ミニアルバム「青森」音楽配信はじめました

「青森」という5曲入りのミニアルバムを音楽配信はじめました。自分の中では今までとはちょっと違う作品になっていて、そこらへんの経緯を今回語ろうかなと思います。

”青森”とは、いわゆる日本の本州の北端にある青森県のことで、故(ゆえ)あってか、そこのとある街の人達にお世話になっていたりして、その街の海辺や山辺で体験した思い出が今回の5つのメロディーの基(もと)になっています。

いままでの自分の作品は、基本、黒人音楽から(特にリズムが)影響を受けたものになっていて、特に根本(こんぽん)はレコードやCDは持ってないのですが、黒人の教会音楽ゴスペルのような歌を創りたいと、若い頃はずっと思っていました。自分の目標とする歌手は今も変わってないのですが、黒人の教会ゴスペル歌手から出発したサム・クックやマービン・ゲイなのです。

Jポップ隆盛(もう古いのか・・・。今はKポップなの?おじさんにはよくわからないが)の今の時代、サム・クックやマービン・ゲイと言われてもピンと来る人はほとんどいないのでしょうが、二人はすばらしいゴスペル歌手でもありR&B歌手でもあって、白状しますが、私は常日頃いつも歌う時は彼らのように歌いたいと思って歌って来たのでした。

ゴスペルの本質はやはり心の救済(きゅうさい)なのだと思います。教会で理不尽な死に方(死は生に対して常に理不尽です)をした家族や友人を弔(とむら)うために歌う歌で、行き場のない残された人たちの心の悲しみをゴスペルは歌によって救済していこうとするのですが、その力強さが圧倒的で、歌の根本はこういうものだとずっと思って来たのでした。

ただ私は日本人で黒人では無いのです。国内で陰湿などうでもいいようないじめや差別を受けたりもしますが、Black lives matterのような本当に凄惨な差別を経験したこともないし、それを望みもしない、また、黒人のようにドスの効いた重低音の太い声を持っているわけでもなく、いくらシャウトしてもサム・クックやマービン・ゲイのようには歌えないのです。だから、自分らしく歌うこと、これだけを肝(きも)に銘じて、誰にも相手にされないのですが(笑)、歌って来ました。

真似(まね)、そしてコピーからは何もはじまらない。

今もそう思ってます。

そんな私の唄心(うたごころ)に青森にたまに行くことにより転機が訪れました。ここではなぜそんなに青森に通うのか理由は語りませんが、観光で行っているわけではなく、まあ半分はまだお客様的な立場ではあるのですが、決して物見遊山(ものみゆさん)的なものではなく、お気軽な旅行では絶対に味わえないような体験を何度もさせてもらったと言おうか、そうした経験を重ねて行く内に今回の「青森」の5つのメロディーが生まれたのでした。

帰りの新幹線の中で、思い浮かんだメロディーを忘れてはいけないと必死に頭の中で、繰り返し、繰り返し、なんとか自宅に辿り着いたりして、結構、東京から青森は遠いです。(笑)

そんな「青森」に通った体験の内の一番の思い出が、ある方(かた)の葬式に出たのですが、その葬式、、、お寺の境内(けいだい)の中であった葬式なのですが、見たことのないお婆(ばあ)さんが三人座っていて、この人たち誰なんだろう?と思っていたところ、お坊さんのお経(きょう)が終わったところで、三人が一人ずつ順番に唄をうたい始めるのです。見たことのない鈴(すず)を手にもって、聞いたことのないメロディーを。

そのメロディーとは不思議なメロディーで、ただ何となく懐(なつ)かしくもあり・・・、なんとも言えないと言おうか・・・、ただ言えるのは、そんな現代の学校の音楽の授業で教えられるようなものとはまったく違うもので、民謡と言えば民謡なのでしょうが、余りに私にとっては美しく、儚(はかな)いメロディーで、何かまるで夢の中にいるような気分になってしまったのでした。

この光景どこかで見たことがある、どこだっただろう?と、そのうっとりしたメロディーを聞きながら思い浮かんだのが、そう、上記ゴスペルの光景なのでした。

このお婆(ばあ)さん、彼女たち三人は、この亡くなった人を弔(とむら)うために唄っていることに気づき、ただ、そのメロディーはゴスペルでは無い、この地方独特のもので、それはそうだ、この場で彼女たちがゴスペルを歌い出したら、とんでもない場違いになるだろうし、わかったことはゴスペルも彼女三人たちのメロディーも形式は違うのですが、死者への弔いと共に残された者(もの)たちへの心の救済なのです。

