井の頭感謝祭で感じたこと

寒くなって来た。が、とても天気が良い。昨日は井の頭公園の1年に1回という感謝祭ということで、屋外ステージで20分ばかり唄って来た。いつも唄っている場所は池南側という緑深いところで、マイクも無しで唄っているのだが、昨日は井の頭公園のメインステージで、観客もチラホラいる中、マイク有りで唄って来たのであった。

こういうお祭りと言うか最近はフェスと言うのかイベントで、コロナ前から何度か唄う機会に巡り合えたのだが、いつも唄う前に選曲を悩んでしまうのであった。以前はなるべく、聴いてくれる人もハッピーになれるような、あたりさわりのない曲ばかりをやってしまっていたのだが、自分とすればそんな曲ばかりを創っているわけではないので、今回思い切って反感を買ってでもいいから、”愛”だの”恋”だのという曲とは別の曲を多少入れてみようと思ったのである。

自分の唄はすべてラブソングだと思っているのだが、巷(ちまた)に溢れる歯が浮いてしまいそうな”愛”だの”恋”だのという曲とは一線を画していると自負していて、最近はプロの作詞家の人達もそうした安直なワンパターンの曲ばかりを書いてきた反省にたってか、ヒット曲の歌詞も内省的な歌詞も増えて来ているような気もするので、もうそんな建前上の”愛”だの”恋”だのという時代じゃないだろうと言う判断で今回選曲を考えたのであった。

1曲目「ひごもんずとビートルズ」、2曲目どうしようかと迷ったのだが・・・「わかってたまるか」、3曲目「ボクはモグラ」、4曲目「帰省」、5曲目「仕事帰りの道すがら」とプランを立ててステージに上がった。

「ひごもんずとビートルズ」は食べに行った”ひごもんず”と言うラーメン屋さんでBGMにビートルズがかかっていて、なんで最近のラーメン屋さんはBGMにビートルズかジャズをかけているのだろう?と不思議に思って創った曲で、歌詞は”飲んだ帰りひごもんず、なんでかかるビートルズ?”しかない。この歌詞を繰り返すだけの曲だ。笑「わかってたまるか」は”わかってたまるか~!わかってたまるか~!わかってたまるか~!お前なんかに~!”を繰り返すだけの唄だ。笑 「ボクはモグラ」は”モグラ、モグラ~”を延々繰り返す。笑 「帰省」はぶつかり合う親子関係を唄ったものだ。「仕事帰りの道すがら」は大失恋ソング。笑

もう、大勢の観客の前で、こうした個人的なグダグダの歌詞のうたを唄ってもいいだろう!そういう時代になって来ているよと判断したのだが、甘かった。笑 1曲目の「ひごもんずとビートルズ」はまだ聴いてくれているなという実感はあったのだが、問題の2曲目「わかってたまるか」を”わかってたまるか~!わかってたまるか~!わかってたまるか~!お前なんかに~!”と叫び始めると、観客はスッと引いて行き、ベンチを立って向こうに行ってしまう人も出てしまう始末。笑 これではいけないと思い、3曲目を予定通り「ボクはモグラ」を唄い、会場はある程度なごみ、この空気を壊しちゃいけないと思い、4曲目、5曲目を急遽変更、”ダーリン、キスして、チュ!チュ!チュ!”と唄う、「チュウ!チュウ!チュウ!」という曲と「銀座モード」という曲を唄った。「銀座モード」はこういう場で唄うには多少難しい曲かもしれないと思ったが、唄うしかなかった。最後は「天国キス」という曲を唄ったのだが、”終了”の合図が目の前にずっと出されるので曲の途中で終わってやったぜ!笑

このように今年の井の頭公園感謝祭ステージはあっという間に終わってしまったのであった。まあ、一通り気持ち良く唄えたのだが、やっぱり、2曲目の「わかってたまるか」を唄うとドン引きされた事実は、世の中昔から何にも変わっちゃいないんだよなと思えたのだった。昔からこの「わかってたまるか」を唄うとドン引きされるのだが、自分の気持ちとすれば、この曲を笑い飛ばしてくれるような感じで、終わったら拍手でもしてくれる観客が少しでもいてくれればなとはずっと思って来たのである。しかし現実は、そんな人間とはいまだ巡り合えていない。友達もできずに、自分一人で音楽をやるしかなかったわけだ。笑 

