歌人YUKIO

日本人は三三七や五七五のような奇数の拍子が好きなのだが、これは西洋音楽のリズムとは全然関係が無いなんてことを前回書いてしまったが、なんでこんなことを書いてしまったかと言うと、最近、実は正岡子規と高浜虚子の歌集を寝る前に読んでなんかいたりするからであった。笑

日本詩人全集34巻中の中の1冊で、たぶん私が子供の頃に発刊されたもので、紙の色も結構、茶色くなっている。当然、私が買った書物でもなく、父親から譲ってもらったと言おうか、無理やり押し付けられたものと言ったらかなり語弊があるが、私自身が進んで読みたい本でもなかった本だ。

最近読みたい本もないので、とりあえず開いてみたのだが、自分が積極的に読もうと思った本でもないので、なかなか進んで行かない。ただ気づいたのはいつも読んでるものと違って、なにか読みずらいのだ。詩集みたいなものを読むのも若い時以来だなと思いつつ、それでも若い頃読んでいた詩とも違って、どうも調子がでない。難しい漢字が読めないせいかな?(笑)とも思ってしまい、ある日とうとう布団の上で声を出して読んでみた。

柿食えば~ 鐘が鳴るなり~ 法~隆~寺~

この有名な俳句は、この歌集のどこに入っているのかわからないのだが、同じような調子の、難しい漢字が入った俳句や短歌が、年代別に並んでいて、それを前から順番に意味もよくわからず詠み始めた。すると結構気持ちが良い。漢字が読めないので、どこで区切るか?これ字余りじゃない?と思うようなところもかなりあるのだが、勝手に想像して詩を詠むのに興じるのだ。笑 それで気づいたのだった。そうか、この本は歌集であって、小説ではないのだということを。

小説は言葉を黙々と頭の中に読み聞かせるのだが、俳句や短歌はやはり音として言葉を発声させないと成立しない。当たり前のことなのだが、この当たり前に気づくのに何十年もかかってしまった。内容もそうなのだが、この発声する音を楽しまないといけない。

ただ、西洋と日本のルールの違いと言おうか、西洋が語尾の韻を踏むのが美しいという意識で、日本は韻などよりも五七五の語調が美しいのだと言う価値観が、お互い全然違っていて、そうした点が自分としてはすごく興味をそそるのであった。

実は、私が小さい子供の頃、我が家がまだ平和だった頃、我が家では家族でお正月に歌会始(うたかいはじめ)を催(もよお)すのであった。(笑)一人、一人が、その年の心構えを俳句だったか、短歌にして、披露(ひろう)し、それを自分で短冊(たんざく)に墨で書き写し、その短冊は額(がく)に入れられ、1月の間(あいだ)中はずっと玄関に飾ってあった。(笑)母親などは、大みそか、おせちの料理支度が終わるやいなや、布団の中にもぐりこんで考えついたいろいろな案をいくつもチラシの裏に書き出していた。自分も真似して、いじらしいのだが、なにせお正月の1ヶ月間玄関に飾られるので、下手な歌は詠めない!子供心に真剣に傑作の歌を詠もうと熟考したのであった。

ある年、熟考した結果、これは傑作だという俳句が思い浮かんだ。お正月元旦の歌会始だ。私の番がやって来た。「よし、YUKIO。じゃあオマエの番だ。大きな声をだして頼むぞ。」と言われ、自信があったので大声で詠った。

おおみそか~ ○○〇○○〇〇~ 以下省略~

変な空気が流れたが、気づかないふりをした。自分はこの作品に自信があった。ただ、やさしく言われた言葉は、「YUKIO 、いいのだが、おおみそかはお正月の季語では無い、お正月の新年の抱負を詠うのに、おおみそかはいかがなものか?他の歌は無いの?」というものだった。

なに~!?季語って何だ?そんなものがあるんだったら最初から言ってくれよ~!おおみそかも正月も同じようなものじゃないか~!どっちでもいいだろう~!と、子供心にショックを受け、ふさぎ込んでしまったのだが、その傷を心の奥にしまい込み、何もなかったかの風に、次のどうでもいいような歌を考えたのであった。

それ以来、自分の俳句の創作はしていない。(笑)百人一首の歌を覚える気もさらさら無くなってしまった。(笑)ただ、この経験が、自分が日本人の大人になるための第一歩だったのかもしれない。ルールには従わなければいけないのだ。

しかし、本来ルールなんて誰が決めたんだ!そいつにルールを決める資格などあるのか!?自信があったのに~!という、思い込みの激しさだけは、大人になった今でも、誰にも認められない音楽をやり続けている自分の心の中に脈々と生き続けている気がする。

久しぶりに歌を詠んでみようか?季語を入れて。

その先に、どんな季語があるのか調べてみないといけない。ほとんど俳句や短歌のことをわかろうとして来なかったから。子供の頃、まさかこんなに歳をとっても勉強することがたくさんあるとは思いもしなかった。

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三・三・七拍子

チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、もう一丁!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、もう一回!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ・・・

キリが無いので書くのを止めるが、これは何を書いているかといえば、三・三・七拍子を言葉で表現したものだ。三・三・七拍子、、、それ!

チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、もう一丁!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、もっとはやく!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、・・・

もう、キリが無いよ~。笑 それ!

