YUKIOミックス・マスタリングよもやま話

寒い。寒いので、ぬるくなった茶を入れなおしてきた。その間にプラグインの更新は終わっていたので、すぐにこのブログの文章を書くことに没頭できることになった。熱い茶はうまいなぁ。寒い日は熱い茶に限る。さて、何書こう?

まったく、何を書くかを決めてから文章を進めればいいのに、これだから誰も見てくれないんだよ、と思いつつ、このヨレヨレ感が自分の心には必要なんだよな。生まれてこの方、世の中ってなんでこんなに計画を立てて、それを遂行して、達成感を味わって、お金儲けが必要で、他人の目を気にして、多少、優越感にひたったりして、その割には、あまり世の中から外れたことはしたくないという自尊心もあったりなんかして、生きづらいと言おうか?もう少し気楽に暮らしたいと言おうか?オレ、何言ってんだろう!?笑

そう、今回は私の新しい音楽作品のことについて多少お話しすることにしよう。実はずっと進行していて、歌入れも昨年の夏に終っていて、秋にいろいろ下準備をし、今、ミックス・マスタリングしている段階なのである。そこのところをもう少し具体的に書くと、全ての楽曲が完成した後、夏に2週間かけて、買えば50万円するマイクをレンタルで借りてきて、近くの音楽スタジオに行って歌入れをおこなったのであった。歌入れは困難を極めて、あそこがおかしい?だとか、ここちょっと違うだとか、時間が足りなくなってしまい、マイクを返す前日まで、スタジオに通い詰めになり、なんとか終わらせてマイクを返却したのだが、その後も、変なところが見つかったりなんかして、もう仕方がないので自分の持ってるマイクでハモリを追加したりしたのであった。

歌入れを終了した後、次はミックス・マスタリングの下準備として、打ち込んだドラムやベースの音を全てオーディオファイルに書き出し、余分なところをカットしたりなんかして、面倒臭い作業を秋の段階で地道に進め、今回の作品で新しくチャレンジしようと思った、オートメーションを指で操れるDTM(デジタルミュージック)機器を1台買ったのであった。

オートメーションとは何かと言うと、昨今のDTMあるいはDAWと言うのか音楽はデジタルソフトで管理されていて、楽曲のミックス・マスタリング時、バランスを整える際に、音のボリュームや定位を細かく設定することができる機能で、自分の持っているパソコンのマウスではそうした作業をするには途方もない時間がかかってしまうので、今までの作品ではそこは目をつぶって我慢してたのだが、指で簡単に直感的に操れる機器が、ネットで調べると安い機器もあることを知って、今回はその機器を使って妥協しないことを決めたのだった。

しかしながら、自分の持っているパソコンが古いので、果たしてその機器が接続した後、使えるのか?どうか怪しかったので、ネット業者に問い合わせしたところ、たぶん大丈夫だが、使えなかった場合でも返品はできないと言われたので、であればリアル店舗のデジタル楽器屋に行って、多少料金は高いのだが、そこにパソコンを実際に持ち込んで、反応するのを確認して買ったのであった。

そこのリアル店舗のデジタル楽器屋さんの店員さんが、ミックス・マスタリングについての知識がとても豊富で、そして最新の情報を知っていて、そのオートメーション機器の扱いだけでなく、ミックス・マスタリング時のマスターの出力レベルをどう調整すればいいかの問題も含めて、多くのことを教えてもらったのであった。あらためて感謝したい。そして年末から、このオートメーション機器をパソコンに接続し、今回の作品のミックス・マスタリングを始めたのであった。

始めたのはよかったのだが、今度はパソコンだけでなく他の機材も古すぎて、故障が相次ぎ、その都度、時間をロスするのであった。笑 モニタースピーカーから音が出ないやら、スピーカーにつなぐオーディオインターフェイスが壊れるやら、アクシデントが続出で、なんとか正月前に半分終わらせることができたと思っていたところが、新しくつないだオーディオインターフェイスも一時代古いもので、なんだか調子悪いなと思いつつ進めていたのだが、結局、ステレオではなくモノラルでモニターしていたみたいで、すべて最初からやり直しするハメになってしまった。

