ミクソリディアン”魔法のほうき”

最近は自分の身(み)の上(うえ)の与太話(よたばなし)ばかりだったので、久しぶりに自分の音楽の話をしてみよう。このブログはYUKIO音楽のプロモーションのために書いているので、なにか気に入った内容でもあれば、私のオリジナル曲を聴いていただき、おもしろいと思ったら、ぜひお買い上げいかがなものでしょうか?お待ちしております。(笑)

さて、今回は私の「cocolo」というアルバム作品の10曲目に入っている”魔法のほうき”という唄の自己解説をしようと思うのだ。自分で自身の唄を自己解説しないといけないというのは、なかなか辛(つら)いと言うか、売れない歌手というのは、世間(せけん)に身(み)の置き場がないと言おうか、悲しいものがあるのだが、(笑)がんばって解説してみようと思う。

まず、音楽的に言うと、ズバリ!”魔法のほうき”はミクソリディアン一発で出来上がっているという曲なのである。ミクソリディアンという聞きなれない言葉が出て来た・・・。音楽をやらない方にとっては、ちょっと難しい話になるが、暫(しばら)く辛抱(しんぼう)いただいて、簡単に解説(かいせつ)すると、誰もが小学生の時、音楽の時間に最初に習う、ドレミファソラシドという音階があると思うのだが、ミクソリディアンというのは、そのソから始まる音階のことを言う。すなわち、ソラシドレミファソだ。

ドレミファソラシドの音の間を鍵盤(けんばん)で見てみると、ドとレ、ミ、そしてファソラシの間は全音、ミとファ、シとドの間は半音間隔(間に黒鍵をはさんでいない)になっている。ドレミファソラシドは全全半全全全半という音階なのだ。それに対してミクソリディアンはソラシドレミファソ、全全半全全半全になっていて後半2つが微妙に違っている。

この2つの音程差が違っているだけで、全然曲のイメージというのが違って来たりする。日本語の歌だと、ほとんどがドレミファソラシドが基本になっているのだが、世界は広くて、こうしたソラシドレミファソだけでなく、レからはじまる音階やミからはじまる音階の曲とかもあるのだ。

レからはじまる音階レミファソラシドレをドリアン、ミからはじまる音階ミファソラシドレミをフリジアン、ファからだとリディアン、ラからだとエオリアン、シからはロクリアンと呼ばれていて、これらの音階はドレミファソラシドとは微妙(びみょう)に違っていて、こうした音階を内包する曲はドレミファソラシドの曲調とは違って、なんだかちょっとエキゾチックな雰囲気が漂ってくるような曲になる。

ジャズではこうした音階を使うことをモード奏法と言っていて、モード奏法を最初にやったのはマイルス・デイビスと言われている。その代表曲は”ソーホワット”という曲で全編ドリアンで音が動いていて、自分が若い頃、マイルス・デイビスが好きだったので、そうした影響もあってか”魔法のほうき”はモードで出来上がっているのであった。(笑)ただしこちらはドリアンではなくてミクソリディアンになっている。

ミクソリディアンに関しては、ドリアンに比べて、みなさん知らない内に使っているという音階でもある。ここからはもう少し難しい話になってくるが、ドレミファソラシド上にできる(※1.)コード(和音)、C,Dm,Em,F,G,Am,Bm(♭5)の中で(※2.)基本3コードと呼ばれる(※3.)C(トニック)、F(サブドミナント)、G(ドミナント)の3つの内のG(ドミナント)で、その曲が(※4.)ダイアトニックで動いている場合、自然とそこはミクソリディアンで動いているからだ。

※1.
C-ド、ミ、ソ のことを言う(以下同じ)-Ⅰ
Dm-レ、ファ、ラ-Ⅱm
Em-ミ、ソ、シ-Ⅲm
F-ファ、ラ、ド-Ⅳ
G-ソ、シ、レ-Ⅴ
Am-ラ、ド、ミ-Ⅵm
Bm(♭5)-シ、レ、ファ-Ⅶm(♭5)
※2.
3コード-Ⅰ・Ⅳ・Ⅴのコードを特に主要三和音と呼びます 強いつながりがある
※3.
トニック-和名「主和音」。Ⅰ 強い安定感を持つ。
サブドミナント-和名「下属和音」。Ⅳ ドミナントほどではないが、不安定な響き。
ドミナント-和名「属和音」。Ⅴ 不安定な響きで、早くトニックに帰結したくなる。
※4.
ダイアトニック-ダイアトニックスケールのこと ここではドレミファソラシド 全全半全全全半 

