日曜中野散歩道

さて、何書こう?今日は日曜日。最近、日曜昼間のメシは抜くようにしている。毎日、朝、昼、晩、3食たべてると、お腹(なか)がだんだんもたれるような気になって、お腹を干(ほ)したいのであった。その割にはビールを毎晩飲んでいる。もうそろそろお酒を止(や)める歳(とし)になって来ている気もするのだが、いまだに飽きない。(笑)今晩も飲むのだろうな。駄目(だめ)だ。駄目。駄目。

近頃、日曜夕方は中野(東京の街)にまた散歩に行くようになってしまった。空を見上げながら、ぼんやり考えごとなんかしたりして、散歩道を歩いて中野の街に出る。人でごった返すアーケード商店街から「銀だこ」のところを一歩外れ、飲み屋街に出て、そこを中野ブロードウエィという商業施設に向けて歩いて行く。昼間からコロナ関係なしに、酒を飲んでるおじさんや若者たちを左右に見ながら、”まったく、こいつら、昼間から楽しそうだな~。”と内心思いつつ、ここで飲んでたら感染する可能性は高いのだろうな・・・、くわばら、くわばら、と思い、足早(あしばや)に過ぎ去り、気が向けば、ブロードウエィのビルの中に入って、エスカレーターで3階に上り、自分の持っていた漫画本とかを売りに来ている人で、これまたごったがえしている「まんだらけ」(中古のコミック屋さん)のレジを通り過ぎ、昔ながらの本屋に入ってちょっとだけ立ち読みするのだった。

さらに2階に降りて、新人演歌歌手が新曲プロモーションにやってくる演歌専門のレコード屋の前を、中の様子を探りながら通り過ぎる時には、”この演歌レコード屋で自分のライブできないかな?なにかいいアイデアがないか???”といろいろ考えるのだが、一向(いっこう)に上手いアイデアが浮かばず、その場を立ち去り、1階に戻ってブロードウエイビルを立ち去るのであった。

気が向かない時は、ブロードウエイビルの玄関前を横ぎり、バス通りの信号を渡り右にまがって、昔はよくコーヒー代が安いので「ヴェローチェ」(コーヒーチェーン店)に入ったのだが、コロナ禍の現在も客でごったがえしていて、これは余りよくないだろうと思い、最近は「ヴェローチェ」を通り越して、その先の地下に「イトーヨーカドー」が入っているビルの1階と2階にあるこぎれいな本屋に入って、2階でプログラミングかマーケティングの本を立ち読みしてから、同じフロアにあるカフェに入ってコーヒーを飲むのであった。

帰りは昔は同じ散歩道を戻って、途中コンビニによって「銀だこ」のたこ焼きは高いので、安い冷凍たこ焼きを買って、晩酌(ばんしゃく)のつまみにしたものだが、最近は道を変えた。

多少遠回りなのだが、野方警察所前から警察病院前を通って、環七(道路)を通り過ぎ、小さい商店街のある通りを戻って来るようになった。商店街の入り口には確か爬虫類(はちゅうるい)ショップがあったと思うが、いまはイカ焼きの呑み屋が建っている。イカ焼きの専門店か~、、、入ってみたい気もするが、狭いところなので会話がはずまなかったら間(ま)がもたないなと、どうでもいいことを考えつつ、その前を通り過ぎ、しばらく歩くと、左に絵を飾るカフェが知らない間に建っていて、もう少し先の右には画廊(がろう)が出来ていた。

画廊か~、、、久しく入ってなかったな~、、、と思い、客がいない時に中に入ってみた。どうやら斜め前の絵が飾ってあるカフェの別館のようで、絵を買いたい場合はカフェの方に寄ってくださいと張り紙が貼ってあった。

1回くらい画廊で絵を買うっていうのもいいかなと思い、飾ってある絵をいろいろ最近は見たりもするのだが、やはりまだそんな気になれない自分がいて、”絵が魅力的じゃないとやっぱり買えないよな・・・。”と、絵のせいになんかする自分がいたりする。(笑)

