オーガニック・ミュージック

一昨日、昨日と続けてミックス・マスタリングについて語ってしまいました。かなり自分流ですが今までやったきた作業に後悔はありません。しかしあと一つだけやりたいことがあって、それはかつて完成させてきた作品をDA/ADコンバーター※を使ってアナログのイコライザーかなんかのオーディオボードを通してあらためて出力してみたいのです。

※DA-デジタル信号をアナログに AD-アナログ信号をデジタルにする機材 

参考書では大体市販されているマスタリングされた大手の音源はそうした過程を通って来ているらしく自分もやってみたいのですが、そうした機材なんかはプロ用のマスタリングスタジオに入っていてもの凄く高価なものらしく、手を出せる感じでもないし、例えそんな環境に置かれてもやり方が解らないような気がします。(笑)

ミックス・マスタリング作業での私の師匠、楽器屋の店員さんにもこのことを訊いたのですが、”自分もそこまでやったことがないのでわからないですよ・・・。”と失笑されてしまいました。(笑)

たぶん自分の音楽が売れれば、そうしたマスタリングができる機会に出会えるのでしょうけど、今のところ気配がありません。あの世まで取っておくか!と、思っている次第であります。(笑)

このように私の音楽はすべてが私一人の手作りとなっております。歌詞の作成、曲の作成、編成、打ち込み、楽器の手配、演奏、コーラス、唄うたい、完成したところでミックスダウン、マスタリングと長い時間をかけて完成されたもので、1ヶ月くらいでハイ!出来上がりました!といったものではございません。(笑)ひとつひとつが自分の血の結晶です。

今の世の中どの世界に行っても分業制になっています。研究開発は研究開発、製造は製造、営業は営業、宣伝は宣伝。しかもその中の部署は更に細分化されて、そこに人が配置され組織は動いて行きます。人は組織のパーツの一部です。その方が効率がいいから自然とそういう世の中になって来たのだと思います。最新の製品がニューモデルという名で毎年のように大量生産され消費されて行きます。

昔のイチゴはもっと酸っぱかった。赤ちゃん用のミルクをつけなければ食べられないようなものだったのに、今では口に頬張(ほおば)るととても甘くて食べやすい!スーパーで売っているトマトはみんな真っ赤で、味もずいぶん食べやすくなっている、、、前は捥(も)いだところが緑色になっていたものや形が多少いびつなものも並んでいたような気がする。。。いろいろな品種改良や害虫駆除(がいちゅうくじょ)の農薬でイチゴやトマトがすくすく育つようになったこともあるのだろうし、出荷前に見栄えの悪いものを人を配置して排除していったりもするのだろう。

すべてが分業化され効率を求められたり見栄えが肝心(かんじん)な時代に、1人だけで何十年もかけてオリジナル音楽を創る職人さんのような人間がいてもいいだろう!

この文章だけを読んでいると非効率だし、無駄な時間を使っていると現在の大概(たいがい)の人は思うのでしょうが、一度でいいから真剣に向き合って私の音楽を聴いてみてもらえないでしょうか?派手さも無く、単調で、音もそんなに良くはありませんが、一般に売られている大手の分業制で作られた音楽とは全然違うと思っています。ぜひ聴いて下さい。

最近はスーパーにもちょっと高いけれど誰が作ったか顔が見える無農薬のオーガニック(有機)野菜もいっぱい並んでいるのですから。

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YUKIOギターライブ・コレクション

音楽の雑味

さて、昨日は自己流のミックス・マスタリング術を語ってみたが、今回はもう少し具体的に踏み込んだ話をしてみよう。ミックス・マスタリングもたぶん歌と同じで人それぞれやり方が違っていると思う。正解なんてないのだが、、、どうしても他の作品と比べようとしてしまったりする。

レファレンス・トラックと言ってミックス・マスタリングをやっていると自分自身何をやっているのかわからなくなることがしょっちゅうあって、他の人が作った模範にすべきトラック(曲)を決めてそれを模倣するのだ。私の場合、音圧(曲の音の大きさ)加減がどれくらいあればいいのか最初全然わからなかったので今まで買って来たCDの中のできるだけ新しいトラックを参考にしたり(それでも20年以上前の曲だったりするのだが、、、)、楽器屋の店員さんからアドバイスを受けて参照したいCDを買ってみたりもした。ただし音圧加減のレベルを知りたかっただけで、そのレファレンストラックの全体の曲の雰囲気とかを真似したいとは思わなかった。曲の構造が余りにも違い過ぎてなんだか参考にできないのである。模倣したい曲がないのだ。(笑)最近は割り切って音圧のサジ加減を調整するためだけでレファレンストラックを聴いていたりなんかする。