”魔法のほうき”のミクソリディアンの使い方はそうでは無くて、(※5.)トニック上からすでにミクソリディアンを使っていて、曲の構成上、トニックとサブドミナント2つしかないのだが、トニックだろうがサブドミナントだろうが、唄の間(あいだ)中、ずっとミクソリディアンが動いて行くだけになっている。こんな曲なかなか無いぞ~。(笑)たぶん日本語の唄には無いと思う。(笑)なんでこんな誰にも見向きもされない唄創っちゃったんだろうな。(笑)

※5.
西洋音楽にはキーという概念(がいねん)があって、ピアノの鍵盤で”ドレミファソラシ”の間には黒鍵白鍵合わせて12種の音がありますが、それだけ分の高さのキーあるいは調があるということです。
”魔法のほうき”はキーがF(へ長調)となっていて、Fのダイアトニックスケールはファからはじまる全全半全全全半-ファソラ♭シドレミファなのですが(普通の曲は大体こうなっている)、ミクソリディアン全全半全全半全-ファソラ♭シドレ♭ミファで動いているということを言いたいわけです。(笑)
赤丸をつけたところがFミクソリディアン。”魔法のほうき”はこの音階上で動いている。

昔、ブルースバーでブルースはミクソリディアンだと言われたことがあるが、ちょっと違っているというか、確かに(※6.)トニック上で♭7thを黒人音楽のブルースは使うのだが、ブルースの真骨頂(しんこっちょう)は唄が3度と5度で微妙に下がるのが魅力なのであって、モードのミクソリディアンとは全然関係が無いと思っている。

※6.
黒人音楽のブルースは白人の西洋音楽の基本ドレミファソラシドで動いているわけではなく、”魔法のほうき”もトニックⅠ「主和音」上でミクソリディアンで動いているのでコードで言えばⅠ(♭7)-キーがC(ハ長調)であれば、ド(1度)、ミ(3度)、ソ(5度)、♭シ(♭7度)-となっていて、ブルースもトニックがⅠ(♭7)なので同じと言っていいのだが、ブルースの場合はミ(3度)とソ(5度)が落っこちるところに魅力があるとここでは言いたかったわけですね。(笑)説明が難しいな。理屈っぽい。女の子から嫌われそう・・・。(笑)

話がそれた。この曲は唄の部分は全編ミクソリディアンで動いて行くが、もうひとひねりしてあって、前奏部分だったか、唄が終わったあとの部分だったか、もう忘れてしまったが、どちらかで、ミクソリディアンとはまた違ったスケール(音階)を使っていたりもする。確かリディアンだったと思うが・・・。

音楽的な難しい話はここまでにしておいて、ここからは歌詞の説明をしようと思う。”魔法のほうき”の”ほうき”は実はダブルミーニング(二重の意味)になっていて、お掃除(そうじ)道具の”箒(ほうき)”と廃棄(はいき)する”放棄(ほうき)”の2つを重ねていて、最初どちらにしようかと迷ったのだが、決めかねて、ひらがなの”ほうき”にしたのであった。

曲を創っていると、自分の世界に閉じこもるので、だんだん目線がお高くなると言おうか、世界が自分中心で回っているような感覚になってくる。自分も含めて、そうした自称アーティストさん達を世の中でいっぱい見て来た。それを戒(いまし)めようと思って創った歌詞だ。

知らない内に創造主である自分という存在が特別のように思ってしまうのだ。歳と共に気づかない内に出て来る下っ腹(したっぱら)のように。(笑)それを阻止(そし)するにはどうすればいいのか?

それは、がんじがらめになったそうした思考すべてを”放棄(ほうき)”して、整理整頓もない汚くなった自分一人しかいない部屋(あるいは頭)を”箒(ほうき)”で綺麗に自身で汗をかいて掃除(そうじ)すればいいよと唄ったのであった。それが自分にとっては魔法なのだ。無いものねだりの高尚(こうしょう)な空想物を作るより、下世話なお隣さんの噂話をしているが、ちゃんと飯(めし)が喰えていることの方が、人間的だと言おうか、えらい気がするように歳(とし)と共に思えるようになったからであった。

やはり人間、どんなに優秀な理屈を机上(きじょう)でこねようと、他人(ひと)の陰口(かげぐち)を叩(たた)こうが何しようが、現場で汗をかいている奴が一番偉いのだ。だから、こうして世間から見向きもされないこの曲を、馬鹿にされようが、無視されようが、プライドを捨てて、自分は今日も恥ずかしげもなく自己解説するのであった。頭を下げて、営業しなきゃ。

”魔法のほうき”(「cocolo」10曲目です。)聴いてみませんか!?

