歌ってはいけない。唄の重みがわからない。気持ちよく唄うにはどれだけ綿密な計算が裏で働いていなければいけないのに、それを体感できないのは私にとっては唄でない。

次にカラオケだと点数がついてしまう。唄に点数などないと思っている。そんなにこだわらなくても・・・と確かそのお客さんにも言われたような気がするが、私から言わせるとなんで歌に点数をつけるのだろうと思ってしまう。

唄に上手い、下手はない、聞いてくれる人が上手いと思えば上手いし、下手だと思えば下手なのだ。点数をつける意味がわからない。唄はコミュニケーションの手段であり、学校の成績ではないはずなのに。カラオケの点数が高くでる人は自分が歌が上手いと思ってしまい、低い点数の人は歌が下手だと思い込まされる・・・。

そんなわけないじゃないか~!

唄は自由である。偏差値なんて本来ありはしない。音楽を勉強し競わせれば商売になるために点数は必要なのかもしれないが、世の中みんなそこで踊っているだけで自分が求めている唄はそこにはない。だから私は駄目なのかもしれないが・・・。

お酒を飲みながらカラオケで有名な曲をみんなと楽しく歌うよりも、なんだこの唄は?と白い目で見られ無視され続けられた方がいい。現実そうなのだが・・・。

だって自分は自分なんだもの。音楽配信