緑のカーテン 音楽配信やってます

今朝は曇りだった。多少雨もパラついて天気予報は一日曇りだったのに昼にかけて段々晴れてきた。どうも最近、予報が外れている気がしないでもない。日よけのために種(たね)をまいた朝顔は相変わらず芽が出てこない。変に1本だけ出た茎からは今夏最初の花が咲いてもう枯れている。梅雨が近いようだ。

実は我が家は日よけとして朝顔以外にも、キュウリとゴーヤを緑のカーテンとして毎年植えているのですが、こちらの方も連作障害を起こしていているのか年々発育が悪くなってきたので今年はその二つはもちろん、同じ場所にナス、トマトにブロッコリーまで植えてたりします。そして玄関前には梨(なし)の木が置いてあって隣には葡萄(ぶどう)、さらに2階のベランダには柿の木があったりなんかして・・・全部食い物じゃないか!(笑)と自分の卑(いや)しさが嫌なのですけど家の周りは野菜や果物(くだもの)で囲まれていたりするのです。

ビワとイチジクの苗も買ってきて、ついでに椎茸(シイタケ)を栽培する原木(げんぼく)まで置こうかなと妄想を膨らませた時期もあったのですが、伸ばしに伸ばした蔦(つた)が隣まで行こうとしたためクレームがつき家を緑(みどり)で覆いつくすことは諦(あきら)めました。(笑)

ところが今年はまったく芽がでない朝顔と違って、キュウリとゴーヤ、ナス、トマトは発育がいいのですよね。多少植える場所をずらしたのですが、それが良かったのかもしれない。しかしここで安心してはいけません。毎年ここからてんとう虫が葉っぱを馬鹿みたいに食べたり、うどんこ病になったりと予想だにしないことがいろいろ発生したりするのです。

1年目に植えたキュウリやゴーヤは、ジャックと豆の木のような感じで夏の終わりには屋根に届くまで伸びて、その緑のカーテンにできた実(み)を家で料理して食べると最高に幸せな気分になれたのですが、2年目、3年目となると段々と茎も伸びなくなり感動も無くなって来た近年です。今年はなんとか無事にこの野菜果物が育ってくれないかと願っています。

平成おじさんとして有名になった小渕元首相がバブル崩壊期にTVの前でカブを持って”カブ(株)上がれ~!カブ(株)上がれ~!””とパフォーマンスしていたように、我が家のキュウリとゴーヤも今年は屋根まで伸び上がって行ってもらいたいものです。

いや、令和のはじめに現実は難しいですけど自分の音楽もそうありたいです。音楽配信

音楽会を開こう

子供の頃から年末の紅白歌合戦を面白いと思って観たことがありませんでした。最近も視聴率が30%ぐらいあって昔は50%くらいの、大みそかの夜はどこの家庭もTVで観ていたお化け番組が好きではありませんでした。

それでよく自分で唄を創ってうたってるなと言われればその通りなのですが、演歌とか歌謡曲とか今で言うJポップとか何か私にとって気持ち悪く感じられて、その年のヒット曲を聴いていてもピンと来ないのです。

じゃあどんな唄がいいのかね?と問われると日本の民謡であれば好きで、私の田舎、五箇山(ごかやま)に伝わるこきりこ節(ぶし)とか花笠音頭(はながさおんど)とか、最近は北海道の江差追分(えさしおいわけ)が特にお気に入りです。

江差追分は 毎年全国大会が開かれていて

鴎の(アーソイ)鳴く音に(アーソイ)ふと目を(アーソイ)覚まし
(アーソイ ソイソイ)
あれが(アーソイ)蝦夷地の(アーソイ)山かいな

この短い歌詞を猛烈に喉(のど)のこぶしを回しながら船乗りの心情を表現していくのですが、自分にとってはこちらの世界観の方がぴったり来るのですよね。

日本の民謡には明治以降西洋音楽の理論を使って作曲された童謡や演歌と違ってド、ミ、ソというハーモニー(和音)がありません。そしてリズムが3拍子とか4拍子とかそういう概念もありません。

前から疑問に思っていることは、なぜ西洋音楽では譜面上で小節割(しょうせつわり)していくのでしょうか?そして歌もので4小節とか8小節とか循環させたりするのですが、実は私の唄の中には、5小節や7小節で循環する曲とかもあったりなんかして、そこらへんからまず今の世の中の音楽シーンから外れているのかもしれません。けど自分では間違ったことをやっているとは思ってなくて、これが自分の特長でもあると思っています。

「音楽会を開こう」という曲は同じメロディー部分を1、3コーラス目は5小節で繰り返し、2、4コーラス目を4小節で繰り返すという西洋音楽じゃ考えられない変な唄です。しかし自分にとっては自然に流れ出たもので決しておかしなものとは思っていません。小節で割るから変なので、小節を考えなければたぶん民謡と一緒でなにも問題はないと思ってます。

何百万あるいは何千万人が観る紅白歌合戦に出演できるとは思っていません。自分の場合は本当に手作りでここまでやって来ました。友達ももはやいないのですが、なんとか一人の人間だけでも振り向かせることができないかと頑張ってます。アナタを振り向かせたいのです。音楽配信

音楽会を開こう 親しい友達を呼んできて

楽しい音楽会を開こう みんなを呼んでこいよ

お天とう様は寝てるよ ちょっと鼻をつまんでこいよ

音楽会を開こう 親しい友達を呼んできて

さあ、さあ

幕が上がるぜ

準備は万全かい?