昔、学生の頃は、こうみえてよく絵を見に行った。ピカソから、クリムト、エゴン・シーレ、アンディ・ウオーホールのポップアートまでいろいろな絵を見て来たが、大人となった今はさっぱりこういう経験をすることが無くなった、10年前くらいに国立博物館に長谷川等伯(はせがわとうはく)の松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)を見に行ったのが最後だ。特に鎌倉美術館は落ち着いた。美術館から池かなんかが見える場所がなんだか霊感が降りてくるようなところでよかった。自分だけではなくて、ほかの人もそう感じていたらしく、何年か前には新聞で、鎌倉美術館は本来立ち退きで取り壊されるはずだったのが、周囲の反対で文化的な価値が高いとか何とかで、そのまま保存されることになったと載っていた。それはそうだろう!と、あそこの場所に行ったことがある人間にとってみれば当然のような気がする。

なになに?国立西洋美術館を設計した、今は確か世界遺産に登録されたのか、申請したのかよくわからないがフランス人の建築家のコルビジェの日本の一番弟子さんが鎌倉美術館を設計したらしいとか。そんなこと、どうでもいいんだけどね・・・。

話が脱線してしまった。昔から絵(あるいは画)を見ると、時間が止まるような気がするのだ。あるいは自分は音楽をやっているが、音が聞こえなくなる・・・と言おうか、、、そんな感覚がある。何も聞こえない静けさの中で絵(画)をみたい。。。と言うか、絵(画)と対話してみたい。1対1で。

美術館に彼女とか連れてデートに行くとかいうのはもってのほかで、自分は一人の世界に閉じこもって絵(画)を見るのが好きだ。友達と会話しながら絵(画)見るなんて冗談じゃない。

そんな気分を、最近みつけた画廊で味わうのだった。こんな感覚もう何十年もしてなかった。

そして画廊を出ると、スーパーに寄ってビールを買って帰るのであった。これで日曜夕方の散歩は終わるのだが、休みの晩酌のお供(とも)に、特別に最近は春なので、カツオのたたきを買って帰ったりする。ゴールデンウイーク前に久しぶりに買ってきたのだが、ツマになる大根の千切りやしその葉っぱなどを捨てられて皿に出された。風呂から上がって、さあカツオのたたきを肴(さかな)にしてビール呑むぞと楽しみにしていたのだが、、、捨てられていた。。。

”どういうことだ!?ツマが無いじゃないか!?”

家族にクレームをつけたのだが、そんなもの要らないと思い捨てたわよ!と言われてしまった。

”そんな馬鹿(ばか)な!カツオのたたきにはツマは必要だろう!”と、おもわず激高した声を上げてしまったのだが後の祭り、ツマは台所の三角の生ごみのところに捨てられていた。

カツオのたたきにはツマが必要だと私は信じている。カツオが焦げた味をツマが消してくれる。これが旨(うま)いんじゃないか!この旨味を感じてはじめて夏がやってくるのだ。ツマのないカツオのたたきを喰う奴には夏はやって来ない。こう説明するのだが家族には説得力が無いらしい。

夏の終わりに、三陸から戻ってきた脂(あぶら)ののった戻りガツオは刺身だけでいいんだ、それを喰うことで夏が終わって秋が来たと感じるんじゃないか!と主張するのだが、家族にはピンとくるものは何もないらしく、

”何、ウンチク語ってるのよ。理屈っぽい!ふん!”

