エスプレッソ

昔、博多(はかた)に行った時に名物の屋台(やたい)に入ってみた。街の道路のいたるところに出ていて、基本こうしたお店が嫌いではない人間なので、一番集まっている中洲(なかす)の屋台に入ってみた。

誰もお客さんがいなくて、まだ夕方だった。いつも近所で行く屋台風の飲み屋では知り合いと馬鹿話をして盛り上がるのだが、一人で飲み屋に入るのは久しぶりだった。いかにもどこか外から来た、よそ者姿(すがた)だったからだろうか、お店の人も目の前にお客の自分がいるのに全然話しかけてくれなくて重たい空気になってしまい、一人さみしくチビチビ酒を飲んだのであった。(笑)

その内、暗くなるにつれて並んでいる屋台街にもお客さんが入ってくるようになり、自分もお酒が体に回り始めたので、ようやくその屋台の店主に向けて口を開いたのであった。その会話の中で自分がどこからやって来たのか問われて、東京だと言うと、なんだかすごくかしこまれて、博多は何の楽しみもない街で、いつもホークス(プロ野球チーム)が勝ったか負けたかの話題しか無く、大人も呑んだくれが多い、東京の人間にとってみれば刺激のない街ですよとかなんとか言われて返答に困ってしまった。

東京の人間に思われている・・・。

確かに、もう何十年も東京に住んではいるが、東京で生まれ育ったわけではない。富山の片田舎生まれで、そこで青春時代を過ごして東京に出て来たのである。所謂(いわゆる)昔の言葉で言うと、”おのぼりさん”だ。

いや、東京に住んでますが、出身は富山で、富山の人間からすれば博多なんて大都会で、、、

と、顔から流れ出る汗を拭き拭き、答えたのだが、地方に行くと何度かこういう経験をして来た。

東京の人間というだけで、なんだか格上の人間のように見られるのだ。コロナ禍の現在は逆に、東京の人間は田舎には来るな!と差別されている気もする。(笑)東京はそれほど日本の中では特別の街なのだ。よく考えると、田舎で暮らした年月より、東京に住んでいる年月の方が長くて、自分は東京人だと言っていい気もするが、東京で生まれ育った人間からは、この田舎者(いなかもの)!!と心の底で蔑(さげす)まれているなと思われる経験は何度もしている。

一番の思い出が、エスプレッソコーヒーだ。今でこそ、「スターバックス」というお洒落(しゃれ)なコーヒーチェーン店が日本全国津々浦々(つづうらうら)、すべての都道府県にできたと数年前ニュースで報じられていたが、昔はこんな洒落たコーヒーなんかは田舎に無かった。ホットコーヒーかアイスコーヒー、よくてブレンドかアメリカンで、アメリカンなんて聞いた時には、どんなものかと思ったものだ。それが東京に出て来ると、エスプレッソが美味い、エスプレッソも知らないのか!?という感じで馬鹿にされてしまい、田舎者の自分にとってみれば、エスプレッソコーヒーは想像だにできない都会に出て来た象徴的な飲み物だったのである。(笑)

エスプレッソだけではなく、私の経験でしかないのだが、こちらの子供は紅茶をダージリン以外にも、アールグレイだとかいろいろ知っていて、更にはジャスミン茶なんかも頼んだりなんかして洒落ていた。(笑)スターバックスがあれば今はもうそんな都会と地方間の差は無いのだろうが、そんな田舎者コンプレックスを表現してみたいと思って”おのぼりさん”だった若い頃、創った曲が「ESPRESSO」だ。

エスプレッソを出すようなお洒落なカフェは、なぜだか昔から外にテーブルとイスを出していて、そしていつもそこには外人が英字新聞なんかを読んでいたりなんかする。(笑)今もスターバックスのお店の前には不思議と外人が長い足を組んで座っていて、パリとかに行けば当たり前の風景なのかもしれないが、田舎に暮らしてきた普通の日本人にとってみれば、まだ憧れの光景のようにも見える。隣にはサングラスをかけたお洒落な都会のカップルが楽しそうに会話したりなんかしている。自分が今どこにいるのかわからなくなって来そうなほど都会の幻想的な世界。

けど、そんなカップルや外人たちも他人(ひと)には言えない自分の過去や、さまざまな悩みを抱えながら現実の中で暮らしているのだ。一見、きらびやかには見えるが、家に帰ればイビキをかいて寝てたり、朝のゴミ出しをしたりなんかしているのだろう。「ESPRESSO」の苦味(にがみ)は、人生の苦味(にがみ)のような気がして、大人となった今もピアノ弾き語りでたまに唄ったりしている。

都会のカフェは田舎者のボクには苦過ぎて~♪

と。音楽配信中(歌詞、読めるようになりました)。聴いてみませんか?