なんだゴスペルも、青森のこの地方にたぶん代々伝わる死者への送り唄も同じものなんだ、自分は日本人なのであって、わざわざ外国の様式を真似(まね)する必要もないではないか!と気づかされてしまったのでした。

日本には、身近にこんなに素晴らしい文化やメロディーがあるじゃないか!現代の東京に住んでいると、情報ばかりが頭の上を飛び回り、時代に乗り遅れまいと、一斉(いっせい)に人々は同じ方向を見ようするのですが、息がつまってしまう・・・、と言おうか、自分もそうで、音楽を情報でしか聞いていない、勉強の道具のように知らない内になってしまっていて、音楽の本質は形式では無い、心なのだとあらためてこの体験を通して感じたのでした。

こうした体験を基に「青森」の5曲はできています。

青森に行く途中、新幹線の中でいつもJR東日本が編集した前の座席の背もたれに入っているフリーペーパーを読んで行くのですが、巻頭に見開き2ページ分の短いエッセーが載っていて、有名な作家の人たちが執筆しているのですが、その内の一人が横綱の朝青龍(あさしょうりゅう)に引退を迫った脚本家の内館牧子(うちだてまきこ)さんで、昔、内館さんがそのエッセーの中で書いていた内容が、妙に私から見た青森で出会った人たちを言い当てているような気がして感心してしまった記憶があります。

それは、大間(おおま)の子供たちの将来なりたい、あこがれの職業は、サッカー選手やプロ野球選手、今で言うユーチューバーやお笑い芸人、あるいは会社の社長さんでは無く、父親のような漁師になりたいということでした。憧れの人が漁師である自分の父親なのです。

父親のように腕のいい漁師になりたい!

東京の子供たちからすれば考えられないことなのでしょうが、大間(おおま)と言えば下北半島の先端、本州最北端の漁師町で、お正月の築地いや、今は豊洲か、マグロの初競(せ)りでは毎年、最高値で競り落とされるマグロは大間で釣り上げられたもので、テレビでも大間の一本釣り漁師のドキュメンタリーをいつもお正月やっていたりもします。

テレビで観る大間の1本釣り漁師の人たちの冬の津軽海峡の海での余りに過酷なマグロとの格闘や、一攫千金(いっかくせんきん)を狙うギャンブル性、大物マグロを捕獲して帰港した後、街中に繰り出して豪遊するのかと思いきや、家でスーパーで買って来た安い折り詰め寿司で祝って晩酌する余りに質素な食事、、、何か人間が本来あるべき姿を思い出すのです。子供たちは、そうした父親の背中を見ているのではないのでしょうか。

大間の子供たちにとって、そんなお金持ちじゃなくたって、人気者じゃなくたって、テレビに出なくったって、人生かけて海と格闘しマグロを捕って、命がけで自分たちを養ってくれる漁師の親父が一番格好いいのです。

この大間の漁師さんたちだけでなく、青森の人たちに出会うと、東京では感じることができない、根源的な生きる力と言おうか、、、元来(がんらい)人は、 今の現代社会のような 団体行動を共にして、分業体制でモノを大量生産して分配していく、こうした世界を望んでいたわけではなくて、狩猟(しゅりょう)の民(たみ)だったのではないのかなと思ってしまうのでした。

黒人音楽に影響は受けていても、別に真似をしているわけではない。ただ自分は日本人で、気づかなかっただけで、有名ではないけれど素晴らしい音楽が周りにたくさん溢れていることを、青森の人たちが教えてくれたのでした。

こうした経験を基に「青森」というミニアルバムはできています。

大間の先端、大間岬に連れて行ってもらった時は、岬の一番先端に建っているマグロの銅像にまたがって記念写真を撮ってもらいました。帰りの車窓から見える、夜の津軽海峡の夏の海には船の漁火(いさりび)が赤々と無数に灯っていました。

ぜひ、聴いてください。

(そして気に入っていただけるようであれば、買っていただけないでしょうか?笑)

音楽配信

「青森」1曲目”船”動画です。

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