必殺するめ固め

さて、今回はタイトルを最初に決めて書こうと思うのだ。”必殺するめ固め”。すごいタイトルだな。(笑)このタイトル、漫画家のつげ義春さんの漫画集のタイトルをパクりました。(笑)家族にいろいろな本を売り飛ばされたのですが、この漫画集はいまだに生き残っていて、我が家の本棚のどこかにまぎれこんでいるはずです。

なぜ、こんなタイトルにしたかといえば、自分の音楽もするめのようでありたいと思うわけです。噛(か)めば噛(か)むほど味が出て来る・・・。こんなするめイカのように、私の音楽も有名ではありませんが、何度聴いても飽きがこないというところが地味ではありますが、売りなのです。飽きが来ませんよ。騙(だま)されたと思って聴いてみませんか!?(笑)

本日は、ちょうどお正月が明けて10日ほど、その年のお正月飾りや書初(かきぞ)めを燃やす火祭りのイベントが近づいてきました。ネットで調べると、1月14日の夜から15日の朝にかけてやるみたいで、全国では地方によっていろいろな呼び方があるようで、東京では”どんと焼き”と呼ばれていて、私の田舎では”サギ長(ちょう)”と言っていました。

東京で何度かその”どんと焼き”で締め飾り(しめかざり)を焼いたことがあるのですが、小学校の校庭でパチパチ、スケールの小さい火で焼いていて、なにか物足りなさを感じたのですが、田舎では結構、雪の積もった田んぼの真ん中に竹を何本も立てて豪快に焼いていた記憶があります。

栃木の”どんと焼き”。私の子供の頃の”サギ長”はイメージとすればこんな感じ。

その燃え盛った火の中に、竹の先を割って、餅(もち)などを挟んで焼いて食べるのですが、そこで焼いたするめイカの美味(うま)いこと、美味(うま)いこと。スーパーで売っているサキイカもおいしいのですが、ちょっと固(かた)くて、あごが疲れちゃうのですが、”サギ長(ちょう)”で焼いたするめイカは、暖かいし、適度に柔らかいし、風味もあって、するめってこんなに美味(うま)いものなのか!と子供心に思った記憶があって、数日前に朝の布団(ふとん)の中でその光景を思い出したのでした。

噛(か)めば噛(か)むほど味がしみる。自分の音楽もそうありたい!(笑)

寒くて布団から出たくなかったので、すっぽり頭までかぶった真っ暗な布団の中でこのアイデアが浮かんだのであります。(笑)

味だけでなく、なんだかイカの姿がまたグロテスクで、つげさんの漫画集では、漫画集のタイトルだけで、このタイトルの漫画はなかったような気がしますが、ヌルヌルした不気味な漫画がいっぱい入っていたような気がして、巨大イカの足にからまれたら、もう逃げられないと言おうか、アントニオ猪木の必殺技(ひっさつわざ)のコブラ・ツイストや卍(まんじ)固めのように(古いなオレも・・・)、一度食らいついたら、もう離さないといった感じで、私の音楽はアナタのハートを離しませんよ!な~んちゃってね。(笑)

ぜひ、私の”必殺するめ固め”にアナタもかかってみませんか!?噛(か)めば噛(か)むほど味がしみる・・・。ヌルヌル地獄。そんな極上の世界を味わって下さい。

「北へ」。作品「青森」より3曲目

音楽配信やっております。気に入ったらダウンロードいかがなものでしょう?作品を通して聴いていただくのが一番のお勧(すす)めです。CD販売もしています。

YUKIO音楽のお正月

先ほど、初詣(はつもうで)に行ってきました。家族が大好きなテレビの駅伝(えきでん)が終わったので、誘ったら、遅い!だとか、なんだ!とか、いちゃもんをつけられて、いや、そんなこと言われる筋合(すじあい)はないよ!と内心(ないしん)、腹が煮えくり返ったのですが、お正月なので思いなおし、自分が大人(おとな)になればいいんだと思い、

ポヨヨヨヨ~ン。

と、間抜けな反応を返し続けると、ようやく機嫌(きげん)もおさまったみたいで、仲良く近所の神社にお参りに行ってきました。(笑)なんだか今年は大人(おとな)になれそうだぞ~!と、思っていたところ、家に戻ってから今度は、今年来た年賀状が無い!どこにやったんだ!と罵(ののし)られ、いや、そんなこと自分に言われても答えようがないよと返すのですが、ああでもない、こうでもない、と蔑(さげす)まれ、いよいよアッタマに来た~!!と思ったのですが、いやお正月なので、喧嘩(けんか)するのはやめよう、自分が大人になればいいだけの話じゃないか、大人になれば・・・と、内心(ないしん)言い返し、やり込めたい、思いを封じ込め、言い聞かせ、再び、

ポヨヨヨヨ~ン。

と、自分でも訳のわからない反応を返して、その場をやり過ごして、今、このブログに向かい始めたのでした。(笑)いやー。我ながら大人(おとな)になったもんだな。大人に。60歳前にして、今さら大人もクソもないんだけどな。(笑)どんなもんでぇい!こちとら、江戸っ子※よ!