YUKIO PIANO ダイジェスト

ともだちがほしいよ

突然ですが、今回「ともだちがほしいよ」という曲をリリースすることになりました。「月」というアルバム作品の中にも入っている曲で、そちらは「友達が欲しいよ」と曲名に漢字が入っていたりなんかします。なぜそうしたか?その理由なんかも含めて今回は語って行こうかなと思います。

1年前に「月」というアルバム作品とその中に入っている「藤の花」という1曲をリリースしたのですが、「月」はダウンロードしかできない形になっていて、こちらは私自身が音楽配信業者にお金を払って配信しています。「藤の花」の方は配信業者の方が1年に1回、私みたいな独立系ミュージシャンを配信に誘い込み、囲い込むために、1曲だけに限り無料サービスをやるので、それを利用してspotifyやAPPLE MUSIC等で無料で聴けるストリーミングも含めて配信したのですが、1年間の期限付きとなっていまして、「藤の花」は今月1月をもって配信は終了するのです。その代わりと言っては何ですが、今回新しく「ともだちがほしいよ」という曲を今後1年間ストリーミング配信しようと企(たくら)んだのでした。

「藤の花」の方は、ストリーミングでは聴けなくなりますが、YouTube上の動画では全編聴けますので、ぜひそちらを見ていただいて、気に入ったら、そちらからダウンロードいかがなものでしょうか?

さて、その作品「月」第2弾ストリーミング、シングルカットとも言うべき「ともだちがほしいよ」という曲をなぜ今回、数多(あまた)ある私の曲の中から選んだのかと言いますと、、、そんなに理由は無いのですが、まず「藤の花」の時もそうだったのですが、楽曲が音楽的にそんなに難しく無いこと、そして歌詞がシンプルなことなどが挙げられます。

特に”友達が欲しいよ〜”と唄う歌詞が、”50も過ぎた親父(オヤジ)が吐(は)く台詞(セリフ)か!?”と何だか世間から白い目で見られそうな、あるいはそう言われることは無いにしろ、腹の中で蔑(さげす)まされるだろうなと容易に想像されたので、よし!では、今回この曲で行こう!と思ったのでした。(笑)

やはり、曲には違和感がないといけない。

私の曲には、結構”わかってたまるか〜!”とか、”キミたちは満員電車に乗って死んでいけばいい、、、”とか、奇をてらったつもりは無いにしろ、大手のレコード会社だけでなく世間一般からも疎(うと)まれそうな歌詞がついてる唄が少なくない。(笑)”友達が欲しいよ〜”と唄うのも、その延長線上にあるのです。

何だか世の中の当たり前だと思う常識や風潮が、若い頃から嫌でしょうがない。”友達が欲しいよ〜”とか10代の青春時代の若者ではあるまいし、大の大人(おとな)がそんな女々(めめ)しいこというものじゃ無い!今時(いまどき)の小学生だってそんなこと言わない!とお咎(とが)めを受けてしまいそうですが、そんな指摘するのは連(つる)んで団体の中でぬくぬくと生きてる人間が言う話であって、厳しい現実において大人になっても友達が欲しいものだと思ってます。

この唄は30代の前半の頃、周りはみんな会社勤めになり、お金を稼ぐ以外に人生の価値は無いかのごとく世の中の大半は動いていることに気づかされ、自分もその大きな流れに背くことなどできないと悟った時に創った曲で、当時は曲が余り面白く無いので没(ボツ)にしてしまっていたのでした。

歌詞の中には”今じゃ新聞、経済面から読み始める自分がいる・・・”と唄ったりもしているのですが、実際はそんなこともなく(笑)、子供の頃そうであったようにまずテレビ欄をチラッとチェックして、スポーツ面を結構、隅(すみ)から隅まで読んで、それから経済面を読むのでした。ただその当時、経済面を読むようになった自分がいてと言うか、経済記事に何が書いてあるのか段々わかって来て、お金儲けと言おうか世の中の仕組みに興味を持ち始めた自分のその姿が、自身でとても不思議で新鮮に感じたので、こうした歌詞を思いついたのかもしれません。