”魔法のほうき”ダイジェスト

こちら下は、”魔法のほうき”ライブになっております。ダイジェストの方に比べて音のバランスはかなり悪いですが、全編聴けます。上の説明のどこかに少しでも理解できるものがあれば、あなたの心の中で何か新しい発見があるかもしれません!聴いてみませんか!?今回、難しかったので、鍵盤の図解もまじえて後記(こうき)してみました。この曲があなたに届くように、できるだけ簡単に説明しようと努力したつもりです。(笑)

”魔法のほうき”ライブ

ぜひ、聴いてみませんか!?そして気に入っていただけるようであれば、今風ではなく、格好悪い言い方ですけど買ってください。宜しくお願い致します。

音楽配信中。

日曜中野散歩道

さて、何書こう?今日は日曜日。最近、日曜昼間のメシは抜くようにしている。毎日、朝、昼、晩、3食たべてると、お腹(なか)がだんだんもたれるような気になって、お腹を干(ほ)したいのであった。その割にはビールを毎晩飲んでいる。もうそろそろお酒を止(や)める歳(とし)になって来ている気もするのだが、いまだに飽きない。(笑)今晩も飲むのだろうな。駄目(だめ)だ。駄目。駄目。

近頃、日曜夕方は中野(東京の街)にまた散歩に行くようになってしまった。空を見上げながら、ぼんやり考えごとなんかしたりして、散歩道を歩いて中野の街に出る。人でごった返すアーケード商店街から「銀だこ」のところを一歩外れ、飲み屋街に出て、そこを中野ブロードウエィという商業施設に向けて歩いて行く。昼間からコロナ関係なしに、酒を飲んでるおじさんや若者たちを左右に見ながら、”まったく、こいつら、昼間から楽しそうだな~。”と内心思いつつ、ここで飲んでたら感染する可能性は高いのだろうな・・・、くわばら、くわばら、と思い、足早(あしばや)に過ぎ去り、気が向けば、ブロードウエィのビルの中に入って、エスカレーターで3階に上り、自分の持っていた漫画本とかを売りに来ている人で、これまたごったがえしている「まんだらけ」(中古のコミック屋さん)のレジを通り過ぎ、昔ながらの本屋に入ってちょっとだけ立ち読みするのだった。

さらに2階に降りて、新人演歌歌手が新曲キャンペーンにやってくる演歌専門のレコード屋の前を、中の様子を探りながら通り過ぎる時には、”この演歌レコード屋で自分のライブできないかな?なにかいいアイデアがないか???”といろいろ考えるのだが、一向(いっこう)に上手いアイデアが浮かばず、その場を立ち去り、1階に戻ってブロードウエイビルを立ち去るのであった。

気が向かない時は、ブロードウエイビルの玄関前を横ぎり、バス通りの信号を渡り右にまがって、昔はよくコーヒー代が安いので「ヴェローチェ」(コーヒーチェーン店)に入ったのだが、コロナ禍の現在も客でごったがえしていて、これは余りよくないだろうと思い、最近は「ヴェローチェ」を通り越して、その先の地下に「イトーヨーカドー」が入っているビルの1階と2階にあるこぎれいな本屋に入って、2階でプログラミングかマーケティングの本を立ち読みしてから、同じフロアにあるカフェに入ってコーヒーを飲むのであった。

帰りは昔は同じ散歩道を戻って、途中コンビニによって「銀だこ」のたこ焼きは高いので、安い冷凍たこ焼きを買って、晩酌(ばんしゃく)のつまみにしたものだが、最近は道を変えた。

