フーテンのYUKIOさん

映画「男はつらいよ」が正月に久しぶりに封切られるらしい。もはや若い人にとって主人公の”フーテンの寅さん”とは誰なの?といった感じなのだと思うのだが、私が若い頃すでにそんなイメージだった。(笑)

簡単に説明すると渥美清(あつみきよし 故人)演じる性格がちょこっとねじ曲がってフラフラしている主人公”フーテンの寅さん”が巻き起こすドタバタ劇だ。毎回マドンナが出てきて”寅さん”が惚れちゃうのだがフラれてしまうという結末になる。(笑)

映画シリーズが今回50本目とのことで、シリーズの後半くらいからは”寅さん”と違ってまっとうな人生を歩む寅さんの妹”さくら”の子供、名前が何て言うのか忘れてしまったが、その”寅さん”の甥っ子(おいっこ)の恋愛模様なんかも描かれていたりする。

自分は実は映画館で「男はつらいよ」は観たことがない。若い頃は”寅さん”がなんでこんなに騒がれるのかわからなかった。昔、洋楽の音楽誌の書評で「男はつらいよ」がハワイで上映されているが全然人が入っていない、アメリカ人には”寅さん”の義理人情(ぎりにんじょう)の世界がわからないのだと書いてあった。子供心にそうなんだと思ってしまった記憶がある。

・・・時が経(た)って、自分はそう思っていた頃の親の年齢すら超えてしまっている歳(とし)になっている。その間に色々なことがあった。子供の頃まっぴらだと思っていた義理人情がなんとなく大人となった今はわかる。

テレビ映画でしか観たことはないのだが、歳をとってから”寅さん”を見て腹を抱えて笑ったり”寅さん”の失恋と一緒に涙したりもした。”寅さん”はやっぱり自分の人生の映(うつ)し鏡なのだ。いくら格好いいこと言っても、人生、義理や人情がないと生きて行けない。

若い頃は挫折(ざせつ)を知らないので何でも強気に他人に接してしまう気があるが、歳をとればとるほど他人に頼らざるを得ないので余計”寅さん”の心が身に染みる。あの頃、、、自分はなんで弱者に対してあんな強気な態度をとったのだろうか?人生は格好よく生きられると思っていたのだ。そんなはずないじゃないか!みんな心に”寅さん”を抱えてるはずだろ!今ではこうした想いの方が強い。

誰にも相手にされないオリジナルソングを井の頭公園で毎週のように唄っている。今や自分が現代版の”寅さん”なのかもしれない。また仕事が1本無くなったという電話がこのブログを書いている間に来た。来年どうなってしまうのだろう?

フーテンの寅さんならぬ、フーテンのYUKIOさんだな。音楽配信

味噌ラーメン屋の夜 パートⅡ

今年は暖冬らしいが、今日は幾分寒い。クリスマス前なのに気分も寒いし、懐(ふところ)も寒い。こんな夜には体が温まる味噌(みそ)ラーメンを喰いに行くしかないかなと先日またまた馴染みの味噌ラーメン屋に行ってしまった。

今回は時間も多少遅く行ってみた。店の扉を開ける前に中をチラッと覗(のぞ)いてみると、いた!店長さんが湯気の中でラーメンを作っている。そう、この店長さんがいないと店に入らず知らんぷりして帰ってこようと思っていたのだ。

私が懇意にしているこの店長さん、実は若い頃は佐渡ヶ嶽部屋の力士だった。四股名(しこな)は未(いま)だに教えてくれない。心の中では勝手に”琴味噌(ことみそ)”と呼んでいる。相撲の後遺症で脊髄がやられていて近くの針治療に通っている。その治療院なかなか腕がいいらしく、腰痛持ちであれば行ってみればと勧められたこともあった。私にとってはどうでもいいことなのだがサザンオールスターズのバックコーラスの女の人も通っているとのことだった。この店長さん結構芸能界好きなのだ。この味噌ラーメン屋に来た有名人の名前を何人も上げて自慢したりもする。ただもう酔っぱらって好き勝手に話をするから嫌(いや)みにも聞こえて来ない。私にとってみれば楽しい話し友達なのだ。

「まいど~」と扉を開けると今回は元気よく声をかけられた。若い頃は相撲甚句(すもうじんく)もやっていたのかな?今度訊いてみよう。店長さんに会うのは久しぶりだ前回、前々回と来た時には店にはいなかった。ラーメンとビールの券を買って渡すと、「※有馬(ありま)やるんすか?」と訊いて来た。この会話の入り方がたまらない。もう毎年毎年何度も同じ会話の繰り返しじゃないか!この店長さんとの会話は常に競馬の話から始まるのだ。去年も一昨年も、もう何年も年の瀬は有馬の話をしてきたじゃないか!私の方も、もう飽きた、いい加減にしてくれよとは云わない。「そりゃ、やるよ。1年に1回、有馬だけやると決めているんだからさ。」と答えて、モヤシをつまむ。何年も同じ答え方だ。(笑)

※有馬記念 JRA競馬のその年活躍した人気馬が出走し盛り上がる年の瀬の一大イベント。

そしていつも先週のレースの結果の話に移り、店長さんが得意にしているボックスやワイドと言った買い方で当たった外れたの話になり、私が古い人間なので馬連でしか買ったことがなかったので、ボックス買いの説明を受けるのだがチンプンカンプンになり、客がいなければその内大相撲の話になったりする。