と、そっぽを向かれるのであった。

後日、平日夕方、普通の刺身の盛り合わせを買って来たらしく、そこにはツマもそえられていたので申し訳ない気がして、全部食べたのだが、カツオのたたきにはツマが必要だという私のポリシー(主義主張)は、たぶん理解してくれてないのだろうなと思うのであった。

江戸っ子じゃないけれど、カツオのたたきにはツマがひつようで、戻りガツオは刺身だけでいいのである。しつこいけど。(笑)

音楽配信

時間が止まったような気がした 「摩訶不思議」という唄。

フロイトが夢の中で聞いたメロディー

ある曲のミックス・マスタリング作業をやっていて完全に行き詰ってしまった。何をやっても上手(うま)くいかない。自分の思い描いた像がそこにあるのだが、届かないのだ。簡単に済むと思っていたはずが、もう1週間くらい停滞(ていたい)してしまった。頭の中ではドラマや映画のように次から次へと作業がはかどっていくのだが、現実は遅々(ちち)として進まない。(笑)しかしながら、こういうことはよくある話で、何度も経験して来ている。こういう時は一旦(いったん)現場を離(はな)れるに限る。

ということで、このブログに向かってしまった。(笑)さて、何を書こう?今日も窓からそそぐ外の日差しはまぶしいぞ!

最近は暖かくなったので、また読書を再開した。寒いと自分は読書しないのだ。(笑)なぜだかと言うと、寝る前に布団の上に横になって本を読んで、睡魔(すいま)が襲ってきたら、本を閉じ、灯(あか)りを消して寝るという習慣になっていて、寒い季節だと体が冷えちゃって、読む気が、つい、しなくなってしまうのだった。手がかじかみながら本を読むのも辛(つら)いよ~。(笑)暖房つけて読めばいいじゃないか!と言われてしまいそうだが、暖房つけて、布団(ふとん)にくるまって時間を過ごすと体が温(あたた)まりすぎちゃって、眠れなくなってしまうのだ。多少、寒いかなと思うくらいに布団に潜(もぐ)り込んで、体が温まって自然と寝てしまうというのが、自分にとってはベストで、布団がその日、干してあればさらに快適に眠れるのであった。(笑)

寝る前に読む本はまちまちなのだが、やはり内容が難しい本を読むほど眠気(ねむけ)が襲(おそ)ってくる速度も速くなる。(笑)※ダーウィンの「種の起源」を読んでいた時には、読み始めて10分もたたないうちに眠くなって、布団にくるまってあっという間に寝てしまうという期間が何ヶ月も続いた。(笑)早くこの本を読み終えようとするのだが、眠くなるのは早いし、そうした難しい本に限って内容も膨大(ぼうだい)にあって、「種の起源」も「上」、「下」の2巻に分かれていたりなんかして、読み終えるのに半年くらいかかったと記憶している。(笑)

※ダーウィン「種の起源」・・・詳しくはウイキペディア

最近また読み始めたのも、「種の起源」に負けず劣(おと)らず難しい本で、※フロイトの「夢判断」という文庫本を読んでいる。「夢判断」も「上」、「下」2巻に分かれていて膨大な量なのだが、実は1回読み終えていて、あまりにも内容が難しいので、もう1回読んでみるかと、再度読み返している途中なのであった。「下」巻の最後1/4くらいのところで、冬になり止(と)まっていたのだが、暖かくなったのでまた読書を再開させたのであった。

※フロイト「夢判断」・・・詳しくはウイキペディア

なんで、フロイトの「夢判断」なんて、こんな小難しい本を読み始めたかと言うと、私の「月」という作品の最後から2曲目に「メロディー」という曲があって、この曲は曲名どおり一つのメロディーだけを延々繰り返す仕掛けになっていて、そのメロディーというのは、実は自分が寝ている時に思い浮かんだメロディーで、その時に夢を見ていたかどうかはわからないのだが、なぜか起きた後も覚えていて、そのメロディーに歌詞をつけただけの曲になっている。そんな寝ている夢の中で、メロディーを作るという人為的(じんいてき)作業が本当に行われたのだろうか?と自分自身の心の中に、疑心暗鬼(ぎしんあんき)があって、じゃあ1回フロイトの「夢判断」を、文庫本が本屋に置いてあったので読んでみようかと手に取ったのであった。

読んでみると、案(あん)の定(じょう)むずかしい本で、何を言っているのかさっぱりわからない。ただ1回読んでわかったのは、夢というのはフロイトが言うに、その人の願望充足(がんぼうじゅうそく)らしい。

