飽きる

2022.12.18 井の頭公園2回目のライブ

右肩が痛い。日曜日に井の頭公園で何週間かぶりに唄ったからだ。前回はまだジャケットと言おうかそうした上着を着る必要もなかったのだが、もう12月の下旬で今回はもう寒いので黒のジャンパーを着て、更には毛糸の帽子もかぶり唄って来た。長袖の(ながそで)のシャツも1枚余計に中にはさむ念の入れようだ。

コロナパンデミック前には何度か真冬の公園ライブを決行したこともあって、寒くなると歌う人間どころか、大道芸の人たちも余り出て来なくなることは知っていたので、多少遅めの昼前に公園事務所に到着した。案の上、リストにはいつもの常連さんたちの名前が載っているだけで、池南側で唄うのは自分一人だけだと確信した。その方が気楽に一人で唄えるのでいいのだ。

ベンチが3つほどある前で唄ったのだが、ベンチに人が座るわけでもなし、園内の鳥と一緒にハミングする感じで、寒いので日当たりの良いところを選びつつ、前の通りを歩く通行人に唄いかけたのだった。

寒い~、誰か金落として行ってくれないかな~?

こんな感じで、(笑)適当に唄い始めたのだが、途中からだんだん調子が出て来ちゃって、誰も聞いてくれてないにもかかわらず熱く唄ったのだった。なぜこんなに調子が上がっちゃったのかと言うと、コロナ前には譜面台を立てて唄っていたのだが、今回は立てずに唄ったからのような気がしている。

譜面台を見ながら唄うと言うのは前から抵抗があって、別に楽譜が読めるわけではないのだが、歌詞を覚えてない曲もあり、仕方なく立てていて、ライブっぽく無いなと思いつつコロナ前は続けていたのだった。

今回、歌詞を覚えている曲だけを唄ってみようと思い、1時間ほどだろう?唄い続けた。結構いい感じで終了し、気分良く買ってきていたサンドイッチを昼飯代わりに冬のベンチに座って食べた。

寒いな~と思いつつ、もう唄い切っちゃったしこのまま家に帰ろうかな?とも思ったのだが、まだ日も暮れてないし、あともう1回唄ってみるかと気を取り直し、再度同じ場所で同じ唄をうたったのだった。

2回目は、また自分だけでも盛り上がるのかなと、自身で期待して唄い始めたのだが曲の途中でギターのストラップの紐(ひも)がほどけてしまいギターが肩からすべり落ちたりなんかして、どうにも1回目のように高揚感あふれる唄い方にはならなかった。1回目、2回目とも動画を撮っていたのだが1回目はファイルが壊れていて、2回目の動画も20分ほどしか撮れてなかった。せっかくなのでとユーチューブにアップしてみたものがこちら。

ファイルが2つに分かれていて、「今夜」という曲の途中から始まってます。前半部分はこのブログアタマに載せたパート1をご覧ください。

なぜ2回目が盛り上がらなかったのか?と言うと、やはり同じ曲を唄ったからだろうと思っている。これがまた違う曲だと新鮮に感じられ、違った展開になったはずだ。

同じ曲を1日2回唄うのは辛(つら)い・・・。

1回でいいのだ。そう思ってしまったのだった。(笑)次、井の頭公園で唄う時は、1回目を譜面台を立てずに歌詞を覚えている曲で、2回目を見栄えは悪いが今度は譜面台を立てて歌詞を見ながら唄ってみようと思っている。いくら見栄えが悪くなろうと、やはり唄っている自分が飽きてしまっては元も子もないのだ。

楽しく唄えるのが一番。

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世界は広い

おにぎりを食べながら、久しぶりにこのブログに向かっている。窓から入る日差しも明るくて今日はいい天気。緑茶も美味い。典型的な日本人だな。ご無沙汰しておりました。

本日はこのブログ、私のストレスの発散場所として書こうと思っております。誰かが読んでるわけでも無いので気楽なもんだ。この2週間ほど、ある作業に追われてしまって、ようやく一昨日金曜夜に一段落ついたので、解放された気分でこのブログに向かっているのでした。