今回は周りにお客さんも結構いたのでそこまで会話が弾む暇もなかったのだが、店長さんが主張するには今年の有馬は”キセキ(馬の名前)”をマークしておいた方がいいと云っていた。もうここ何年も競馬に興味を失い、どんな馬が走っているのかも知らない私としてはたまには店長さんの言うことを信じてみようかと、有馬の出走馬をウエブで調べてみると”キセキ”は外国人騎手の騎乗になっている。何年か前、外国人騎手流しで馬券を当てて、店長さんから”さすが!”と云われたことを思い出した。それ以来、店長さんも私に一目(いちもく)置くような視線に変わって来たような気がしないでもない。(笑)

武豊(名前:たけゆたか。日本人で最も人気のある騎手)の時代でもないだろうしな。時代はインターナショナルなんだから今回も外人騎手流しと行くか!と思いきや、同じ手を二度使っても面白くなさそうなので、実は何にも決めていません。(笑)

瓶ビール1本飲み干すと、店長さんが「そろそろ作りますか?」と訊いきて頼むと出てきた味噌ラーメンはトウモロコシが山盛りになっていて、チャーシューが5枚くらい乗っていた。こんなラーメン頼んじゃいないぞ!量が多すぎて喰えないじゃん!と内心思いながら、がんばってその夜は全部すすって来た。

ヨッ!琴味噌。粋(いき)だね

本当の四股名(しこな)は何て言うんだろうな?教えてくれる日が来るのだろうか?たぶんその前に別れが来るような気が薄々(うすうす)はしている。人は人の間(あいだ)で生きているのだ。それまでは出会いを楽しみたい。来年お店に行くとまたラーメン食べる前に有馬がどうだったとかで話が始まるんだ。もうおかしいほど決まっているのだが、これでいいのだ。

これが世の中のどこにでもある、大の大人の会話なのだ。

音楽配信

鳥たちが応援している。-メシアンの音楽-

今日はいい天気だが、昨日は天気予報だと雪が降るかもしれないということで小雨の降る寒い一日だった。にもかかわらず井の頭公園に行って唄って来てしまった。(笑)案の上、ポツリ私一人だけで他の大道芸人の人たちは誰もいなかった。

これくらいの小雨だと大丈夫だと判断し行ったのだが、公園はいつもと違って当然のごとく人がまばらであった。最近は寒いので唄い始める前にトイレに行くのだが、近くのトイレが工事中で遠くまで行かなければいけないので面倒くさい。

用を足し、唄い始めた。スラスラ、大分(だいぶ)歌詞を体で覚えて来たな。「YUKIO」というアコギ弾き語りの作品に入っている重要な曲の歌詞はほとんど覚えた。歌詞帳を見なくてもなんとなく大丈夫なような気がする。なんとなくじゃ駄目なので確信に変わるまでもう少し唄いこみたい。それと唄に感情表現も少し入れられようになって来た感覚もちょっとあったりなんかもする。やはり唄いこむということは大切だ。

公園では1曲唄い終わると、当然誰かが拍手してくれるわけでもなく、木々の中にいる鳥がざわめく。擬声語を入れて説明したいが、どんな擬声語にしようか上手く想像がつかない。ただ私の中では鳥たちが喜んで”いいぞ~!もっと唄え~!”と応援してくれているものだと感じている。(笑)昨日は小雨でそんな小鳥たちはざわめかなかったが、晴れた日には本当にたくさんの鳥たちが曲が終わると拍手してくれる。これが気持ちいい!いくら唄っても鳥たちが”ヨッ!オレたちの仲間!”と応援してくれる感じで疲れもふっとぶのだ。

昔はよく井の頭公園ではなく近所の善福寺公園に行った。毎朝善福寺公園を散歩した。自称公園好きなのである。(笑)公園の醍醐味(だいごみ)は鳥のさえずりや虫の鳴き声だと思っている。車の音や工事の音を聞いていてもちっとも楽しくない。

実は自分の中ではもうほとんどロックだとかジャズだとか流行歌に興味が無くなっていて現代音楽にだけは食指が動くのだが、その現代音楽の中でメシアンさんというフランスの作曲家がいる。はじめて白状するがメシアンが大好きなのだ。ただもう亡くなってこの世にいなくなって久しいが、いまだにメシアンの音楽というのは評価が定まってないらしい。

メシアンの音楽を聴くと、公園の鳥のさえずりを聞いている感覚に襲われる。何かの書物でメシアン当人がいろいろな鳥の鳴き声を録音機に録ってその波長を分析したという記事があったと記憶しているが、特にメシアンの代表作といえる”トゥーランガリラ交響曲”を聴くとまるで善福寺公園をそのまま散歩している感覚になる。

鳥の鳴き声といってもいろいろな種類の鳥がいるので、その種類ごとに鳴き声が違う。カラスは「カー、カー」、スズメは「チュン、チュン」といった具合か。そうした鳥たちのさまざまなハミングが ”トゥーランガリラ交響曲” から聴こえてくるのだ。

クラシックのコンサートには若い頃学校の授業の一環で何度か行ったことがあるが、モーツァルトやベートーベン系統の音楽だったような気がする。それ以来クラシックコンサートには行っていないのだが、一度でいいから ”トゥーランガリラ交響曲” を生(なま)のコンサートで聴いてみたい。

それとメシアンの作曲技法本も読んでみたかった。誰も買わないので日本では廃刊になっていたのだが、今ネットで調べてみるとamazonとか紀伊国屋でも売っているようだ。残り少なくなった自分の頭にある曲を全部おもてに出してから、じっくりその本を読みたいな。けどその頃もう自分はこの世にいないだろうなぁ。

とりあえずは自分の唄は周りの人間は支持してくれなくとも、森の鳥たちが応援してくれている。そう信じている。鳥たちと歓喜の唄をうたいに来週も井の頭公園に唄いに行くぞ~!(笑)音楽配信