自分は口が重い。(笑)若い頃は気にした時期もあった。友達との会話が弾まない。女の子をナンパしても最初だけ陽気に振る舞って、あとは沈思黙考(ちんしもっこう)モテるはずかない。(笑)学校の昼飯(ひるめし)時間には仲間内で机をくっつけあって食べるのに仲間がいないので一人浮いてしまい、焦って近くの同級生の仲間内の机の中に無理やり入り込んだ思い出がある。
若い頃はこうした一人になる自分を隠そうと、ああでもないこうでもないと誤魔化したものだったのだが、社会に出てしまってからは特に新卒でどこか安定した企業に就職して横並びで働いてきたわけでもないので、基本、常に一人だった。こうなると余り他人からどう思われようが関係ないと言おうか、口が重くて悪かったねと開き直ってしまったと言おうか、特に歳(とし)と共にまったく気にすることもなくなってしまった。(笑)
会話が弾まなくても全然気にしない。(笑)沈黙を埋めるために妙に白々しく話しかけてくる人もたくさんいるが、どうもそうした会話にノッた試しがない。自然にしてるのが一番のような気がして無理に話はしない。
「この気持ちをキミに伝えたい」というギターアルペジオだけの短い唄無しの曲がある。実は最初、唄があったのだが消してしまって自分の表現したい部分だけを残してみた。自分の気持ちを他人に届けるには言葉では足りなくて自分は唄をうたっているのかもしれない。かといって言葉をないがしろにしているわけでもない。もうすこし言葉を上手く使えたらいいなと常に思っているのだがなかなか現実はそうはいかない。
詩と歌詞は違っているように思う。詩は詩で言葉として独立しているが、歌詞は歌がないと成立しない。忌野清志郎の「きみがぼくを知ってる」という歌詞が好きだ。こんな歌詞を書きたいと常々思っているのだが無理だとも思っている。清志郎は清志郎だし自分は自分である。