答えの探し方 YUKIO音楽の場合

自分のつくった曲の中に”答え”という唄がある。若い頃”答え”なんか無いとずっと思っていた。周りの人間も”答え”を求めてもいなかったし、捜しても無駄だといった感じだった。ところがある日ガラッとその考え方が変わってしまった。

空が晴れ渡ったとても気持ちのいい朝で、寝不足で疲れてもいたのだがフト何かがわかったのだ。”答え”はある。それも自分の中に。もともと自分の心の中に眠っているだけで、それを確めたいだけに人は生きているのではなかろうか?捜すから”答え”はないのであって、確めればいいだけのはずなのである。”答え”は人それぞれ各人の心の中にある。他人(ひと)と触れ合うことによって自分の”答え”を確めようとしているだけなのだ。

そう思ってしまった。あまりに観念的で上手く説明できないが今もその考え方に変わりはない。その時に閃(ひらめ)いたメロディーに乗せて今でもアコースティックギターで唄っている。本当はフルアコかセミアコで弾いた方がいいような気がするのだがやったことがない。今度やってみるとするか。

”答え”は捜すから無いのである。自分の心の中を確(たしか)めに行けばいいのだ。

さあ、探しに行こう。きっと見つかるはずだ。音楽配信

台風が過ぎて

昨日の夜にかけて台風があっという間に行ってしまった。玄関の屋根下が壊れていた。また猛烈に暑くなって来た。今週末は月1回やっている大久保水族館でのライブだ。何やろう?練習しないといけない。

今年になって「cocolo」と「太陽」という自分でつくったアルバムから曲を選んで、交互に毎月カラオケをバックに演奏する形をとっている。それ以前は鍵盤の弾き語りをやっていた。

本当は唄だけに専念したいのだがなんだかライブっぽくならないので、あえてギターのパートの音をはずしたカラオケをつくって、ギターを弾きながら唄う形をとっている。

お店の料金以外に自分で音楽チャージをとろうとして以来、ほとんどお客さんが来なくなった。ただ元々そんなファンがいたわけでもないので気にするほどのものでもない。友達がいなくなっただけだと思っている。(笑)

行ってあげたり来てくれたりの友達が欲しい訳ではなく、自分の音楽に価値を見出してくれるファンが欲しいのだ。そのファン一人を見つけ出すことが本当に大変なのである。

そこを誤魔化してライブをやってもしようがない。音楽は人それぞれ千差万別、いろいろあっていいし、そうあるべきだ。上手い奴もいれば下手な奴もいる。ただ自分が選んだ道は自分の曲で稼げるかどうかだ。まったく稼げてないけど、ここから逃げちゃいけない。どんなに白い目でみられようと言うべきことは言わないといけない。

もう齢(とし)なんだし時間がない。やるべきことをやらなくちゃ。音楽配信

蕎麦(そば)打ち

台風がこれから来るという。蒸し暑い。二日続けて外で手打ち蕎麦(そば)を食べてしまった。高価だが美味い。食べたあとにガラス越しに蕎麦打ちの実演をやっていたので蕎麦湯を飲みながら20分ばかり眺めて来た。

テレビで見たことはあるのだが実際まじまじと見るのは初めてで、蕎麦打ちというかすでに蕎麦は打ってあってその(かたまり)を伸ばすところからの作業だった。

両手でぐにょぐにょ伸ばしはじめて、それから木の棒をつかって白い粉をまきながら広げていき、最後包丁で千切りしていく過程だった。作業していたのはそのお店の店主ではなくたぶんお弟子さんだと思われる若い男の子で、私にじっと見られているにも関わらず気にすることなく黙々と蕎麦を切っていた。この千切りにした蕎麦を先ほど私が食べたのだなと思うと不思議にこのお弟子さんにも愛着が湧いてくる。

食べてるだけだとそのありがたみがわからないが、その過程を見せられることによっていかに蕎麦を切るだけでも時間をかけて細心の注意を払っているのかわかったりするので、こうした実演はすごく良いことのような気がする。蕎麦屋だけでなく違う分野でのお店さんでも最近はその制作過程をお客さんに見てもらうところが増えているように思う。

この若い男の子はいつからこの蕎麦屋に入って蕎麦打ちを始めたのだろう?蕎麦職人になろうと思ったのは何歳の時なのか?周りはみんなスポーツ選手になりたいとか芸人になりたいとかがほとんどだと思うのに、どうして蕎麦職人だったのか?

