ひょんなことからある雑誌の誌面を読んだところ、アメリカの黒人差別の”Black lives matter”について書いてあった。そう言えば最近のニュースは日本ではコロナ一辺倒なのだがアメリカだとコロナ禍の下で黒人が白人警官に足で首を押し付けられ死んでしまい、怒った黒人たちが各地でデモを行ってそれが黒人以外の人種も巻き込んでアメリカ全土に広がっていると連日報道されていた。
その雑誌の記事はその運動に連動するように書かれていて、まず”Black lives matter”という英語の中の”matter”という単語が日本人は苦手なのだと言う。確かに自分も”Black lives matter”と言われても頭が悪いので”黒人もこの世に必要なんだ~!”くらいに勝手に解釈していたのだが、記事では”matter”は主に疑問、否定文で使われて、肯定文だと”どうでもよくない”を二重否定するのが適切な訳になるらしい。”What’s the matter with you?”と中学校の時に習ったような思い出があるのだが、どういう意味だったかな?とすっかり忘れている。
“Black lives matter”で検索してみるとウィキペディア(Wikipedia)では
ブラック・ライヴズ・マター(英: Black Lives Matter、通称「BLM」[1])は、アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為に抗議して、非暴力的な市民的不服従を唱えるアメリカの組織的な運動である[2]。
とのこと。下の方にスクロールすると「黒人の命も大切だ」という日本語訳に対して異論・批判が生じたそうで、なんだかいろいろな訳され方がされているようでやはり”matter”は日本人には馴染めない英単語なのだと推測できる。
その”matter”の問題は英語の先生に任せるとして(笑)、このブログで取り上げたいと思ったことは、その記事の中でその人がヨーロッパやアメリカに行くと東洋人の自分にもちょっとした差別があると記されている事だった。
宿料金を倍の料金で請求されたり、レストランに行くとトイレの側(そば)に席を回されたり、極め付きは汽車に乗っていると混んでいるにもかかわらず自分の隣の席だけは誰も座らず空いていることに気づき、この時ほど東洋人を意識したことはないと書いてあった。過酷な黒人差別に比べればほんの序の口、真似ごとでしかないが、静かな差別、無言の差別とのこと。
この文章を読んだ時、しかしながらこれって別にヨーロッパやアメリカに行かずとも日本国内でも目を凝らせばどこにでもある光景なんじゃないかと思ってしまったのであった。さすがに宿料金をぼって来る宿は日本では見かけないが、トイレの近くに席を回されたり、電車の隣の席に誰も座らないというのは要は村八分(むらはちぶ:仲間外れ)にされたりすることはどこの世の中にもごまんと溢れていて、この人日本ではそうした経験をしたことが無かったのか~!?随分、優遇されたいい生活を送って来たのだろうなと思ってしまうのである。
自分なんかはオリジナルの音楽をやっているので、こうした静かな差別、無言の差別を死ぬほど受けて来た。直近では井の頭公園でベンチに座っている人に向けて唄うのだが、唄い出すと徐々に徐々にベンチから人が消えていき、誰もいなくなったベンチに向かって唄うのである。他のベンチは埋まっている。有名なクラシック音楽を演奏するバイオリニストにはおひねりが入っていたりする。お昼で弁当を食べるため唄うのを止めるとしばらくするとまたベンチに人が戻って来たりする。
ライブ前には必ず自分の音楽を売るためのビラ(今で言うフライヤー)を配るようにしている。頭を下げて「捨ててもらって構わないので一応もらってくれませんか?」と断って差し出すのだが、もらってくれない奴もたまにいるし、受け取ってもらったとしても持ち帰らずテーブルの上に置きっぱなしにしてあってお店から出された酒のグラスの下で水浸しになってインクが滲(にじ)んだビラをライブが終わった後お店の人に悪いので気づいた時には必ず自分で回収したりもする。せめて家に持ち帰ってから捨ててくれよと言いたくもなる。
素人(しろうと)のくせに自分自身で音楽を売っているという態度が癪(しゃく)に触るのだろうか、自分が唄っている前で露骨に会話されてお前の唄など聴いちゃいないよという態度をとられることだってしょっちゅうなのだが、自分で「売ってます。」とまずハッキリ言わない限りは鼻で笑われようが村八分にされようが世界は開けて来ないと思っている。最低限、声を出し主張しない限りは、それは人種関係なく相手はわかってくれないに決まっている。CDをかんばって作ってもどうせ売れないと諦(あき)らめてギターケースにしまい込んだままライブをやって、有名ライブハウスに自腹を削って出てたりすることを自慢していても仕方がないじゃないか。(笑)そういう人間をいっぱい見て来た。
要はオマエの音楽が他人(ひと)を惹(ひ)き付けないだけだろうと言われてしまいそうだが、ただそうしたセリフを吐く人間に限ってこうした人間達なのだ。認められた既存の世の中の価値を常識として集団になり、そこからはみ出そうとする少数派を排除しようとする。一見、今風の自由気ままに生きているように見えるのだが、肩書が必要で仲間意識が強い。仲間外れは、いじめた側はいじめた意識すらないのだろうが、いじめられた側はずっとその事を憶(おぼ)えていたりもする。
ブルースやジャズなど黒人音楽には若い頃から多大な影響を受けて来た。この雑誌の記事を書いていた人もジャズ評論家で、ジャズ愛好家ほど黒人を敬(うやま)う人種はいないだろうと吠えていた。(笑)吠えている割には静かな差別や無言の差別を気にしていて、この日本という同一民族の差別が見えにくい社会に暮らしている中で日本人ぽいと言えばもっとも日本人ぽいような気がしたのだった。(笑)
差別はどこにでも存在する。黒人だけじゃなく私でだって闘っている