多少遠回りなのだが、野方警察所前から警察病院前を通って、環七(道路)を通り過ぎ、小さい商店街のある通りを戻って来るようになった。商店街の入り口には確か爬虫類(はちゅうるい)ショップがあったと思うが、いまはイカ焼きの呑み屋が建っている。イカ焼きの専門店か~、、、入ってみたい気もするが、狭いところなので会話がはずまなかったら間(ま)がもたないなと、どうでもいいことを考えつつ、その前を通り過ぎ、しばらく歩くと、左に絵を飾るカフェが知らない間に建っていて、もう少し先の右には画廊(がろう)が出来ていた。

画廊か~、、、久しく入ってなかったな~、、、と思い、客がいない時に中に入ってみた。どうやら斜め前の絵が飾ってあるカフェの別館のようで、絵を買いたい場合はカフェの方に寄ってくださいと張り紙が貼ってあった。

1回くらい画廊で絵を買うっていうのもいいかなと思い、飾ってある絵をいろいろ最近は見たりもするのだが、やはりまだそんな気になれない自分がいて、”絵が魅力的じゃないとやっぱり買えないよな・・・。”と、絵のせいになんかする自分がいたりする。(笑)

昔、学生の頃は、こうみえてよく絵を見に行った。ピカソから、クリムト、エゴン・シーレ、アンディ・ウオーホールのポップアートまでいろいろな絵を見て来たが、大人となった今はさっぱりこういう経験をすることが無くなった、10年前くらいに国立博物館に長谷川等伯(はせがわとうはく)の松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)を見に行ったのが最後だ。特に鎌倉美術館は落ち着いた。美術館から池かなんかが見える場所がなんだか霊感が降りてくるようなところでよかった。自分だけではなくて、ほかの人もそう感じていたらしく、何年か前には新聞で、鎌倉美術館は本来立ち退きで取り壊されるはずだったのが、周囲の反対で文化的な価値が高いとか何とかで、そのまま保存されることになったと載っていた。それはそうだろう!と、あそこの場所に行ったことがある人間にとってみれば当然のような気がする。

なになに?国立西洋美術館を設計した、今は確か世界遺産に登録されたのか、申請したのかよくわからないがフランス人の建築家のコルビジェの日本の一番弟子さんが鎌倉美術館を設計したらしいとか。そんなこと、どうでもいいんだけどね・・・。

話が脱線してしまった。昔から絵(あるいは画)を見ると、時間が止まるような気がするのだ。あるいは自分は音楽をやっているが、音が聞こえなくなる・・・と言おうか、、、そんな感覚がある。何も聞こえない静けさの中で絵(画)をみたい。。。と言うか、絵(画)と対話してみたい。1対1で。

美術館に彼女とか連れてデートに行くとかいうのはもってのほかで、自分は一人の世界に閉じこもって絵(画)を見るのが好きだ。友達と会話しながら絵(画)見るなんて冗談じゃない。

そんな気分を、最近みつけた画廊で味わうのだった。こんな感覚もう何十年もしてなかった。

そして画廊を出ると、スーパーに寄ってビールを買って帰るのであった。これで日曜夕方の散歩は終わるのだが、休みの晩酌のお供(とも)に、特別に最近は春なので、カツオのたたきを買って帰ったりする。ゴールデンウイーク前に久しぶりに買ってきたのだが、ツマになる大根の千切りやしその葉っぱなどを捨てられて皿に出された。風呂から上がって、さあカツオのたたきを肴(さかな)にしてビール呑むぞと楽しみにしていたのだが、、、捨てられていた。。。

”どういうことだ!?ツマが無いじゃないか!?”

家族にクレームをつけたのだが、そんなもの要らないと思い捨てたわよ!と言われてしまった。

”そんな馬鹿(ばか)な!カツオのたたきにはツマは必要だろう!”と、おもわず激高した声を上げてしまったのだが後の祭り、ツマは台所の三角の生ごみのところに捨てられていた。

カツオのたたきにはツマが必要だと私は信じている。カツオが焦げた味をツマが消してくれる。これが旨(うま)いんじゃないか!この旨味を感じてはじめて夏がやってくるのだ。ツマのないカツオのたたきを喰う奴には夏はやって来ない。こう説明するのだが家族には説得力が無いらしい。

夏の終わりに、三陸から戻ってきた脂(あぶら)ののった戻りガツオは刺身だけでいいんだ、それを喰うことで夏が終わって秋が来たと感じるんじゃないか!と主張するのだが、家族にはピンとくるものは何もないらしく、

”何、ウンチク語ってるのよ。理屈っぽい!ふん!”