彼の所作を見ながらぼんやりと想像してみた。若い子特有の飾りっ気が余り無さそうで所作がとても綺麗だったからだ。実際はこの蕎麦屋の息子さんなのかもしれない。あるいは別の蕎麦屋さんのお子さんでこのお店に修行で丁稚(でっち)に来ているのかもしれない。

台風前の日曜日午後、冷房もかけずに扇風機だけでこのブログを書いている。まだ早いが風呂に入ってビールでも飲もう。

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巨人×中日観戦記 2019.9.5

東京ドームに行ってきました。巨人×中日戦。新聞屋さんからチケットもらったのでふらりまた一人旅。前回春に行った時は何年かぶりだったのでもらったチケットでは座席に座れないことに気づかず行ったのですが、今回は初めから立ち見で見ようと決めてました。立ち見の方が全然臨場感があって面白いんだもの!

立ち見は座席がないのでみなさん座席の後ろの手すりに寄りかかり2重3重に重なって踵(かかと)を上げて前の人の頭越しに球場内を見るのでした。柱とか邪魔になってよく見えなかったり、見える場所を探してあっちに行ったりこっちに行ったりして、これが楽しいんだ。(笑)売店で何が売っているのか野球そっちのけで品定めをするのもなんだか楽しい。今回は東京のどこから湧いて来たのかわからないそんなウジャウジャいる立ち見客のみなさんをいろいろ楽しく観察してきました。(笑)

まずはじめに気づいたのは昔に比べて外国人がいっぱいいるということです。それも巨人のユニフォームと帽子をかぶった外人があっちにもこっちにもいて日本人に交じって楽しそうに観戦しているではないか!巨人、大鵬、卵焼きで、日本人が巨人を応援するのは当たり前なんだけれど、外人が巨人を応援している姿を見ているとなんだか時代を感じるのです。

日本人がニューヨークのヤンキースタジアムにいってジーターのユニフォームを着てヤンキースを応援するのと同じ感覚なのだと思います。もはや日本人も外国人もこれだけ人の行き来があると関係ないのかもしれません。

つぎに気になったのは、手すりの前でゴザをひいて試合そっちのけで眠そうにごねてる4~5歳の女の子をあやしているお母さんです。悲しげな姿でした・・・。試合が0対0で終盤に突入する緊張感のあるものだったのですが、助っ人がホームランを打ち待望の先取点が巨人に入ると、一転その女の子は手すりによじのぼりオレンジのタオルを振って狂喜乱舞、お母さんもノリノリに踊り出しちゃって隣の男性と手をつないじゃたりして・・・、どうやらこの男、この奥さんの旦那で女の子の父親らしい。ワイシャツ姿の会社帰りのようだが、せっかく家族で東京ドーム観戦にくるのだったらチケットくらい買って奥さんと子供を席に座らせてやれよ!と思ったりもしたのですが、この旦那どうも風采があがらないいで立ちで、お金に苦労している家族なのかもしれない、旦那が熱狂的な巨人ファンで奥さんと子供がパパを思いやって東京ドームに連れて来たのだがお金がないので立ち見で我慢しているのかもしれない・・・、奥さんの顔には日々の生活の疲れの影が見え隠れする・・・、そこで待望のホームランが出て、家族3人大盛り上がり!よかった。よかった。明日からも貧乏だけど3人手を合わせて懸命に生きてくんだぞ!と勝手に自分の頭の中で想像して、ビールを飲みながら目をウルウルさせちゃいました。(笑)

この家族、巨人がリードしたままのところで帰ってしまい前が空いたので、予想通り試合の最終盤は手すりに寄りかかり、のんびりと試合観戦に集中できました。案の上、試合はこのまま終わるはずもなく巨人は中日に逆転され巨人の5連敗ということになってしまいました。優勝争いの中の5連敗。巨人は大丈夫なのか!?と声高に書いてみましたが、実は余りそういったことに私は関心がなくドームに集まった人たちの人間観察の方が楽しいのです。(笑)

試合が終わった後、ドームから水道橋駅にぞろぞろと”丸や坂本がどうのこうのとか、連敗がどうの”とか語りながら帰ってくる人たちの顔を見るとみんなしあわせそうな顔をしてました。日本人はホント野球が好きだ。

近所のラーメン屋に寄って帰りました。音楽配信