※正確には、歌手YUKIOは若い頃から富山(とやま)生まれの富山育ち。まるっきり江戸っ子の血が流れているわけではありませんので、あしからず。

てな、具合に今年もはじまったのですが、あけましておめでとうございます。みなさんいかがお正月を過ごされましたでしょうか?

私はといえば、正月3ヶ日(さんがにち)、刺身(さしみ)を肴(さかな)に朝からあびるようにお酒を飲み、昨年創った自分の作品群をチェックしたのでした。ギターとピアノの弾き語りをしてきた若い頃の唄をバンド化にしたフルバージョンのもので、

”これ、いいな~!”とか、”これかっこういい~!!”

とか、ぶつぶつ独り言(ひとりごと)を言いながら、悦(えつ)に入っていたのであります。(笑)馬鹿丸出しだ~。(笑)

30曲ちかくあって、3作品に分(わ)けたのですが、まだ音楽配信することもなく、あるいはCDにすることもなく、自分自身で聴いているだけなのですが、思えばこのコロナ騒動が始まる前は、井の頭公園やライブバーで定期的に唄ってライブばかりやっていて、時間が無く、たぶん自分が死ぬ前に、このギターとピアノ弾き語り作品の完成形を創り上げることは無理だろうと思っていたはずが、まさか自分のこの耳で完成形を生きている間(あいだ)に聴けることになろうとは、2年前には思いもしなかったのであります。コロナ禍で世の中、みんな暗いニュースばかりを流していますが、自分とすればコロナ様、様、で、コロナのおかげで部屋に閉じこもり、集中して、楽曲を組み上げることだできたのでした。

忌野清志郎(いまわのきよしろう)の曲にもあるように、ニュースはなんで悪いことばかり伝えるのでしょうか?見方(みかた)によっては、コロナは人類にとって悪いことばかりじゃ無いのかもしれません。フェアートレードという言葉がある通り、お金を持って力のある方が正義をかざして、取り引きしても、弱い方にとってみればそれは全然、正義でもなんでもないものでしかありません。

見方(みかた)を変えなきゃ。

今まで、自分が当たりまえだと思っていたことも、全然当たりまえではない。10年前のオマエの姿を見てみろ!その頃考えていたオマエの考え方は今となってみればほとんど通用しなくなっているじゃないか!

と、思うのであります。

思うばかりで、、、今後どうすればいいのか?見当(けんとう)もつかず、この1年たぶんいろいろなことが身にふりかかってくるだろうなというぼやけた姿(すがた)が見えるだけで、お酒を飲みながら戦々恐々(せんせんきょうきょう)としている自分がいるのでした。

はたして今年は自分にとってどんな年になるのでしょうか?あるいは、みなさんにとってもどのような年になっていくのでしょうか?

目に見えるものだけを追いかけていてもいけませんぜ、旦那(だんな)。

こう、どこからか言われているような気がするのでした。(笑)自分にとっても、みなさんにとっても、今年が良い年でありますように。

「海」

音楽配信やっております。気に入ったらダウンロードいかがなものでしょう?作品を通して聴いていただくのが一番のお勧(すす)めです。CD販売もしています。

食事をしようセレナーデ

久しぶりに会う父親の姿は腰が曲がっていた。何年ぶりだろうか?コロナ騒動が起きてからというもの、たまに電話で話したりもしたのだが、どの家もそうであるように、父親からも実家(いえ)には近寄るなと言われ自重(じちょう)していたところ、先日、次の第六波がいつ来るかわからないので、感染者数が落ち着いている今こそ、実家に久しぶりに戻って来いと言われたのである。

土産(みやげ)など何も要(い)らないから、手ぶらで戻って来いと言われたのだが、何も持って行かないというのも気が引けたので、東京駅の駅弁屋でなぜだか北海道名物の「森のいかめし」ひとつを買って、持って行った。(笑)

