チェッカーボードの帰り道

チェッカーボードからの帰り道 JR中央線高架下

昨夜はチェッカーボード(阿佐ヶ谷のブルースライブバー)でライブだった。今回は4組の出演で1番目ということで夜7時30分から40分ほど唄ってきた。他の3組は有名な黒人ブルースやジャズのカバーをやっている人達で前に何度か一緒になったような気がするが、ほとんど会話もしないのでどうだったかは定かでない。

お客さんは相変わらずいない。忌野清志郎が自分の音楽を人気がとれないマイナーなブルース音楽と言っていたがその通りなのかもしれない。しかし清志郎が死んだ時、あれほど葬儀場の前にファンが列を成して悲しんだのも事実。ブルースはマイナーな音楽かもしれないが音楽の力(ちから)はすごいものだと未(いま)だに信じて唄ってる。

今回はいつもと違ってギターソロを入れてみることだった。大久保水族館というライブバーで演奏する時はカラオケをバックに唄って間奏にギターソロを入れているのだが、今回は間奏にカラオケが無いのでギターソロ1本でお客さんに聴いてもらうことになる。心配だったがやってみた。結果は、まぁ良くもあるし悪くもある。

バックにハーモニーが流れてないので、他人(ひと)が聴いてくれるかな?と心配したが録音したものを聴いてみると意外に普通に聴ける。ただチェッカーボードで演奏するようになって創った”アーモンド”というブルース調の曲の間奏がギターソロだけだと小節が数えられなくなって一体どこ弾いているのかわからなくなってしまうという前からの疑問点が解決されていない。ここをなんとかしないと。

今回の演奏メニューは1.アーモンド、2.タクシードライバーはAチューニング、3.ボクはモグラ、4.答え、5.間違ってない、6.太陽、というもので、動画も撮ったのだが照明の光が自分の後ろから出たり入ったりしてどうも気になって仕方がない、演奏も結構タイミングがずれていたりなんかしてよくない。”間違ってない”という曲は前回上手く唄えなくて今回あらためて唄ってみたのだが4回繰り返すところ5回繰り返してしまったりしている。色々(いろいろ)あるが、後日まとめてyoutubeにアップしてみようと思う。

ライブ=生きてる、ことに間違いなんてないと思っている。自分の行動には何か意味があるのだ。行動には無駄なものは無い。遠回りには遠回りの意味がある。明日を信じてまた唄うだけだ。ライブ聴きに来ませんか。

あなたに出会えることを夢みて。

音楽配信

盆栽ロック

我が家の玄関横には苔玉(こけだま)が置いてある。(笑)今朝写真を撮ってみた。2,3日前は曇っていてもう少し苔(こけ)の緑(みどり)も映(は)えてたような気がするが、本日はものすごい晴天なので苔(こけ)もだんだん暑さに負けて来てるようだ。

それにしても苔(こけ)の季節だな。

関東はまだ梅雨が明けてないのにこの暑さ。もう朝からクーラーを効かせなければ耐えられないほどの季節になって来ているが、苔(こけ)の緑が涼しく感じられて今朝はまだ扇風機をかけたままだ。ただし風量を弱から中に上げてガンガンにかけている。

我が家に苔玉(こけだま)がやって来たのは、今から10年くらい前だったような気がする。水くさい言い方をしているが自分がホームセンターで安いの見つけて買って来ただけである。(笑)

3つ買って来たのだが、一つは何年か前の例の大震災で揺(ゆ)れが激しくて塀から落ちて跡形もなく壊れてしまった。残りの二つは未(いま)だに健在で、その内の見栄えのいい方を本日初めて写真に収めてみたという次第である。

もう片方は半分崩(くず)れていて、玉をつくっている中の糸が露(あら)わになりこれは他人(ひと)には見せられないだろうと思い撮影モデルにこちらの苔玉(こけだま)を選んだのだった。

しかし、実は我が家の苔玉(こけだま)はいつもこのように緑の苔(こけ)が生えているわけではなく、日なたに置いてあるためかガビガビに乾き切って干し上がった状態になっているのが常(つね)で、半年か一年に一回だけ不思議とこのように見事な苔玉(こけだま)に復活するのである。