願望充足(がんぼうじゅうそく)・・・。

もう少し、こんな難しい訳語ではなくて、もっとわかりやすい言葉でもないのかよ!?とも思うのだが、検索してみると、

願望充足とは、願望を空想上で達成する心理状態のことです。 夢やヒステリー、神経症の症状、幻覚は象徴的な願望充足です。

と、ある。その人の願いや望みを空想上でかなえるために夢をみるのだという。そんな馬鹿(ばか)な!わけのわからない夢などいっぱいあるし、願望充足のはずはないじゃないか!?と、みなさん思われるかもしれないが、フロイトはそうした反論を、夢に表(あらわ)れる現象というのは、いろいろな二次加工(にじかこう)がされていて、真実はその奥に隠されていると主張して、ひとつひとつ証拠(しょうこ)を示して論破(ろんぱ)していくのであった。

また「夢判断」の特長として、「夢」という曖昧(あいまい)なものを、証拠を示して、論理(ろんり)立てて解明していこうとするところが、東洋人の私としては、この本がものすごく白人ぽいと言おうか、西洋文明を感じるのであった。

コロナ禍の東京オリンピックが開かれるかどうかは科学の証明がないといけないと、アメリカのバイデン大統領は表明しているが、「夢」の解明を、できるだけ客観的に、まるで科学に基づくかのように論を語(かた)るフロイトは、占いや運勢を信じる人たちが語るロマンチックな夢解釈とは、ちょっと違った思考回路を持っていて、はたしてこの考えが正しいのかどうなのかは今の自分にはわからないが、この本が世界中で読まれ、この本によって精神分析がおこなわれ、心の病(やまい)から救われた人たちもたくさんいたからこそ有名になったわけでもあるのだろうし、相当な部分で当たっているのだろう。

この本が出たのは100年前の20世紀初頭で、精神分析のもはや古典書物なのだと思うが、現在の精神分析とはもっと進んでいると言おうか、どのような論を展開(てんかい)させているのだろうか?たぶんもっと細分化(さいぶんか)されているのだろうな。もうこうした本を読むことはないのだろうが、ふと、そう思った。テレビのニュースで精神分析医が人は誰でも人生に一度は鬱(うつ)になる期間があるということがわかって来たと言っていた。もう、21世紀はすごい世の中なりそうだ。(笑)

ちなみに、この私の「メロディー」という曲の歌詞作成時に、最初は”喜びのメロディー”と”悲しみのメロディー”の2つ言葉を使っていたのだが、”悲しみのメロディー”は消して、”喜びのメロディー”に統一した。なぜだろう?自分でもわからない。

けど、夢の中で聞こえるメロディーは”悲しみ”であってはいけない、”喜び”であってほしい!と自分の心が願っている気がして、、、フロイトが言う”夢とは願望充足(がんぼうじゅうそく)である。”と言うのは、あながち間違いではない気が最近はなんとなくしている。

最後に、繰り返されるこの通り一遍(いっぺん)等(とう)のメロディーが終わって、想像外のラップが始まるという展開がこの曲には待ち受けていて、(笑)ぜひ、このラップも聴いてもらえればなと思っているのだが、誰も聴いてくれない。(笑)

tunecoreが、コロナ禍特別企画として3年間無料配信サービスをすると言うので、それを利用してこの曲をストリーミングでも配信している。配信時に、プロモーションの動画をどうしよう?と思い、ラップで最後”宇宙にもどる、もどるだけ~”と何度も繰り返しているので、ゆっくり宇宙が動く動画を作成してみたのだが、誰も見てくれない。(笑)確かに退屈な動画だ。(笑)

ただ、ユーチューブなんかを見ると単純な動作だけがある音楽動画に何万回の視聴がついていたりして、それを真似(まね)したつもりだったのだが、うまく行かない。やはりフォロワー数とかは裏に何かあるような気がするのだが・・・。それは置いておいて、

とりあえずは、この「メロデイー」という曲を聴いてみないかい?作品「月」の中、9曲目。あるいは、ストリーミングでも配信中です!気に入ったら買ってください。よろしくお願いします。