最近、新聞とかを読んでると、子供の多様性だとか個性を大切に!みたいな大人の言い分がたくさん見受けられて、日本も最近は少し変わって来ているのかなとも思ったりもしていたのだが、昨日の経験では、やはりそれはなんだかお偉いさんや有名人の建前だけの綺麗ごとの言い分なのだろうなと感じてしまったのであった。日本の世の中は何にも変わっちゃいない。笑 変わらない世の中に対して、どう対応していくかが、自分のような人間にとっては大切なんだ。

スポーツ欄にサッカーの日本代表が強くなったのは、今の若い代表選手はみんな主張が激しく個性が強いらしくて、サッカー協会が若年世代からそうした個性を大切にする教育をおこなって来た結果であって、主張が激しい選手が多くなった今では逆に協調性を身に着けさせるような方針に教育を多少変更していると書いてあった。

そんな世の中の大人にコントロールされる個性なんかは個性とは言わない気がするのだが。。。自己主張しなさいといわれて激しく自己主張して、自己主張やめなさいといわれれば素直にしたがいおとなしくなる。こんなもの個性とは言わないよ。

自分がそうであるとは言わないが、個性とは周りからどう思われようと主張できるそいつの勇気だと思うのだが・・・。今の日本の世の中、個性が一人歩きしている。笑

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楽しき熱帯

目がじくじくする。本日、日曜昼間。井の頭公園に唄いに行こうと思っていたが、膝(ひざ)が痛くてやめた。天気は良いのだが、多少寒い。冬支度。最近はずっと自分の音楽のことばかり書いて来たが、たまには話題を変えてみよう。今回は久しぶりに本の話でもしてみようか?

もう最近は目がじくじくして本を読むのにも一苦労してしまう。30分ほど読んでると、だんだん文字がぼやけて来て四苦八苦してしまうのであった。腕を伸ばして本をグッと遠目にするとなんとか読めるようになるのである。完全な老眼(ろうがん)だと思っていて、眼医者からも読書用の眼鏡を買いなさいと勧められたのだが、いまだに買ってない。

そのせいか、だんだん読書のペースが落ちて来ている気がするが、気にしないようにしている。だって歳なのだから仕方が無いのである。自分の主義として無理に若作りしても仕方がないと思っているので、年相応に生きて行くのが自分にとって自然体なのだ。

話がそれてしまいそうなので戻そう。最近、何を読んでいるかと言えば、もうほとんど日本の小説などは読まなくなっていて、翻訳された海外の本を読んでいたりする。なんだか日本の本だと、日本人の価値観のようなものが知らない内ににじみ出て来ているように感じて、その価値観を押し付けられているような気がして、つい向こうの本を本屋で手に取ってしまうのだ。

脳に障害を持つ障害者が、実験で障害が無くなり、健常者以上に天才になってしまうのだが、結局はまた障害者に戻って行ってしまうというSFの『アルジャーノンに花束を』や、黒人女性作家トニー・モリソンの『青い眼がほしい』なんかを読んだりして、最近はフランスの民俗学者レヴィ・ストロースさんの『悲しき熱帯』を読んでいる。『悲しき熱帯』はⅠとⅡがあり、Ⅰがあまりに面白いので、Ⅱを先週の日曜日にすかさず本屋で買ってきて読んでいるのだが、目が痛くて、なかなか前に進まない。笑

この本の中身というのは、レヴィさんが若い頃赴いたブラジル奥地の原住民たちの生活様式を民俗学的に分析したもので、なぜこの本を買ったかというと、この本の結論がそうした原住民の人達の生活様式の分析を通して、人類が滅びてしまう可能性があるということを示唆しているらしいと新聞の夕刊の名著書評に書いてあったからだ。

人類滅亡!

自分の人生を音楽を通してでしか暮らして来なかった人間にとって、人類が滅亡したら自分のこの素晴らしい音楽を聴いてくれる人が誰もいなくなるではないか!いままでそんな聴いてくれる人達も大していなかったのだが、笑 まったくいなくなるということは想像したことがなかったのである。地球上でこれだけ繁栄(はんえい)を誇る人類が、滅亡することなんかはありえないだろう!と、自分は無意識の内に思って来たし、私だけでなく人間誰もが思って来たはずだ。なにせ人類の文明には何千年の歴史があるではないか!そんな人類の歴史が消えてしまうことはないはずだ~!と思うのだが、この本の結論は人類は滅びてしまうのである。

