先日、私の住んでる街はお祭りで大騒ぎだった。今日は暑いがもう夏も終わりだんだん秋の気配が漂ってきた。秋の祭りも都心から順番に西に移動していく。神輿(みこし)を担(かつ)ぐ掛け声が東から西に聞こえるに従って風も冷たくなっていくような気がする。
前に祭りで神輿(みこし)を担ぐのと、山車(だし)を出す地域の境界線がだいたい箱根くらいだと聞いたことがある。箱根の東、関東だと神輿(みこし)で、箱根の西、静岡、名古屋、関西、九州は山車(だし)だという。そう言われてみれば確かに京都だとか大阪の祭りはみんな山車(だし)で練り歩いている。東京は確かに神輿(みこし)だ。この違いは何なのだろうか?
不思議に思うのだが、こうした違いは祭りだけではなくていろいろあるような気がする。昔、新聞で読んだ話でお正月のお雑煮(ぞうに)に入れる餅(もち)の形が日本の東と西で違っているというのだ。西は丸餅、東が角餅で、その境界線が実は関ヶ原にあるという。確かに東京で丸餅など見かけたことがない。
どうでもいいこと話しているな・・・。実は近所のお祭りというのは阿波踊りで神輿ではないのだ。昔はお祭りというのは五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って催するものだったのだろうが、今のお祭りというのは形だけがイベントとして残っていて不思議な感じがする。特に東京に住んでいると、隣街で沖縄のエイサー祭りだとか、はたまたどこかの街では青森のねぶた祭りなんかもやってたりしてなんでこんなお祭りやってるんだろう?とか思ったりもして、私の田舎の越中八尾の”風の盆”という静かな盆踊りもなぜか中央線沿いの街でやっていたりもする。
私も含めて、車や電車に乗って会社に通い冷房の中で汗ひとつかかずにオフィスワークに励む現代人にとって五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願うという感覚があるのだろうか?ちょっとそこに行けばコンビニがあってなんでも置いてある。
ただ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)はわからないが、自分の体の中に祭りのリズムが備わっていることだけはなんとなくわかる。そう日本的なリズムが。
8ビートだ16ビートだ、シャッフルだスイングだと言っていたとしてもそれはあくまでも勉強した頭で考えたリズムであって、祭りのリズムだけは誤魔化しようがない。自分に生まれ持ったリズム感なのだ。
”火の玉”という曲があって、じつはこの曲阿波踊りのリズム感を参考にしていたりもする。自分の中では日本的な2拍子という考え方で創った唄だ。