大人は打算で動きます。子供の頃はそうした大人の打算を”汚(きたな)い”や”ズルイ”と言った言葉で表現しますが、生活がかかっているのです。金を稼げない自分の子供を責任を持ってその”汚い”大人にしないといけないのです。金を稼ぐには、嫌な人間とも顔をつき合わせなければいけません。

そんな時には、大人はたぶんその相手に”友達になろうよ!”と言うに違いありません。名刺を交換して”友達になろうよ!”と言って、友達になったふりをするのです。”お前なんか嫌いだ〜!”と言って敵を作るよりも、腹の中はどう思っているのかわかりませんが、表面上は友達になっておいた方がお互いメリットがあって作業がはかどるのです。その方が手っ取り早いのです。ですので”友達が欲しいよ!”と大人は言ってはいけないのです。

そこまでわかっていて何でお前はそんな”友達が欲しいよ〜”とか青くさい、今時の打算的な小学生だって言わないようなことを唄うのかと問われると、そう唄う方が自分は幸(しあわ)せになれると思うからに他なりません。(笑)

だって嘘はつきたくないもん。

肝心なことは誰だって嘘はつきたくないですよね。今回あえて作品「月」8曲目に入っている「友達が欲しいよ」を平仮名(ひらがな)の「ともだちがほしいよ」に変えたのもこうした考え方からなのでした。まだ子供心をどこかに引きずっている自分がいるのです。たぶん子供の頃から友達がいなかったのでしょうね。(笑)

せっかく音楽配信するというので、動画も「藤の花」に続いて作ってみました。ただ部屋の中での撮影となると上半身だけのものになってしまって、前回と変わらないものになるので衣装を変えてみました。チャンチャンコ着て、腹巻き巻いて唄ってます。(笑)へ、へ、へ。オリジナルの日本語の唄をうたっているからな。ギターとベースも弾いているぞ〜。右肩の下着がズリ落ちているのはご愛嬌(あいきょう)。(笑)ぜひ見てやってください。

「ともだちがほしいよ」音楽配信中  作品「月」音楽配信中

書き忘れてましたが、この曲の音楽的なこともついでに述べておこうと思います。音楽的には何も新しいことはやってません。(笑)ですので最初、若い頃この曲を没(ボツ)にしていました。けど、自分の心の中にはずっとこの曲は残っていて、たぶんビートルズの初期の頃の曲に近いのかなと勝手に思ったりもしてます。世界のビートルズと自分の曲をとうとう重ねちゃいました。(笑)

自分の音楽はロックだという割には今までビートルズについて何も語ってきませんでしたが、ビートルズは原体験で聴いているわけではなく後追いなので何とも言いづらいと言いましょうか、一応は一通り聴いてまして結構好きなのですが、周りにいた熱狂的なファンと思われる人達とは多少距離を置いてきたような気がしないでもありません。(笑)CDも何枚か持ってまして、やはり初期の頃のシンプルなビートルズの曲が大好きで、「ラブミードゥー」とか「抱きしめたい」とか、ジョンレノンのシャウトものと言いますか、そうした曲が好きなのです。この「ともだちがほしいよ」という曲も自分の声の音域の結構ギリギリのところで唄ってたりなんかするものですから、自分でも和製ジョンレノンになった感じで、まんざらでもない顔をして唄っていたのだろうな、その時の自分の顔を鏡で見てみたかったとも思うのでした。(笑)

そしてビートルズと言えば、私にとってはあまりお金の臭いがしないバンドと言おうか、大人に利用されずに自分たち自身で考え、この大地を踏みしめたバンドというイメージがあります。日本にも次から次へと色々な人気バンドやタレントさんが出てくるのですが、みんなその背後に芸能事務所があって、お金儲けの大人の都合で動いている感じが見え隠れして、自分たちで物を考えないと言おうか、考えさせられないように洗脳されるのか、よくわかりませんが、見ていて退屈(たいくつ)なのです。エレキギターを持って格好よく弾いているのですが、全然ロックに見えない、、、。演歌歌手と何が違うのだ???洒落(しゃれ)たコード進行でキーボード弾いて喝采を集めても、後ろで大人が手を引いているだけのような気がして、どうもお金の臭いが漂って来るのを嗅(か)ぎつけてしまうのは私だけでしょうか?現実のビートルズもアイドルとしてそんな感じだったのでしょうけど、不思議と余りそうしたイメージが湧いてこないのですよね。