ふむふむ、、、この本を読み進めるうちに、このレヴィさんとても頭のよい人らしくいろいろな書物も読んでいたりして、かなりの切れ者だ。自分はダーウィンの『種の起源』を読んだこともあって、そこには地球には何十億の歴史があって、その歴史の中では、現在の人類が知らない数知れない種が滅亡してきたと書いてあった気がする。レヴィさんもダーウィンとか読んでいたりするのでなかろうか?民俗学者なら当然か?確かに恐竜は絶滅している。化石は残っているが・・・。

最近の地球温暖化のニュースを聞いたりすると、あながち人類滅亡というのは現実味を帯びている気がしないでも無いのである。ただ、ダーウィンの本には地球は長い目で見たら現在は寒冷化に向かっていると書いてあった気もするのだが・・・、その証拠がヨーロッパのアルプス山脈とアメリカ大陸のアンデス山脈にある高山植物が共通でとか、どうのこうので・・・、頭の悪い自分にはよくわからん!となってしまうのであった。笑

とにかく、人類が滅亡する可能性は無い!と100%断言は誰もできないわけであるからして、それは人類が滅亡する可能性はある!ということなのだ。くわばら。くわばら。

目がじくじくして、この本の結末にたどり着くにはまだ当面、時間がかかりそうだが、どのようにこの結論にたどり着くのだろう?そのロジック(論理、論法)を楽しみたい。本日はここまで。

天気が良いので中野に散歩に行こう!

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ボクがキミをみている

今日も暑い。もう9月の中旬というのにまだ暑さが収まらない。部屋ではエアコンのクーラーをかけている。さて、今回語ろうと思っているのは、ギター、ピアノ弾き語りでやって来た曲をバンド化した作品群の最後の第3弾がめでたくジャケットまで完成したという話だ。

作品タイトルを「ボクがキミをみている」という。なかなか意味深なタイトル名だ。(笑)10曲入っていて、最後の曲がこの「ボクがキミをみている」という曲になっている。それと最初にギター、ピアノの弾き語りでもやったことがない曲、2曲が入っていたりする。誰にも聴かせたことのない、いわゆる新曲という奴だ。新曲と言っても、自分が20代そこそこで考えついた曲で、歌詞が無茶苦茶無責任な感じで、大人となってしまった今では、こんな歌詞ありえないだろう!と思ってしまうのだが、当時の切羽詰まった感じが出ていて、そのまま唄っていたりする。1曲目などはラップなのであった。(笑)

その最初の2曲以外はすべてギターかピアノの弾き語りで唄って来た曲で、この「ボクがキミをみている」という作品で、今までの私の曲がすべて一応の完成をみたという形になる。思えば長かった、、、しかしながら、若い頃、自分の頭の中に描いた唄が、現実に存在する曲にできようとは思ってもみなかった。何度、溺れかかって、諦めようとしたか。まあ、これが私のこの世に生まれた運命だと思っている。

こうした私の曲群を客観的に見ると、ほとんど、その時その時の流行歌等とは無縁な感じで、我が道を行くような感じになっているのだが、それもそれで仕方がないと思っている。第一、ヒットチャートを聴いて来ていないのだから、影響そのものを受けないのだ。(笑)

しかし、このままではいけないとも思っている。やはり大変な思いをして創ってきた曲達なので、他の人にも聴いてもらいたいのだ。大勢の他の人たちにも聴いてもらってこそ、私の曲は本当の意味で完成すると思っている。誰にも相手にされない私のオリジナルソングだが、この「ボクがキミをみている」という作品で、一応の創作上の完結なのである。これで若い頃からの私の頭や心の中をすべて外に吐き出したことになる。吐き出したと言おうか、吐き出さざるを得なかったと言ってしまった方がいいのかもしれない。

世の中は常に動いていて、どうなって行くかなどはわからないが、自分を信じて動いて来た結果がこの「ボクがキミをみている」に結びついていると思う。自分の未来がこの後、どうなって行くのかもわからないが、この「ボクがキミをみている」まで創れたということが、なんだか自分自身で安堵できると言おうか、ああ、もういつ死んでもいいかなとも感じられるのである。(笑)それほど長い道のりだったとも言える。

自分の人生の残りの時間があとどのくらい残っているのかはわからないが、次のステップに行かないといけない。まだ見て見ぬ風景や考え方がたくさん世の中にはあるだろうから。

”ボクがキミをみている”ピアノ弾き語り

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