音楽配信について YUKIOの場合

音楽配信をはじめてもう1年ちょっと過ぎた。当然儲かるわけでもないのだが、なんとかできないかとずっと考えている。私みたいな売れない歌手がどうすれば唄を売れるのだ?日々自問自答してるのだが、そこにあるのは絶望的な現状がある。数年前まではiTunesでダウンロードだと持てはやされてたものがもう古くて、今はspotifyなどのストリーミングサービスが主体となりつつあるようで、聴く方はspotifyは基本無料、apple musicやline musicなどは月1000円ほどの定額制で聴き放題なので、これほど安上がりなことはない。ストリーミングに移行するのは当然といえば当然なのだが、音楽を提供する方にしてみればストリーミングはほとんど金にならない。1回聴いてくれて1円にならないのだから、100回聴いてもらっても100円にならない。もう名前の知れた有名な歌手達は何百万回、何万回と聴いてもらえてそれなりの金額になるかと思うが、私のような無名の者はぜめて何十回程度なものなのだ。これじゃ儲けとは言わない。

ダウンロードはもう下火だそうだが、1曲150~200円に設定して1回ダウンロードしてくれた場合、ストリーミングで200回くらいの聴いてくれたのと同じ収益となる。そちらの方が全然お得だ。ただ当然ダウンロードしてくれる回数はストリーミングに比べて全然落ちる。(続く)

音楽配信中

オリジナル唄へのこだわり

”うた”は英語でsongだが、漢字にすると一般的に”歌”にするのが普通なんだと思う。ただ私の場合、”歌”よりも”唄”の方に実は愛着があって、意識的に自分の曲を紹介する時に”唄”を使ってたりもする。

理由は大きな声でシャウトするような曲ではなく、かと言って小声でつぶやくような曲、たとえばボサノバ調(そうした曲もあるのだが、、、)ほど極端に小さい声でうたう曲でもなく、、、うまく説明できないが、要は鼻唄まじりの延長が自分の”唄”なのである。

風呂場に入って湯気の中、くつろいでつい鼻唄を口ずさんでしまう。そのメロデディーが私の音楽の原点”唄”なのだ。

ギターやピアノの楽器演奏も同じ感覚なのだが、唄もそうで、”上手い”という基準がよくわからない。世の中であの歌手が歌が上手いとか、あのギタリストの演奏が上手いとかよく言われるが、ただ声が出るとか、速く弾けるとか、そうしたものに実は私は全然価値を憶えてなくて、”上手い”の基準はいかに自分らしく演じられるかが自分の中の本当の心の中の基準なのである。

だから”唄”は自分に誠実でなければいけない。自分にウソをついちゃいけない。そこが始まりである。だからこそ自分にしか唄えないオリジナルなのだ。

音楽配信しています。気にいったらお買い上げいかがなものでしょうか?

天国キス

”天国キス”というこの曲、私が何か新しく唄おうとする時いつも最初に唄う曲です。自分の人生の始まりの曲といっていいかもしれません。この唄が頭に聞こえてきたことが私を音楽に夢中にさせるきっかけとなりました。

単純な曲だと思われるかもしれませんが、自分の中ではこんな深い曲は無いと思ってます。

リズムはジャングルビートといって昔のリズム&ブルースではよくあるものですが他の曲と違って、この曲はなかなかコードチェンジしないところに特徴があります。私の曲全般にも言えますが、なかなかコードチェンジしない(笑)。ですので単調に聴こえるのですよね。ただそうした不遜な反応した人達に言いたい、試しにギターを弾いてこの唄うたってみてよと。1回じゃたぶん唄えない。それほどこのリズムでこのメロディーを唄うのは結構難しいと思います。

歌詞は”神様おたすけを!仏様おたすけを!稲尾様おたすけを!”と連呼しています。”神様、仏様、稲尾様”・・・平成も終わろうとしている今日、こんな昭和30年代の流行語を取り入れてどうすると言われそうですネ(笑)。稲尾様って誰?という声が聞こえて来そうです。ちなみに稲尾は昭和の昔、プロ野球西鉄ライオンズの投手で日本シリーズで稲尾が神がかりのピッチングをして巨人に逆転優勝した偉大な人なのです。私も実際見たことが無いのですが、、、。ただ、頭にそう聞こえてきたからいいんです!それが変であろうが、無かろうが、不条理であろうが、無かろうがそう聞こえて来たのですから。

世の中不条理だらけなのに、唄がなんで不条理であってはいけないのでしょうか?すべては不条理だらけなんですから。

さあ、みなさんも一緒に唄いましょう。”神様おたすけを!仏様おたすけを!稲尾様おたすけを!”