音楽配信

「メロディー」動画。星が実は徐々に動いて行くのであります。(笑)

1曲目

前回も書いたのだが、今、かつてギター、ピアノ弾き語りで唄って来た曲をドラムやベースなども入れた完成形を制作している。ギター弾き語り「YUKIO」に入っている15曲の内の14曲と、ピアノ弾き語り「YUKIO PIANO」に入っている13曲、それと今までバンド形態で制作してきた作品の中からもれた2曲の合わせて計29曲を完成させようというのだ。結構大変である。

ギター弾き語りの残りの1曲は、もう完成されていて、まだ公(おおやけ)にしていないが、次の作品の中にバンド形態として入っている。今回の29曲を完成させれば、私の青春時代から45歳過ぎの老年手前までに創ってきた唄たちを全部完成させたということになる。この作業が済(す)めば、もうほとんどこの世に生まれて来てやり残してしまったと後悔しそうなものも無くなるような気がして、肩の荷(に)も降りそうだ。(笑)

さて、この29曲をどうまとめるか?前からずっと考えていた。自分とすれば1曲1曲を無料(ただ)でネット上でストリーミングで聴いてもらうという気はサラサラ無く、やはり作品としてまとめたい、が、しかし、29曲を詰(つ)め込んでしまうと、最初から最後まで聴くには3時間近くかかってしまう。今までの私の5作品も結構長くて、1時間を超える作品ばかりで、直近の「月」という作品が一番短くて、それでも50分強ある。(笑)

3枚組の大作(たいさく)を作って驚かせる手もあるのだが、そういうことができるのは何をやってもついてくるファンがたくさんいる人であればいいのだろうが、私のようなファンもいない歌手がそんなことやっても誰も聴いてくれないので、1作品45分前後の3作品に分けることにした。45分くらいであれば昔のLPレコードやカセットテープみたいで丁度(ちょうど)いい気がするのだ。ただ適当に29曲を3作品に振り分けるのでは面白くないと言おうか、やはり一つ一つの作品にはコンセプト(共通の概念)を持たせた方がいいと思い、ちゃんと最初から最後まで曲がスムーズに流れるように、曲順を先週はああでもない、こうでもないと決めていたのだった。

今までの作品は、「月」以外は、基本唄が思い浮かんだ順で並べてあって、ギター弾き語り作品も、ピアノ弾き語り作品も古い順に並べてあるので、今回すべてを一旦(いったん)分け隔てなく混ぜ合わせて、あらためて3つに仕分けしてみたのだった。

そこで気づいたのは1曲目の大切さということだ。まず最初の1曲目を、聴いてる人が面白いと思ってもらわない限りは、それ以降は聴いてもらえないことになる。5曲目や6曲目にいい曲が入っていると主張しても、1曲目を気に入ってもらえなければ、意味がなくなってしまう・・・。

子供の頃に、どんな有名歌手もアルバム1曲目は自分の1番売れそうな曲を持って来て、あとは結構(けっこう)手抜きの曲が並んでいると聞いたことがある。(笑)そう思うと、今まで自分の5作品の1曲目をどの曲にして来たか振り返ってみた。ただ単に古い順ということもあるのだが、1曲目にしたという理由はそれなりにあったような気がする。

ギター弾き語り「YUKIO」1曲目は”たまご”という唄だ。昔、学生時代に創った曲で、他にもいろいろ作ったのだがろくでもないものばかりで、唯一(ゆいいつ)これはいけるかな?と思った曲だ。創った当初は”気まぐれ風子”という曲名だったのだが、歌詞が気にくわず、”気まぐれタンゴ”という歌詞にして若い頃は唄ったりもしたのだが、やはり気にくわず、とうとう最後”たまご”という歌詞にして落ち着いた。(笑)なぜ、こんなに右往左往(うおうさおう)したかと言うと、間奏部分がどうにもはっきりしないと言うか解決できなくて、悩んでしまったのであった。