いつもガビガビの苔玉(こけだま)を早く捨ててくれと言われたりするのだが、聞かぬふりして玄関横に置いて10年ほど、ネットで調べると苔(こけ)の寿命は二から三年らしいが我が家の苔玉(こけだま)は日なたにおいても忘れかけた頃に生き返ってくるしぶとい苔(こけ)なのである。

なにかの雑誌で読んだが、苔(こけ)を他(ほか)から採(と)ってくる場合は黙って採って来てはいけない、しっかりと断わりを入れて採って来るのが盆栽の育て方の礼儀とのこと。

死んだふりをして実は生きている。

苔(こけ)の中にある静けさが好きだ。京都にある苔寺(こけでら)というお寺に一度行ってみたい。静けさの中にある自分の心の像を見てみたい。何かが聞こえてきたりするのだろうか?音楽配信

YUKIO音楽の時代

自分でオリジナルの唄を唄っている割には、他人(ひと)の音楽を買わなくなってもう何年も経つように思います。CDチェーン店が自分の音楽CDを置いてくれないので腹が立ってそれ以来CDを買っていません。(笑)自分で販売しているくせにダウンロードで買ったことも無く、ストリーミングサービスは無料のspotifyだけたまに聴いてたりします。

何を聴いたら面白いのかよくわからないので、ワールドトップ50というのをたまに聴く程度です。今、世界で最も売れている50曲がたぶん聴けるのでしょうけど、当然その中に私の知っている曲などは無くチンプンカンプン、流行に取り残されたおじさんが”今の若い者は・・・”などと若者を苦々(にがにが)しく思っている感覚に近いのかもしれません。

大手CDチェーン店には置いてもらえませんでしたが、近所のアナログレコード屋さんでは自分のCD置いてくれていて、そのアナログレコード屋さんとたまに世間話をしたりするのですが、アナログレコード最近復活傾向にあるけれど、どういった曲のレコードが売れてたりするのか尋ねてみると、傾向なんかなんでもいいんです要は流行(はや)りですよと言われてしまいました。(笑)曲の内容などはどうでもいい。お洒落(しゃれ)感覚で今の若者は音楽を愉(たの)しんでいるだけだと言いたかったのだと思います。

思えば私の若い頃もそうだった。それが歳を重ねるうちに生きるためのいろいろな知恵がついて来たりなんかして、、、それと共に聴く音楽も遍歴して来ました。最初はロック、それから黒人音楽になり、だんだん唄ものを聴かなくなりジャズに移り、今はクラシック音楽です。ほとんど一貫性が無いのですが、自分の中ではその時、その時の良いと思ったものだけを聴いて来ただけなのです。当然自分の創る音楽も、こうして今まで聴いて来た音楽の影響から切って切り離せないものでもあります。オリジナルの曲といっても何もない0(ゼロ)から創り出すことなんてありえないのですから。

spotifyのワールドトップ50を聴いていると、ほとんどが打ち込みの音楽になっています。その時代、その時代の傾向があって最近の流行りはその打ち込みに乗せてメロディーなのかラップなのかよくわからない中間くらいの感じで創られている風です。ちょっと前まではヒップホップがどこに行ってもかかってましたが、今はもう一つのジャンルとして成立してしまったので若者が飛びついて来ないのかもしれません。あとエフェクターなどのプラグインの使い方も相当複雑になっている感じで随分金かかってるなと感心したりもします。

ただその時代が過ぎてしまえば、流行った分古臭く感じてしまうのも事実。いつその時代が終わるのかは誰もわからないのですが常にアンテナを張ってないと取り残されてしまう。気づいた時にはあとの祭り。これは音楽だけではなくて世の中一般すべてそう。そんな面倒くさい時代を追うよりも、自分で時代を創ればいいんじゃん!?

おっしゃる通り!しかし自分で時代を切り拓くつもりでやってきましたが、ご覧の通りこの様(ざま)です。トホホなのですけどまだ諦(あきら)めちゃいませんよ!息が続く限りやってやります。ザマ~ミロ。だって、

女の子にモテたいために男の子はギターを弾き始めるのだもの。

誰かがそんなこと言ってたな・・・。音楽配信