パン(定位)をいじくってもなんだか動いていない!なんかおかしいな?と思っていたんだよな。笑 

そんなこんなで、正月明けから、またミックス・マスタリングをやり直しているのであった。

熱かった茶も冷たくなっている。そろそろ今回のお話もお開きにしよう。おそまつ。

「仕事帰りの道すがら」ピアノ弾き語り

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1年の孤独

今日は日曜日。井の頭公園に唄いに行く予定だったが、取りやめた。多少涼しくなったのでこの機会に夏の日差し対策として屋根から垂(た)らした朝顔ネットを取り外し、今、とても清々(すがすが)しい秋の日差しが右の窓から差し込んでいる。天気予報では気温が急激に下がるということだったのに、そんなこともなく、半袖(はんそで)になってこのブログに向かっている。

目薬を差した。このブログのためだ。最近は目が調子悪くても我慢して、目薬をなるべく差さないようにしている。目薬だけでなく、できるだけ薬を使わないようにしているのだが、この歳(とし)になるとなかなかそう言うわけにも行かず、最近は咳(せき)が止まらないので、医者から処方された咳止めの薬を飲んでいたりする。

唄い過ぎのせいなのかもしれないが、季節の変わり目になると咳が出て来るのだ。前回、夏前には飲み薬をいくらもらっても効かず、最後は吸い薬を吸ってようやく治ったという経緯がある。今回はそこまで重症化しておらず、飲み薬だけで治そうとしているのだが、なかなか上手くいかない。

こうした小さな衰えを、見て見ぬふりをしつつ、気分だけは今も若者のように振る舞っている自分がいるのだが、隠そうにも隠し切れない事実に気づき、先日愕然(がくぜん)としてしまったのだった。それは、この1年、自分は1冊の本も読んでいないという事実だった。その詳細を語ることにしよう。

この街に引越して来て以来、いつも土曜日午後には隣町のクラシック喫茶に行って音楽を聴き、その後、駅前の本屋に寄って立ち読みをするのが常(つね)だったのだが、その本屋が昨年末に閉店してしまうということになり、もうこの本屋に立ち寄ることも無くなるだろうと、かねてからずっと欲しかったのだが、料金が高いので買いそびれていた単行本を思い切って買ったのであった。

その本というのは、ガルシア・マルケスの「100年の孤独」という小説で、ずっとこの本屋に通って以来、この単行本1回読んでみたいなと、毎週この単行本が入っている書棚の前を行ったり来たりするのだった。なぜ、そんなに読みたかったのに、ためらってしまったかと言うと、それは料金だけではなく、長編小説だからだ。分厚い単行本なのである。ドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいた時のように、買ったはいいが、長編小説を読むと、多大な時間をとられてしまうと思ったからだ。

買おうか?どうしようか?何年もこの書棚の前で、この「100年の孤独」の単行本背表紙タイトルを眺めて来たのだが、気づいたことがあって、結構売れるのである。半年に1回は書棚から無くなっていて、その都度、取り寄せするのか?数週間後には、また書棚に並んでいるのである。

この本売れている。こんな小難しそうで、長い小説、しかも料金も高い本を、どんな奴が読んでいるのだろう?と空想しつつ何年も経ってしまったのだが、いよいよこの本屋が閉まるという段(だん)になって、もうこの機会を逃すと、この本を読むことも無いだろうと思い、決心を固め、とうとう買ってしまったのであった。