次に、いまだにいつも悩むのがトラックにクオンタイズをかけるのか?かけないのか?という話だ。クオンタイズとは何かと言うと、録音された生演奏データのバラツキのタイミングを揃(そろ)える機能(当然、人間の生演奏では本当に寸分の狂いも無くタイミングを合わせることなどできないの)で、最近の流行歌などはもはやすべてにクオンタイズ加工されている気がするのだが、自分はなんだか好きになれないのである。

cocolo」という作品を創った時、実は鍵盤の音をすべてピッタリ頭を揃えたのだが余りに無機質で、次に入れたギター演奏と唄はすべて何の加工もしないようにした。そうすることによって上手くバランスもとれたと思っている。生演奏できない打ち込みをしたドラム、ベーストラックではヒューマナイズドというわざとタイミングを人間ぽくずらす機能も結構使っていたりして、やはり自分の中では理想はクオンタイズをかけずに何の加工もしないのが一番自然でいいような気がするのだ。

それで次の「太陽」という作品はリズム以外はすべて生演奏そのままを使ったのだった。ただ何となく生演奏だらけだと情緒的で、最近の世間の音楽がそんな風になっていないので何だか時代に乗り遅れているような気がしないでもないのである。

最近のクオンタイズされた音源はとても無機質で、スマホなどから密閉されたヘッドホンを使って音楽を楽しむ人が増えたせいか、クリアな感じの音質が好まれるのかもしれない。。。雑音は一切入れないようにすることがミックス・マスタリングの基本であるとどの教科書にも書いてあるのだが、この点も自分は馴染めない。(笑)耳をよく澄ますと、鍵盤は間違った音を指で押さない限り楽曲とは関係のない音は出てこないのだが、ギターなどは弾く前にフレットに触るだけでも色々な音が小さ~く出ていて、様々な雑音が鳴っているのである。この雑音が生演奏の魅力の正体だと思っていて、雑音を取り除いた音楽なんて雑音が入り混じった現実生活を送っている人間にとってありえないので、最初は耳触りがいいのかもしれないが段々飽きて来るのではなかろうかと思っていたりもする。譜面を追って演奏しても実は譜面だけの音しか出ていないわけではなく、人の耳が認識できないだけで本当に雑多の音が鳴っているのである。

それで「太陽」という作品の中では、表現はもっと自由だ~!!そうした雑音も含まれた音楽もあっていいと考えたので、ギターを弾いていない時のシールドの”ジーッ”という音も敢えて入れたのだった。鍵盤上で多少隣の間違えた音が小さく出ていたりしても、「cocolo」ではすべてそうした音はカットしたのだが、「太陽」では敢えてそうした雑音も入れた。その雑音も含めて自分の頭の中では曲のイメージが完成されていて、雑音を見逃したわけではないのだ。雑音を一切いれないという考え方にそれが正解であるとどうも賛同できないのである。(笑)いろいろな録音の仕方があっていいじゃないか!音楽はもっと自由だ!人間はもっと自由だ!と。。。この点については自分だけじゃなく他の人の意見も訊いてみたい気がする。

時代に遅れちゃいけないと現代版のクリアな音ばかり聴いている時に、昔、録音された曲をたまに聴くと音は悪いのだがなんだかホッとすると言おうか心が温まると言おうかそんな気分になったことはないでしょうか?レコードやテープが流行っているのもそんな感覚があるからなんだと思うのですが、、、。

雑味があるからこそ音楽は楽しいのです。(笑)

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太陽ダイジェスト

YUKIO流ミックス・マスタリング法

緊急事態宣言が解除され世の中も徐々に経済活動を再開するようになって1週間以上経(た)ちます。街に出てみるとみんなマスクをして表情がわからない。こんな状況が何年も続くことになるのでしょうか?6月になり外は暑くて熱中症にかかりそうです。

前回ギター、ピアノ弾き語り曲にリズムトラックを入れ終わった直後にこのブログを書いてから随分時間が経過していますがこの間(かん)何をやっていたかというと、またまったく違う作業をしておりまして、2年前に録音してあった30曲の内まだ完成していなかった残りの13曲をまとめ上げるミックス・マスタリング作業をしていたのでした。ようやく自分の納得できる形に仕上がったのでこのブログに戻って来た次第であります。