と、そっぽを向かれるのであった。

後日、平日夕方、普通の刺身の盛り合わせを買って来たらしく、そこにはツマもそえられていたので申し訳ない気がして、全部食べたのだが、カツオのたたきにはツマが必要だという私のポリシー(主義主張)は、たぶん理解してくれてないのだろうなと思うのであった。

江戸っ子じゃないけれど、カツオのたたきにはツマがひつようで、戻りガツオは刺身だけでいいのである。しつこいけど。(笑)

音楽配信

時間が止まったような気がした 「摩訶不思議」という唄。

フロイトが夢の中で聞いたメロディー

ある曲のミックス・マスタリング作業をやっていて完全に行き詰ってしまった。何をやっても上手(うま)くいかない。自分の思い描いた像がそこにあるのだが、届かないのだ。簡単に済むと思っていたはずが、もう1週間くらい停滞(ていたい)してしまった。頭の中ではドラマや映画のように次から次へと作業がはかどっていくのだが、現実は遅々(ちち)として進まない。(笑)しかしながら、こういうことはよくある話で、何度も経験して来ている。こういう時は一旦(いったん)現場を離(はな)れるに限る。

ということで、このブログに向かってしまった。(笑)さて、何を書こう?今日も窓からそそぐ外の日差しはまぶしいぞ!

最近は暖かくなったので、また読書を再開した。寒いと自分は読書しないのだ。(笑)なぜだかと言うと、寝る前に布団の上に横になって本を読んで、睡魔(すいま)が襲ってきたら、本を閉じ、灯(あか)りを消して寝るという習慣になっていて、寒い季節だと体が冷えちゃって、読む気が、つい、しなくなってしまうのだった。手がかじかみながら本を読むのも辛(つら)いよ~。(笑)暖房つけて読めばいいじゃないか!と言われてしまいそうだが、暖房つけて、布団(ふとん)にくるまって時間を過ごすと体が温(あたた)まりすぎちゃって、眠れなくなってしまうのだ。多少、寒いかなと思うくらいに布団に潜(もぐ)り込んで、体が温まって自然と寝てしまうというのが、自分にとってはベストで、布団がその日、干してあればさらに快適に眠れるのであった。(笑)

寝る前に読む本はまちまちなのだが、やはり内容が難しい本を読むほど眠気(ねむけ)が襲(おそ)ってくる速度も速くなる。(笑)※ダーウィンの「種の起源」を読んでいた時には、読み始めて10分もたたないうちに眠くなって、布団にくるまってあっという間に寝てしまうという期間が何ヶ月も続いた。(笑)早くこの本を読み終えようとするのだが、眠くなるのは早いし、そうした難しい本に限って内容も膨大(ぼうだい)にあって、「種の起源」も「上」、「下」の2巻に分かれていたりなんかして、読み終えるのに半年くらいかかったと記憶している。(笑)

※ダーウィン「種の起源」・・・詳しくはウイキペディア

最近また読み始めたのも、「種の起源」に負けず劣(おと)らず難しい本で、※フロイトの「夢判断」という文庫本を読んでいる。「夢判断」も「上」、「下」2巻に分かれていて膨大な量なのだが、実は1回読み終えていて、あまりにも内容が難しいので、もう1回読んでみるかと、再度読み返している途中なのであった。「下」巻の最後1/4くらいのところで、冬になり止(と)まっていたのだが、暖かくなったのでまた読書を再開させたのであった。

※フロイト「夢判断」・・・詳しくはウイキペディア

なんで、フロイトの「夢判断」なんて、こんな小難しい本を読み始めたかと言うと、私の「月」という作品の最後から2曲目に「メロディー」という曲があって、この曲は曲名どおり一つのメロディーだけを延々繰り返す仕掛けになっていて、そのメロディーというのは、実は自分が寝ている時に思い浮かんだメロディーで、その時に夢を見ていたかどうかはわからないのだが、なぜか起きた後も覚えていて、そのメロディーに歌詞をつけただけの曲になっている。そんな寝ている夢の中で、メロディーを作るという人為的(じんいてき)作業が本当に行われたのだろうか?と自分自身の心の中に、疑心暗鬼(ぎしんあんき)があって、じゃあ1回フロイトの「夢判断」を、文庫本が本屋に置いてあったので読んでみようかと手に取ったのであった。