チャッ、チャッ、チャッ、ゆっくり!チャッ、チャッ、チャッ、ゆっくり!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、もっとゆっくり!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、気持ちをあわせて!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、もういっちょう!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、はやく!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、それ!チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、・・・

いい加減にしてくれ~!と、今回はもう書かないが、三・三・七拍子は日本人の魂をゆさぶるリズムである。運動会のクライマックスで応援団長が拍子をとり、クラス代表のリレー選手を応援する時が一番盛り上がるのに、中学校の音楽の授業で三・三・七拍子のリズムを習うことは無い。ツン!とすましたクラシック音楽を聴かされた思い出があるだけだ。笑 なんで三・三・七拍子を教えられずに、運動会でやらない4拍子だとか、3拍子を教えられるんだろう?と、子供心にふと思ったことがある。

なぜこんなことを書いたかと言うと、先日、晩飯の家族との会話の中で、

三・三・七拍子の曲ってなんで無いのだろう?

と、素朴な質問を受けてしまったからだ。笑 家族は真剣に訊いて来る。そうだよな、、、三・三・七拍子の曲なんて聞いたこと無いしな・・・、と思い、上記の子供の頃のことを思い出したのだった。

それで、あらためて三・三・七拍子をリズムという概念から考えてみると、何のことはない、ただの4拍子だ。笑 ”ただの4拍子じゃないかよ~”と答えてみるのだが、家族にとってはあまりぴんと来るものはなく、”ほら、チャッ、チャッ、チャ、の後のソレ!だとかホレ!だとか、応援団長が合いの手を入れるじゃないか、その合いの手が、音が入らない休符と考えればいいんだよ!”と言うのだが、どうも理解していない。面倒くさいので、その晩、もう説明はやめてしまったのだが、はたして自分の考えが、正しいことは正しいのだが、頭がもう、西洋音楽という概念に歳と共に凝り固まってきてしまっているような気がして、家族の発想の方が自由に思えて、うらやましかった。

唄の発想は理屈ではない。そんなことはわかっているはずだが、歳をとるにしたがって、脳ミソの細胞が減ってくるのか、世の中のことがすべて見えてくるような錯覚にとらわれがちだ。そうしたオジサンたちをたくさん見て来たのに、気づいた自分の姿はこうだ。

日本人は奇数のリズムが好きだなんて、、、俳句の五七五や短歌の五七五七七だって、よく考えれば、西洋音楽の理屈から言えばただの4拍子じゃないかと達観する老(ふ)けた自分がいる。

仕事帰りの道すがら

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パンツを買わない男

このブログでここ何回か、自分が着の身着のまま人間であることを白状してしまった。ミュージシャンの姿としては、あってはならないことなのだが実はそうなのだ。笑 自分の洋服を買ったことは、学生の頃は友達にそうしたファッション関連の仕事をしたいという奴がいて多少あったのだが、世の中に出てからは数えるほどしかない。情けない。笑 

友達にそうした奴がいたので、洋服関連の知識もそれなりにあったりして、森英恵のビルでプレタポルテだったかオートクチュールだったかファッションショーも生で見たこともある。ジャン・ポール・ゴルチェくらいは知っている。古いか?笑 阿佐ヶ谷駅に入っているユニクロの店内をいつも通るのだが、ユニクロで買い物したことすら無い。笑

毎週散歩に行く、中野ブロードウエィの中に入っている時計屋さんに飾ってある高級時計を眺めても、大きい時計だな~、腕にはめて重たくないのかな~?みんな金持ってるな~、と感心するのだが、不思議と欲しいとは思わない。笑

確か洋服を一番最後に買ったのは、数年前「藤の花」という動画を創ろうとした時に、紫色の砂を使って”藤”という一文字を作るのに合わせて、動画のイメージを統一しようと紫色のシャツをアマゾンで買ったのが最後だったように思う。その先を思い出すと・・・、何十年前になるのか、展示会か何かで、縫い目がどこかほつれたりした商品にならない、いわゆる、いわくつきのトレーナーを千円くらいで安く買ったはずだ。。。そのトレーナー、いまだに着たりしている。笑

十年以上前になるが、その当時よく飲みに行っていた取引先の人に飲み屋で、自分はほとんど洋服に興味が無くて、自身の着る服すら買ったことが無いということを今回と同じように告白すると、ものすごく驚かれた記憶がある。

”エッ、マジっすか?そんな人はじめて見た。”と驚愕(きょうがく)の表情を顔に浮かべられ、”じゃあ、自分のパンツすら買わないの!?”と問い詰められてしまった。笑 ”下着のパンツのこと?そんな下着のパンツを買ったのは、もう子供の頃以来覚えが無いですよ・・・。”と答えると、相当こいつは変わり者だな~という軽蔑のまなざしを投げかけて来る。笑 ”じゃあ、誰にパンツを買ってもらっているのよ~?”と、どうやら芋焼酎の飲み過ぎで酒が体に回っ来た、ほろ酔い気分の相手からさらに突っ込まれたのだった。

その晩、素直にその相手には答えたのだが。今回はこのブログの読者の想像にまかせてみることにしよう。笑 読者なんていないのにねぇ。そう私は、

自分のパンツを買わない男なのである。

「藤の花」バージョン2

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