今回はミックス・マスタリングを自分流にどのように仕上げるのかを初めて述べてみたいと思います。ミックス・マスタリングというのは何ぞや?と言えば要は録音された曲を他人(ひと)に聴かせるために唄やギターの音のバランスをとったり、エフェクターをかけたりして調整する作業です。音楽スタジオでガラス張りの中でバンドさんが演奏した音を外で機材に向かって難しそうな顔でツマミを回しているエンジニアさんをTVドラマか何かで見たことがあると思いますけど、そうした姿をイメージしていただければわかりやすいかもしれません。

本来(ほんらい)唄を創る作業とミックス・マスタリング作業というのは分担作業になっていて、アーティストとエンジニアといった別々の人間がやるのが世間の常識なのでしょうけど、私の場合友達やそうした知り合いがいないので自分一人ですべてやっています。(笑)

昔創ったギターとピアノの弾き語りでは音楽スタジオのエンジニアを雇って録音しているのですが、1人でバンド形態の音をすべてまとめ上げるようになってからは、エンジニアをまた別に雇うには結構なお金もかかることにもなり、であるならば自分でやるしかないと思い、始めたのでした。

始めたのは良かったのですが、、、ミックス・マスタリングの作業というのは唄を創るという作業とは全く別物の作業で、、、最初から悪戦苦闘となってしまいました。イコライザーとは何ぞや?コンプレッサーとは何ぞや?スレッショルドを下げてレシオの対比を3:1にするとか、、、音楽を創り上げるという苦渋の作業をくぐり抜けて来てようやく光が見えたと思ったら、、、次またこんなわけのわからないことを永遠と繰り返していかなければいけないのです。しかも音楽的な制作作業に関しては大体わかるのですが、ミックス・マスタリング作業というのは膨大な専門知識が必要でこれを独学でやるのは無理があると思いそうした専門学校にでも通おうかと思ったほどです。しかしそんな学校に通う時間もお金もありません。どうしたかと言えば、、、

新宿の大手の楽器屋さんのデジタル音楽コーナーに足繁く通うようになり、そこで知り合った店員さんに根掘り葉掘り自分の解(わか)らない疑問を訊いたのでした。(笑)デジタルコーナーには3人の店員さんがいてその内の一人と仲良くなってどのように音楽ファイルを書き出していくか最も基本的な作業だけをしつこく訊いたのです。(笑)その店員さんだけが親切で、他のこのデジタル音楽コーナーの責任者の人とかにも質問あびせたりもしたのですが、”そんなの専門学校に行って勉強すればいいじゃないか~!”と邪険に扱われたりもしました。(笑)このような苦難を経(へ)て、初めて自分一人だけですべてを創り出した作品「COCOLO」が完成したのです。

それ以降ミックス・マスタリングもすべて自分でやっているのですが、正直自分のこの技術は素人の毛の生えた程度のものだと思っています。巷(ちまた)に溢れている大手のプロのエンジニアがミックス・マスタリングした曲を注意深く聴いてみるとホント色々なテクニックが使ってあって呆れるほど自分の技術とは差があるなと思ってしまうのですが、ただ彼らに無くて自分にだけにある特別な能力があると思っています。

それは表現者である自分自身がミックス・マスタリングをやっているということです。唄の本質を一番良く解っているのは、唄を創った自分自身なのです。この唄をどのように仕上げるかと他人(ひと)に説明する必要は無いのです。高いお金を払いエンジニアを雇って聴き映えのいい今風の楽曲ができたとしても、自分の思い描いたものでなかったとすればそんなの意味がありません!自分が表現したかったものとはズレってしまっては元も子もないのです。

ミックス・マスタリングをする機材には様々な機能が付いていて、それを無制限に使えば原曲がどんなものかわからなくなるほどに形を変えることができます。自分にはそうした機能を扱える知識がありません。ですので自分がミックス・マスタリングで一番注意しているのはどんなに派手(はで)な感じになろうとも自分が解らないと思ったことはやらない、そして唄い手として技術的なものが稚拙(ちせつ)であったとしても自分の表現したいものがそこに出ているようであればそれで良し!それで後悔しないと心がけています。これが私のミックス・マスタリングの基本です。

ノウハウの話では無くて、またまた私らしく抽象的な話になってしまいました。(笑)新しい作品を完成することができたので、少しはこのブログ書くぞ~。音楽の方も聴いてね。気入ったらオリジナルアルバムいかがなものでしょうか~!?流通している大手の作品とは一味(ひとあじ)も二味(ふたあじ)も違いますよ~。アナタに出会えることを夢みて。

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