本屋とYUKIO音楽

本屋が好きだ。スマホやパソコンを眺(なが)めているより本や新聞を読んでいる方が正直落ち着く。そう思うのは私だけなのだろうか?もはや紙の時代では無くなったと随分前から言われて久しいがいよいよ危なくなって来ている気もする。気はするのだが電子書籍で小説を読みたいとは思わないし、電車の中でニュースや漫画をスマホで読んでる若者を見てるとどうもついて行けない気がして、これが齢(とし)をとったということなのかなとも思ったりもする。

このブログをつくったのもそうした焦りからやったもので、自分が気づかない内に時代が進んでいて、それを取り戻そうとウェブのやり方やインターネットの業界のことを勉強したのだが、結局それも大筋(おおすじ)は本屋で立ち読みしたものだった。

本の中ではわからない具体的にさらに細かいところはグーグルか何かで検索して解決するというやり方なのだ自分は。

本の方が目に優しい。

それに整理もされているので理解するのも早い。なんだか優しいのだ。ネット社会は情報が溢れていて疲れてしまう。一日検索なんかしたりしてパソコンやスマホを見ているとなにか光源を睨(にら)んでいるような気がして本当に息苦しくなる。

ネット業界の勉強をしようと、ネット通販で成功した読書好きの社長さんのメールマガジンをとってみた。ただその社長さんももはや読書は本ではなくてアマゾンのキンドルでするらしく、周りもそれが当たり前のような書き方をしていた。読書をアマゾンのキンドルでか・・・。キンドルが目に優しい設計になっていることは知ってはいるのだが・・・。

その社長さんあたらしい商売をいろいろ考えたり社長としての心構えとかマーケティング方法とかいろいろ手を変え品を変え毎日メールが送られて来て、よくぞ毎日これだけ内容を変えて送って来るなと感心する点も多々あったのだが、アマゾンでセドリをすると儲かるとかの話になってきてちょっと怪しいなと思い始めて、ついには読書の速読会をやっているので参加してみないかと勧誘されとうとうそのメールマガジンを解約してしまった。

その社長さんにとっては読書とは自分の役に立つ情報収集する場なのだ。情報を大量に仕入れるには、効率よく速読した方がお得であるという考え方にネット検索と同じ臭(にお)いを私は感じとってしまい解約したのだった。

情報を仕入れるための読書なんて要(い)らない。

自分にとって本を読むということは何と言おうか心を落ち着かせたいと言おうか・・・、新しい発見や感動が欲しいと言おうか・・・上手く言えないのだが・・・確かに言えることは情報が欲しくて本など読んだことがないということだ。そんな貧乏くさい読書法はご免なのである。

これは読書に限らず自分の音楽もそうで、情報を得て右から左に流すというものではなく、もっとなんと言おうか文化の匂いと言おうか・・・芸術の匂いと言おうか・・・まあ、そんな大げさなものでもないのだが、そんな感じなのである。

なんだ”そんな感じ”とは!?と突っ込まれそうだが上手く説明できないので今回はここまで。(笑)本屋無くならないで欲しいな。自分の仕事にも影響あるし・・・。音楽配信

YUKIO作曲法

実はもう何年も曲ができない。曲ができないというか、曲の基(もと)になるアイデアが閃(ひらめ)いて来ない。もう駄目(だめ)だ。というのは冗談で、(笑)原因は齢(とし)をとって来たのと、他人(ひと)の音楽を聴かなくなったからだと思っている。

大手CDチェーン店で自分のオリジナルCDを置いてくれなかった件以来、一切CDを買わなくなった。(笑)実は聴いてみたい曲とかあったりするのだけど意固地になってもう買っていない。ストリーミングサービスを使って聴いてみようかとも思うのだが、検索してもなかなか出て来なかったりもしてすごく億劫(おっくう)なのでそちらも利用していない。要は音楽的な刺激が無いのだ。

