32分音符について-音楽とスポーツ

さて、今回はテーマを決めて書こうと思っている。32分音符についてだ。(笑)昔はこんな32分音符なんてきいたことがなかったような気がするが、最近のヒット曲、、、ほとんど積極的に聴いたことはないのだが(笑)、たまに街角やスーパーで流れている曲を耳にすると、ダンス系の曲などはほとんど32分音符が隠(かく)し味で入っていると見受けられる。

たぶんここ20年くらい、音楽の本質は20世紀のものとは変わらないが、2000年以降くらいから徐々にこんな感じになって来ていて、音楽の制作過程が人の生演奏というよりかは、打ち込みによってコンピューターの自動演奏をバックにして歌ったり踊ったりするのが当たり前の時代になって来ているのと切っては切り離せない関連性があるのではないだろうか。

前は32分音符は、生身(なまみ)の人間には刻(きざ)めないと聞いていたが、今回”32分音符”をネットで検索してみると意外にもクラシック音楽のピアノで32分音符を弾く練習とかあるみたいで、”本当かな?”と思ったりもするのだが、そう主張しているからには受け入れざるを得ないだろう。(笑)算数的には16分音符を刻(きざ)むテンポ(今はテンポと言わずBPMと言うらしいが・・・カッコいい!けど何でもアルファベットにすればいいって言うもんじゃないよ!とも思う。笑)を半分に下げて、そこに倍の16分音符を足せば32分音符弾けるじゃん!となるのだろうが、それはただ単に机上(きじょう)の理屈だろう!と思ったりもする。(笑)

これだけ巷(ちまた)に32分音符の曲が溢(あふ)れているのだから、ネット上にはそれこそたくさんの32分音符を使った作曲法のページがアップされているのかと思いきや、このクラシックピアノの32分音符の弾き方というページ以外には、そんな目立つ目ぼしい記事などどこにもなくて、どういうことなのだろう?とあらためて考えてみた。

たぶん、そういう職業作曲家の人たちにとってみれば32分音符の使い方というのは今の時代もっとも大切なもので職業秘密なのだ。そんな簡単に自分のメシの種(たね)をウエブ上でばらすなんてもってのほかで、トップシークレットなのだと思う。(笑)ユーチューブにしろウエブ上には作曲だけじゃなく、スポーツにしろなんでもいいのだが、たくさんの具体的な練習方法が公開され人気を博しているが、本当に肝心なものというのは誰も教えてくれない。(笑)それはそうだろう、自分が血みどろになってあみだしてきたものを簡単に教えるはずがない。自分が喰えなくなるのだから。

32分音符を自分の音楽に当てはめて考えてみることにしよう。何曲かは実は32分音符を使ってたりはするのだが、最近の打ち込みの曲のような使い方はしていない。ひとつはドラムのフィルのところだ、16分音符だとなんだか物足りず、16分音符をさらに半分に分割してこまかく使っているところとかあったりする。実際は、ドラムをたたく場合は叩(たた)けないだろうと思っている。レッドツェッペリンというハードロックバンドにジョン・ボーナムという卓越した技能を持つドラマーがいて、もう死んでしまってこの世にいないのだが、この人が確か「モビーディック」とかいう曲で超絶なドラムソロを叩いていて、これが生身の人間のリズムの刻(きざ)み方の極(きわ)みと言おうか、32分音符にも聞こえるのだが、実際はそこまで頭で考えて刻(きざ)んでいるわけではないと思う。

そして別の曲では、曲の全編にハイハットの一部に32分音符を入れてリズムを組み合わせてたりしている。こちらの方は多少、今風に近いのかもしれないが、昔つくった曲で、もともとはリズムがよくわからずリズムを入れずにいた曲で、最近の風潮にしてみると意外にハマったという感じになっている。ただ32分音符を意識してつくった曲でもなんでもなく、自分の作曲の体験上、32分音符というのは、どうしてもわからないといったところに使うと言おうか、あいまいな部分に使用すると合うと言おうか、頭に聞こえて来たうたの本編、メロディーの下に32分音符というのはありえない!と思ってしまうのだった。

私が思うに最近の打ち込みの曲の作り方の発想は、32分音符が入っているループ素材のリズムを使って、その上に洒落(しゃれ)たコード進行を載せて、うたうというより、話しかける感じで言葉を乗せて行く感じのような気がする。

うたを聞かせるというより、その32分音符が隠し味(あじ)になっているリズムを聞かせるのだ。うたという作者の主張なんてどうでもよくて、うしろで軽く流れている心地よいリズムがサブスクが流行る今の時代には合っているのだろう。(笑)

ただ32分音符が一過性の流行(はや)りで消えて行くとも思っていない。スポーツでも昔は100メートル走を10秒切るなんて、黒人以外考えられなかったのに、今では日本人でも現実に走れたわけだし、マラソンの世界記録が2時間切れるところまで行こうとは誰が思っただろうか?いずれは50年後、100年後には64分音符が当たり前の時代が来るのかもしれない。(笑)

このように音楽とスポーツというのは意外に近い関係にあったりするような気もする。やはり自分にとっていい音楽とは、ただ頭の中で考えたものではなくて肉感的なものを感じるものでないと駄目だ。32分音符なんてコンピューターがないとできやしないじゃないか!とも思うのだが、現実をみると自分もそのコンピューターを使って、ドラムも叩けないのにリズムをつくったりしている。(笑)同じと言ってしまえば、同じなのだが、(笑)いや、リズムがそこに的確に入っていれば良くて、現実に叩ける叩けないという問題じゃないんだよ!とも主張したいのだが、それは32分音符もその曲のその部分に的確に入っていればいいじゃないか!と反論されると、答えようが無くなってしまうのであった。(笑)

ただ、音楽とスポーツというものは明確に違っているとも思っている。世の中には速弾きギタリストの人達がたくさんいると思うのだが、自分はその速弾きが格好いい!と思ったことは一度もないのだ。速弾きこそがなんだかスポーツと同じような気がして、先日のショパンコンクールのクラシック音楽家の人たちのピアノの速弾きとか見ても、すごいな!とは思うのだが、あくまでスポーツ的な見方しかできないと言おうか、自分の心の本音(ほんね)とすれば、音楽の本質はそうじゃないだろう、他人(ひと)を真似(まね)ることに何か意義があるのか?せっかく生まれて来た時間を使うのだったら、そんなきらびやかに音楽をただ模倣(もほう)するのではなくて、もっと自分の音楽を追求した時間を送った方がいいのに・・・と思う自分がいるのであった。(笑)

32分音符について語って来たが、結論はこうだ。32分音符があろうがなかろうが、どちらでもいい。(笑)要は聴く側がいいと思えばいいのだろうし、わざとらしいと思えばわざとらしいのだ。ただ、いいと思う人が昔に比べて増えているのだと思う。これはたぶん、最近の歌ものでメロディーが妙に16分音符が入っていたりするのと同じ臭い(におい)がするのだ。時代はどんどん音楽を細かく刻(きざ)もうとしている。

はたして21世紀の音楽はどんな形になって行くのだろう?

ボクがキミをみている

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