ピアノ弾き語り「YUKIO PAINO」の方の1曲目は”音楽になりたい”という唄で、こちらははじめてピアノで創った曲だ。この曲も間奏部分がわからず、何十年も悩み続けてようやくわかって「YUKIO PIANO」の最初に入れたのであった。間奏はディミニッシュをそのまま豪快(ごうかい)に入れている。(笑)どんなもんでぃ!笑うなら笑ってくれい!(笑)知り合いのピアニストの人とかにも、この曲を聴いてもらって、相談もしたのだが、散々、吉祥寺の呑(の)み屋で馬鹿にされ、けなされたのだが、高田渡がかつて通っていたという赤ちょうちんのママさんだけは、”いいじゃない!”と言ってくれた。(笑)そのママさんも癌(がん)で亡くなったという。寂しい限りだ。この曲はディミニッシュだけではなくて色々な仕掛(しか)けがあって、複雑で、前にこのブログでも多少自己解説したのだが、今回はもう面倒くさいのでここまでにしておく。(笑)

バンド形態「COCOLO」の最初の曲は、この作品のタイトル名にもなっている”COCOLO”という曲だ。この曲は今まで自分で創って来た曲の中で一番優(すぐ)れた曲だと自身では思っている。とりとめのないメロディーが最初ちょこっとあって、あとは延々ピアノソロのようなものが続いていくだけで終わっていく。わけのわからないピアノソロ・・・、適当に弾きやがって!下手(へた)くそ!と、まあ、普通はそう思われるのでしょうが、ところがどっこい!適当にこの曲を弾いているわけではないのだ。実は曲のアタマからフェードアウトしていく最後まで、ちゃんとした規則にのっとって演奏してるのであって、気まぐれにフリーで演奏しているわけではない!と、このことだけは言っておきたい。誰もわかってくれないが。(笑)

次のバンド形態作品「太陽」1曲目は”結露(けつろ)”という、こちらは唄のないインストの曲でこの作品は始まっている。打ち込みのキックを強調しようと、低音を出すプラグインを使っていたりする。音楽的には、ひとつのアルペジオ風のメロディーが流れていて、繰り返されるごとに、それが徐々に変化していく形になっている。短い曲だ。ディスクユニオンにCDを置いてくれないかと交渉したのだが、担当の人から、ウチとはこうした曲は傾向が違いますからとかなんとか言われて、適当にあしらわれたのだが、ではディスクユニオンの傾向というのはどんなものなのだよ!?と言いがかりもつけたくなると言おうか、どうせロックだとかポップなものしか聴いてないんだろう!と腹わたが煮えくりかえってしまった記憶もある。(笑)

1年前に作った「月」という作品1曲目は”熱帯夜”という曲で、これも古い唄で、昔は”熱体夜”という曲名にしていたのだが、演奏するたびに、漢字が違う!!”体”じゃなくて”帯”だ”帯”!!と言われ続け、わざとそうしてるんだ!と主張するのだが、馬鹿(ばか)扱いされてしまい、とうとう今回自分の方が折(お)れてしまって”熱帯夜”という漢字で正式につくったのだった。(笑)音楽的には、こちらも難しい唄でリズムが無いと言おうか、リズムの代わりに水流の音を後ろに使っている。

このように今まで創って来た作品の1曲目を、なんだかおもしろおかしく振り返ってしまったが、(笑)私の場合、1曲目をあえて万人(ばんにん)受けするような曲をはずしているような気がしないでもない。と言おうか、万人(ばんにん)受けするような唄がそもそもないと言ってしまえばそれまでなのだが、(笑)もう少し音楽的に単純な曲を1曲目に持ってきてもよかった気もする。しかし、例えそうしたところで結果がなにか違ったと言おうか、ディスクユニオンの担当者が「この曲いいね!ウチで置いてあげるよ。」と言ってくれたとも思えないのである。まあいいか。(笑)

さて、今回の3作品の1曲目を何にするかと言うと・・・、それはまだ内緒なのであった。(笑)

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