読んでみると、案(あん)の定(じょう)むずかしい本で、何を言っているのかさっぱりわからない。ただ1回読んでわかったのは、夢というのはフロイトが言うに、その人の願望充足(がんぼうじゅうそく)らしい。

願望充足(がんぼうじゅうそく)・・・。

もう少し、こんな難しい訳語ではなくて、もっとわかりやすい言葉でもないのかよ!?とも思うのだが、検索してみると、

願望充足とは、願望を空想上で達成する心理状態のことです。 夢やヒステリー、神経症の症状、幻覚は象徴的な願望充足です。

と、ある。その人の願いや望みを空想上でかなえるために夢をみるのだという。そんな馬鹿(ばか)な!わけのわからない夢などいっぱいあるし、願望充足のはずはないじゃないか!?と、みなさん思われるかもしれないが、フロイトはそうした反論を、夢に表(あらわ)れる現象というのは、いろいろな二次加工(にじかこう)がされていて、真実はその奥に隠されていると主張して、ひとつひとつ証拠(しょうこ)を示して論破(ろんぱ)していくのであった。

また「夢判断」の特長として、「夢」という曖昧(あいまい)なものを、証拠を示して、論理(ろんり)立てて解明していこうとするところが、東洋人の私としては、この本がものすごく白人ぽいと言おうか、西洋文明を感じるのであった。

コロナ禍の東京オリンピックが開かれるかどうかは科学の証明がないといけないと、アメリカのバイデン大統領は表明しているが、「夢」の解明を、できるだけ客観的に、まるで科学に基づくかのように論を語(かた)るフロイトは、占いや運勢を信じる人たちが語るロマンチックな夢解釈とは、ちょっと違った思考回路を持っていて、はたしてこの考えが正しいのかどうなのかは今の自分にはわからないが、この本が世界中で読まれ、この本によって精神分析がおこなわれ、心の病(やまい)から救われた人たちもたくさんいたからこそ有名になったわけでもあるのだろうし、相当な部分で当たっているのだろう。

この本が出たのは100年前の20世紀初頭で、精神分析のもはや古典書物なのだと思うが、現在の精神分析とはもっと進んでいると言おうか、どのような論を展開(てんかい)させているのだろうか?たぶんもっと細分化(さいぶんか)されているのだろうな。もうこうした本を読むことはないのだろうが、ふと、そう思った。テレビのニュースで精神分析医が人は誰でも人生に一度は鬱(うつ)になる期間があるということがわかって来たと言っていた。もう、21世紀はすごい世の中なりそうだ。(笑)

ちなみに、この私の「メロディー」という曲の歌詞作成時に、最初は”喜びのメロディー”と”悲しみのメロディー”の2つ言葉を使っていたのだが、”悲しみのメロディー”は消して、”喜びのメロディー”に統一した。なぜだろう?自分でもわからない。

けど、夢の中で聞こえるメロディーは”悲しみ”であってはいけない、”喜び”であってほしい!と自分の心が願っている気がして、、、フロイトが言う”夢とは願望充足(がんぼうじゅうそく)である。”と言うのは、あながち間違いではない気が最近はなんとなくしている。

最後に、繰り返されるこの通り一遍(いっぺん)等(とう)のメロディーが終わって、想像外のラップが始まるという展開がこの曲には待ち受けていて、(笑)ぜひ、このラップも聴いてもらえればなと思っているのだが、誰も聴いてくれない。(笑)

tunecoreが、コロナ禍特別企画として3年間無料配信サービスをすると言うので、それを利用してこの曲をストリーミングでも配信している。配信時に、プロモーションの動画をどうしよう?と思い、ラップで最後”宇宙にもどる、もどるだけ~”と何度も繰り返しているので、ゆっくり宇宙が動く動画を作成してみたのだが、誰も見てくれない。(笑)確かに退屈な動画だ。(笑)

ただ、ユーチューブなんかを見ると単純な動作だけがある音楽動画に何万回の視聴がついていたりして、それを真似(まね)したつもりだったのだが、うまく行かない。やはりフォロワー数とかは裏に何かあるような気がするのだが・・・。それは置いておいて、

とりあえずは、この「メロデイー」という曲を聴いてみないかい?作品「月」の中、9曲目。あるいは、ストリーミングでも配信中です!気に入ったら買ってください。よろしくお願いします。

音楽配信

「メロディー」動画。星が実は徐々に動いて行くのであります。(笑)