おもらし

ふと気づくと、あたりは真っ暗だった。自分は一体どこにいるのだろう?と思い、少し考えると、すぐに思い出した。父親の家だ。昨日から一人暮らしの父親のマンションに泊まっていることを思い出したのだった。今何時なのだろうと枕もとに置いてあるスマホを手にとると、夜中の二時半だった。

暗闇の襖(ふすま)の隙間(すきま)からひとすじの明りがもれていた。トイレの方向だ。ちょうどよかった。尿意をもよおして目が覚(さ)めたのだ。しかしトイレに明りがついているということはどういうことなのだろう?一応、礼儀でこのマンションに来てからトイレから出た時は明りを消していたはずだ。誰かいるのだろうか?半信半疑(はんしんはんぎ)で寝床を立って、襖(ふすま)を開け廊下に出た。

扉が半分開いたトイレからは明りが漏(も)れていた。あれ?自分が電気を消し忘れたのだろうかと寝ぼけた頭を思いめぐらせてみたのだが、思い当たるふしもなく、父親が消し忘れたのだろうと思い、トイレに近づくと、中から唸(うな)り声がきこえて来る。

誰かいる。

と思い、足音を立てずにトイレに近づくと、その唸(うな)り声というのはこのマンションの一室に住みついているかもしれない幽霊や、あるいは人が寝静まった真夜中にこっそりとこの家に侵入してきた強盗かと自分が想像していたようなものではなくて、当(とう)の父親の声だった。どうやら大きい方の便意をもよおしているらしい。

扉を閉めて排便しろよとも思ったのだが、よく考えると自分がいなければいつもは一人暮らしなので扉を開けっぱなしにしてやっているのだろう、その方が自然だと妙に納得したりもして、ここで父に声をかけるのもなんだかはばかれるので、気づかれないようにそっと足音を立てず部屋にもどった。

何事もなかったように布団(ふとん)の中にもぐり込んだのだが、なぜ自分が夜中に目覚めてしまったかということ・・・、忘れていたことにようやく気づいたのだった。尿意をもよおしているのである。最初は父がすぐにでもトイレから出て寝静まるだろうと思い、それからトイレに立とうと考えていたのだが、どれだけたっても襖(ふすま)の先の明りが消えないのである。我慢はしていたのだが、人間我慢にも限界がある。このままでは一年ぶりの再会で、自分のために用意してくれた何日も干した布団の上に、思慮分別(しりょふんべつ)のある大(だい)の大人が、おしっこを漏(も)らしてしまうことになってしまう。我慢せずに、父親に声をかけようと思ったりもしたのだが、トイレから聞こえて来る父親の唸(うな)り声はもっと苦しそうで、どうにもならない。

もう限界に近づいて来ている、、、何とかしなければと、、、とっさの判断で思いついたのが、風呂場だった。そうか!風呂場の排水口に小便を垂(た)らせばいいのだと思い、足音を立てずに部屋を出て廊下を走った。なんとか間に合ったのである。排水口に思いっきり小便をかけたので、しぶきが足元を濡らした。シャワーで多少洗ったのだが、今度はタオルがどこにあるかわからない。もういいかと思い、足裏が濡れているにもかかわらず廊下をそっと歩いて部屋に戻り寝床に入った。眠気もなにもあったものじゃないなと真っ暗な天井を見上げていると、そのうち襖(ふすま)の先の明りも消えていた。

こんな状況、なんだか前にもあったようななかったような?布団の中で思いめぐらせてみた。たしか太宰治(だざいおさむ)の小説の中に、お婆(ばあ)さんが、真夜中に息子か娘夫婦の営(いとな)みを盗み見している場面とかがあったかと記憶している。あるいは『斜陽』という小説の中で、娘と二人暮らししている大金持ちの母親が家の畑で立小便をするという描写があったかと覚えていて、見てはいけないものを見てしまったといおうか、知らなくていいものを知ってしまったといおうか、うまく説明できないのだが、またあるいは、自分が子供の頃お漏(も)らしをしたことが二度あって、ひとつは、幼稚園の年少組のとき、今回のように我慢できなくなって、幼稚園の玄関でおもいっきり小便を漏(も)らして大泣きしてしまった記憶とか、もうひとつは父親と一緒に遠い親戚(しんせき)の家に遊びに行った帰り、お腹が痛くなり我慢できなくなってウンチをパンツの中に漏(も)らしてしまい、そのことを父親に言えなくて、そっと人差し指でそのウンチをぬぐい取り、そこに停まっていた駅の貨物車のコンテナにこすりつけて捨ててしまった記憶があったりする。

そんなことを思い出しているうちに、その晩はウトウト寝込んでしまった。

次の日の朝、何事も無かったように父親のつくった朝食を食べながら、昨日はよく眠れたか?と訊かれ、うなずいた。食べ終わったあとには、”最近は便秘気味でな、四日に一回くらいしか大便が無いのだよ。”とか悩みを打ち明けられ、昨晩のことなどは、父親はまったく気がついてないかのようだった。

こんなことがあり、よく高校生の一時期、親が寝静まったあと、外に脱け出して夜遊びしたことを思い出した。今さら後悔したって遅いのだろうが、あんなことをせず、もっとまじめに勉強しておけば良かったと思うのであるが、しかしながら、自分があの高校生の時、家から真夜中に脱け出していたことを父親は当時、気づかなかったのだろうか?いや、、、気づかないふりをしていただけだと、大人になった今では思ったりもする。

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