エスプレッソ

昔、博多(はかた)に行った時に名物の屋台(やたい)に入ってみた。街の道路のいたるところに出ていて、基本こうしたお店が嫌いではない人間なので、一番集まっている中洲(なかす)の屋台に入ってみた。

誰もお客さんがいなくて、まだ夕方だった。いつも近所で行く屋台風の飲み屋では知り合いと馬鹿話をして盛り上がるのだが、一人で飲み屋に入るのは久しぶりだった。いかにもどこか外から来た、よそ者姿(すがた)だったからだろうか、お店の人も目の前にお客の自分がいるのに全然話しかけてくれなくて重たい空気になってしまい、一人さみしくチビチビ酒を飲んだのであった。(笑)

その内、暗くなるにつれて並んでいる屋台街にもお客さんが入ってくるようになり、自分もお酒が体に回り始めたので、ようやくその屋台の店主に向けて口を開いたのであった。その会話の中で自分がどこからやって来たのか問われて、東京だと言うと、なんだかすごくかしこまれて、博多は何の楽しみもない街で、いつもホークス(プロ野球チーム)が勝ったか負けたかの話題しか無く、大人も呑んだくれが多い、東京の人間にとってみれば刺激のない街ですよとかなんとか言われて返答に困ってしまった。

東京の人間に思われている・・・。

確かに、もう何十年も東京に住んではいるが、東京で生まれ育ったわけではない。富山の片田舎生まれで、そこで青春時代を過ごして東京に出て来たのである。所謂(いわゆる)昔の言葉で言うと、”おのぼりさん”だ。

いや、東京に住んでますが、出身は富山で、富山の人間からすれば博多なんて大都会で、、、

と、顔から流れ出る汗を拭き拭き、答えたのだが、地方に行くと何度かこういう経験をして来た。

東京の人間というだけで、なんだか格上の人間のように見られるのだ。コロナ禍の現在は逆に、東京の人間は田舎には来るな!と差別されている気もする。(笑)東京はそれほど日本の中では特別の街なのだ。よく考えると、田舎で暮らした年月より、東京に住んでいる年月の方が長くて、自分は東京人だと言っていい気もするが、東京で生まれ育った人間からは、この田舎者(いなかもの)!!と心の底で蔑(さげす)まれているなと思われる経験は何度もしている。

一番の思い出が、エスプレッソコーヒーだ。今でこそ、「スターバックス」というお洒落(しゃれ)なコーヒーチェーン店が日本全国津々浦々(つづうらうら)、すべての都道府県にできたと数年前ニュースで報じられていたが、昔はこんな洒落たコーヒーなんかは田舎に無かった。ホットコーヒーかアイスコーヒー、よくてブレンドかアメリカンで、アメリカンなんて聞いた時には、どんなものかと思ったものだ。それが東京に出て来ると、エスプレッソが美味い、エスプレッソも知らないのか!?という感じで馬鹿にされてしまい、田舎者の自分にとってみれば、エスプレッソコーヒーは想像だにできない都会に出て来た象徴的な飲み物だったのである。(笑)

エスプレッソだけではなく、私の経験でしかないのだが、こちらの子供は紅茶をダージリン以外にも、アールグレイだとかいろいろ知っていて、更にはジャスミン茶なんかも頼んだりなんかして洒落ていた。(笑)スターバックスがあれば今はもうそんな都会と地方間の差は無いのだろうが、そんな田舎者コンプレックスを表現してみたいと思って”おのぼりさん”だった若い頃、創った曲が「ESPRESSO」だ。

エスプレッソを出すようなお洒落なカフェは、なぜだか昔から外にテーブルとイスを出していて、そしていつもそこには外人が英字新聞なんかを読んでいたりなんかする。(笑)今もスターバックスのお店の前には不思議と外人が長い足を組んで座っていて、パリとかに行けば当たり前の風景なのかもしれないが、田舎に暮らしてきた普通の日本人にとってみれば、まだ憧れの光景のようにも見える。隣にはサングラスをかけたお洒落な都会のカップルが楽しそうに会話したりなんかしている。自分が今どこにいるのかわからなくなって来そうなほど都会の幻想的な世界。