週末には毎週のように近所のピアノ室に行って練習するのだが、それは元々自分の頭の中にあった曲の基(もと)を他人に聴かせられるよう練り上げていく作業であって、曲を創るというものではないのだ。曲の基(もと)が枯渇して来ている。(笑)どうせいくら頑張って曲をつくっても誰も聴いてくれないという、もはやふてくされた気持ちもある。(笑)

今回はその曲の基(もと)になるメロディー、あるいは言葉なり自分が唄を創る上での所謂(いわゆる)インスピレーションを湧かせるヒントとなるネタについて述べようと思う。

ここで最初に目次があってそれからいかにものハウツーものの書き方をすればグーグル検索の上位にも引っかかったりもできるのだろうが、そんなことしません。(笑)できないし・・・。(笑)

芸人さん達はネタ帳のようなものを持っていると思うのだが、自分も同じ感じで湧き出たメロディーは鼻唄まじりに昔はテープに現在はスマホの録音できるアプリに録っておいたりする。酔っぱらった勢いでなにか無性に言葉を書きたくなったりした場合などはメモをちゃん取ったりするのだ。売れないのによくそんなことをするなと言われればその通り!お恥ずかしい限り。しかしながらこれは自分の性分なのだから、他人(ひと)からとにかく言われたくはない。

その鼻唄まじりのメロディーやフレーズは日々重なると山のように溜まっていくのだが、その中のどれを唄にできると判断し選択するか、あるいはその選択の基準は何かと言ったら、実は選択などしないのである。録るだけ録って後日聴いたりなんかはしないのだ。(笑)そうした録音やメモをとった意味がないじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、いいんです。録音された山のような数のメロディーやフレーズは実はみんなクズで、翌朝起きたらみんな忘れてしまっているのだ。

唄にできるのはなぜだか何日経っても頭から離れないメロデイーやフレーズ、言葉なのである。頭にこびりついて離れないのだ。(笑)録音なんて必要ない。ずっと頭の中で鳴り続けていて、たぶん死ぬまで鳴り続けているだろう。自分はその音を広げて曲を創っているだけだ。

私の曲の創り方の最初の部分を説明してみた。こんな曖昧(あいまい)な書き方だとグーグル検索に引っかからないよ~。(笑)けどこういう説明の仕方しかできないのだよ。

これが私の曲を創るためのハウツーです。

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YUKIO音楽キー key of life

井の頭公園で久しぶりに屋外で唄ったことでいくつか感じたことがあるのですが、その内の一つ、唄のキーについて今回は書こうと思います。

外で唄っていると音がすべて拡散していきます。ライブハウスなどの屋内では音の反響とかマイクにリバーブを掛けたりして誤魔化したりしますがそういうお化粧道具のようなものがないのです。そうすると自分の声のどこら辺が一番響きやすいか唄っている自分が一番わかるような気がしました。

一番響きやすいところをその曲のメイン、所謂(いわゆる)一番盛り上がるところに持っていけばいいのでしょうが、実は自分はやっていません。(笑)若い頃はそういう風にキーを変えて唄ったりもしたのですが歳と共にやらなくなりました。

プロの作曲家の先生達が歌手の声域を考えて作曲するのは当たり前のことです。昔、小室哲也が華原朋美の声域ギリギリの高さに合わせてキーを変えたりしたと、もう忘れましたがそんなことをTVかなにかで言っていましたが、それが一般的な考え方なのでしょうけど自分はやっていません。(笑)

なぜだかと言うと私の場合は自分で曲を創って唄って演奏までしてしまうからです。説明になっていませんけど、(笑)詳しく申しますとキーをどこにするかは問題ではなくて、最初にその唄が、あるいはメロディー、その言葉が頭に聞こえてきたところがキーなのです。移調する必要はないのです。

若い頃、盛り上がるところにメインボーカルの一番響くところを持っていく形でキーを変えたりしたのですが、ハモりとかが入ると声域がちがうコーラスの人がいてくれればいいのでしょうが、いないので自分で唄うことになります。そうするとハモりが高くて唄えないのです。

