ピアニスト、タイピストにあらず

梅雨(つゆ)が明けてから先ほど初めて雨がパラパラと落ちてきた。降ってきたという感じではなかったが、それでも幾分(いくぶん)涼しくなったような気がした。今はもう元に戻って太陽がガンガンと照りつけている。

先ほどまで朝から扇風機をかけて部屋でとある肉体労働していたらもう汗だくになってしまった。ようやく片付いて部屋にクーラーを入れて涼みながらこのブログ書いてる。疲れた。(笑)何書こう?

巷(ちまた)はお盆休みで昨日、一昨日の土曜、日曜日、街からは結構人が消えていて、みなさん帰省や夏の余暇をどこか遠くに行って楽しんでいるのでしょうが、私といったらここ何年かそうしたレジャーにはまったく無縁で、相変わらずこの中央線の狭いエリアの中をあっち行ったりこっち行ったり・・・なんとかしてくれ!こんな愚痴を垂れていても誰か助けてくれるわけでもなく、稼げない人間は節約するしかないのだ。寂しい~!

今年のお盆休みは1週間以上ある長いもので、大企業の人とかはそんなに休みを取れたりするのでしょうか?私の周りの人達はお盆休みというのではなく順番に夏休みを取っていくような感じが最近は多いような気がするのですが、世の中もどんどん変わって行くし、よくわからない!だんだん投げやりになってきた。(笑)

ペンが進まないよ~!ペンなんか使ってないじゃないか、キーボードの指が進まないだけだろうよ。わかったこのネタで行こう!

実は私、ピアノを弾くくせしてパソコンのキーボードではタイプライターを10本の指でカチカチ叩くような感じでは全然できなくて、基本右手と左手の中指1本ずつで交互に打っていくド素人(しろうと)人間なのだ。どうだ今時すごいだろう!馬鹿にしてくれ~!(笑)

ピアニスト、タイピストにあらず。

自分だけかもしれないが。あしからず。音楽配信

真夏の日本語レゲエ

今日も暑い。若い頃は夏によくレゲエを聴いた。レゲエを聴いたというかボブ・マーレーをよく聴いたと言った方がいいかもしれない。レゲエといえばトロピカルなイメージがあるが、歌詞は政治的な意味合いのものも結構あったりしてそんなビーチで聴くような音楽ではないと昔は評論家の人達は物知(ものし)り顔風に言っていたが、やっぱり暑くなるとレゲエが聴きたくなる。雪が降ってる寒い中では聴きたくない。(笑)

だって暑い国で生まれた音楽なんだから、歌詞がどうあろうと暑い時に聴きたくなるというのが筋(すじ)ってものだ。

レゲエというと若い頃ロックばかり聴いてた時期から黒人音楽にどっぷりとハマっていくちょうど過渡期に聴いた音楽だった。バンドでボブ・マーレーの有名な「ノーウーマンノークライ」という曲をやったりして、全然黒くならないので、真似(まね)るよりも、自分にあった身の丈(たけ)の自身の曲を創って唄った方がいいのだとその時感じて今に至っているような気がする。

ただヒップホップが流行って以来、押され気味でなんだか最近あまり街中でも聴くことがなくなってしまった。ボブ・マーレーのように有名な人が出てこなかったというのもあるのかもしれない。

彼の有名曲をいくらコピーしても全然本物っぽくならないので、自分のオリジナル曲でレゲエ調の曲をなんとか創れないかとずっと思っていてできた曲が「立ちっぱなし」という唄だ。

夏の暑い時期に、通りゆく車に排気ガスをかけられ”バカヤロー!”と叫んだかいもなく、無視され車は行ってしまう。虫っけらのような人生だがこんな人生にも意味があるんだよ!(笑)と、要約するとこんな感じの歌詞で笑ってしまうがちゃんとした立派な日本語のレゲエだと思っている。

今度の金曜日のライブで久しぶりにやってみるか?

夜になっても鳴りやまない蝉(せみ)しぐれが聞こえるビルの片隅(かたすみ)。裸足(はだし)で歩くには火傷(やけど)しそうなほど熱くなってるアスファルト。涼むためだけに意味もなく街をぶらつく若者達。みんなどこか暑さでイ・カ・レ・テ・ル。

真夏の熱帯夜。1曲だけだがレゲエを聴きに来ませんか?

8/9(金)夜8時より 大久保水族館 1ドリンク付き 料金1500円(本来お店の料金は1000円です。500円は私専用のミュージックチャージです。来ていただいた場合は500円、私、YUKIO本人に手渡してください。ご了解の上ご来店ください。)音楽配信

我輩は猫である

自分の住んでる街には野良猫が結構いるように思う。近所の散歩道には気づけば猫に餌(えさ)を与えている人か、スマホをじっと見て突っ立ってる人、たぶんポケモンGOをやっている人がウジャウジャいる。(笑)

そんな野良猫が家の周りで糞(フン)や尿を垂れるので臭(くさ)くて困ってたりもした。見てる分には犬も猫も嫌いじゃないのだが臭(にお)いを残されると、獣(けもの)の臭(にお)いというか人間と違っているのでどうも嫌(いや)になってくるのだ。

道路を挟んだ向こう側のご近所さんも二匹猫を飼っていて、ただその猫たちは外には出てこない家の中で飼われている。前は外で飼われていた猫もいたのだが死んでしまったみたいだ。随分と可愛がられていた猫で毛艶(けづや)も良く、人間を見ても怖がらず、我が家の周りでいつも昼寝をしていた。