その作業というのは、フランスのシャンソンの曲を移調した(キーを変えた)譜面をつくってくれという依頼で、前も何度かやったのですが、今回ボリュームもすごくて2パターンのキーの譜面を出してくれとか、訳語の日本語だけでなく、原文のフランス語の歌詞も追加してくれだとか、だんだん要求がエスカレートしてきて、8曲分の譜面を作り上げるのに2週間弱かかったのでした。

その間、このブログを書くどころか他の作業もすべてストップしてしまって、つらい時期を過ごしたのですが、なんとか終了し本日を迎えたというわけです。

つらいとは書きましたが、また自分の音楽の勉強にもなっていると思っていて、これだけたくさんの他人の曲を分析するのも初めての体験でもあり、しかも有名な作曲家の先生の曲でもあるのだろうし、有名か有名ではないのか?はよくわかってないのですが、作曲者の名義を見ると、ミッシェル・ポルナレフとか載っているので、何か聞いたことがあるような?ないような?たぶん有名な人のような気がするのですが、そういう人達の譜面の移調作業を何の縁か?受け持ったのでした。

一応、この有名シャンソンの移調作業を一通り終了して思った感想は、やはり有名なだけあって、どの曲もすごく複雑で、考え抜かれてるなと、ほとほと感心したのと同時に、ここまで複雑にして何か意味があるのか?という正反対の気持ちも芽生えて来たりもして、微妙な心持ちなのであります。(笑)

自分が若い頃から聞いて来た音楽は、英米ロックや黒人音楽が主(おも)で、シャンソンというのは、”オ~、シャンゼリ~ゼ!オ~、シャンゼリ~ゼ!”と歌う曲と、越路吹雪(こしじふぶき)の『愛の賛歌』くらいしか思い出せなかったのですが、今回の体験で、いやシャンソンというのもイギリスやアメリカの白人のものとも、ちょっと違うフランス独特の色調のようなものがあって、驚かされたのでありました。

前にこのブログでも書いた、コードのトップノートが半音で上がったり下がったりするクリシェという音楽技法は、こうしたフランスのシャンソンにたくさん出て来て、それでクリシェというフランス語がそのまま使われるようになったのかな?とも想像できたりもして、また日本人である自分が同じような曲を作れと言われても、絶対にできないとも感じてしまうし、そうであればこうした複雑なコード進行をそのままパクって日本語を乗っけて歌ってみるのも手かなと思ったりもしたのですが、たぶん自分がそんなことするまでもない、今まで日本人の誰かがそうしたことをやって来たに違いないなとも思ってしまったのでした。若い頃のユーミンなんかは、こうしたシャンソンの有名曲なんかを研究して、自分の曲に取り入れたりもしたのかな?とも、邪推(じゃすい)するのであります。(笑)

とにかく曲の構造がよく作り込まれていて感服(かんぷく)するのでありますが、反対に、こうした作り方はとても白人的な考え方のような気がして、ついて行けないと思ってしまうところが私でして、(笑)本来、このメロディーとリズムで、なんでここまで複雑なコード進行をさせるのか?何か人間の自然の状態では無く、とても人工的な考え方のような感じがして、どこかに無理があると言いたくなるのでした。

音楽学校に行くと、こうした複雑なコード進行なども学べるのでしょうが、音楽はやっぱり学ぶものではなくて、感じるもののような気がするのです。

ただ、今回の経験で一番思ったことは、そんなことよりも世界中には色々な音楽があふれていて、どれも個性的と言おうか、音楽はこうでなければいけないと自分だけの世界に閉じこもってばかりいてもいけない、上には上がいる、世界は広い!!ということです。

今、開催中のサッカーのワールドカップを見ていても感じるのですが、世界には様々(さまざま)な人間がいて、思いもよらないような考え方やアイディアを持つ人間はたくさんいるのですから。(笑)

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