ジョンレノンとポールマッカートニーは、ビートルズというバンドの曲作りの仕事仲間なのでしょうけど、同時に”ともだち”だったのかもしれません。お金儲けと割り切れば世界一儲けられるバンド、ビートルズを解散させる必要はどこにも無かったのですから。そんなことより相手の音楽性が許せなくなったりしたのでしょうけど、それも”ともだち”だったからこそなのでしょうね。二人が”友達になろうよ!”と名刺交換して、効率優先の割り切った大人の関係だったならば、まず解散もなかっただろうし、それより、第一ビートルズがこれほどまで有名なバンドになることも無かったような気がします。

自分も若い頃、何度も気の合うバンド仲間を求めて、その”ともだち”を探したのですが、未(いま)だに出会えません。ただ、こればっかりは自分で努力して何かできるものでもありません。仲良かった友達と音楽リハーサルスタジオに行って、自分の音楽をグチャグチャにされてしまって深く傷ついたり、自分より音楽知識の高い人間に、こうした方が良いと言われ指示に従い、結局は自分の意図しない曲になったりして、こうじゃないだろ!と思ったことも何度もあったりして(笑)、歳をとった今、それが現実なのだと思います。それでも自分はまだ不思議とこう思うのです。ジョンとポール、2人のように

ともだちがほしいよ

と。

最後に音楽をやっている人向けにこの簡単な曲の構造を語りますと、この曲のコード進行はFとFの平行調のDmが中心になっているのですが、曲の最後そのどちらかのコードに行くところをDに行って終わってます。たぶんこれは調が変わっているのだと思いますが、こうした進行もたぶんビートルズの中期くらいの曲にあったような気がします。このDに行くところを見つけることができなかったならば、この曲は没(ボツ)にしていました。そうした点もこの曲がビートルズに影響を受けたものなのかなと自分では思っています。

がんばって、曲を創って、唄って、録音して、営業して、解説までしちゃいました。(笑)

ぜひ、聴いてください。音楽配信中

時代小説に魅(ひ)かれて

2回目の緊急事態宣言が出てから数日たつ。毎週土曜日午後には阿佐ヶ谷の喫茶店にクラシック音楽を聴きに行くのだが、さすがに今回はためらった。その割には昨日、日曜午後には中野の街をプラプラ散歩してしまった。街は若者が多く、あまり年配の方は見かけなかった。だんだん新型コロナの実態がわかって来て、若者はコロナにかかっても自分の命は取られないと、もう感じているのだ。前回に比べて規制がゆるいので街中の雰囲気も穏(おだ)やかである。

また家の中で巣ごもりということになるのだろうか?感染者数はウナギのぼりでさらに明日以降も増えることになるだろう。こんな時は読書するに限る!と言いたいところなのだが、先週自分の何十曲もあるオリジナルソングの最後の唄入れ、ハモりの部分とかを近所の音楽スタジオに行って録音することに夢中になってしまい、仕事を完全に放り出してしまって、しばらくはそちらを優先しないといけない。家の中で1日中ボーッと本を読んでるわけにはいかないのだ。(笑)

確か前回の緊急事態宣言の時には、昔、楽しく読ませてもらった昭和の大作家、司馬遼太郎(しばりょうたろう)さんの時代小説について語った気がするが、今回は司馬さん以外の時代小説の話をしてみよう。

紹介したいのは、池波正太郎(いけなみしょうたろう)さんと藤沢周平(ふじさわしゅうへい)さんという二人の時代小説の作家さんで、司馬さんに負けず劣らず、この二人の小説も前に自分はよく読んだのだった。今更、私が紹介するまでもなく、どちらも超有名で、みなさんの方がよくご存知なのでしょうが、知らない方もいると思い、あえて笑われるのもかえりみず、ご紹介したいというか、二人の時代小説を自分が語りたいだけなのですよね。(笑)

有名政治評論家の田原総一郎さんが言うには、”3人の歴史小説は各々(おのおの)設定が違っている。司馬遼太郎は歴史に残る選ばれた大人物(だいじんぶつ)を取り上げ、池波正太郎は中間管理職、藤沢周平は名もなき市井(しせい)の人物を物語の主人公にするのだ。”と。ウ〜ム、深いではないか。さすが田原さん!