けど、そんなカップルや外人たちも他人(ひと)には言えない自分の過去や、さまざまな悩みを抱えながら現実の中で暮らしているのだ。一見、きらびやかには見えるが、家に帰ればイビキをかいて寝てたり、朝のゴミ出しをしたりなんかしているのだろう。「ESPRESSO」の苦味(にがみ)は、人生の苦味(にがみ)のような気がして、大人となった今もピアノ弾き語りでたまに唄ったりしている。

都会のカフェは田舎者のボクには苦過ぎて~♪

と。音楽配信中(歌詞、読めるようになりました)。聴いてみませんか?

YUKIO PIANO ダイジェスト

小さな冒険

今、仕事用として使っているパソコン、※ウインドウズ 10の※データバックアップしようと取り組み、回復ドライブというものを作っている最中で時間がかかりそうなので、久しぶりにこのブログに向かってしまった。

※ウインドウズ マイクロソフト社が製造するパソコン

バックアップ: backup)とは、コンピュータシステムで主にデータやシステムの状態を複製し、問題発生時の復旧(リストア)に備えることを意味する。

まるごとデータをバックアップしようと試(こころ)みるのは実は今回が初めてで、この中古のパソコンを買った当初、何度かトライしたのだが、よくわからないので、重要なデータだけを外付けの※ハードディスクに入れてそのままほったらかしにしてあったりして、すっかり忘れてしまっていたのだが、音楽作成用として使っている※マックのノートパソコンの方が何度も壊れて、その度(たび)にバックアップの重要性を痛感し、昨年末にも、とうとうそのマックパソコンが完全にイカレてしまい、途方に暮れたのだが、バックアップをとっていたおかげで、現在は肝心の音楽データも失わず、快適に作業が出来ることになったので、この際(さい)、こちらのウインドウズパソコンの方もしっかりすべてのデータをバックアップする方法を学んでおきたいと今回の行為におよんだのであった。

※ハードディスク 家電量販店の店員さんからはハードディスクとはパソコンの心臓部のようなものと言われた。作成したデータの収容部

※マック アップル社が製造するパソコン

まだ回復ドライブ作成は半分くらいだ。。。

このブログでバックアップの仕方を詳細に述べても全然面白くないし、そんなこと期待されてもいないと思うので、今回はデジタル素人(しろうと)の私がいかにこのIT革命化の世の中のもとで、デジタル機器を使いこなし、悪戦苦闘して来たかの歴史を語ろうと思う。(笑)

パソコンを最初に買ったのは、※ウインドウズ98 SE(セカンドエディション)というやつで、まだITバブルと言われた2000年ちょっと前くらいだったと思う。デスクトップパソコンが20万とか30万する時代に、ソフトバンクの子会社が”サルでもできるインターネット”という触れ込みで、月1980円か?2980円?くらいで24回分割払いで家族の反対を押し切って買ってみたのだった。(笑)

※ウインドウズは過去約20年ほどさかのぼって、おおおまかに、98→XP→ビスタ→7→8→10 とOSのバージョンアップが、されて来ている。詳しくはウィキペディア

その安い、何の機能も付いてないパソコンを実は自分は10何年間使い続けて来て、今、使っている中古のウインドウズパソコンを中野のジャンク屋で買って来たのは数年前なのである。(笑)※OSがウインドウズ7だったのだがサポート期間が終了するというのでウインドウズ10にアップグレードしたのは昨年だ。(笑)

※OS オペレーティングシステム: Operating System、略称:OS、オーエス)とは、コンピュータのオペレーション(操作・運用・運転)を司るシステムソフトウェアである。

これとは別にノートパソコンを※ウインドウズとマックの2つ持っていて、ウインドウズの方は業務用、マックの方は音楽制作用として分けて使っていたりする。

※パソコンのOSにはウインドウズマックリナックス 3つある。

ウインドウズのノートパソコンの方を買ったのは2000年代中頃で、OSはビスタであった。結構、料金は高かった。家電量販店に騙(だま)されたと思っている。(笑)今から思えば全然容量だとかが小さいのだ。それ故(ゆえ)にあっという間に動作が遅くなってしまった。ここまではパソコン素人の一般の人が誰でも経験することだと思う。