その猫が死んだあと、よく似た野良猫がご近所さんの家の前で餌乞(えさご)いを始めた。去年の冬か一昨年(おととし)の冬だったと思う。哀れに思ったのかご近所さんは駐車場に段ボールの掘立小屋を建て、その野良猫を飼い始めたのだが半年ほどしたある寒い朝、その野良猫も死んでしまったらしく掘立小屋も無くなっていた。

なんでこんな話をしたかというと、その野良猫は非常に目つきの悪い猫で、そこまで睨(にら)まなくてもいいだろうというほど、睨(にら)んできて、人間の私がビビるくらいであった非常にインパクトの強い猫だったのである。

明かに飼い猫ではない野生の目つきで、”誰も信じちゃいね~よ!”といった感じがとても他人事(ひとごと)、いや他猫事(ねこごと)とは思えず(笑)、よくぞ頑張って生きて来たなと褒(ほ)めてあげたくなるくらい荒(すさ)み切った雰囲気を漂わせていた。今から思えばご近所さんに餌乞(えさご)いをし始めた時にはもう病気だったのかもしれない。

あまりに面白そうな猫だったので、毎月送っている私のライブ勧誘メールの中にエッセイと言おうか小説と言おうかこの猫を主人公にした文章を連載して書いてみた。その名も「我輩は猫である」。(笑)ご存じ文豪、夏目漱石の有名な小説「吾輩は猫である」をパロディーにしたもので、どうせ誰も読んではいないだろうと思い、過激に好き勝手書いたものだった。

その野良猫も死んでしまって、私の「我輩は猫である」も終わっている。せっかくがんばって書いたのでまとめたものをnoteというサイトにアップしてある。不意に思い出したので今回紹介してみた。読んでみませんか?猫ブームと言うが、人間が勝手に思ってるだけで、野良猫達は人間の入り込めない猫社会で毎日生死をかけて必死に生きているのかもしれない。

ただ、それはもの凄く残酷(ざんこく)な世界なのかもしれないが美しい世界でもある。今回そんな気がした。自分もそんな世界の中の一員なのである。音楽配信

小さな音

先日久しぶりに音楽にどっぷり浸(ひた)る時間がありました。暑いので日曜日の夕方明るい内(うち)からたこ焼きをつまみにビールをチビリチビリ飲みながら好きな音楽をかけたのでした。

思えば素面(しらふ)で家の中で音楽を聴いたことなどもう何十年も無いような気がする・・・。自分で演奏する時は絶対に酒を飲んではやらないと決めていますが、聴く方となると全然駄目(だめ)でもはや酒を飲みながらでしか音楽を聴こうとしないのかもしれません。(笑)

こうなるとロックとか歌ものを聴くということもなくやっぱりジャズになってしまうのですよね。自分は唄ものをやってるくせして聴くのは唄ものでははないというこのジレンマ。実は唄ものではない曲も何曲かはあるのですが、いつかはお披露目できたらなと思っております。

ここ何年かは明るい内からかけるジャズって決まってまして、いつもマイルスデイビスの「マイルストーン」というアルバムをかけて酒を飲み始めるのです。4曲目のこの「マイルストーン」という曲から6曲目のセロニアスモンクの「ストレート・ノーチェイサー」という曲がかかってる内に外が暗くなってきて、小さめの灯りをつけて6曲目が終わると違うアルバムをかけ始めさらにディープな自分だけの世界にのめり込んで行くのであります。(笑)

さて、今回取り上げたいと思ったのはこの「マイルストーン」というアルバムではございませんで、同じマイルスでも「カインド・オブ・ブルー」に入っている「ソーホワット」という曲です。マイルスデイビスと言えばもう誰もが知っているジャズ界の帝王、有名なトランぺッターで、今さら私が何を語ろうが彼の名前に傷がつくものでもありませんで、そんな私も例にもれず若い頃はロックしか聴かないのに、なぜかマイルスデイビスの音楽だけはテープを持っていたのでした。その理由がこの「ソーホワット」という曲で、はじめて友達の家で聴かせてもらった時以来もう大好きになってしまった曲なのです。

「ソーホワット」といえばモードジャズの代表曲で歴史上最も有名なジャズのスタンダード曲10曲の内に入るくらいだと思いますので、私が下手な曲解説をしても笑われるだけなのでしません。意味がない。ここでわかってもいやしないモード奏法をうんちゃらかんちゃらと語ったら更に面白いのかもしれませんが、私そんな馬鹿じゃありません。(笑)

この曲の何を語りたかったといえば、酒を飲みながら久しぶりに聴いて、ボリュームをしぼって聴くともの凄く響くというのに気づいたと言いましょうか、最初に友達の家で聴いた時から薄々(うすうす)そう思ってたと言いましょうか、「ソーホワット」は音が小さければ小さいほどカッコいい!部屋の片隅、真っ暗な暗闇の先から聴こえて来る、小さな、小さな音の「ソーホワット」が一番素敵だということを再発見してしまったことです。

音が大きくある必要はあるのだろうか?今の世の中なんでも大きな音で表現しようとしますが、はたしてそれが正解なのでしょうか?マイルスデイビスと並んで私が大好きな武満徹さんも自分の曲を演奏してくれるオーケストラに向けて”もっと小さく、もっと小さく。”とよく言っていたと何かの解説で読んだことがあります。

マイルスと武満さんの音楽の共通点は音を小さくすればするほど魅力的になるような気がして、先日は「ソーホワット」のあとに武満さんの代表曲「ノーベンバーステップス」を限りなく小さな音で聴いてみました。

至高の究極。

なんじゃそれは?オマエは”美味(おい)しんぼ”か!古いな。(笑)

このようにして50代親父(おやじ)のささやかな日曜夜は過ぎて行ったのであります。翌朝、血圧が高かったのは言うまでもありません。音楽配信