池波正太郎の代表作は何と言っても、昔、テレビドラマでも連載した「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」で、火事と喧嘩(けんか)が華(はな)の大江戸(おおえど)、深夜、丑三つ時(うしみつどき)、今で言う午前2時〜2時30分ころ、なんとか問屋に大泥棒が入り、何万両という大金が盗まれ、無残にもその問屋主人以下、家族もろとも全員殺害されてしまった事件が続発していた江戸時代、その大泥棒を捕らえようと火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)という組織が幕府によって結成され、その組長(くみちょう)さんが長谷川平蔵(はせがわへいぞう)という人物で、取り締まりは激烈を極め、皆がその長谷川平蔵を、鬼の平蔵、”鬼平(おにへい)”と呼ぶようになったのである。かっこいい〜!(笑)

私のオリジナルソング”火の玉”ライブ。前奏はフリーで、唄のところはリズムが和的二拍子、後半が聞かせどころで、拍子木(ひょうしぎ)を使って唄のリズムとは別に”火の用心~”、”火の用心~”と連呼するかつての大江戸を私なりに想像してつくってみた唄です。わざわざ拍子木(ひょうしぎ)を買いに下北沢まで出かけました。(笑)ぜひ、聴いてみませんか!?

テレビドラマでは、鬼平こと長谷川平蔵を歌舞伎役者の中村吉右衛門(なかむらきちえもん)さんが演じているのだが、これがまた陰影(いんえい)のある芝居で、渋(しぶ)いのである。最近はテレビで時代劇などやらなくなってしまったので、今の若い人は知らないのかもしれないが、私くらいの年代だと「鬼平犯科帳」は誰でも知っているというか、「遠山の金さん」、「大岡越前」、「水戸黄門」に次ぐくらいの人気があったと思う。ただ、ワンパターンで事件を解決していく「遠山の金さん」や「水戸黄門」に比べて「鬼平」はストーリーが複雑で、その分、視聴率がとれなかったといおうか、その分、大人向けの時代劇だったような気がする。

大泥棒を裏切って鬼平方(がた)に寝返り、何くわぬ顔で大泥棒の内情を探る密偵(スパイ)を”犬(イヌ)”と言った。女との情事も次から次へと出てくる。原作は何十巻にも上り、余りに膨大な量なので全部は読んでないのだが、10巻手前くらいまで、外出もせず、何もしないお正月楽しく読ませてもらったのであった。

それともう一つ、池波さんの代表作と言えば「剣客商売(けんきゃくしょうばい)」だろう。江戸時代中期、隠居(いんきょ)した老人の剣客が老中(ろうじゅう)田沼意次(たぬまおきつぐ)のもと、息子や40歳年下の元々はこの家に奉公(ほうこう)でやって来た若い女に手をつけてしまい、めとった妻と共に難事件を解決していく。テレビドラマにもなっていて、何年か前の最新のやつをちらっと見たところ、この隠居に出入りする腕自慢の女剣士、佐々木三冬(ささきみふゆ)を渡辺謙の娘の杏(あん)ちゃんが演じていたのだが、どうも原作とイメージが違うなと思ってしまった。主人公の息子、秋山大治郎と佐々木三冬は結婚するらしいのだが、その手前の巻で読むのを止めてしまったのだが、こちらの物語も池波作品らしく江戸の風情を感じさせる長編になっている。

そして池波さんと言えばグルメなのである。「鬼平犯科帳」も「剣客商売」も、どちらの中にもさんざん美味しそうな料理描写が出て来るのであった。池波さんは東京下町育ちなので、真っ黒な醤油(しょうゆ)を使った味の濃さそうな蕎麦(そば)や、すき焼なんかが場面、場面に出て来て、つい、よだれが出そうな感じになってしまい、池波さんが通ったお店のグルメ本の文庫本を買ったくらいだ。ただ血圧がだんだん高くなって来た今となっては、実際に食べるのを多少ためらってしまうのだが、、、。(笑)

池波正太郎は中間管理職を書くのである。

それに反して、藤沢周平さんは江戸時代の名もなき市井(しせい)の侍(さむらい)を描くのであった。藤沢さんの代表作は「蝉しぐれ」という作品で、これが泣けるのだ。確かあらすじは、東北の小藩につとめていた主人公の父親が政争に巻き込まれ、濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられ、切腹させられてしまう。父親の亡骸(なきがら)を主人公は大八車(だいはちぐるま)に乗せて、引いて家に帰る途中、急な坂道があって登ろうとするのだが、重たくてうまく登れない。賊(ぞく)家族の烙印(らくいん)を押された主人公を誰も助けてくれないのを見るに見かねて、幼なじみの隣家(りんか)の娘、お互い好き同士であったのだが、その娘が後ろからその大八車を押してあげて坂を登って行く。

この場面を読んだ時には、思わず涙がこぼれた。今、思い出しただけでも、またまた切なくなって来て目がウルウルしてしまう。(笑)