悔しかったので、料金の元(もと)をとろうと、ああでもない、こうでもないと自分でネット検索をして調べていく内に原因は※メモリ不足だと思い、アマゾンでこのパソコンにあう、もはや世間に出回っていない内部メモリを探し出し、パソコンを一部分分解して取り付けてみると案の上、多少動作が速くなった。

※メモリ 家電量販店の店員さんからはメモリとは台所で料理をするまな板のようなものと言われた。

しかしOSがビスタだというのが致命的に古い!ということが段々わかったきた。(笑)世間はみんなウインドウズ10を使っているという。

OSは自分でアップグレードするものなのか!!

はじめて知った。(笑)しかしながらビスタは古過ぎてアップグレードするには専用の何万かするインストール用DVDを買わないといけない。悔しいのでヤフオクの香港の業者から海賊版DVDを激安で買って、悪戦苦闘の末、ウインドウズ7にアップグレードすることに成功した。(笑)成功したのはつかの間(ま)、今度はパソコン内部のハードディスクが完全に壊れてしまって、もう駄目かと思い、あきらめ半分、自分でハードディスク代わりに単体部品の※SSDを家電量販店から買ってきて、パソコンを分解して中にはめ込むとなぜだか上手く生き返って来て、九死に一生を得(え)たのであった。(笑)

※SSD 一般にハードディスクよりSSDのほうがパソコンの処理能力が断然速くなる

更に、1年前にウインドウズ7のサポートも終了すると言うので、ウインドウズ10にアップグレードしなければいけなくなったのだが、このノートパソコンが古すぎて、相談に行ったジャンク屋からは有料アップグレードするか、買い替えた方がいいと言われたのに、諦(あきらめ)ず、試しにウインドウズ10にアップグレードする方法はネット接続でできるのでやってみるとなぜだか上手くいってしまって、なんだ無料でできるじゃないか!と、なり、今でも月1回仕事の関係上このノートパソコンを使わせてもらっている。動作は多少まだ遅いが・・・(笑)

マックのノートパソコンの方は買って10年くらいするもので、音楽制作用として買ったものだ。当初は快適だったのだが、その内、動作が段々遅くなり、「COCOLO」という作品を創り上げて、最終段階のミックス・マスタリング作業をしている時に、とうとう動かなくなり(笑)、マックに詳しい知人を頼って行ったのだが、結局※ハードディスクが壊れているということが判明してしまい、バックアップもとって無かったことから、どうしよう・・・、と絶望の淵(ふち)をさまよい、あきらめかけたところ、その知人が機転を利(き)かせ、別のパソコンと共有接続して、「COCOLO」の音楽データだけを1日がかりで別のパソコンから取り出してくれたのであった。(笑)その時は、何年もかけて創り上げた自分の努力がすべて台無しになったような気分で、データをとり終えた時には本当に、またまた

九死に一生を得た!!

ような気分になったのである。(笑)その時の苦い経験が基(もと)となり、バックアップを忘れない内に必ずとるということと、もはや時代はADSLやWIFIの時代では無いと感じ、光ファイバーを家に繋(つな)いだのであった。

ただその時も、故障したハードディスクを取り換えるには、自分でそのマックパソコンを分解する勇気はなく、修理業者に頼んでなおしたのであるが、今回、昨年末、それ以来2度目の内部ハードディスクが完全にイカレてしまい、また、また、また、また、途方に暮れてしまって(笑)、前に修理してくれたその近所の業者に行ってみたのだが、コロナ禍で閉まっているし、もう10年くらい使っているので、最新のOSが入っているおニューのパソコンを買おうとも思ったりもしたのだが、いや、もう自分でやるしかない!それで駄目なら諦(あきら)めよう!と、思い切って自分で分解したのであった。(笑)