これはどこかおかしい。メインボーカルだけは他人(ひと)からの聴き映えはよくなるのかもしれませんが、曲の構造そのものが何か無理やり捻(ね)じ曲げられた感じになってしまってずっと不思議に思っていました。それで原点に立ち返って頭に聞こえて来たメロディー、言葉の最初のキーそのままで唄うことにしたのです。そうすると不思議といくつにも重なったハモりとかもすべて自分の声域内で唄えることができるようになったのです。

私の場合メインボーカルだけが唄ではなくて、演奏、バックコーラスも含めて自分の唄なのです。一人のギター弾き語りだとすべてを表現することはできませんが、他人(ひと)に良く魅せようと思って曲の構造を無理やり変えてまで唄うことはしません。ちょっと声が低くて遠くまで聞こえないだろうなと井の頭公園で唄っている時も、そんな曲があったりもしますが気にせず先日は唄って来ました。

お恥ずかしい話、若い頃はバックのバンドサウンドに負けまいと思い切り声を張り上げて、高い音を目指して唄って、翌日にはもう喉がガラガラで声がでないなんてこともあったりしたのですが、公園で唄った翌日、昨日も喉(のど)は余りおかしくなっていませんでした。

確かに外で唄うには声が余り出ていなかったような気がしますが、この歳になるとわかります。無理に声を張り上げてはいけない。徐々に徐々に回数を積み重ねていく内に環境に合わせて自然と声は大きくなっていくはずです。人間無理はよくない。(笑)

そんなことより歳のせいだと思うのですが、

最近はお酒の飲み過ぎで声が枯れてしまうのでした。(笑)

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井の頭公園唄い初め

昨日、吉祥寺の井の頭公園で唄い初めた。50歳も過ぎてとうとう公園デビューだ。(笑)やっぱり空気が美味しいと唄ってると気持ちがいい。そしてあらためて井の頭公園に来る人達がこんなにたくさんいることに驚いた。いろんな人間が散歩したりヨットに乗ったり絵を描いていたりして様々なことをやっていたが、その中で自分で創ったオリジナルの唄をうたう幸せを実感した。

当初の作戦としては唄いながら前にオリジナルのCDを並べ、スマホでライブ配信を考えていたのだが、肝心の自分のCDを持ってくるのを忘れてしまった。(笑)ライブ配信も10分くらいしか撮れてなくて、どのような弾き語り演奏だったか確認のしようも無くなってしまった。

1時間ずつ2回唄ったのだが、自分の今持ってる古いスマホでは2時間も使用できない。それで充電器を買おうと思って前日にお店の人に訊くともうこのスマホ対応の充電器は売ってないとのこと、もはやこれまでで諦(あきら)めた。(笑)

1回目に唄った時はフェイスブックで2回目はツイッターで配信してみたが、フェイスブックが上で述べたように10分弱でツイッターの方は唄う前何十秒ですでに動画が終了していた。(笑)

スマホを買い替えなければいけないのだろうが、もう少し粘りたい。なにかいい手立てはないものだろうか?

そのフェイスブックの10分ほどのライブ動画を家に帰ってあらためて見てみると、アコギの音がでかくて何を唄っているのかよくわからない感じになっていた。ライブバーで唄っているとボリュームを調整してくれるが、外だとなんにも聞こえないのだ。声を更に張り上げるしかないのだろうか?なんとも言えないところだが、とりあえず安い拡声器を買ってそれを使って試しに唄ってみようかなと思っている。

ただ電気道具を使わずに自然のままに唄った方がいいような気もする。昔から余りマイクとかで唄うのは好きではなかった。試行錯誤の段階だがこれからも継続的に井の頭公園で唄っていこうと思っている。なにせ自然の中で唄うのは気持ちがいい。次回は29日(日)。公園を散歩がてら聞きに来ないかい?お待ちしております。

アナタに出会えることを夢みて。

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