その後、この娘は藩主の寵愛(ちょうあい)を受けることになり、側室(そくしつ)となって江戸に行ってしまい、主人公も妻をめとり秘伝の剣術使いとして慎ましく成長していくのだが、またまた藩の争いごとに巻き込まれ、藩主の子を宿していたこの娘が命を狙われるはめになり、すったもんだの末(すえ)に助け出して、最後は秘伝の円月殺法(えんげつさっぽう)を繰り出し、藩の黒幕(くろまく)を切って、子供の頃からあった父親が濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられた長年の事件は解決する。その何十年後かに藩主が亡くなり、その幼なじみの娘から誰もいない秘密の宿に呼び出された主人公はその娘と肌を合わせるのであった。娘はこの後、出家(しゅっけ)して尼(あま)さんになると言う。逢瀬(おうせ)の後、主人公は鳴き止まない夏の蝉しぐれの中、馬を走らせるのだ。そう二人がまだ子供の頃、娘が蛇か何かに噛まれて主人公が助けてやったあの夏の蝉しぐれの中と同じように・・・。

”帰省”というオリジナルソングです。こちらライブですが、録音された作品には唄に入る前に蝉しぐれが聞こえてくる形になってます。やはり田舎に戻ると、いつの時代も蝉しぐれが聞こえてくるのかもしれません。蝉しぐれを聞きながら、子供の頃を想う・・・。

なんだか自分が詩人になったようで、またまた泣けて来た。(笑)このように藤沢さんの小説は風景描写とかが綺麗というか詩的な感じがある。「橋物語」という橋にまつわる江戸の人情物語の短編を集めた文庫本も近所の古本屋で買って読んで、とても綺麗だな、これは司馬さんや池波さんの時代小説ともちょっと違うと感心したりもした。

そしてもうひとつ、藤沢作品の中で私のお薦(すす)めは、「用心棒日月抄(ようじんぼうじつげつしょう)」である。今まで”にちげっしょう”と読んでいたのだが、今回調べると”じつげつしょう”とある。あいかわらず自分は馬鹿だなと思ってしまうのであるが、これが面白いんだ。

あらすじは、またまた東北の小藩の名も無い侍(ただし、腕利き)が藩の政争に巻き込まれ、江戸に出て来て用心棒をしながら事件を解決していくというストーリーで、読むとスカッとするのだが、それ以上に面白いのは主人公と女忍者、佐知(さち)との男女関係の機微(きび)だ。

最初、佐知はこの主人公の命を狙う敵方の密使として登場する。主人公は危うく殺されそうになるのだが、腕利きなので形勢逆転、反対に、突然襲って来た顔を隠した密使を切って、その密使は太腿(ふともも)裏に深い傷を受け、気を失ってしまう。主人公は最後とどめを刺そうとするのだが思いとどまり、密使の自分が切った傷の手当(てあて)をするのであった。

密使のまとった着物を左右に開くと、太腿裏から大量の血が流れている。早く止血(しけつ)しなければ。主人公がさらに目を上にやると、江戸時代の人間がパンツなど履いているわけはなく、在(あ)るものが見えなければいけないのだが、このずっと主人公の命をつけ狙ってきた密使には在(あ)るものがついてないのだ。

此奴(こやつ)、くノ一(いち)※か。。。

※くノ一(いち)・・・女忍者

主人公は驚き、股間を見て見ぬふりをして、その太腿裏の傷を止血、治療して、密使が気を失っている間に、その場を立ち去ったのであった。(笑)

それ以降、この女忍者、佐知(さち)が主人公がピンチに陥(おちい)るたびに、陰(かげ)になり日向(ひなた)になり登場して来て、主人公の味方になって助けるのである。それどころか男女の深〜い関係にまで陥ってしまい、二人は切っても切れない関係になって行くのだ。うらやましいな〜。

最後、事件がすべて解決し、主人公は江戸を離れ東北の小藩に戻ることとなった。田舎の藩には”まだ、戻って来られぬか?”と心配し、自分を慕って来る女房もいるし、溺愛(できあい)する子供もいる。佐知との逃避行(とうひこう)を江戸時代なので現代ドラマのようにするわけにはいかない。藩に戻れというのは上からの厳命(げんめい)である。

そして、いざ田舎に戻ってみると、いるではないかそこに別れたはずの佐知(さち)が。。。どう言うことだ??佐知は出家して、主人公の家の近くの尼寺にいるという。佐知は女忍者から尼さんになっていたのだ。さすが、くノ一(いち)!七変化(しちへんげ)!主人公は幸せな自身の家庭を築きつつ、佐知との逢瀬(おうせ)も続くのであった。終わり。。。