当日。まずウインドウズパソコンを分解した時に頼った、新宿のビックカメラに行ってみた。広い敷地の隅(すみ)っこに誰も寄らないような自作パソコンのコーナーがあり、そこの店員さんから前回はウインドウズパソコンの内臓ハードディスクを取り換えるには、大きさの違うモノがあって、板(いた)を挟まなければいけない場合もあるとアドバイスも受け、上手く成功したのだが、今回行って訊(き)いてみると、ここはウインドウズ機器ばかりで自分もウインドウズのことならわかるがマックに関してはわからないと言われてしまった。。。

ウ~ム、これまでか~!?

と、あきらめムードが漂って来た瞬間、「マック専用店なら秋葉原に”秋葉館”という店があるから、そっちに行ってみれば。」とアドバイスを受けたのだった。そうか!自分もそう思ってたんだ!検索で調べてみると、よく出て来るところなので、このあと寄ってみようと、ちょうど思っていたところであった。

この店員さん、やっぱりできる店員さんだ、またパソコンで何かあった時、この人を頼ろう・・・

と、内心思ってしまって(笑)、感謝の言葉を述べてビックカメラを立ち去った。そして急ぎ中央線から総武線に乗り換えて秋葉原に到着、小汚(きたな)いマンションの4階か5階の”秋葉館”に行ってみると、客は誰もいなかった。倉庫のようになっている・・・。ビックカメラの自作パソコンコーナーと同じように内臓メモリの型番表みたいなものが壁にかかっていて、ながめても素人の私には何もわからない・・・。

店員さんが一人だけカウンターにいて、思い切って「マックのノートパソコンおかしくなって、どうやら内臓のハードディスクが壊れているみたいで、代わりの内臓ディスクを探してるのですが?」と訊いてみた。何年発売のものだ?とか、いろいろ詳細を訊かれ、シドロモドロになってしまい、先方も

チッ、このど素人(しろうと)が!なんにもわからないのにウチに来るんじゃねぇ~!

といったような態度で、白い目で見て来るのだが、検索で調べ入念に書いて来たメモを渡すと、ようやく私の今の状況がわかってきたのか、親切に「この年のやつなら、このハードディスクが合いますよ」とか言ってきてくれるようになった。(笑)ただ、故障の原因が本当にハードディスクにあるかはわからない、可能性は高いだろうけど、パソコン内部を開けてみないことにはなんとも言えないと脅(おど)されてしまい、何でしたら当店がそのパソコンを引き受けて修理もいたしますけど、と提案もされたのだが、

もうここまで来たら自分でやるわい!

と、はねつけ(笑)、こうなったらダメもとで全部取り換えてやろうと思い、ハードディスクの代わりに、大容量の高速SSDを、ついでにメモリまで同時に換えてやろうと、ウインドウズのノードパソコンが壊れた時以上の大英断を下したのであった。(笑)

ハードディスクとメモリの同時交換!!思っただけでも立ちくらみしてしまいそうな感じがしたのだが、店員さんには弱気の姿勢を見せないように装(よそお)い、冷静に、これで自分でなおして駄目なら、また連絡します、と言ってSSDとメモリを買ってその店を立ち去ったのであった。

家に帰って、その後の展開も想像だにしない起伏(きふく)のあるものになったのだが、もう面倒くさいので書かない。(笑)とりあえずは我が家のマック・ノートパソコンは復活し、本日朝もサクサク動くのであった。よかった。よかった。

自分としてはパソコンが壊れるたびに、ハラハラ、ドキドキ、冒険するような気分になり、その障害を乗り越えると、気づけばいろいろなデジタルの知識が身についていたりなんかして、コロナ禍でどこにも行けないと嘆いている人は結構多いと思うのだが、身近なところで新しい発見なり、今まで経験したことのないような新鮮な体験とかも、旅行に行かずとも自分で工夫さえすればどこにいようとできるのではないかと、今回の件で思うようになってしまった。子供の頃にもどったような、夏の南の島の無人島に行ったかのような秋葉原への

小さな冒険だった。音楽配信中~♪