我が家の実家(じっか)事情は、自慢するほどでもないが複雑で、(笑)このウエブ上で公開するのもなんだかためらわれるので説明しないが、とりあえず父親は今、田舎(いなか)のマンションで一人暮らしをしている。前回帰った時には、90歳にもなろう老人が、眼鏡(めがね)もかけずにガンガンに高速道路で車(くるま)を飛ばしていて、危ないから、もう運転止めたら!と言うのだが、言う事を聞かないので、叔母(おば)の年賀状に父親を説得してくださいと書いたりして工作(こうさく)をおこなうと、その甲斐(かい)あってか、ようやく車の運転免許も返納(へんのう)してくれた。(笑)

田舎のショッピングモールの前で待ち合わせたのだが、腰の曲がった父親が、自分を見上げて、”お前、背が伸びたな~!”と言うのである。(笑)”いや、伸びてないですよ。縮(ちぢ)んでます。お父さんの腰の曲がり方(かた)の方(ほう)が、私の背が縮むのより早いんです!”と返すのだが、一向(いっこう)に”お前、大きくなったな~!”と不思議な顔をするのであった。

90歳を超えた腰の曲がった老人と、背が縮みはじめた初老(しょろう)間際(まぎわ)の老人二人で、そこのショッピングモールで食べ物の買い出しをおこなった。ショッピングモールはとても広くて、何でも売っていて、”お前、なにが食べたい?好きなもの言え。なんでも買ってやる。”と言われ、腰の曲がった老人は杖(つえ)の代わりに大きな買い物用のショッピングカートを押した。

初老を迎えそうな老人は、適当に”これがいい。”とか言うのだが、最終的にはいつもその90歳を超えた腰の曲がった老人が”いや、この刺身(さしみ)は色が悪い。こっちの方がいい!”とか言いはじめ、言いくるめられてしまい、腰の曲がった老人が数日前から思い描いていた予定通りの買い物になるのであった。(笑)若い頃からいつもそうだ。子供の意見を形だけ聞くだけで、最終的には自分の思いを通そうとする。(笑)

老人二人では食べきれないような量の食べ物を買って、でかい今風のショッピングモールを出てタクシーで実家(いえ)に帰った。もう夕方で、父親は大体スケジュールを組んでいるので、どんな予定になっているのだろう?と思っていると、風呂に入ってから、飯(めし)を喰おう、お前先に入れと言われ、風呂から上がって出て来ると、父親が台所で料理を始めていた。手伝おうか?と言うのだが、要(い)らない、自分でやると言う。腰を曲げながら、ご飯を炊いて、味噌汁を作ろうとしていた。

何にもすることがないので、テーブルで父親の鼻唄を聞きながら、まだ手のつけられていない新聞を読んだ。昔からそうだ、自分が実家(いえ)に戻って来る日には、なぜだか父親はその日の新聞に手をつけなくて、皺(しわ)ひとつない新聞を自分に読ませてくれる。

父親の鼻唄がさらに大きくなった、なんだかご機嫌(きげん)だ。何を唄っているのだろう?子供の頃は、キャッチボールの相手をしてくれる時に、「上海帰りのリル」という古い歌をいつも口ずさんでいた。

”リ~ル。リ~ル。どこにいるのか?リ~ル。誰かリ~ルを知らないか?上海帰り~の~!リル、リル。”

この歌詞を猛烈に喉(のど)のコブシを回して唄うのである。耳にこびりついて離れないので、「火の玉」という自分の曲にも歌詞の中に「上海帰りのリル」という言葉を使っていたりもする。(笑) カラオケが流行っていた時には、大川栄作の「さざんかの宿」が十八番だった。この演歌を肩を怒らせてコブシをこれでもかと思うくらいに回して歌っていたのだが、今晩の鼻唄は、 「上海帰りのリル」 や 「さざんかの宿」 ではなくて、聞いたことのないものだった。しかもあまりこぶしを回してない。

鼻唄を聞いている自分としてはとてもいい!なんで昔はあんなにコブシを回していたのだろう?今の方がよほど素直な感じがして、とてもいいのに!と新聞を読みながら思ってしまった。

”料理出来たぞ!”と言われ、二人でテーブルに運んだ。父親の久しぶりの手料理だったのだが、もう何を出してくれたのか歳(とし)のせいなのか、すべてを思い出せなくなっている。(笑)ただテーブルの真ん中に買って来た刺身(さしみ)を置いて、大皿にはトンカツ一切れと、野菜がのっていた。野菜の下の手料理が思い出せない。駄目な息子だ。(笑)