なんじゃこれは!?(笑)

こんな幸せなハッピーエンドがあっていいのか!?この主人公、幸せ過ぎる!大人の男の生活の理想だ!そう思ってしまい、「用心棒日月抄」の中の女忍者佐知(さち)は私の中では1番の理想の女なのである。(笑)今時(いまどき)で言うとフィギュア好きの男の子が、秋葉原でメイドカフェに行くようなものか?ちょっと違うような気もするが。まあ、同じような感覚である。(笑)

藤沢周平は名もなき市井(しせい)の者を描くのだ。

このように池波さんも、藤沢さんも、司馬さんに負けない毛色が違うが面白い時代小説を書いていて、読んでない方がいれば緊急事態宣言下、家にいるしかないので試しに読んでみるのもいいかもしれない。読んでもらっても私には何の得(とく)にもなりませんが。(笑)ただ今回、自分が昔、夢中になったこの三人の時代小説のストーリーを語りたかっただけなのですよね。(笑)

こんなこと書いてる場合じゃなくて、自分のオリジナル音楽の最後の作業を始めなきゃ、、、やることあるだろう、オマエよ。(笑)

オリジナルソング”火の玉”ダイジェスト。ライブより録音された音源の方が全然音が良いです。全編聴けませんが、興味でてくる場合は上のライブ版を聴いてください。今年の冬も空気が乾燥している大江戸は”火の用心”、”火の用心”。”火の用心”も地域によって掛け声が全然違うということを、この唄をつくることによって知りました。(笑)

”帰省(おやじの想い)”はギター弾き語り「YUKIO」8曲目。”火の玉”は作品「COCOLO」6曲目です。気に入ったらお買い上げいかがなものでしょうか? 

ギター弾き語り「YUKIO」音楽配信中!

「COCOLO」音楽配信中

♭9thの花子ちゃん

昔つくったギターとピアノの弾き語り曲のバンド化作業がだんだん佳境(かきょう)に入って来た。そんな時に限ってギターやパソコンが故障なんかしたりして水を差されたりする。久しぶりに息抜きをしようと思ってこのブログに向かってしまった。ただ息抜きになるのかな?誰も聴いてくれないオリジナルソングに人生の時間とお金をかけている。おかしなものだ。先日のテレビの歌番組のテーマにもあったが人はなぜ歌をうたうのだろう?まあ、こんなこと考えても憂鬱(ゆううつ)な気分になるだけなので今回はなるべく楽しげな自分の唄を紹介してみることにしよう。

「いとしの花子ちゃん」という曲で、若い頃につくった昔からギター、ピアノ弾き語りどちらでも唄っているオリジナルソングだ。今やっているバンド化作業中の唄の中にも入っていて、もう何十年もどうも怪しげに見えたコード進行を1箇所だけ見直した。

唄の内容は、貧乏な主人公の男の子が彼女の花子ちゃんを連れて銭湯に行った帰り、その風呂上りの花子ちゃんの姿がとても綺麗でドギマギしたり、彼女が泣いている姿を見て”泣かした奴は許せん!オレが成敗(せいばい)してやる!”と勇むのだがその原因は自分であることに気づいて、困った、困った、安アパートに帰ってTV見ながら二人仲良くラーメンをすするというほのぼのとした設定になっている。

昔、ライブでこの曲を聴いた女の子から、この花子ちゃんは実際にいた人物なのかどうか問い正された記憶があるのだが何て答えたかはっきり覚えていない。答えはイエスでもありノーでもあるとここでは言っておこう。(笑)

そんなことよりこの曲を作ろうと思ったのは、RCサクセションの売れて無い頃の一番古いアルバムで「シングルマン」というアルバムがあるのだが、その中に忌野清志郎が歌っていない「大きな春子ちゃん」という曲が唯一1曲だけあって、その曲の雰囲気を真似してみたかったからだ。歌詞はチビな男の子の主人公が好きになった自分より背の高い女の子、春子ちゃんに向けて”キミは大き過ぎるけど、ボクを認めておくれよ!”というもので、この行き違いになったようなコミカルなラブソングの世界観を、歌詞の内容を変えて創ってみたいと考えたのだった。ちなみに「シングルマン」の最後の曲は「スローバラード」といって有名な曲だ。