しかし、その後、この本屋は閉店したのだが、同じ場所に大手の本屋が出店して来て、結局は今も店名だけが変わって、書店は続いている。相も変わらず、自分は毎週土曜日夕方、この書店に行くのだが、しかしながら「100年の孤独」は書棚には置いてないのだ。ガルシア・マルケスの他の小説「コレラの時代」は置いてあるのだが、「100年の孤独」は置いてない。「100年の孤独」の分厚い単行本をこの書店で最後に買ったのは自分なのだなと、何となく、くすぐったい気分があったりなんかするのだが、いざ、買ったこの本を家で読んでいたのかと言うと、はじまりの20~30ページだけ目を通しただけで、まったく読む気にもならず、部屋のスピーカーの上に置きっぱなしになっていたりなんかして、もう1年近く経ってしまったのであった。

せっかく満(まん)を持(じ)するような気持で買ったこの本を、なかなか手にとらなかった原因は、まず、上にも書いたが目の調子が歳と共に悪くなってきて、読み進めると視界がかすれてきてしまうのだ、気持ちが盛り上がる前に、文章が読めなくなってしまって、目が疲れて暗闇を求めてしまい、布団の中で寝てしまうのだ。また、ユーチューブやチックトクで自分の動画を上げるのに、時間を取られてしまうということもある。

「100年の孤独」を読まなかった、この間、春には、他の書店に行くと、この小説の小さくなった文庫本が、店頭に山積みされているではないか。帯(おび)には「100年の孤独」待望の文庫化!と刷ってある。おい!新潮社いい加減にしろ!文庫本を出すんだったら、早く言ってくれ!高い単行本を買わなくてもよかったではないか!と、悔やんでも悔やみきれない思いもしてしまったのだが、あとの祭り、よくよく考えると、昨年末にこの本を買って以来、1冊も本を読んでいないことに気づき、ここまで本を読まなくなったのはいつ以来だろうかと思いを巡らしたのであった。

そんな、こんなで、先月、このままでは今年とうとう1冊も本を読まなくなってしまうぞと危機感を募らせ、空いている時間を見つけ、急いで「100年の孤独」を読破したのであった。内容は無茶苦茶おもしろいものであったが、そんなことよりも、自分が1年間何も読まなかったという問題意識の方が、この本の印象として自分の人生の最後、頭の中に残っていくのだろうなと思ったのである。

孤独な自分の人生が、100年では無く、1年だけで良かった。

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秋の環七自転車旅-復路-

雨が降るの嫌だな、その前に早く帰ろうと思いお客さんの場所、旗の台を出発。来たところとは違う大通りに出る。

アレ?この通り、さっき来るときに来た道じゃないかと思い、なんだ早めに曲がり過ぎたんだとようやく気づき、この道路何て言う通りなのだろうと確認してみると、中原街道という通りだった。

中原街道を直進し、環七と交わる交差点に出る。そして環七の左側に渡り、帰路についた。ここからが秋の環七自転車旅、復路のはじまりである。

復路は、いきなりのなだらかな上り坂からはじまるのであった。だらだらと続く上り坂は体にこたえると言おうか、ボクシングのKO必死のストレートパンチではなく、軽いジャブを腹に当てられている感じで、知らない内に消耗していて辛いのだ。我慢して上る。しばらく行くと、左手に立ち食いそば屋かうどん屋かわからないが、見えてくる、いつもここで一杯食っていくかと思うのだが、そうするとCDの売り上げが消えてしまうと我慢するのであった。笑 昨年までは寂(さび)れたたたたずまいの小屋だったのに、建てなおしたみたいで小ぎれいになっている。なんだか古い方が風情があったのにと思いつつ、写真をとって横を立ち去った。

立ち食いそば屋

またしばらく行くと再びなだらかな坂で、下を電車が通っていた。復路一つ目の路線だ。東横線なのかなと思っていたのだが、電車を遠目からみるとちがう車体のようにも見えるし、よくわからない。

お尻がだんだん痛くなってくる。我慢しながら自転車を漕ぐ。右側向こうに「せたが屋」という10年前くらいに結構テレビに出てたラーメン屋さんが見えて来て、目黒から世田谷に戻って来たことに多少安堵する。このラーメン屋も一度入ってみたいと思っていたが、まあ、たぶん入ることもないだろう。写真を撮ったのだが、環七を通る軽トラックの荷物に邪魔されて店名が隠れてしまった。