別に楽器が弾けなくても そんなことお構いなしなのさ

楽しい音楽会を開くんだ みんなを連れてきて

お天とう様は寝てるよ ちょっと鼻をつまんでこいよ

音楽会が始まるぜ友達 大勢呼んできて

さあ、さあ

夢物語の

始まり、始まり

ホーキング音楽を語る

先日ニュースでブラックホールが見つかったと大々的に報じられていましたが、何年か前に亡くなったホーキング博士がこの報道を聞いていたらどんなに喜んでいたでしょうか!今回は私の音楽とは関係のない宇宙の話をしてみたいです。

ホーキング博士の本に出会ったのは、博士が亡くなってから程なくしてゴールデンウイークに池尻のライブバーでリハーサルが終わったあと駅前の本屋さんでふと文庫本の棚から「ホーキング宇宙を語る」を取り上げた時でした。

確か難病で体が動かず、脳ミソだけで生きているイギリスの有名な宇宙物理の教授くらいにしか知らなかった私は、ニュースで博士が亡くなったということを何週間か前に聞かされていて、その記念でこの文庫本が出てると本の帯(おび)を見て気づき何となく手に取ったのでした。

最初の数ページを読んでホーキングさんはブラックホールの権威なんだと知り、ちょっと面白いなと思って文庫本だし安いから買ってみたのでした。ただ難しい話が書いてありそうなのでそんなに本の内容に期待していた訳ではないのです。

ところが家に帰って読んでみると、その内容が余りに面白くて立ちどころに夢中になってこの本を読んでしまいました。なんとかテレスのギリシア時代の宇宙論からはじまって、ガリレオの先見性、ニュートン物理学、そして現在の宇宙物理の基本になっているアインシュタインの相対性理論を中心にして、高校時代物理をまったく勉強せず試験で2点だったこともある素人の私でも何となくわかるくらいに、宇宙はどこからはじまってどうなっていくのかを分かりやすく解説してくれたのです。

すべては言葉で説明されていて、数式はたったひとつアインシュタインのE=mc2だけが書かれています。E(エネルギー)=m(質量)×c2(光速度の2乗)この数式ひとつだけとっても余りに観念的で頭の悪い私にはさっぱりピンと来ないのですが、この本を読んでわかったことは宇宙を知ることは自分を知ることでもあるということです。

宇宙の中に無数の銀河があり、その中に無数の太陽系があり、その中に無数の星があり、その無数の星の中のひとつが地球で、その地球の中の無数の生態系の中のひとつが自分なのです。

ホーキング博士は宇宙を解き明かすには相対性理論だけではなく、宇宙が構成されている最小のモノは何だ?という量子力学も関連づけなければいけないことも解説していて何も知らない私はなるほどと唸(うな)るばかりでした。

その解き明かすヒントにブラックホールがあるのでした。ブラックホールを解明することが宇宙を解き明かす鍵になる。しかしブラックホールは理論上では存在は証明されているのですが、実際に存在するというのは確かめようがなかったのです。

そのブラックホールが現実に存在することが証明された!しかし、なぜ光すらのみ込んでしまうブラックホールを撮影することができたのか?人は光の中で存在しているのでブラックホールなど見ることはできないはずじゃないか?ブラックホール発見のニュースを聞いて最初に思ったのはそうした疑問でした。しかし人間という生き物は頭を使うのですね。

新聞で今回の発見の特集を読むと、ブラックホール自体は人間には見えないのですが後ろからの光を当てれば、いわゆる後光が差す形で存在が確認できるということなのです。なるほど!自分にもこうした発想が欲しい。

「ホーキング宇宙を語る」の初版は1980年代頃と書かれてあったと思いますが、その当時は日本の小柴教授などがノーベル賞を受けたニュートリノの発見もまだで、本の中にはニュートリノが発見されれば大変な発見になるとも書いてあったし、そしていずれはブラックホールは発見されるだろうと予言しています。

今回その通りになった訳で、ホーキング博士の先見性には感服するばかり、買った本を二度読み直すことはほとんどないのですがこの本はあらためて読み直しました。それほど面白かったです。

ブラックホールに向かってホーキング博士に合掌(がっしょう)。音楽配信