父親は酒をやめて何十年になるのだが、自分だけはビールを飲んだ。食事をはじめたのだが、父親はそれまでつけていたテレビを消した。テレビの音が無くて大丈夫なのかな?会話がはずむのかな?昔、同じように父親がテレビを消して、会話だけで食事を楽しむぞ!と家族に宣言したのだが、いざ消してみると、まったく会話がはずまなくて、10分ほどでまたテレビをつけたというホロ苦い思い出がある。(笑)

ところが今晩は違った。会話が弾(はず)むは、弾(はず)む。父親が一方的に話して来る感じでもあったのだが、話を聞いている自分の気持ちも悪い気がしない。まるで恋人同士のような食事ではないか。(笑)

オレの研(と)いだ、自慢の炊き立てのご飯を食べろと言う。今の米(こめ)は昔のように、そんな研(と)がなくてもいいんですよ!とアドバイスするのだが、そんなこと知ってる!けどやっぱり、白い研(と)ぎ汁が出なくなるまで、研(と)ぎたくなるんだ!それが一番旨(うま)いだ。と言ってくる父親の顔がなんだか少年のようだ。そういえば、自分がこちらに出て来て一人暮らしを始めた時も、一緒に出て来て安アパートの部屋の中で米の研ぎ方を教えてくれたのは父親だった。

味噌汁も上手くできたから飲めと言う。確かに旨(うま)い!味噌汁も、その時に、味噌これくらいで、あとは本ダシ入れて、ハイミーを隠し味で入れるんだと教えてくれたのも父親だった。なんだか懐(なつ)かしい味だなと思ってしまい、ハイミーなんて今、体に悪いということで売ってないんじゃないの?と訊(き)こうと思ったのだがやめた。父親がせっかく自分のために作ってくれた食事にこれ以上ケチをつけたくなかったからだ。

そういえば、高校時代、母親がいない時期があって、昼間は給食ではなくて、みんな弁当持参だったのだが、父親が自分の弁当を作ってくれていた時期があった。弁当箱には装飾(そうしょく)なんて何もなくて、ただ、焼いた魚の切れが一切れ、おかずとして入っているだけのものだった。梅干しひとつだけの日の丸弁当よりはまだマシだったのだが、(笑)周りはみんなタコ足に切ったウインナーとか、緑のギザギザの仕切りが入った弁当箱を何が入っているんだろう?と期待して開けて食べ始めるのだが、自分は弁当箱を恥ずかしくてなかなか開けられなかった。(笑)

その頃にくらべて、父親は料理の腕(うで)をあげた!味もそうなのだが、なんといっても今回は、見せ方を工夫してきた。ちゃんと装飾してあるのである。(笑)恋人同士の12月なのでクリスマスの食事みたいだ。(笑)

”お前、いつまで、そんな誰も見向きもしない音楽やっているんだ?ピアノ室行ってるって聞いたけど、ピアノなんて弾けるのか?大体、お前、譜面も読めないのにどうやってピアノ弾くんだ!?”

と、あいもかわらずその夜の恋人同士のような会話の中で嫌(いや)みのように訊(き)かれたのだが、

”譜面は読めないけど、音楽に譜面は関係ないよ~。”

と、答えたら、なんだか珍しく父親は上機嫌(じょうきげん)で笑っていた。

酒の酔いが回って来たので、土産(みやげ)で買って来た「森のいかめし」の封を開けて、”こっちでいう、「峠の釜めし」や「ますずし」みたいなものだよ。イカもやわらかく煮てあって食べやすいよ~!美味しいから。”と言って、 包丁で細かく切って、その切れはしを父親にあげると、”なんだ、名物か!?”と言って美味しそうに口にほうばっていた。

自分の唄に「食事をしようセレナーデ」という曲がある。別れた恋人との楽しい記憶を思い出しながら、一人で食事をするという歌詞の一応ロマンチックな唄だ。その晩、洗い物は自分の方でやってあげたのだが、洗ったあとの食器の置き場所が違うみたいで、私が寝ついたであろう夜中に、食器の位置を父親はいつも置いてある場所に変えていた。90歳超えての初めての一人暮らしもなんだか自由で、楽しいみたいだ。(笑)その台所の音を聞きながら、この唄を思い出した。

唄の対象になっているのは恋人なのだが、父親が対象でも何らおかしくないような気がして、父親と二人だけのロマンチックなその夜は更(ふ)けて行ったのである。

※「食事をしようセレナーデ」・・・ピアノ弾き語り「YUKIO PIANO」4曲目です。ぜひ聴いてみませんか!?

音楽配信やっております。気に入ったらダウンロードいかがなものでしょう?作品を通して聴いていただくのが一番のお勧(すす)めです。CD販売もしています。