歌詞の解説はここまでにしておいて、今回語りたかったのは、この「いとしの花子ちゃん」のコード進行が自分で創っておいて昔から腑(ふ)に落ちない箇所があって、そこを今回見直すことができたのであった。ここからは音楽をやっている人向けに書くのであしからず。

花子ちゃんのコード進行はこうなっている。C→Am→Dm→G7の典型的な循環コードを繰り返しAm→G7→Amと来てあるコードに行ってそこからクリシェに行くという進行になっていて、、、滅茶苦茶だな(笑)、、、クリシェはDmでDm→Dmmaj7→Dm7→Dm6と行き最後3コードのサブドミナント、ドミナント、トニックとつながるF→G7→Cで完結している。

そのあるコードというのはディミニッシュ(以下dim)なのであった。dimを入れていたのだが、元々はこの曲アコギでジャカジャカ弾きながら創った曲でギターで弾き語る場合はそんなに問題を感じることは無かったのだが、ある日循環コードのところに6度を入れたベースラインが浮かんできて、そのベースラインを強調したいがためにピアノで弾き語りをするしかなくなってそのdimの基音(ルート)を決めてC#dimとしたのだった。曲の一貫性を保つためにこのC#dimのところもベースラインを作ったのだが、ある日この曲のベースを弾いてくれたベーシストからdimがコードトーンしか出てこないベースラインはおかしい、普通こういう弾き方はしないと鼻で笑われたのだった。

普通AmからクリシェのアタマDmにいくにはDmのドミナントであるA7がここに入るのだろう。しかしAm→A7→Dmとして唄っても唄えるのだが何かが違うのである。私が主張したい響きが無いのだ。dimの響きを入れないとこの唄は成立しない!このベーシストかなり上手くてスタジオミュージシャンになって行ったのだと思うが、唄を創ることの大変さを解っちゃいない、自分の表現したいものが出て無ければそれが音楽理論上どんなに正しかろうと意味が無い!自分は間違っちゃいない!とその当時思い、ずっと何十年もこのdimを使ってこの唄をうたい続けて来た。

「いとしの花子ちゃん」ピアノ弾き語りディミニッシュ版

ただどうしても心に引っかかるものがあり、時間がある時にはなんでこうなるのだろう?と、ああでもない、こうでもないと自分なりに分析はしてきたのであった。

C#dimの構成音(コードトーン)はド♯、ミ、ソ、ラ♯である。そしてメロディーはその上をド♯とレしか動いていない。普通dimのスケールはコードトーンから全音、半音、全音、半音・・・の交互で動いて行く。メロディーはコードトーンのド♯の半音上レに行っている。dimスケールでベースを弾くにはメロディーがぶつかってしまう。それでたぶん自分はdimのコードトーンだけを使ってベースラインを本能的に作ったのだ。それでも十分に唄えるのである。

ただこのベーシストが言うようにコードトーン以外のスケールを使ってメロディーに合わせようとするとコードトーンから半音、全音、半音、全音・・・交互のコンビネーション・オブ・ディミニッシュスケールを使わなければいけなくなる。コンビネーション・オブ・ディミニッシュスケールのコードトーンはm7(♭5)で、C#m7(♭5)にして歌ってもみたのだが、なんだか難しい感じになってしまいこれも違う!

やはり最後はC#dimに落ち着いて行ってしまうのだが、今回なぜか何十年もかかって疑問に思って来たことが解ってしまった。C#dimではなく、ここはA7(♭9)なのだ。要はC#dimのベースをAにするというだけの話で、なんてことはない。(笑)構成音はラ、ド♯、ミ、ソ、ラ♯なのである。肝心なのは♭9なのだ。基音(ルート)A(ラ)の上にディミニッシュが乗っていると言ってもいい。

実は♭9が入っている自分の曲は何曲かあって、なんで気づかなかったのだろうか?今回、目から鱗(うろこ)が落ちる気分になってしまった。♭9は基音(ルート)の半音上の音でもあるので、ものすごく不協和音に感じる人も多いのかもしれないが自分の音楽にとって絶対に必要な音だ。

ただ鼻で笑われたベーシストには次もう会うことは無いと思うのだが、今度会っても意固地になって「いとしの花子ちゃん」はディミニッシュで弾いてやろうと思う。この曲を自分で創った意地だ。(笑)だって

音楽は自由で、間違いなんてないのだから。

花子ちゃんはこんな自分をきっと応援してくれると思う。💓

※今回むずかしい音楽用語が出て来てスイマセン。以後気をつけます。(笑)音楽配信

「いとしの花子ちゃん」ギター弾き語り版