らーめん屋「せたが屋」

そして、ようやく再び246に当たる。尻が痛い。

まだ、復路の半分も行ってないかな?という感じなのだが、もう疲れていて、疲れたと思わないようにして、無表情で行軍する。

世田谷通り、

チンチン電車の世田谷線、

左手に世田谷線の駅が見えたので、この近くの駅って何駅なんだろうと思い、確認すると若林駅だった。なるほどここら辺は若林なんだと納得し、さらに直進。そして、いよいよ復路の最大の難関、心臓破りの丘ならぬ、上り坂が見えて来た。

この写真あたりから徐々に坂道が上がって行く、この坂道を上るだけでも辛いのだが、疲れたところに、さらに急斜面が待ち受けているのだ。

そう、この階段の真ん中を自転車で上って行くのだが、なんでこんな急斜面を自転車で上らなければいけないのか?馬鹿みたいだと思い、今年は自転車を降り、自転車を押しながら階段を上った。そうすると結構楽だった。笑 去年までは、この坂を意地になって自転車で上りきっていたのだが、別に誰かに褒められるわけでもなく、歩いて上ればいいだけの話なのである。お正月にテレビ放映してくれるわけでも無いしな。笑

そして上りきったところが、こちら。ちょうどイオンの「まいばすけっと」の入り口になっていて、ここからさらに多少上り坂が続くのであった。急勾配の坂道を上りきった後の更なる微妙な傾斜、毎年ここをフラフラになりながら自転車を漕ぐのだが、今年はもう手前から歩いているので、なんてことはない。ここでまた自転車をまたいで漕ぎだした。ちょうど往路の環七から外れて急な下り坂があったところの反対側なのだと今年ようやく気づき、そうか!ここは代田で行程の半分はもう過ぎている、残りは少しだと思い、気分も少しは安らぐのだった。

そしてしばらく行くと、今度は復路ではじめて環七から外れる通りにさしかかる。

環七のバイパスみたいになっている通りで、確か泉商店街か泉通りと看板が出ていたと思うが、あるいは泉ではなく和泉だったような気もするが、定かでなく、そんな名称よりも大切なことは、この通りがゆるやかな下りになっていることだ。足を休ませられるのである。ペダルを漕がなくていい!ゆっくりこの通りを下ると、再び環七に合流。

環七との合流地点

ゴールは近いぞと!膝の痛みもそこのけに、がんばってペダルを漕ぎ始めるのだった。そして、とうとう方南町の交差点に到着。記念に丸の内線方南町駅の地下鉄出口を撮影し、

ラストスパートに入るのだった。自転車を漕ぎながら、さて、この秋の自転車旅のゴールはどこにしよう?と思いめぐらし、そうか、やっぱりここしかないと最後は久しぶりに妙法寺に寄ってみた。なにか翌日からイベントがあるみたいで、その準備が粛々と進んでいたのだが、お構いなしに自転車を正門前につけ、ヘルメットを脱ぎ、記念撮影。その後、家にようやく戻ったのだった。妙法寺を知らない方も多いと思うので、ここで説明しておくと、日蓮宗の有名な古刹(こさつ)で、江戸時代までは、大江戸というのは四ッ谷御門までで、江戸時代の人たちは四ッ谷御門を出て最初にめざすのがこの妙法寺だったと、前によく通ったピアノバーのマスターに教わった。厄除大師で知られ、我が家でも数年に1回、妙法寺に初詣に行く。家族は参道の饅頭屋さんの揚げ饅頭が好きだ。除夜の鐘つきもサービスでつかせてくれて、一度やってみたいと思い行列に並んでみたのだが、その行列が余りに長くて、せっかく大みそかに風呂に入って温まった体が、すっかり冷え切ってしまった年越しの思い出がある。笑

今回、写真ばかりの内容になってしまったが、最後はこの妙法寺正門前のもので終わりにする。疲れた。

妙法寺正門前
「今」動画

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